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真っ青な顔で飛んできた来夏に事情を聞いた鷹夜は最初は驚いていた顔をどんどん渋く変える。
「ふざけるな! 息子だけを連れて行くならまだしも、あの子は息吹君だけの子じゃないだろうに!!」
怒りのまま吐き出す鷹夜の目の前、来夏は拳を握り締めたまま座りこみ身動きひとつしない。そんな来夏へと視線を向けた鷹夜は一つ大きく息を吸い込み吐き出すと座っていた椅子から立ち上がる。
「・・・・・鷹夜様?」
「ここでじっとしていても事態は解決しないだろ? 立って来夏、君の子と旦那さんを迎えに行こう!」
さぁ、と手を差し伸べる鷹夜に来夏はぱちぱちと驚いた顔で瞬きを繰り返した後、ゆっくり、と頷き立ち上がる。取り戻したい人をこの手に取り返す為にそっと息を吸い込んだ来夏はぎゅっと握り締めたままの拳に力を籠めた。
がちゃ、がちゃ、と何度捻っても外から鎖でも巻かれているのか、全く反応の無いドアを力任せに蹴り上げた息吹は溜息を零すと髪を掻きあげる。残された来夏を思うと溜息は尽きないけれど、ここから出ないと何も始まらないとドアを諦め抜け出れる場所を探す為に部屋中を歩き回る。 いきなりの来訪者を息吹は知らなかった。まるでモノの様に自分と子供を扱った彼らを息吹は初めて見た。黒一色に染め上げた衣装を身に纏った彼らは、話でしか聞いた事が無い、きっとこの家の当主のみが扱える影と呼ばれる実行部隊である事は分かる。だけど、情報はそれだけ。当主になる為に教えられる事全てから逃げ出した息吹にはどんな事をする人達なのか全く知らなかった。これではまんま人攫いだと思うのに、意識を失わせいつのまにかこの部屋に寝かされていた息吹には何がどうなっているのかも分からなかった。一緒に連れて来られたはずの愛息子が今、どうしているのか、それも心配だ。眼裏に描き出されるのは泣きそうな来夏の顔。自分は無事だと伝える為にも一刻も早く戻りたい、そう思いながら部屋中を見渡しても抜け出れそうな場所はどこにも無かった。床も壁も備え付けだろう家具でさえも埃を被っているこの部屋がどの位置にあるのか確認したくても、窓一つ見当たらない部屋は完全に密室だった。諦めかけ上を見上げた息吹はそこに窓があるのを見つける。外の様子は位置が高すぎて辛うじて暗くなっている位しか分からないけれど、天井に近い所にある窓にこの部屋がかなり高い位置にある部屋な事に気づく。あの上に上れる事ができれば、と周りを見渡した息吹は目に付く家具を窓の下の方へと動かし出す。
*****
ほんの少しの手荷物で追い出された体も凍る冬の日以来、実に半年振りに訪れた相変わらず大きな屋敷を見上げた来夏は隣りに立つ鷹夜へと視線を向ける。
「・・・・・鷹夜様、僕は・・・・・門前払いされそうなんですが・・・・・」
「オレがさせないよ! もう、来夏はこの屋敷の使用人なんかじゃない! だから、堂々としていれば良いよ」
不安そうに見上げる来夏を安心させる為に笑みを浮かべたまま鷹夜は告げる。その言葉に微かに眉を顰める来夏の背を宥める様にそっと撫でた鷹夜は周りを見渡す。門を守る番人の為の小屋を見つけた鷹夜は来夏を促し、そちらへと足を向ける。 身分でいえば、まだ当主が生きているので爵位こそ手にしてはいないけれど、鷹夜の方が高い。当主に会いたい、と告げる鷹夜が身分を明かせば、最初は不審な顔をしていた門番は飛ぶように屋敷へと連絡を取り、恭しく鷹夜を通してくれる。 一連の流れをただぼんやり、と眺めていた来夏は第一関門はとりあえず突破できたと胸を撫で下ろす。普段はとても、大貴族の跡取りには見えない鷹夜が本当に高貴な身分の持ち主なんだと改めて思うと来夏は囚われた息吹と子供の無事をそっと祈る。 通された応接間は、使用人時代の来夏には立ち入る事が許されない場所だった。豪華な調度品に覆われ、ふかふかの椅子にそっと座った来夏はお茶を運んで来た使用人に見覚えがあり、思わず顔を伏せる。義務的に仕事を終え、立ち去る彼女はとうとう最後まで、椅子に座っているのが来夏だと気づく事はなかった。
「・・・・・緊張してる?」
「それは、もう。 僕には縁の無い世界ですから・・・・・」
二人きりになりそっと問いかける鷹夜に来夏はただこくこく、と頷く。ただ椅子に座っているだけなのに、握り締めた両方の掌が汗で濡れているのを感じ、来夏は俯くと唇を噛み締める。
湯気の立っていたお茶が冷める頃、やっと大きな扉が開き何度も屋敷で遠くから見るだけだった旦那様が入ってくる。
「すみません、お待たせしました。」
「いいえ、こちらこそ、いきなりの訪問ですみませんでした」
内心苛々としているのを笑顔で包み立ち上がり告げる鷹夜に習い、来夏も慌ててふかふかのソファーから立ち上がる。それを手で押しとめながら、この屋敷の当主は謝りながら近づいてくるけれど、纏う空気が冷たく感じ来夏はぶるり、と身を微かに震わせる。
「それで、何の話でしょうか?」
「・・・・・坂城様、聞かなくても訪れた理由はご存知では?」
目の前の椅子へと座り問いかける当主に鷹夜は座る事なく笑みを浮かべたままいきなり直球の言葉を投げつける。
「何の事でしょうか? 東條様に迷惑でも掛けましたでしょうか。」
笑みを浮かべた唇の端を微かに揺らした当主はそれでも何が聞きたいのか分からない、と微かに眉を顰め呟く。そんな当主の態度に笑みを返した鷹夜はそのままの姿勢を崩す事なく隣りに立つ来夏へと手を伸ばす。
「この子の家族がつい先日突然何者かに攫われました。 この子の家族の一人が坂城家と縁のある方でして、ご存知ありませんか?」 背をゆっくり、と押しながら告げる鷹夜の目の前、当主は一歩前へと踏み出した来夏をじっと眺める。
「わたしには分かりませんが・・・・・・坂城と縁のある方とはどなたでしょうか?」
値踏みする様に上から下へと視線を降ろした当主はすぐに来夏から視線を離し、鷹夜へと顔を向ける。白々しい態度だと分かっていても何も言えない来夏はぎゅっ、と唇を噛み締める。 そんな来夏の背を撫でながら鷹夜はじっと当主を見据えたまま笑みを深くする。 「そういえば、息吹さんはどちらに。 最近親しくなりまして、是非ここに来たらお会いしようと思っていたのですが。」 辺りを見回す様に告げる鷹夜の声に当主の肩が微かに揺れる。そんな彼へと再び視線を戻した鷹夜は更に笑みを深める。
「ご子息はどちらに? お姿を見かけていないのですが。」
「・・・・・あれはちょっと留守にしてまして。 東條様がいらした事はちゃんと告げておきますので、今日は・・・・・」
「ご当主。息吹さんはつい先日まで私達と共にいたんですけど、攫われたのは彼と彼の子供なんですよ。 良からぬ事が起きる前に警邏にも伝えようかと思うのですが、どうでしょうか?」
びくり、と肩を震わせ目に見えて青褪めた顔で鷹夜を見上げる当主に尚も言い募ろうとする声を遮る様に扉が大きな音を立て開けられる。
「旦那様! ご子息様が!!」
飛び込んで来たのはこの家の有能な執事である男。未だに来客者が居るとは思っていなかったのだろう執事は鷹夜と来夏を認め、「無礼を失礼しました」と深く頭を下げるとそのまま当主へと近づく。耳元へと執事が何事かを囁くその度に当主の青褪める顔がますます色を失くし唇が震え出す。その様子にただ事では無い、と感じはしても来夏には発言権は無くて縋る様に鷹夜へと目を向ける。
「・・・・・鷹夜様・・・・・」
「大丈夫だよ、来夏! 僕等の救いを待つより、彼は自分で何とかしようと思ったのかも」
ひっそり、と名を呼ぶ来夏の耳元に唇を寄せそっと囁く鷹夜は不安な顔を隠しもしない来夏の背を宥める様に撫でる。
「何かあった様ですね、坂城様」
にっこり、と笑みを浮かべ告げる鷹夜に当主は執事から視線を移す。重く長い溜息を吐き出した当主は手で執事に部屋から出るように促しながら、笑みを崩さない鷹夜の目の前、震える唇の端を引き攣る様に擦れた声を零した。
「・・・・・あれが、息吹が・・・・・逃げ出しました・・・・・あの部屋を・・・・・」
******
逃げ出せる場所では無いのだと青褪め震える唇で、観念したのか堰を切った様に話し出した当主が言うには、息吹が閉じ込められていた部屋は元々は何代か前の当主の囲った愛人を閉じ込めた部屋だった所で、出口はもちろん鍵つき、窓も天井に近い場所にあるだけだと言う。逃げ出せる場所と言えば、天井に近い窓、そこだけだけれど、その先は塔の最先端だから到底歩く事さえ叶わない場所らしい。 塔へと向かいながらぽつぽつ、と話す当主はそこは別名幽閉の塔と呼ばれているのだと告げる。 囲われた愛人は、愛人本人の意に添わない待遇から逃げ出そうとしていた。だから、当事の当主は塔を作り、彼女を監禁した。死ぬまで出る事叶わなかったその塔は鳥篭とも言われているのだとそう歩きながら告げた当主の言葉の通り、目の前にある塔はまさに鳥篭だった。
「・・・・・息吹様・・・・・」
胸元に手を当てると擦れた声で呟く来夏の目の前に聳え立つのは檻の中に立てられた細長い建物だった。 屋敷より少し離れたその場所に立てられた塔を囲むのは鉄製の檻。たった一つ、そこが入り口だろう場所意外はどこにも抜け出す事が出来ない様に檻に囲まれ、窓一つ見当たらない。天井に数箇所ある、と当主は言うけれど、下からでは塔の上は見えないままだ。促されるまま歩き出す当主に続き歩きながらも来夏の不安は消えなくて、隣りにいる鷹夜の服の袖を無意識に掴む。そんな来夏に気づいてはいたけれど、鷹夜は何も言わないまま先に歩く当主を見失わない様に歩く歩調だけは緩めなかった。 通された部屋は息吹を閉じ込めた元愛人の部屋。簡素な作り置きの家具しかない、本当に見上げるほど上にあるだけの窓から薄っすらと月の光が入ってくる小さなその部屋をぐるり、と見回しても逃げ出せる場所は遥か頭上にある窓ぐらいしか見当たらない。眉を顰め唇を噛み締め立ち尽くす来夏の目の前、当主は何度も部屋の壁を確かめ直し、そして微かに首を振る。
「あそこから逃げる事は可能ですか?」
頭上にある窓を指差し問いかける鷹夜に当主は指された窓を眺め微かに首を振る。
「・・・・・あんな場所から、無理でしょう・・・・・部屋のどこかに隠れる場所があると思ったのにそれも見当たらない。 塔の周りも捜索させますが・・・・・一体何処へ・・・・・」
旦那様!と使用人の呼びかけに当主は慌てた様に部屋を出て行く。取り残された鷹夜は、微かに溜息を付くと青褪めた顔で呆然と立ち尽くす来夏の背へと手を伸ばす。
「・・・・・鷹夜様?」
「少し休もう。 大丈夫、息吹君ならきっと無事だよ」
びくり、と肩を震わせ目線を合わす来夏に笑みを浮かべ鷹夜は促す様に身近にあった椅子へと来夏を座らせた。
例の如く終わらなかったので続きます。 色々詰め込みすぎてます; 20100711
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