月の光を見上げたユリは今日はここに来るはずの無かった隣りに眠る人へと視線を映す。 静かな寝息を立て眠る彼は、盛大な結婚式を挙げたこの国の王、アーウィン=セルゲイ=ユーシアその人だった。 本来なら今日は妻に迎えた姫君と迎える初夜のはずなのに、あれからアーウィンはユリから離れようとはしなかった。 「もう、帰る」と告げるユリの部屋まで付き添い、一緒に寝室へと入ってきた。 本来なら肌を合わせるはずの姫の元に向かう事もしないまま、ユリの布団に潜りこんできたアーウィンは今日は一緒に眠る予定の無いユリと肌を合わせ心地良い眠りの世界へと行ってしまった。 彫りの深い顔に掛かる金髪を手で払おうとしたユリはその細い手を掴まれ、眠っているはずの顔へと目を向ける。
「・・・・・すいません、起こしましたか?」
「いや、違うよ。 眠れないの、ユリ」
「そんな事は、それより・・・・・宜しいのですか?」
掴んだ手を握りこんでくるアーウィンにユリはゆっくり、と頭を振り困った様に呟く。そんなユリの言葉に含まれる意味に気づいたのかアーウィンは握りこんだ手を引きユリを抱き寄せる。
「オレがここにいるのは不満?」
「そうではありません、ですが・・・・・」
「・・・・・言わせておけ! オレは今宵この場所を選んだ、それで良い」
困った様に呟くユリにアーウィンは言いたい事が分かったのか、眉を微かに顰め低い声で呟くと更にきつく抱き寄せ平らな胸元へと顔を擦りつけてくる。そんなアーウィンの頭をゆっくり、と撫でていたユリはいつの間にか体へと伸ばされていた手が燻る熱を呼び起こそうとしているのを感じ、瞳を閉じる。 降りてきた唇が優しく頬を撫で、唇へと重ねられるから、ユリはただ誘われるまま身を委ねた。 頭の片隅に嫌味を言いに来る、官僚達の顔が何度も浮かんでくるけれど、すぐに熱に煽られ消えていった。
がちゃん、と壁に叩きつけられたガラスのカップが粉々になって床へと落ちていくのを、侍女達がおろおろ、と片付ける為に動こうとする。その動きが気に入らないのか、夜着に身を包む女の甲高い声が室内に大きく響く。
「そんなのより、アーウィン様は? なぜ、いらっしゃらないの!!」
「・・・・・申し訳ありません!今宵はここに来られるはずだったのですが、手違いがありまして・・・・・」
侍女頭であろう、少し年増の女の声に彼女はじろり、と頭を下げる女へと視線を動かす。
「手違いですって? わたくしは今日、正式にアーウィン様の妻になりましたのよ? それなのに、どこに行かれているというの?」 今日、ユーシア国に嫁いできたばかりのリーゼ=カデリナはユーシアの南に位置するロディア国の三の姫であった。大国であるユーシアとの関係を良きものにする為、王の意向よりも官僚達の声によって成った政略結婚だけれど、リーゼはアーウィンに一目会った時から、自分の夫になる人はこの人しかいないと思った。まさに一目惚れ、ユーシアという大国に君臨する若き王の虜になったリーゼは父に必死に願った。あの人の妻になりたい、自分ほど相応しい人はいないはずだ、と。そんな娘の願いに最初、父は良い顔をしなかった。どんなに願っても正妃にはなれない事が分かっていたから。 アーウィンは王になると同時に結婚していたのだ。 正妃であるのは神子と呼ばれる得体の知れない者だという噂だったから、リーゼは気にも止めていなかった。 形ばかりの正妃よりも上に行けるはずだと信じて嫁いできたのだから。
「・・・・・王は正妃様の寝所からお出になっておりません。今宵はそこでお休みになられると伝達がありました。」
申し訳なさそうに答える小さなその声にリーゼは眉を顰める。 正妃、と聞いた途端に思い出したのは銀色の麗人。顔色の悪いその人の腰を抱き、リーゼの元から消えた王の姿を思い出し、リーゼはぎりっ、と唇を噛み締める。正妃になれなかったのは、身分すら持っていないあの人がいるからだとリーゼは教えられた。今宵、王の腕の中にいるのは自分であるはずだったのに、屈辱にきつく唇を噛み締めたリーゼは一挙一動をびくびく、と見つめる侍女達の視線から逃れる様に立ち上がり苛々、と一人寝所へと向かったが怒りに眠気がすっかり遠のいたリーゼは中々眠る事ができなかった。
*****
「どういう事ですか? 侍女に聞いてわたしは驚きましたよ!!」
「そうです、陛下! 昨夜は姫君の傍で眠られると、てっきり・・・・・」
政務の最中に乗り込んできた年嵩の官僚達である、口うるさい老中達の言葉にアーウィンは書類を手に微かに眉を顰める。
「今宵こそは、姫君の元へ!」
「そうです! 昨夜の詫びも兼ねて下さいませ!!」
何も言おうとしない王の様子に老中達はますます身を乗り出し勢いをつけて話し出す。そんな老中達から一歩退いた宰相でもある年の近い幼馴染へと視線を向けたアーウィンは困った様に肩を疎める彼の姿に割り込むつもりは無いと言われている様でますます眉を顰めると手にしていた書類を机上へと投げつける。
「うるさい! オレがどこで誰といようと、それを決めるのはオレだと言ったはずだ! 結婚の件もオレは断ったはずなのに強引に進めたのはお前達だったな?」
「・・・・・ですが、陛下。 このご成婚はわが国の為にも・・・・・」
「是非に、と言われたリーゼ姫の名誉の為にも、この結婚はあるべき姿で・・・・・」
低く唸るように反論してきた王に老中達は今までの勢いはどこへいったのか、びくびく、と自分達の正論をそれでももぞもぞと口に出す。そんな彼らをぎろり、と睨んだアーウィンはがたり、と立ち上がる。
「オレには覚えの無い、噂を広めたこの結婚が国の為だと? オレには妻がいる、神が認めた、オレの唯一の妻だ! 国の為、姫の名誉の為? ふざけるな! この結婚はオレのではなく、お前達の為だろうが!」
声を失う老中達に見向きもせず政務を行っている部屋をそのまま出て行こうと歩き出すアーウィンへと宰相が近づいてくる。
「どちらへ、陛下!」
「・・・・・頭を冷やしてくる、オレの行く所は一つだろ?」
「・・・・・わかりました。 頃合を見計らって迎えに行きます。」
頭を下げ、見送る宰相に微かに頷くとアーウィンはさっさと部屋を出て行く。
王の足音が遠ざかるのを聞いていた宰相がくるり、と振り向くと、肩を落とし項垂れたままの老中達がまだ居るのにそっと溜息を吐いた彼は口を開いた。
「王の望まれない結婚を押し進めた時からこうなる事は予想していたのではありませんか? 姫君には申し訳ないですが、王のお渡りは今後も無いかと思われますが?」
小首を傾げ、薄っすらと口元を緩めた宰相の言葉に老中達はますます項垂れる。
「それでは困ります! ロディア国の為にも、姫君に世継ぎを・・・・・」
「無理でしょうね。 陛下は神子様である正妃様に言い方が悪いですが、ぞっこんです。世継ぎは正妃様に望まれるのが道理かと。・・・・・神子様を否定する事は国を否定する事になりますよ?」
淡々と紡ぐ宰相の言葉に老中達は何も言えずに黙り込む。両性は国の宝だと言われるけれど、伝説の存在だった。だからこそ、目の前に現れた両性を忌むべき存在としか思えない頭の固い老人達はれっきとした女性を王の正妻にしたかった。それが無理でもお世継ぎは女性に、と願う彼らの強固な意思の元、ロディアの姫はこの国に嫁ぐ事になった。 だけど、それは王の本意では無かった。 どんなに、嫁いできた姫のご機嫌が悪くても王は後宮に住まう姫君の元には訪れないだろう事は予想の範疇だったのに、本当に気づいてないのだとしたら目の前にいる老中達が愚かなのだ。 宰相はこっそり、と溜息を零すと、王の居ない間に出来る仕事をさっさと片付けて迎えに行こうと、目の前に未だに立ち尽くす彼らに視線を戻す事なく書類を吟味する為に椅子へと戻る。 項垂れた彼らがとぼとぼと室内を出て行ったのはそれから暫く後になってからだった。
*****
いきなり現れた人に驚いたのはユリだけでは無かった。 今頃政務の真っ最中であろう王がこの部屋に訪れるのは珍しい事では無かったのだけど、連絡もなしに訪れるのは初めてだった。
「・・・・・どうしました、王!」
「ユリ、名前!」
「・・・・・すいません、アーウィン様。 お昼にしては早いお越しで・・・・・」
「少し、休憩しに来ただけだから・・・・・すぐに戻る!」
ソファーの上寛いでいたユリの隣りに座ると腰を抱き寄せ懐くアーウィンの様子に、慌ててお茶を運んで来たマリーがそっとテーブルにお茶を置くのを確認したユリは彼女へと視線を移しそっと退出を促す。そんなユリの視線に気づいた聡いマリーは軽く頭を下げると足音も立てずにそっと出て行く。 その間、ずっと縋りつく様に抱き寄せるアーウィンの腕の中、ユリは手を伸ばし、届くぎりぎりの場所にある背をゆっくり、と撫でる。
「・・・・・アーウィン様、本当にどうされたのですか?」
「別に。 用も無いのにユリに会いに来るのはダメか? 用が無いとオレはここに居てはダメなのか?」
「まさか・・・・・嫌味でも言われましたか?」
抱き寄せる腕に少しだけ力を入れてくるアーウィンにユリは少しだけ瞳を細めると小さな声で呟く。
「・・・・・ここには来なかったか?」
図星だったのか、問いには答えずに顔を覗きこんでくるアーウィンにユリは笑みを返す。
「今日は何も。 僕に言っても無駄だと思ったのでは?」
「そうか。 年寄りの戯言は気にしなくて良い。 ユリがオレの正妃だ、神が認めた唯一の妻だ。それだけは覚えていてくれ、良いな?」
「・・・・・・はい」
小さな声で答えるユリを抱きしめ直したアーウィンは顔を覗きこんだままゆっくり、と呟く。その言葉にユリはただこくり、と頷き返事を返すと笑みを深くする。そんなユリにアーウィンはやっと笑みを浮かべると更に顔を近づけてくる。 そっと優しく触れ合うだけのキスを何度も繰り返し送るアーウィンに抱き込まれたままのユリはゆっくり、とその瞳を閉じた。
何か、甘い回だった気がするのですが、とりあえず溺愛ってこんな感じ? 20100511
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