行き交う人をぼんやりと眺めていた肇は「話があるから」と自分を引き止めといて一向にその後口を割らないまま沈黙を続ける識へと顔を向ける。 そうしてまともに視線がぶつかり身動ぎをする肇に識は苦笑を浮かべると口を開いた。
「俺、前も聞いたけど本当に何かした?・・・・・俺は結構仲良くなれたと思ってたんだけど、お前にとって俺は何?」
「・・・・・何って、同僚だよ、それだけ。」
それ以上でも以下でもないと言外に含めて答える肇に識は眉を顰める。 肇は内心言葉が間違ってないかびくびくしながら反応を気にしつつ何でこんな話を蒸し返すのかも分からないままただ俯く。 そんな肇に識は内心重い溜息を吐くと言葉を続ける。
「ただの同僚は仲良くなっちゃダメなのか?・・・・・言われて考えたけど全く分からないんだよ。俺は偽善者ってどういう意味?」
「・・・・・無理に関わろうとしなくても構わないから、周りと同じ様にあまり近づかないでくれれば、それだけで・・・・・」
「それで、仕事だけしに来るって言うのか?・・・・・それって違わないか?」
頭を振り即座に否定してくる口調が少し荒くなる識に肇はただびくり、と肩を揺らした。 そのまま後ずさる肇を識は腕を伸ばして引き止めるとごめん、と呟き頭を下げてくる。
捕まれた腕に目がいったまま肇は戸惑う様に周りを見渡した。
「・・・・・あの、離して・・・・・困るよ・・・・・」
小さな声で辺りを見回しながら呟く肇に識は顔を上げるけれど腕を掴む手は放す事の無いまま真っ直ぐに肇を見つめる。 泣きそうな顔で顔を少しだけ上げる肇に識は掴んだ手を放そうとしないまま強引に腕を引き歩き出した。
「・・・・・美咲君、どこへ・・・・・?」
無言のまま腕を引き改札を通る識に肇は慌てた様に定期券を改札口へと通す。 掴む力は益々強くなり、更に腕を引かれるから肩の辺りまで痛みだしながらも肇は引かれるまま後を続く。 周囲の目が気になり慌てて俯きながら、一言も話そうとしない識に眉を顰める。 電車へと乗ってもひたすら無言の識に腕を捕まれたまま肇はぼんやりと流れる景色へと視線を向ける。 熱を持っているかの様にじくじくと痛みだしている腕の先へと目を向けてみるが、識は肇の視線にきっと気づいているのに顔を向けようともしなかった。
*****
降りるはずの無い場所で強引に降ろされ、駅を抜け連れて行かれた場所がどこなのか肇は分からなかった。 外観は古くもなく、かといって新しいというわけでもないそこそこのアパート。 その二階の部屋の一室へと連れ込まれる時になって初めて識の部屋に連れてこられたんだと理解した肇は部屋に入ってすぐに腕を放された。
「入れよ。・・・・・お茶でも出すから。」
そのまま台所へと消えていく識を肇は呼びとめようと手を伸ばしかけ諦める。 そうして初めて上がりこんだ他人の家へと視線を巡らせる。 男の一人暮らしとしてはこんなものだろう、と肇は見回しながら思う。 肇の部屋だってこんな感じ、褒められるほど綺麗ではないけれど、嫌悪されるほど汚いわけでもない。 微かに染み付いている煙草と識の香水の匂いがここが識の部屋だと主張しているそれだけの代わり映えのしない部屋。 座る椅子も無かったので床へとそっと座った時になってやっと識が戻ってきた。
「あの、美咲君・・・・・話はもう済んだのでは?」
湯気のたつコーヒーのカップを身近な場所へと置く識におずおずと問いかけ顔を上げた肇はびくり、と肩を揺らした。 突き刺さる視線に居た溜まれずにすぐに顔を俯かせる肇に識も視線をカップへと向けると座りこむ。 静かな部屋がいっそう静けさを増した様で肇は差し出されたカップへとそっと手を伸ばした。 湯気のせいかレンズが曇りだすのにも構わず口をつける。 広がった苦味に眉を顰めながらも、居た堪れない雰囲気に耐え切れないまま喉の奥へと苦い液体を流し込む。 そうしてやっと沈黙が壊された時湯気のたっていたコーヒーはすっかり冷めていた。
「あのまま、あそこにいたら逃げ出されただろ?・・・・・だから、俺が納得できる答えが欲しくてここに来たんだよ。」
「答えって、だからそれは・・・・・」
「ただの同僚なら態度変えるなよ!・・・・・最初から同じなら文句は言わない。突然避けだしたよな。・・・・・どこかに誘えば「用事があるから」それって俺を避けだした頃からだよな。」
「・・・・・僕にも用事が出来ただけだし、別に今までだって・・・・・」
「今までだって何?・・・・・都合が悪い時はお前から断ってきた、俺が何か言う前に。でも、いきなりは無いだろ?・・・・・何で、俺本当に何かした?」
「・・・・・何も、ただ気づいただけだよ。」
矢継ぎ早に問いかけて来る識の前で肇はぽつり、と呟き乾いた笑みを向ける。 この部屋に来て初めて真正面から視線を向けてきた肇に識はこくり、と唾を飲み込み喉を鳴らした。
「気づいたって、何が?」
「美咲君も会社の他の人達も同じだって事に、だよ。」
「・・・・・何だよ、それ」
戸惑いながらも呟く識に肇は笑みを崩すことのないままぎゅっと密かに拳を握り口を開いた。
「会社で聞いたよ。・・・・・美咲君も同じだって事、あの時に気づいた。・・・・・友達になりたいって僕が頼みましたか?僕は変化は望まない、だからもう近づかないで下さい!!」
「会社って、何の・・・・・あ・・・・・肇!!」
言われた言葉を考え込みだした識の横、そっと立ち上がると肇は出口へと向かう。 ドアへと手をかけた時にやっと気づいた識から呼び止められたけどそのまま外へと後ろも見ずに走り出した。 考え込まないと思い出せないくらい些細な言葉に傷ついた自分に肇は夜道を歩きながら自嘲の笑みを浮かべる。 鼻の奥がツーンと痛くなるのも寒いからだと自分に言い聞かせながらも歩く足を止めない。 どうしていちいち傷つくのかも分からないまま肇はそれでもひたすら前だけを見ていた。
歩いてきたはずの道のりを行きよりもかなり時間が経ってからやっと着いた目的地である駅を見上げて肇は慌てて腕時計へと目を向ける。 まだ日付を越えていないのに安堵の息を吐き肇は駅の中へと向かいかけ足を止めた。 視線がしっかり合ってしまってから逃げようと向きを変えた所で意味はなく肇の腕は識へとまたもや捕まえられた。 学習能力の欠如している自分に内心溜息を零しながらも見上げた識の顔色は心なしか青ざめていて肇はやっと彼がこの寒い中シャツ一枚なのに遅れて気づいた。
「・・・・・何、してんだよ。風邪でもひいたら・・・・・」
「予定ではもう少し早く見つけるはずだったんだよ。・・・・・何で駅まで5分もかからない場所なのに倍以上かかるんだよ。」
慌てて腕を放そうとしながら告げる肇に呆れた声で呟く識は盛大なくしゃみを連発する。 結局引きづられるまま識に腕を引かれた肇は識の部屋へと連れ戻され居心地悪そうに座った足を何度も組みかえながら盛大な溜息を零した。
「これ、飲めよ。熱いうちの方が上手いから。」
台所から戻ってきた識に今度は熱い湯気のたつお茶を手渡され肇は複雑な顔をしながらお茶へと口をつける。 冷えた体の中を回り始める温もりにそっと笑みを浮かべる肇を見ながら識はお茶へと手を伸ばした。
*****
「・・・・・会社での話だけど、お前最後まで聞いた?」
暖かいお茶に気持ちを微かに和ませた肇を見ながら識はおもむろに口を開く。
「最後、って・・・・・僕には聞く必要ないことだし。」
「聞いたら最後まで聞いとけよ。・・・・・悪い話ばかりじゃなかったよ。仕事は真面目だし、期日に遅れた事はない。眼鏡とださい髪型がめくらましになってるけど、結構可愛い顔してるって、最後にはそんな話になった。」
「・・・・・可愛いって、僕、男だし!」
「だから、そんな話になったんだよ。男でも可愛いヤツはいるんじゃないのか?・・・・・綺麗とかよりましじゃない?」
眉を顰め無言で抗議してくる肇に識は笑い出すとでも、と言葉を続けてくる。
「もっと、親しく話してみたいのに、って、俺は結構羨ましがられた。敬遠してるのも壁作ってるのも肇の方じゃないのか?・・・・・会社は確かに仕事する所だけれど、それだけでもないだろ。違う?」
「だから、僕は。」
「・・・・・学生時代と今は違うだろ。一応良識ある大人の集まりだぜ。・・・・・例外もあるけど、開放すれば歩み寄るのが大人だろ?社交辞令でも何でもいいから、とりあえず人を拒むのは止めようよ。」
黙り込む肇との距離をゆっくりと詰めていきながら識は触れ合えそうな距離に近づき手を差し伸べてきた。
「とりあえず、避けるの止めろよ。結構、いやかなりへこむから止めようよ。・・・・・俺は肇と仲良くなりたいんだけど、肇は?」
首を傾げ顔を覗き込んでくる識に肇はびくり、と後ずさりながらも伸ばされた手をじっと見つめる。 もう期待しないと決めたのにその決意ががらがらと崩れていく気がする。 少し顔を上げた肇へと識は笑みを向けてくれる。 ぎゅっと唇を噛み締めたまま伸ばされた手をじっと見つめたまま肇は躊躇う様に手を上げる。 傷つくのは痛い。 また同じ事を繰り返すかもしれない。 なのに笑みを崩さないまましっかりと手を伸ばしてくれる識の気持ちを肇が裏切るのだけは嫌でそろそろと伸ばされた手へと少しだけ指先が触れる。 しっかり、と引き寄せ握り締めてくる識の笑顔に肇は眩しそうに目を細める。
飛び起きて、一瞬ここがどこなのか分からずに暗闇を見渡す。 薄っすらと窓から差し込む外の外灯か月の灯りでぼんやりと暗闇にも慣れた瞳で辺りを見渡し静かな部屋に微かに聞こえる自分じゃない他人の息の音に目を向けた肇はやっとここがどこなのか思い出した。 ここは慣れ親しんだ自分の部屋じゃなくて、結局、あれから帰る事を許されないままほとんど強引に引き止められた識の部屋だと気づいた。 もう一度あまり慣れない布団の中へと潜りこみ肇は瞳を閉じる。 聞こえてくる息の音に誰かがいる安心感を何年かぶりに思い出した肇はもう一度眠りの中へと引きこまれていった。
恋愛は?変わらず進展なくてすいません・・・・・。 でもテーマは純愛なので。
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