淡く霞んで見える

膝枕をしていた頭をゆっくり、撫でながらユリはアーウィンが寝息を立てているのに気づき、悟られない様にマリーを部屋へと呼ぶ。
「ユリ様?」
「・・・・・毛布をお願い、そっと、ね。」
「わかりました」
小声で問いかけるひっそり、としたマリーの声に答えながらユリは手触りの良い頭を再び撫でる。
微かな、だけど規則正しいその寝息を乱したくはないからユリは言われた通り静かに毛布を運んできたマリーがそっと掛けてくれるのに、小さな声で礼を言う。
「陛下へのお呼び出しは?」
「・・・・・緊急ならお通しして。待てるようなら後で起きたら伝えますと言って。」
「了解しました」
そうして、静かに去っていくマリーからユリは再びアーウィンへと視線を移す。寝顔を見ていると出会った当初を思い出す。あの日、あの場所で出会わなければ、ユリはもしかするとここにはいなかったのかもしれない。そんな事を考えながらユリは釣られる様に襲ってきた眠気に誘われる様に重くなってきた瞳を閉じる。

ユリが生まれたのはユーシアの国でも外れの地図にも載っていない小さな村だった。
その日生きるのに精一杯な村人には当然学はなく、国の情勢だとか、今世界がどうなっているのか、なんて事も知らないし、考える事すらしない、そんな村だった。
国の外れ、地図にも載っていないから住んでいる人達の事も知られていない、そんな村の中でも一番のその日一日暮らせるのがやっと、という夫婦の下、ユリは生まれた。
生まれたユリを見た村人達は学も無いし、世界を知らないそんな人達だから、その奇妙な姿を見て眉間の皺をかなり深くしたそうだ。男の性も女の性も合わせ持つ奇怪な体の子供、そんなユリに村人達の視線はただただ厳しかった。あやふやな性別、化物だと言われた事もある。
「両性」という言葉を知っている学のある人達でさえ奇怪な体だというのだから、村人達の侮蔑はかなり凄かった。村でも一番外れに住むユリの両親は生まれた子を今すぐ殺せと何度も責められたそうだ。それでも彼等は新しい命の誕生を喜び、大切に愛しんでくれた。村人達から奇妙な目を向けられても、ユリが生きてこられたのはまさしく、両親の愛情があったからだ。
村人達に除け者にされながらも、元々どの家も自給自足の小さな村の外れ、ユリは両親の愛情の下それなりに育ってきた。
その運命が大きく変わったのは地図にも載っていない小さな村にまでも魔の手を伸ばしてきた大きな戦争があったからだ。
それはユリが13の年、世界の情勢が大きく変化していくその波は小さな村にも確実に運ばれてきた。


*****


誰にも見つからないように朝日がそろそろ昇る頃にユリは慣れた足取りで山の中を走りぬける。
村人はユリを見ると眉を顰め軽蔑や侮蔑の眼差しを向けてくる。だから、その視線から逃れる様にユリは山へと良く入った。
おかげで、人の友達はいないけれど、ユリにはたくさんの山の友達ならできた。
山はユリにとって、第二の家。たくさんの友達に囲まれ、食べるものも豊富に友達が運んでくれる山での生活は楽しくて、麓で待つ両親の元に帰るのも惜しいぐらい麓で起こった全てを洗い清めてくれる、両親の元以外では唯一の心の拠り所だった。
その日の山の中はいつもとは少しだけ雰囲気が違っていた。
麓の人間である村人達はほとんど山には入ってこない。ユリの大切な友達は彼らにとってはただの獣、猛獣でしかなかったから。
山で採れる果実や木の実は彼らには全く縁の無いものだった。
それなのに、誰かが入り込んだそんな気配がした。
いつもならすぐ側に寄って来る友達の姿も見えなくて、どことなく山全体がざわざわしている、そんな雰囲気を感じた。
奥まった場所にある湖でユリはやっと山の雰囲気がおかしい理由に気づいた。
村の人は山には近づかない、猛獣に襲われたりするから、手前までは来ても中に入る事はない。なのに、ユリの遊び場の一つでもある山の奥にある湖の前、人がいた。
近づいて初めて見知らぬその人がひどい怪我をしているのに気付いたユリは自分では何も出来ないのに気づき、慌てて山から出ると自宅へと戻る。
「ユリ? 今日も山に行っていたと思っていたのに帰りが早いね、どうしたの?」
ちょうど昼の休憩の為に家へと戻って来たのだろう父親の姿と声を聞き、ユリは思わず彼に縋り付いた。
「父様! 人がいたんだ、ひどい怪我をしている人が・・・・・」
「え?」
戸惑う父親の腕を引き、ユリは再び山へと戻ると迷う事なく湖へと父を誘導する。
驚きを隠せないまま父はその人を抱えユリを連れ家へと戻ると母を呼び傷の手当を始める。思ったよりもひどい怪我ではなく、だけど意識を取り戻す事なく眠ったままのその人の事を村の他の人に伝えるべきなのか否か、両親は深く悩んだ。結局、伝えるより先にその噂は知れ渡り、ユリの家にはその日のうちに村長が訪れた。
「面倒を抱えるのが余程好きみたいだな、デルタ」
「村長! 子供の前では謹んで下さい!」
「ふん、この村には見ず知らずの男を養える場所なんてない、拾ってどうするつもりだ?」
「どうにかします! ただこんな人がいましたと伝えるだけですから、僕らには彼を見捨てる事はできません!」
「お人好しもそこまで来ると呆れるな、勝手にしろ! わしらには一切面倒を掛けないでくれ!!」
村長の怪我人を見る目は冷たく、厄介者だと言われるユリを見ている様な視線だった。母の後ろに隠れてそっと覗き込む様に見ていたユリの目の前、村長は来たとき同様に早々に家から出て行った。
「イルマ、ユリ。 何とかなるかな?」
そっと溜息を吐き問いかける父に母は笑みを向けユリはただこくこく、と頷いた。元を正せばユリが見つけたのだからと率先して未だ目覚めないその人の世話もしたし、今まで以上に山で友達に頼み食べ物を運んでもらい家へと持ち帰った。
汚れをすっかり落としたその人が目覚めたのはユリが見つけたその日から数えて一週間後。それから順調に回復した彼は二、三日後にはすっかり歩ける様になっていた。

「これは? 食べれるのか?」
「はい! あと、これも食べれますよ!」
すっかり慣れた足取りで歩きながら珍しいものを見ている様に次々と指をさし問いかける彼アーウィンにユリは笑みを向ける。
目が覚めた彼は名を名乗っただけで、その他の事にはひたすら口を噤んでいた。
それでも、目覚めた事が嬉しかったユリはアーウィンがやっとまともに起き上がれる様になると同時に山の中を案内した。
本当は村の中を案内できれば良いのだけれど、村人たちの視線にアーウィンを晒したくはなかった。
一緒に歩き不快な思いをするよりは、慣れ親しんでいる山の案内の方がユリも楽だったのだ。
「アーウィンはここに倒れていたんだよ!」
湖へと案内して話しかけるユリにアーウィンは無言で周りへと視線を向ける。
「どう来たのかも覚えていないけど、ここに来たから僕は助かったんだね・・・・・ありがとう」
感謝の言葉と共に向けられた笑みにユリはどくり、と跳ねる鼓動を感じる。アーウィンは今までユリが見た人の誰よりも綺麗という言葉の似合う人だった。最近では山へとユリが連れて行くアーウィンを村の若い女性達がうっとり、と恋に焦がれている少女の様に眺める視線も感じる。
背もすらり、と高く、血で汚れてはいたけれど、着ていた服だって高そうな布で仕立てられていたと母が呟くのをユリはちらり、と聞いてもいた。
一切自分の事を語らないアーウィンだからこそ、村の大人や同じ様な年恰好の男達は不審な目を隠そうともしない、だけど少しでも長くアーウィンがここに居てくれればいいのに、と恋焦がれる少女たちの様にユリもまた思わずにはいられなかった。
そんな細やかなユリの願いがついに破られたのはアーウィンがこの村に来てから一月が経ったある日、その日を境にユリもまた大きく人生を変えてしまう事になるなんて想像すらしてもいなかった。


*****


目覚めた朝から、空気がざわついている感じがした。まるで、アーウィンを湖で見つけた時の山の様に村全体が不穏な空気に包まれそうなそんな予感。
慌ててベッドから飛び降りたユリは両親がいる部屋へとすぐに向かう。
「母様、父様!!」
「ユリ? おはよう、今日は早起きね」
不穏な空気を感じていないのか、いつも通り笑みを浮かべ挨拶してくる母親にユリは微かに眉を顰める。
「どうかしたのか、ユリ」
「・・・・・父様、僕・・・・・」
いつもと違う息子に首を傾げ問いかけてくる父にユリはもやもやとする自分の胸の内をどう口にするべきか躊躇う。
ただ不快だと言ってもきっと理解はしてくれない、分かりやすく簡潔に説明しようと口を開きかけたその時、激しくドアを叩く音がすると同時に慌ただしい足音が聞こえてくる。
「・・・・・朝から、何の御用でしょうか? 村長」
あまり聞いた事のない低い声で問いかける父の声にユリは思わず母の元へと向かう。優しく柔らかい手がユリを包んでくれるから、ぎゅっと縋り付いた。
「デルタ、あの男はどこに、まだ寝ているのか?」
「・・・・彼なら、先ほど散歩に、朝食がまだですから、すぐに戻ってきますが?」
関わらない、とあれほどきつい口調で言い放っていたのに、問いかけてくる村長に父は微かに眉を顰めたまま答える。
「あの男を探している人が来た! すぐにでも村の中心にあの男を連れて来い、いいな!!」
戸惑う父に構わず、相変わらず村長は言いたい事だけ告げると逃げる様に家を出て行く。そんな彼を呆然と眺めた父は母へと顔を向ける。
「何だ、あれ?」
「・・・・・アーウィンさんを探して来ますか? お急ぎの様ですよ?」
「まぁ、すぐに戻ってくるだろうし、良いんじゃないか・・・・・朝食を食べてから、でも?」
「あなたがそう仰るのなら、私に異存はありませんわ」
にこやかに笑みを浮かべ答える母に父は軽く肩を竦める。それからすぐに戻ってきたアーウィンにまずは朝食を食べてから、と食事を勧めながら父は「迎えが来たそうですよ」と告げる。そんな父にアーウィンは驚く事もしないまま微かに笑みを浮かべると四人は朝食を確り食べた後、先に立ち歩き出す父の先導の元、言われた村の中央の広場へと向かった。


気づいた方のみラッキーかな? 途中まで確り公開されていた事に最近気づきました;
今回と多分次回までは過去編、物語はこつこつ進んでいる予定です。 20101009

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