雷鳴の鳴り響く薄暗い部屋の中、下半身を晒し無様に泣いているのが誰なのか自分は良く知っている。 声を必死に噛み殺してはいるけれど鼻からも目からも口からも零れだす液体でぐちゃぐちゃな惨めな姿。 思わず視線を逸らしたその時真紀は目が覚める。 梅雨はとっくに明けたのか最近はいつも眩しい日の光が差し込んでくる部屋の中真紀は濡れた額をそっと拭うと溜息を漏らした。 「送迎は、本当にいらない?」 「平気だよ。・・・事件も片がついたんなら、俺も平気だよね?」 不安そうな顔で見る薫に真紀は笑みを浮かべて答える。 まだ割り切れない何かがあるのか眉を顰める薫に真紀は笑顔で手を振ると玄関から出て行く。 その背を見送る薫が手を伸ばしかけた時には玄関の重い扉は閉まっていて、頭を振ると薫は溜息を漏らした。 何が不安なのか分からないけれど、嫌な予感がずっと消えないまま薫は手を握り締めると瞳を細めた。 「薫さんが、変?」 昼休み。 天気が良いからと屋上でのんびり直毅とパンを食べながらぽつり、と漏らした真紀に直毅は顔を向けると問いかけてくる。 「・・・どこがってわけじゃないけど、何となく、ね。」 気づけば平穏を取り戻した日常が歪んでしまう様な、そんな曖昧な齟齬だけど会話がたまに上滑りしたりとかどことなく様子がおかしい薫に真紀はただ頭を傾げる。 「・・・薫さんの友達とかに聞いてみれば?」 「何て?・・うちの兄、おかしくないですか?って。・・・聞けないよ〜。」 近しい友人であろう二人の顔を頭の中に思い浮かべたまま真紀は苦笑を零す。 「事件が解決したから」と云われたあの日から本当に漠然とした違和感だから上手く説明できないけれど、例えば深夜、ただ一人ぼんやりとソファーに腰掛け虚空を見つめているとか、どってことないはずの会話がたまに上滑りしているとか、変だと思えば何となくおかしいの違和感だから、真紀は眉を顰めたままただ頭を振る。 気のせいだと思うからと一方的に話を終わらせると真紀は立ち上がる。 「真紀!」 「・・・あのさ、俺、結局詳しい事ひとつも聞いてないのね。・・何がどうなったのか全く知らないのよ。」 雲ひとつない空を見上げたまま真紀は口を開いた。 直毅は真紀のその言葉に驚いたように立ち上がると真正面から彼を見る。 「・・・たとえば傷ができたとして瘡蓋ができるじゃん?それを剥がすみたいじゃない?・・聞いたら向こうの事情とか俺考えるよ。悪者だけど立派な理由があったとか・・・余計な事色々考えそうでさ・・・。」 強い日差しに目を細めたままそれでも空を見上げたまま真紀は苦笑を漏らす。 「何がどうなったとか聞くと、俺の癒えかけてる傷が開きそうじゃない?」 「それは・・でも、あいつらはここにいるんだよ。・・・逃げる事にならないか?同じ場所にいる奴らだけでも・・・」 「・・・あいつら学校来てないよ。・・・学校来てすぐ確かめた。あの日から来てないって、わざわざあの事も黙ってたのに・・・何、やってんだか。」 「・・・真紀?」 あの日の事を担任に言うのは簡単だったけれど、同じ性を持つ奴らに犯されたのもただの暴力にしか受け止められないのが分かっていたから真紀はその後何一つ行動を起こそうとは思わなかった。 真紀の望みは平穏無事な学生生活のみで、今後あいつらと話し合いの場すらも持ちたいとは思わなかった。 心配そうに真紀を眺める直毅に笑みを向けると真紀はもう一度空を眺める。 ただ呑気に空を眺めていた何も知らない自分にはもう二度と戻れない事を少しだけ残念に思いながら。 ******************** 「俺、今日委員会があるんだけど、どうする?・・・待つ?」 放課後鞄を肩にかけ帰ろうとする真紀に直毅は眉を顰めると問いかけて来る。 もう安心だと言ってもまだ一人で帰すのは心もとない直毅のその問いかけに真紀は笑みを浮かべ頭を振る。 「一人でも平気だよ。・・・じゃあ、また明日、委員会頑張れよ!」 手を振ると真紀は鞄を持ち直し直毅へと手を振り教室を出て行く。 見送る後姿に溜息を漏らすと直毅は委員会に参加する為の準備をする為、机にと向かいだした。 家から学校までどんなにゆっくり歩いても30分位で帰れるのにあの事があってから更に心配する直毅と今朝の薫を思い出すと真紀は苦笑を漏らす。 見慣れた風景を眺めながら真紀はぼんやりと慣れ親しんだ道を歩く。 今も何度も夢に現れる「消えない傷」になったあの事はあんまり考えたくないからその事にはあまり触れて欲しくないのが真紀の本音だ。 見ない様にしているのも、事実はこういう事だったからと言われても真紀の中では何一つ解決しない事なのだと本当は気づいていた。 謝れば無かった事にできる加害者は何一つわからないのだと。 被害にあったこっちは、どんな大義名分があろうと構わない、ただされた事実が消えないという事だけが残る。 だから何も聞かないし聞きたくない、いつか笑える話になるその時まで蓋を閉め、鍵をかける事しか真紀には出来なかった。 ぼんやりと考え込みながら歩いていた真紀は重なる足音に違和感を感じ、足を止めそろそろと背後を振り返る。 立ち止まる真紀に関心を止める人など何処にもいない見慣れた風景。通りすぎる足早に歩く人達を眺め真紀は心配されるからこそ自意識過剰になっている自分の反応に苦笑を漏らすと歩き出す。 「・・待って!・・・新名真紀、さん!」 聞いたことの無い少し高いその声に足を止めた真紀は背後を振り返るとやっぱり知らない人なのを確認すると目の前の青年をただ見つめる。 その青年の背後からそろそろと出てきた男の姿を見て真紀は立ち止まった自分が選択を間違えた事に気づくと視線を逸らし足早に立ち去ろうと一歩を踏み出した。 「ごめん、呼び止めて・・・ぼくは城戸有紀。・・君に会いたくて・・・」 そんな真紀の態度に苦笑を浮かべ話す有紀の声にびくり、と肩を揺らす真紀に有紀は気づく。 「何の、用ですか?・・・ここにいる事、うちの薫さんに知らせたら・・」 「うん。酷い事されるかも・・それでも、君に会いたかった。・・・だから大島に頼んだんだ。・・・ぼくは君を知らないから・・。」 ぽつり、と呟く真紀に頷き有紀は真紀へと一歩ずつ近づきながら話し出す。 いつでも逃げれる様に身構えながらも、顔を向けると不審そうに有紀を見る真紀へともう一度彼は笑みを向ける。 いつまでも道端で話すのも何だからと公園へと誘われた真紀はブランコへと真っ直ぐに向かう。 最近この場所であった事を思い出しそうな場所からわざと視線を逸らしたままでいたかったから。 「・・・それで、何の用ですか?」 ブランコへと跨り呟く真紀の横、もう一つのブランコに座ったまま有紀は顔を上げる。 「君を巻き込んだ事、やっぱり悪いと思って・・」 「・・・謝るために、わざわざ会いに来たんですか?」 「そうかも。・・・だけど、一度は薫の「本命」を見てみたかった。・・・納得したかったから、ぼくじゃ無理だって。」 有紀は空を見上げたまま言葉を探すように話し出す。 その独特のペースに真紀はただ有紀を見るしかできなくてブランコの柱の前に立つ大島へと視線を向ける。 無数の傷が服の上からでも見てとれて顔に貼られたガーゼの下がどうなっているのか?とかどうでも良いことを考え出し頭を振る。 「・・・新名君?」 「すいません、それで納得できましたか?・・・それとも、まだ不服ですか?」 「わかんないや。・・・でも、警戒心が全く無いのは困りものだと思うのだけどね。」 呟く有紀に問いかけ様とした真紀は突然の頭の痛みにくらくらとする。 意識が遠のきかけた真紀の視界に入った最後の記憶は有紀の冷たい微笑だった。 ******************** 「有紀!・・・こんな事、新名にバレたら今度こそお前も無傷じゃいられないぞ!」 ぼんやりとする意識に突然飛び込んできた怒鳴り声に真紀は薄っすらと瞳を開こうとする。 ズキズキと痛む頭に、とてつもなく重い瞼を必死で押し上げた真紀は目の前の光景を上手く認識できないまま瞬きを繰り返す。 「あ、気がついた?」 笑みを向け見下ろす有紀の横にいた門倉の姿に真紀は辺りへと顔を向けようとして体が上手く動かない自分に気づく。 手足は身動きできないようにかなり強固に拘束されていてかろうじて上がる顔を真っ直ぐに有紀へと向ける。 「・・・やっぱり、納得できないんだよ!・・・何で君は良くてぼくがダメなのか。」 真紀を見下ろしたまま瞳を細める有紀の横で門倉は唇を噛み締める。 気づけば彼も傷だらけで、そして身を起こしてはいるけれど身動きできないように手足を拘束されていた。 「有紀!・・頼むから、もう止めてくれ!」 「・・・蓮はうるさいよ!・・・ぼくの願いを叶えてくれるはずが、何してるの?薫に殴られたらそれで終わり?・・・ふざけんなよ!最初から、こっちを捕らえれば良かったんだよ。」 笑みを浮かべる有紀に真紀は視線を逸らす。 寒気がするほど冷たい微笑に笑っているのにいない冷たい目に真紀は唇を噛み締める。 「薫をぼくのモノにするのには君がいると邪魔なんだよ!」 見下ろしたまま告げる有紀はクスクスと笑い出す。 そんな有紀を門倉はただ悲しそうに見つめていた。 「・・・ごめん、何とかするから・・・きっと、君を帰すから・・・」 ぽつり、と呟く低い声に真紀は重くて閉じていた瞼を少しだけ開く。 痛ましそうに真紀を見つめる門倉の視線に少し身じろぐ真紀に彼は苦笑を零す。 「・・・きっと、薫さんが気づくと思う、けど・・・」 「だろうな。・・・傷一つつけさせないから、安心してくれ、と俺が言っても説得力は無いか・・・。」 苦笑を浮かべたままの門倉に真紀は顔を向ける。 そうしてから顔が動く範囲でしか視界のきかないこの部屋がどこなのかをやっと問いかけようと口を開いた。 「・・・ここ、どこですか?」 「俺らの溜まり場の一つ。・・・でも、薫なら見つけそうだよな。」 溜息を零すと呟く門倉に真紀はもう一度瞳を閉じる。 また迷惑をかけたふがいない自分に真紀はただ唇を噛み締めた。 |