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 時計の音がやけに響く部屋の中、あれからずっと座り込んだままの柚希は頬に当たる風が少し冷たくなってきたのを感じ顔を上げる。 開けっ放しの窓の外はすっかり日が暮れていて柚希はあまりに深く考え込みすぎていた自分に苦笑を浮かべると勢いをつけて立ち上がる。 その瞬間、体に走る忘れていた痛みに顔を歪めながらも窓を閉める為に歩き出した柚希はそれまでのゆったりとした部屋の静寂を破る様に鳴るドアを叩く音にびくり、と肩を揺らし顔をドアへと向ける。 誰が来たのか、わざわざ確かめなくても検討はつく。 いっそこのまま居留守を使いたいとか、まだ心の準備も出来ていないとか、考えても仕方のない事を思ってみている間にもドアを叩く音が段々と強くなり、諦めた様に溜息を零すと柚希は窓へと向かいかけた足を玄関へと向けるとのろのろと歩き出した。
  扉を開けた先にいたのは、予想外の人物でもう来るはずないだろうと思っていた大和で、開いた扉に彼自身も少しだけ戸惑う様に顔を上げてくる。 
「・・・・・何で、ここに?」 
「いるじゃん。ずっと、留守だってあいつ言ってたのに・・・・・」 
開くはずでは無かった扉と中から出てきた柚希へと交互に視線を動かしながらぼそり、と呟く戸惑う声に柚希は瞳を逸らす。 
突然の訪問者に自分の動揺を悟られたくなくて息を詰める柚希を大和は何を言うでもなくただ見つめてくる。 
「・・・・・何か、用ですか?・・・・・もう、話す事もないはずですけど。」 
躊躇いながらも問いかける柚希の言葉に大和はそっと軽く息を零す。 呼吸音も鼓動さえ気づかれそうな程近くにいる大和をなるべく見ない様にしていたはずの柚希はその零れる息の音に少しだけ顔を上げる。 
「・・・・・!」 
「お前、前も言ったけど・・・・・痩せたっていうより、やつれた?・・・それに、顔色も悪くない?」 
思っていたよりも近づいている顔に身じろぐ柚希に構わないままその頬に手を当てた大和はぼんやりと呟く。 頬に触れる温もりにかかる息にびくり、と肩を揺らした柚希は瞳を伏せると深く息を吸い込んだ。
  勢いをつけて大和の体を跳ね除けると柚希は一歩部屋の中へと下がるとドアを閉めようとドアへと手をかける。 
  
*****
 
  
「・・・・・逃げるなよ!・・・なぁ、本当に何があった?」 
「だから・・・関係ないって、・・・早く帰れよ!」 
ドアを押さえると問いかける大和に頭を振り否定しながらも柚希はドアへとかける手の力を緩めようとはしない。 
「柚希!」 
「・・・・・関わるなよ。」 
話を聞こうともしないでただ拒む柚希をいつもの大和なら「もう、いいよ」と諦めてしまえたけれど今日はそれをしてはいけない気がしてならないままもう一度柚希の腕を掴むと大和は彼を引き寄せる。 
「・・・離せよ!・・・触るな、関わるなよ、何なんだよ!!」 
激しく拒む柚希を大和はドアへと押し付けると押さえつける。 
「関わって欲しくないなら普通に生活してよ。迷惑も心配もかけない当たり前の生活を。おれの言ってる事間違ってますか?」 
黙り込むと唇を噛み締め俯く柚希の顔を無理矢理上げると大和は顔を近づけると耳元へと言い聞かせるように呟く。 
「お前の事、心配している奴がいるんだって事・・・・・覚えててよ。」 
伏せた睫毛が微妙に震えているのに気づいた大和は柚希の顔を覗きこんで、目に溜まった涙に気づくと彼をそっと腕の中へと抱きこんだ。 抵抗もせずただされるがままの柚希の頭を撫でると背へと回した手でポンポンと背を軽く叩く。 
「・・・・・っく。」 
胸元へと抱きこまれたままの柚希はその温もりに縋りつく様に静かに泣き出した。 溜息を漏らした大和はただ腕の中にいる柚希の背を長い事軽く叩いていた。
  
ドアの内側へと座りこんだまま、不自然な体勢で必死にドアを閉める大和は腕の中にいる人へと顔を向ける。 ただ泣き出して止まらなかった柚希を促しいつまでも玄関の前で立ち尽くすのも何だから取り合えず内側へと座りこんだまでは良かったのに溜息を零すと大和は柚希の脇の下へと腕を差し込み彼を抱え上げる。 抵抗もなければこちらの意向をもちろん汲んでもくれないのは気絶している人と寝ている人で柚希は後者だった。 泣きつかれて眠るなんて子供みたいだと本人にはとても言えない気がすると大和はベッドへとそっと降ろした柚希の酷く青ざめた顔色を見て思う。 汗で額に張り付いた髪を手で掻きあげると少しだけ身動ぎ呻く柚希の頭をそっと撫でると大和は溜息を漏らし、ズボンのポケットに入れていた携帯を取り出しベッドから少しだけ離れるとメールを打ち込みだした。
  重く腫れあがった瞼を押し開き柚希は辺りを見回し、自分の部屋のベッドの上に寝かされているのに気づいてゆっくりと身を起こした。 ぎしり、と軋むベッドの音が聞こえたのか近づいて来た人を見上げた柚希は瞬きを繰り返す。 
「・・・・・やま、と?」 
「おう。・・・気分はどう?・・・少しは楽になった?」 
隣りへと座りこむと顔を覗き込んでくる大和に柚希は突然泣き出した自分の醜態を思い出すと視線を逸らし俯く。 
「柚希?」 
「・・・・・ごめん、迷惑かけました・・・・・あの・・」 
「迷惑じゃないから、それから江藤も来るって・・・・・あいつ、かなり心配してたから覚悟しろよ。・・・・・まだ、寝とく?」 
「ううん、起きるよ。・・・・・ありがとう。」 
「いいから。何か食べれるなら入れといた方が良いし、な。」 
こくり、と頷く柚希へと手を貸すと大和は少しだけふらつく彼をソファーへと座らすと台所へと向かう。 その姿を見送った柚希は何の音沙汰も無い慎二の事をこれから来ると言う海や大和にどこまで話せば良いのかを考えると重い溜息を零す。 一人じゃどうしたらいいのか分からないこの状態を何とかしてくれるかも、と思いどこまでもやっぱり他力本願な自分に苦笑を零した。 
  
*****
 
  
バイト先から直行してきた海は柚希の無事な姿に喜んではくれたが事情とこれまでの経緯を話すと海の表情は渋くなる。 大和はというと聞いているのかいないのか分からないまま何の反応も返さなかった。 
「あのさ・・・・・柚希はどうしたいわけ?」 
なるべくソフトに穏便に話した結果の海の第一声に柚希は困った様に苦笑を浮かべる。 
「おれが悪いのは分かってるんだけど・・・・・どうすればいいのか分からないんだ。」 
少しだけ俯いたまま呟く柚希の肩を海はポンポンと叩き笑みを向ける。 
「柚希の思いだけ伝えれば。・・・・・恋愛なんて、第三者が加入する事じゃないけど、それを重いとか思う次点で恋じゃない気はするけど。」 
「・・・・・恋じゃない?」 
「いや、おれが思うだけだから聞き流しとけよ。それに人の価値観ってバラバラじゃん。恋愛観だって人それぞれあると思う。好きだから束縛するのが愛だという人もいれば縛られるのは嫌な人もいるだろうし。恋じゃないと断言はできないし、おれは柚希じゃないから」 
戸惑いながら言葉を繋げる海に柚希は慎二の姿を思い出す。 「好き」と誰かに言われたのは始めてだったから、その気持ちが嬉しかったのは本当だけど、それなら柚希の方はと言われると「好き」に大分開きを感じられて仕方無かった。 「好き」だけどそれは慎二の「好き」とは違うものだと自分は確かに知っていたのに、最初の夜に何度も痛感させられたのに、酷いのはどっちなのか分かって自嘲の笑みを浮かべる柚希に海は何も言わずに笑みを返してきた。
  
「じゃあ、おれ、帰るけど・・・明日は学校来いよ!」 
「・・・分かってる。単位もやばいし、行かないと留年するかもだし・・・」 
溜息を零す柚希に笑い出した海はもう一度「頑張れ!」と肩を叩くと手を振り家へと帰っていく。 見送り部屋に戻った柚希は海が来てから一言も発しないまま一人離れて座っていた大和へと目を向ける。 
「帰らないの?・・・あの、そうだ・・・本命の彼女と上手くいってる?」 
息が詰まる沈黙に耐えかね呟く柚希に大和はやっと顔を向ける。 
「何で、あいつと付き合う気になったわけ?」 
「・・・・え、と・・それは・・・告白されたから?」 
笑みを浮かべ答える柚希に大和は溜息を零すと立ち上がる。 
「あの・・・・・帰る?」 
「告白されたら誰でも良かったわけ?・・・・・それって、おれが告白したらおれともつきあってくれたわけ?」 
「・・・・・何、言ってんの?」 
近づいてくる大和からぴりぴりと不穏な空気が流れてる気がして柚希は後ずさりながら呟く。 そのまま問いかけに答える事のないまま無言で近づいてくる大和に柚希は後ずさりながら背に当たる壁に気づいてそのままずるずると座りこんだ。 
「結構、流されるままに生きてんのな、お前。・・・否定しろよ、しないの?」 
座りんで俯いたまま顔を上げようとしない柚希の前で身を屈める大和は呟くと大きな溜息を零す。 ぴくり、と肩を揺らすけれど顔を上げない柚希の前に座りこんだ大和はただ真っ直ぐに柚希を見つめていた。
  突き刺さる視線を感じ、何でなのかいきなり針の筵の上にいるみたいで居心地悪い空気が部屋中を漂うのを柚希は感じる。 ますます顔を上げれない空気になる場所にいたくなくて唇を噛み締めただぼんやりと柚希は床を見つめる。 すっかり萎縮している柚希に大和は眉を顰めたまま髪をかきあげる。 
「・・・・・柚希、おれは別に責めてるわけじゃないんだけど・・・ただ、疑問に思っただけ。誰でも良かったのかな・・・と。」 
呟く大和の言葉にそれでも顔を上げようとしないままの柚希は今度は身動ぎ一つしなかった。 話したいと思うのはただの勝手な自己満足だと大和には分かっていたけれど、どうしても聞きたかったから、答えが出てくるまで待ちたくてそのまま柚希の反応を見る。
  
「・・・・・あの時だから、きっと答えたんだと、思う。」 
長い沈黙の後擦れた小さな声で呟く柚希に大和は眉を顰める。 
「あの時・・・って?」 
「大和と終わって、おれ・・結構人肌に飢えてたんだと思う。・・・だから、好きだと言われて嬉しかったのは本当で、触れたいと言われたから「じゃあ、いいや」ってそう思った。早く忘れたかったんだよ。」 
少しだけ顔を上げた柚希の目の前で大和は眉を顰めたままでいるから、だから笑みを浮かべた。 忘れたい人がいたからと始めたあの日を忘れたい相手にしている自分がかなり滑稽に思えて柚希は笑うしかなかった。 今更後悔しても戻らない自分の過ちを、人を一人これから傷つける事を思い出しすぐに笑みは消えたけれど柚希は瞳を伏せると溜息しか零せない自分が情けなくて仕方なかった。 
 
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