頭が重く気だるい朝のいつもと同じ目覚めに肇は見慣れた自分の部屋じゃない事に気づき慌てて辺りを見回してから、ここが識の部屋だと思い出した。
「起きたか?・・・・飯できてるよ、食うだろ?」
物音に部屋を覗き込んだのか識の笑みを含んだ声に顔を上げた肇はただこくり、と頷くと布団からもそもそと起きだすと、キッチンへと続く部屋へと向かう。 識は朝から鼻歌交じりに食卓の用意をしていたから、肇は彼が手招きする場所へと居心地悪そうに座りこんだ。
「朝から重いのもなんだから、まぁ無難に作ってみました。」
出された料理に簡単なパンとかコーヒーが出てくると想像していた肇は識へと顔を向ける。 箸を片手に肇の前に座りこみ早速食べだした識は視線に頭を傾げる。
「食べないのか?・・・・・朝はパンとかが良かったか?」
「・・・・・いや、ありがとう。」
箸を手に取ると肇は出されたおかずへと手を伸ばした。 完璧な和食の朝ご飯が出てくるとは思わなかった。 お味噌汁に漬物、出汁まき卵焼きに湯気の立つ白いお米。 一人暮らしを初めてから、料理をほとんどしない肇は炊きたての白いお米を食べるのも久々で一度箸をつけたらそのまま一心不乱にただ食べ始める。 そんな肇に識は箸を止め笑みを浮かべるが、自分もまた食べ始めた。 「ごちそうさまでした。」
「お粗末様でした。」
両手を合わせて呟く肇に識は苦笑を零すと答える。 そんな彼を見上げた肇は照れくさそうに笑みを返した。
「昨日は? 良く眠れた?」
「え?・・・・・何で・・・」
「少し、目が腫れてるから。・・・・・それに、魘されてるみたいだったから、な。」
「・・・・・ごめん、起こした?」
びくり、と肩を揺らし問いかけてくる肇に識は笑みを浮かべると口を開いた。
「平気だから、それより、お前の方こそ大丈夫か?」
眉を顰め探る様に問いかける識に肇は笑み返すとただ頷いた。
*****
社内で再び識と話し始めた肇に周囲の人間の対応も少しづつ変わっていた。 「挨拶から始めよう」そう識が約束させたから、肇は戸惑いながらも忠実にそれを守った。 おたく、ださい、きもいと言われ続けた肇のその変化に戸惑いながらも受け入れてくれる人が大半だったけれど、疲労感だけは確実に溜まっていた。 「・・・・・大丈夫か? 本当にお疲れだな・・・」
昼食を食べながら引き攣った笑みを浮かべる識に肇は辛うじて作った笑みを向ける。
「・・・・・前の方が楽だった。 最近用も無いのに話しかけられるし・・・・・」
「良い傾向じゃんか。その内、慣れるよ。・・・・・でも、約束は俺を優先しろよ!」
苦笑で返す肇に識は笑みを浮かべたまま目の前の食事を食べだした。
「ところで、悪夢はまだ見るのか?」
「え?」
「夢だよ!うちに泊まった時も魘されてたし、それ・・・・・まだ見るのか?」
言われて肇は最近夢も見ないで眠れる事に気づかされた。 人との慣れない交流のせいもあるだろうけれど、床に着けばぐっすりと眠れる今の自分を思い出す。
「・・・・・・そういえば、見てない・・・・けど、何で?」
「そうか。・・・・・でも、夢の内容も分からないままか。落ち着くとまた見るのかな?」
「分かんないけど、だから、何で?」
ぶつぶつと呟く識に焦れた肇は眉を顰め伺う様に顔を覗き込み問いかける。 そんな肇に苦笑しながらも識は一冊の本を取り出すと肇の前へと表紙を見せてきた。
「夢占い?・・・・・・何、これ。」
「夢は心象心理の現れだって良く言わないか?・・・・・だから、肇の悪夢も占ってみるかな、と・・・・・」
頭を掻きながら呟く識に肇は黙って本を見つめるたまま微かに笑みを作る。
「ありがとう。・・・・・でも、今は平気だから、夢も見ない位、ぐっすり寝てるよ。」
「・・・・・とりあえず、持っとけよ。何か、役に立つかも知れないし。」
目元を赤く染めたまま本を押し付ける識に肇は笑いながら本を受け取る。 自分でさえ忘れていた些細な事を覚えていてくれた識の好意が嬉しくて肇は本を手に取るとぎゅっと抱きしめた。
「飲み会?・・・・・・僕が?」
「うん。・・・・・最近変わったって評判の高見君も是非にって、ダメかな?」
「・・・・・ううん。良ければ僕も、行きたい、です。」
戸惑いながらも答える肇に誘った女子社員は笑みを浮かべると場所と時間を伝えてくる。 ほんの少しの歩み寄りで変わる事ができるなら肇は前に進みたかった。 勇気をくれた識に少しでも近づきたかったから。
「肇も飲み会誘われたんだ!・・・・・良い傾向じゃん、同期の奴らばっかだし、きっと楽しいよ。」
笑顔を浮かべた識に肇は笑みを浮かべる。 目の前でいつも笑顔を浮かべてる識に少しでも近づきたい、人が苦手であまり慣れあいたくないと思っていた肇にしてはかなりの進歩だと自分でも思う。 この人に近づきたい、その感情が何なのか今はまだ分からない肇だけれど、優しさには同じ優しさで返したい。 だから、同僚といっても同じ部署の人達とだけど少しづつ会話するようになった肇にはあまり実感は湧かないけれど識と同じ位といかないまでも、部署内の人と同じ位には話せるようになろうと気合いを入れる為に拳をそっと握り締めた。
*****
後悔とは過ぎてしまった事を悔やむから後悔と言うのだと改めて識は深く実感した。 同僚といっても、入社時期が同じだけで、当然仕事の内容も人それぞれだ。 最初は無難に挨拶から始めた飲み会もお酒が入ればそこはただの酔っ払いの集団だった。 あまり得意じゃない酒の席で、営業担当の社員からは散々顧客の愚痴を語られ、事務の女の子からはお局様の愚痴を聞かされ、肇はふらふらと席を立つとお手洗いに向かった。 鏡の前で疲れた自分の顔を見て苦笑を浮かべた肇は背後の人に気づいた。
「・・・・・識?」
「よぉ、大丈夫か? 少し顔色悪いけど、あまり飲んでないよな?」
顔を覗き込み問いかける識に笑みを浮かべると肇は「飲めないんだ」と呟く。
「・・・・・一滴も?」
「多少なら平気、だけどお酒にはかなり弱いと思う。」
「そっか。・・・・・・とりあえずああはなるな。」
既に泥酔状態で便器に顔を突っ込んでいる同僚を目の端に捕らえ肇は笑い出した。
「大丈夫なの?」
「そいつはいつもそう。・・・・・・だから、俺の隣には座るなって何度も言ってるのに・・・」
ぶつぶつと愚痴る識に笑みを返し肇は改めて同僚に近づいた。 酒と嘔吐の匂いが鼻につき眉を顰めながらも少し顔を近づけるけれど、顔色も悪くないし、微かに寝息も聞こえる彼に息を吐くと肇は識へと顔を向ける。
「・・・・・・どうするの?」
「起きるまで放っとく。・・・・・いつもそうだから、気にするな。もう、行こう!」
肇の手を引くと、トイレの同僚に見向きもしないで識は歩き出した。 躊躇いながらも後に続いた肇は後できっちり酒の宴に戻り、何食わぬ顔でまた酒を飲みだした同僚に感嘆の息を漏らす事になった。 ほとんど酒は飲まずに周りの愚痴を聞いた肇の疲労は取れる事もなく、溜まる一方で、日々の仕事の疲れと重なり週末はほとんどベッドの中だった。
「ごめん、わざわざ来てくれたのに・・・・・」
擦れた声で申し訳ない顔で謝る肇の頭を撫でると識は笑顔を返す。
「平気だよ、今週は結構疲れたからな。肇にしては頑張った!」
「・・・・・ありがとう。 いつか慣れるのかな?」
「大丈夫だって!・・・・・・何か作るから大人しくしてろよ。」
笑顔で告げると台所へと向かう識の背を見送り肇は溜息を吐いた。 こんなに疲れたのは短いけど長い人生で初の事だ。 どんなにしんどい仕事も要領を覚えればとりあえず早く終わらせる事が出来るのに、人付き合いにマニュアルは無いから毎日、話す人全てが多種多様、要領良くなんてできない。 気負って話すからだと分かっていても、他人の一言一句が気になるのは性分だと認めても良いけれど、肇は他の人は良く平気だとぼんやり考えてからある事を思い出した。
「食事、軽いものが良いよな?・・・・・・ご飯とか食べれそう? 肇?」
問いかけられて肇は瞬きを繰り返し目の前の人を見つめる。 最初から笑みを浮かべたまま近づいて来た識、一度は拒んだけれど何度も手を貸してくれる識。 疲労感を感じた事は無く、ただいつか切り捨てられるのだけが怖かった。 今でも話すと安心する人。
「肇?」
「・・・・・・識って、凄い、かも・・・・・・」
呟くと瞳を閉じる肇に識は頭を傾げたまま、寝息を零し始めた彼をぼんやりと眺めると頭へと手を伸ばした。
「・・・・・・寝るなよ、せっかくの手料理お預けじゃん。」
ぽつりと呟いた識は伸ばした手でそっと頭を撫でながら苦笑を浮かべる。 カーテン越しの柔らかな日が照らす静かな部屋の中、その独り言はやけに大きく響いた。
未だに開く事の無い蕾の中にあるそれを言葉にするのは至極簡単でとても難しい事。 それでもいつか認めるだろう気持ちがゆっくりと肇の中で大きく育っていくのに彼はまだ気づいてはいなかった。
だから純愛、でもやっと片鱗がでてきたかと思われますがいかがでしょうか?
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