鐘の音が大きく鳴り響く。お目出度い儀式に相応しい真っ青な空を眺めた来夏はお腹へと顔を向ける。 産まれてくるこの子に父親について聞かれたら、そう思うと来夏の目は微かに顰められる。 君の父親は、別の人と円満な家庭を築いているはずだなんて、とてもじゃないけど、この子に言えるはずが無い。 だけど、式を阻む勇気すら持てない。見ないふり、聞かないふり、ここであった事を知らないふりをするのは簡単だけれど、もし、来夏が生まれてくる子供に父親の事を聞かれたら、きっと真実を口にしてしまうかもしれない。 正直者では無いけれど、だからと言って、人を騙して生きる人間にもなりたくない。 考える時間があまり無い事も気づいている。式はまもなく始まるだろうし、来夏がここに座っている間にも時間は迫ってきている。 緊張でかさかさに乾いた唇を舐めた来夏はお腹を抱えたままゆっくりと立ち上がり空を見上げる。 雲ひとつの憂いも見当たらない真っ青な空を見上げた来夏は唇を噛み締めると足早に歩き出した。
参加者だろう、夜会ほど派手では無いけれど、来夏には一生かかっても手に入れる事のできない贅沢を糧に生きている人達の波を抜け、来夏は花婿の部屋の前足を止める。 まだ、始まっていないのだから、ここにいるはずだと思う。だけど、大勢の親戚だろう人に囲まれた息吹一人だけを連れ出すのはきっと容易では無いだろう事に当たり前だけれど、勢いだけでこの部屋の前に立った今、初めて気づく。
「来夏、どうしたの? 気分は良くなったのか、歩いても、平気?」
近寄りながら声をかけてきた人物が鷹夜だと分かって、自分に声を掛けるのは彼しかいないのだと、そんな事にも今更気づく。 知り合い一人いない、この場所で、頼れるのは目の前の人だけな事に気づいた来夏はこくり、と喉を鳴らす。
「来夏?」
「・・・・・お願いが、あります・・・・・あの・・・・・」
お腹へと当てた手をそのまま、少しだけ戸惑う来夏に鷹夜は微かに瞳を細める。
「さっきいた場所で待っといで。 連れてきてあげるよ、俺が。」 身を屈め、ひっそり、と囁く鷹夜に来夏は顔を上げる。 にっこり、と笑みを浮かべたままの鷹夜に来夏は微かに口元を緩めるとそのまま深く頭を下げる。 ノックをしながら、促す鷹夜に来夏は背を向け歩き出しながらも足を止め後ろへと目を向ける。 応えがあったのか、ドアを開き中へと入る鷹夜の姿を見届け、来夏は先ほど、息吹と会った場所までゆっくりと止めていた足を動かし、歩き出した。
*****
大きな窓の先に広がる、緑の庭園をぼんやり眺めていた来夏は足音に顔を上げる。 少し離れた場所に立っている鷹夜とすぐ目の前まで近づいてくる息吹、交互に視線を向けた来夏は深く息を吸い込み、お腹を抑えた手をそのまま、座っていた場所から立ち上がると、息吹へと頭を下げる。
「・・・・・何か用? 早くしてくれないと、そろそろ時間なんだけど・・・・・」
「分かってます。 本当は伝えるべきではないと僕は思ってます。 でも、知る権利は誰にでもあるから・・・・・」
回りくどい来夏の言葉に息吹は眉を顰めるけれど、咎めの言葉は出さずに黙ったまま何も言わない。だから、来夏は先を続ける為に震えてきた体に、地につく足に力をこめると口を開く。
「見れば分かると思いますが、僕は妊娠しています。お腹の中に子供がいるそうです。・・・・・僕の性は良く分からないものなのに。」 「来夏、用件は何? 早くしてくれないと時間が・・・・・」
確信に行き着かない来夏に息吹は苛々とした低い声で先を促してくる。腕に嵌めた時計を眺めているのは時間が気になるからだろう。そんな息吹に来夏は、もう一度息を深く吸い込むと口を開く。
「僕のお腹にいるのは・・・・・息吹様、あなたの子です!」
「・・・・・何を、言って・・・・・」
「僕は、この子を産む事を許して欲しいだけです。それ以上は望んでいませんし、きっと二度と息吹様と会う事は無いはずですから、だから、僕がこの子を産む事だけは、認めて下さい。」
「俺の子、なのに、俺とは二度と会わない?」
「約束します! ご迷惑はかけません、この子に何があろうと、僕がどうなろうと、二度と関わりません。 ただ知っていて欲しい、それだけだから・・・・・」
「・・・・・俺は、生まれてくる子供の父親なのに?」
「あの、息吹様にはご迷惑はかけません・・・・・だから、この子に父親はいらないです」
お腹が大きいからあまり下げられない頭をそれでも精一杯下げる来夏の言葉にひゅっ、と息を飲む音がする。だけど、それだけで、目の前に立っているはずの息吹は何も言わない。
「・・・・・あの・・・・・」
「息吹さん! もう、始まるのに、あなた何をしてらっしゃるの?」
戸惑いながらもゆっくり、と顔を上げ問いかけようと口を開きかけた来夏の声は甲高い声にかき消される。
「・・・・・伯母上・・・・・」
呆然とした顔のまま、空気の読めない伯母を見つめる息吹に気づかないのか、つかつか、と近づいてくる彼女は目の前に立っている来夏に見向きもしないまま、息吹の腕を引く。
「早く、いらっしゃい! こんな忙しい日にお話がしたいなんて、非常識なお話を聞く必要はありません!!」
「・・・・・お待ち下さい、伯母上。 おっ、いや、わたしに関わる話で・・・・・」
「だとしても、日を改めて欲しいものです。 さぁ、行きますよ! 花婿であるあなたが遅れれば、坂城家が恥をかきます」
拒もうとする息吹をぴしゃり、と言いくるめ彼女は足早に息吹の腕を引き歩き出す。
「今日のあなたは、この式を無事に終わらせる事だけ考えて下さいませ、いいですね!」
歩きながら尚も告げる伯母に息吹は微かに溜息を零し、振り向きもしないまま伯母にほとんど引きづられ、歩き去る。 ただの一度も来夏を見ようとしないその背に、来夏はそっと頭を下げる。
「・・・・・来夏、これで良いのかい?」
こつん、とすぐ傍まで近寄り問いかける鷹夜に気づいた来夏は微かな笑みを唇に乗せるとこくり、と頷き頭を下げる。
「鷹夜様にもご迷惑をおかけしました。 だけど、言いたい事は言えました」
これで、十分です。言外に呟き、再度頭を下げる来夏に鷹夜は微かにこちらも笑みを浮かべると、小さな頭を緩く撫でる。
*****
招待席は前の方だったけれど、来夏は一人隅の方へと歩き出し、目立たない様にそっと腰を下ろす。 言うべき事は全て告げたはずだと頭の中でぼんやり、と記憶を浮かべる。 最後まで、表情も見る事が叶わなかったのだけが、心残りだと思う反面、もう会う必要の無い人の顔はあの屋敷を出て行く寸前まで、浮かべてくれていた笑みだけで、良いとも思う。 お腹をゆっくり、と撫でながら、来夏は周りが一斉に静まったのに気づき、改めて、姿勢を整える。 最初に花婿が祭壇の前に登場する。この数時間ですでに見慣れた息吹の姿を見つけると、とくり、と鼓動が大きく跳ねる。そうして、パイプオルガンの音が鳴りだし、来客者を入れて締まっていたはずのドアが大きく開き、花嫁がゆっくり、と花婿の待つ祭壇へと歩いていく。少しずつ近づいて行く花嫁の姿を眺め、来夏は祭壇の前に立つ息吹へとそっと視線を向ける。 目出度い席のはずなのに、心持ち眉を顰めたその顔に来夏の中にいきなり後悔が溢れ出す。 目出度い式の前に言うべきでは無かった、会う機会はあの時しか無かったけれど、何も言わなければ幸せが待つ未来に晴れやかな顔を浮かべていただろう事を思うと罪の意識に苛まれる。 肝心な事を告げていなかった。 中断された話、一番最後につけるべきセリフ、目出度い式に憂いを与えない為に言わないといけなかった事。
「お幸せになって下さい」
微かに呟き来夏は今にも始まる式から視線を逸らす様に俯くと、唇を噛み締める。
見た事も出た事も無い、結婚式の段取りなんて来夏は知らない。きっと型どおりなのだろう、式は厳かな雰囲気を醸し出している、その空気だけは感じる、でも、それだけ。 俯いたまま、顔を上げない来夏はいきなり、それまでの厳かな空気が変化した事に気づく。何を言っていたのか、巧く聞き取れない司祭の言葉に答えていた声が止まり、周りがざわつく。 ゆっくり、と顔を上げた来夏は周りの空気にただ眉を顰め、祭壇の前にいるはずの二人へと目を向け、思わず目を見開く。同時にかつかつ、と近づいてくる足音に来夏は座りこんだまま、呆然といきなり目の前に立った人を見上げる。 全身、白で覆われ、胸についてる花飾りだけが妙に色鮮やかなその服が視界に飛び込み、もっと上げた顔の先に立つ人。今日の主役の一人である息吹の姿をただ見つめていた来夏は心構えも何も無いままいきなり腕を引かれ立たされるとそのまま出口へと引きづる様に腕を引かれ歩き出した来夏はすぐ目の前にある息吹の背をただじっと眺めていた。
今回は怒涛を目指してみましたが、どうでしょ? あまりそうでも無いか; 20090120
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