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ぐいぐい、と乱暴に引かれる腕は痛み、すたすたと歩く息吹に来夏の足は入り口を出て暫くしてからすぐに縺れる。気づいた時には縺れた足はすぐに何も無い床に躓き、思わず転ぶ自分を想像した来夏はぎゅっと目を閉じ、空いている手で必死にお腹を庇う。 転ぶ瞬間に抑えたのか、目をずっと瞑っていた来夏は浮き上がる体に閉じていた目を開く。
「・・・・・息吹、様?」
言いたい事はあるのに、巧く言葉が見つからないまま、名を呼ぶ来夏を抱え上げた息吹は無言のまま、歩みを早くする。 見覚えのある扉を開き中に入った息吹は真っ直ぐに備え付けられたソファーへと来夏を降ろし身の回りのものを集め出す。
「・・・・・息吹様?」
「動かなくて良い! すぐに終わるから、ここを早く出よう!」
小さな小ぶりのバッグを一つ手早く作り出した息吹は椅子に掛けられたままのショールを来夏の肩へと掛けると自分も上着を着込みまだ良く理解出来ていないのか呆然とした顔の来夏をまた抱き上げる。 黒いコートを着た息吹は来夏とバッグを片手に抱え、そのまま外の入り口へと向かう。遠くで慌てた足音とがやがや、と声らしきものが聞こえてくるけれど、外へと出た瞬間音はすぐに聞こえなくなった。 教会の前に並ぶ豪華な装丁の馬車に目も向けずに息吹は外へと続く道を歩き出す。
「あの、僕・・・・・歩けますから・・・・・」
「すぐ着くから我慢して!」
降りようともがく来夏を抱えなおし息吹は歩みを止めない。目の前に見えてきた建物をぼんやり、と見上げる来夏を抱えた息吹は躊躇う事なく中へと足を向けた。
「荷物を持ってくる、ここにいて・・・・・すぐ戻るから・・・・・」
「息吹様?」
「後で話そう。 すぐに戻るから動くなよ、来夏!」
入り口を入ってすぐある広間のソファーへと来夏をゆっくり降ろした息吹はバッグを預けながら告げる。その声に不安そうに名を呼ぶ来夏に顔を近づけた息吹は額をそっと擦りつけながら頭をゆっくりと撫でると呟き、すぐに立ち上がり背を向ける。 一人取り残された来夏はふかふかのソファーの上、渡されたバッグを抱きしめるとそっと息を吐き出した。 何がどうなっているのか、未だに頭が追いつかない。困惑している頭を俯けた来夏はまた大きく息を吐いた。
言葉通りすぐに戻ってきた息吹は着ていた白い服を脱ぎ普段着ていた洋服に着替えていた。手にしているものは小さな袋一つだけで他には何も手にしていなかった。
「・・・・・息吹様?」
「馬車を用意した、すぐにここを出よう。 簡単に諦めてくれるなら、こんな事しないんだけど・・・・・ごめん、体辛いだろ?」
ソファーに座りこんだままの来夏の顔を覗きこみ息吹はそっと額にかかる髪をかきあげる。ほんの少し汗ばんだ額に触れた息吹は微かに眉を顰めるとそのまま来夏を抱き上げる。
「行き先に希望はある?」
「・・・・・希望? 息吹様、何を考えて?」
「来夏は東條様の所にいたんだろ? あの人、まさか全部知ってる?」
「・・・・・鷹夜様は僕の命を救ってくれて、でも・・・・・」
「掛けてみるかな?」
馬車に乗り込んですぐに問いかけてくる息吹に来夏はゆるゆると頭を振る。数回会話を繰り返した息吹は微かに笑みを浮かべると来夏を自分へと引き寄せる。
「眠って良いよ、まだ先は長い・・・・・」
肩を撫で告げる息吹の低い声に来夏はゆっくり、と目を閉じる。揺れる馬車の中、すーすー、と規則的に聞こえる寝息を聞きながら息吹は流れる景色へと目を向けるとすぐに隣りで寝息をたてる来夏の乱れた掛け物を起こさない様にそっと直した。
*****
うっかり眠ってしまった来夏は慌てて身を起こし、自分がいる場所がもう馬車の中ではなく見慣れたベッドの上なのに気づく。 どうして、ここにいるのか分からないままベッドから降りた来夏は自分が着ている服がいつも寝間着変わりに着ている服だと気づいて慌ててごそごそ、と着れそうな服を見繕い部屋を出る。
「・・・・・だね、全く」
「でも、これしか・・・・・・」
こそこそ、と話す声に気づいた来夏は足を止めると声のした扉をそっと開く。広い居間に置いてあるソファーに座り会話をしていた人達を見て来夏は思わず手にした取っ手を大きく開く。
「鷹夜様、息吹様・・・・・あの、どうして?」
「・・・・・ああ、おはよう来夏。 気分はどう?・・・・・顔色は良いみたいだね?」
大きな瞳を大きく見開き呟く来夏にすぐに顔を向けた鷹夜は顔に手を伸ばすと淡々と告げる。全く態度の変わらない鷹夜に来夏は軽く息を吐くともう一人の男である息吹へと顔を向ける。
「・・・・・追いかけてきたんだよ、この人が。それで、具合の悪い来夏を連れまわすのは良くないってここに・・・・・」
「まぁ、追いかけてくるのは予想通りみたいだったよね、坂城の。 僕が来夏を追いかけてなかったら、どこに行くつもりだったのか」
全く、と溜息を吐く鷹夜の前で息吹はにっこり、と笑みを浮かべる。
「大事にしてくれてたみたいだから、確信はありましたよ・・・・・でも、来夏の腹の子がオレで良かったですけど・・・・・」
いらぬ誤解を抱くところだった、と告げる息吹に鷹夜は軽く笑みを浮かべると未だに呆然と立ち竦む来夏を手招きする。
「おいで、来夏。 落ち着いて話をしよう。 これからの事とか。」
告げる言葉に来夏はお腹を抑えると二人へと近づく。来夏の意思に関係なく起こった出来事がこれからどう進むのか来夏には全く検討もつかなかった。
「来夏、手伝おうか?」
自分の仕事が終わったのか近づいてくる息吹に来夏は笑みを向けると手前の洗濯籠を渡す。 話しあいというには、当事者である来夏が全く絡んでいない変な話だけれど、鷹夜と息吹の妥協案は近くに二人だけの家を借りる、それだけだった。今すぐにでもここを離れてどこか遠くで二人きりで暮らしたい、というのが息吹の最初の意見だったけれど、それは鷹夜に即却下された。何よりも来夏の体調が原因だった。いつ生まれてもおかしくない大きなお腹の持ち主をふらふらさせるのは良くない、その意見に息吹も強くは出れなかった。 鷹夜の家からそんなに離れていない空き家をみつけ二人は二人だけの生活を始めた。 食事はたまに鷹夜や孤児院の皆と取るけれど、基本は二人だけ。部屋の中、二人きりで過ごした来夏と息吹はできるだけ話をした。会わなかった数ヶ月、一緒にいた頃の自分達の空いた隙間を埋める為の話は何度話しても尽きなかった。そうして、時に反応する大きなお腹に耳をつけた息吹が生きる鼓動を目を閉じて聞いてる姿を来夏が黙って見つめる事も多かった。
「命がいるなんて、不思議だよ・・・・・オレが触れた来夏が生み出すなんて・・・・・」
「・・・・・ごめんなさい、僕に子供がいなければ・・・・・・息吹様は普通に・・・・・」
「来夏! 様はいらないって言ってるだろ。 ここにいるオレはもう来夏と同じなんだから・・・・・」
「でも・・・・・」
「追い目も引け目もいらない。 オレが選んでここにいるし、オレは来夏に子供が出来る事をした」
何度話しても、様付けを止めない来夏に事あるごとに息吹は言い聞かせる。腕の中、すっぽり収まる華奢な背を撫で顔に頭にキスをしながら告げる息吹に来夏は躊躇いながらも抱きついてくる。 平穏な暮らしをきっと大きく揺らす嵐はすぐ目の前まで迫っていそうだけど、そんな不安を来夏に与えない様に息吹は何度も言い聞かせる。それはまるで自分に言い聞かせるみたいでもあった。
*****
陣痛が始まったのはいきなりだった。 お腹を抑え抱え込む来夏に気づいた息吹がを慌てて鷹夜の元へと連れてきた時、来夏の下半身はぐっしょり、と濡れていた。 両性の子の出産に立ち合う経験の無い鷹夜にとっても命がけの出産だった。丸一日、病室の前で祈るように座る息吹の元へと孤児院の子供達や関係者が入れ替わり立ち代り来ては同じ様に祈ってくれる。そんな最中、病室の外に聞こえるほど元気な産声が響き、息吹は思わず立ち上がる。
「産まれたよ、息吹君。 元気な男の子だよ・・・・・見るかい?」
病室から出てきた鷹夜が笑みを浮かべ告げる言葉に息吹は無言のままこくこく、と頷く。 泣きそうなそんな息吹の背を軽く叩き中へと促した鷹夜は奥へと手を伸ばす。 病室といっても簡素なベッドと粗末な器具しかないそんな場所に来夏が子供を抱え、ふんわり、と笑みを浮かべる。 腕の中、小さな手を伸ばしもぞもぞ、と動く小さくても人の形をしている生き物から来夏へと目を向けた息吹は堪えきれなかった涙を零しながらも笑みを返し、来夏をゆっくりと抱きしめた。
「来夏、来夏・・・・・大好きだよ!」
「・・・・・息吹、さ・・・・・」
「様はいらない! 名前、考えないと・・・・・」
抱きしめる腕の中、頭を擦りつけ名前を呼ぶ来夏に笑みを返し、息吹は腕の中、寝息を立てる子供へと目を向ける。
平穏だった。子供が生まれても、来夏と息吹の生活は変わらない、ほんの少し、赤ん坊見たさに訪れる人が増えたけれど、それだけで、嵐なんて訪れる予感すらしなかった。 だから息吹は油断していたし、来夏も子供見たさに訪れる人達への対応に忙しく、自分達が逃げているなんて事も忘れていた。 嵐は突然やってきた。ある日、ちょっとした用事の為に、赤ん坊の傍を離れた来夏は油断していた。何より、孤児院の子供達が傍にいるから、と安心もしていたから。すぐ傍に息吹もいる。だから大丈夫だと、後を頼み用事を済ませに行った時だった。 甲高い子供達の泣き声に混じり、遠ざかる我が子の声を聞き慌てて外に出た来夏は遠ざかる馬車を見る。 傍にいたはずの息吹も自分達の子供である赤ん坊もどこにもいなかった。 未だに泣き喚く子供達を宥めながら来夏は自分が一番泣きたかった。
最終章はちょっと長くしようと初めから決めてはいたのですが、前後編で終わらなかったらすみません;20100207
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