大きく開かれた扉の先には扉と同じ位豪華で広い部屋、大きな窓が続く。
「こんにちは、お招きありがとうございます! この度は本当に良いお天気で良かったですね。」
「まぁ、東條様の所の。 こちらこそ、わざわざありがとうございます!」
鷹夜の祝福の言葉に真っ先に反応したのは、母親だろう甲高い声で、夜会にそのまま出れそうな各別豪華な服を着た婦人だった。その顔を見て、来夏はそっと俯く。置くの椅子に腰掛けていたのは、花嫁だろう。白いドレス姿の彼女から視線を逸らすため俯いた来夏は鷹夜が最初に向かった先が花嫁の方だったと気づく。気合いが無駄になった、と内心苦笑を漏らす来夏の目の前、白々しいとしか思えない鷹夜と婦人の会話はまだ進んでいた。そうしながらも歩いている鷹夜は椅子に座るドレス姿の彼女の目の前で足を止めると深く頭を下げる。
「あめでとうございます、美弥様。素晴らしいお席に呼んで頂けて光栄です。」
にっこり、と笑みまで付け加える鷹夜にドレス姿の彼女がどんな顔をしているのか見たくなりそっと顔を上げた来夏は泣きそうに歪んだ顔で鷹夜を見つめる横顔をついまじまじと見つめる。 幸福とは到底遠い、この祝福の席には不釣合いなその顔から来夏は再び目を逸らす。見てはいけないモノを見てしまった罪悪感が胸をきりり、と微かに締め付ける。
「・・・・・ありがとうございます、鷹夜さん。お久しぶりに会うのに、申し訳ありません。 立つ事はご容赦下さい。」
途切れそうなか細い声はそれでもしっかりと答える。来夏の視線の先にあるドレスの前に置かれた手は両手を合わせぎゅっ、と握り締められている。
「まぁ、何ですか、美弥さん。まだ緊張していらっしゃるの?」
「・・・・・すいません、お母様。」
婦人の声に申し訳なさそうに呟く彼女の声を聞いた来夏は唇をただ噛み締める。この結婚が必ずしも誰もが幸せな結婚では無い事に来夏は改めて気づかされた。貴族の婚姻は下々のソレとは大きく異なる、と聞いた事がある。どんなに豪華な服を着れても、毎日寝る所も食事にも苦労しなくても、彼らには彼らの苦労があるのだと改めて来夏は気づいた。だけど、誰もそれに触れる事なく「目出度い」結婚式を勧めるのだから、部外者の来夏に何かを言う権利なんてあるはずも無かった。
「では、良いお式を。」
形式通りの言葉を連ね、俯く来夏の腕をそっと引いた鷹夜は軽く頭を下げると部屋を出る。扉の閉まる音がやけに響く廊下に立ち尽くす来夏の背を押すと鷹夜は更に奥へと進む。
「・・・・・この、結婚は・・・・・」
「ああ、良くある政略結婚だよ。 仕方無い、誰にも何も言う事は出来ない。むしろ、貴族に恋愛結婚こそが有り得ないからね」 言い惑う来夏の質問に鷹夜は淡々と答える。どんな顔でその言葉を口に出しているのか、残念ながら後ろを歩く来夏には鷹夜のその顔を見る事すら出来なかった。
気合いを気づかれない様にもう一度入れなおしたのは、次の扉の前だ。先ほどと同じく豪華な扉の前、鷹夜は躊躇う事なくその扉をノックする。中からすぐに応えは届き、重い扉を開く音がする。
「本日はお招きありがとうございます。 改めて、ご結婚、おめでとうございます!」
「これは、これは東條の。 奥へどうぞ!」
聞き覚えのある声が響き来夏はびくり、と肩を震わせる。耳に響くその声を来夏は確かに知っていた。俯く顔を決して上げないまま、先に促される鷹夜の足音に来夏はいきなり重くなった足を進める。
「おめでとうございます、息吹様! お呼び頂けて光栄です。」
頭を下げ告げる鷹夜の声に来夏は進もうとした足を止める。そこから先一歩も進む事の出来ないままそろそろと上げた顔の先には、忘れた事すら一度として無い人がいた。 白い燕尾服に身を包む彼は、鷹夜と同じく挨拶に来たのだろう人達、そして見覚えのある彼の母親と父親、親戚関係に囲まれている。こちらも一人椅子に腰掛けてはいるけれど、花嫁と違い憂いも悲しみもその顔には浮かんでいなかった。だからと言って喜びに満ち溢れているそんな顔でもなく、一度も見た事の無い顔をしている息吹がそこにはいた。 気づかれない様に息を潜める来夏に注意を払うモノはどこにもいない。詰めていた息をそっと吐き出し来夏はそっとお腹へと手を伸ばす。時たま聞こえる胎動は感じられず沈黙を守るお腹をそっと抑えたまま、来夏はじっ、と息吹を見つめる。 幸せに満ち溢れている笑顔を浮かべてくれていたのなら簡単に忘れてしまえたはずなのに、来夏は初めて来るんじゃなかった、と後悔していた。
「あら? そちらの方は?」
「僕の連れです。 来夏、来れる?」
聞き覚えの無い高い女性の声に鷹夜は笑みを浮かべながら来夏を手招きする。 来夏、というその名前に能面の様な顔をしていた息吹の顔の筋肉がぴくり、と動くのを見た来夏は鷹夜へと曖昧な笑みを浮かべる。今すぐこの場を離れたいのだと伝えられれば良いのに、鷹夜が首を傾げるのと同時に、突然物音が響き、皆一様にびくり、と身を震わせる。
「まぁ、息吹さん、何を?」
「どうした?」
椅子を倒し立ち上がった息吹に周りにいる人達が声を掛けるけれど、彼はただ呆然と来夏を見つめる。 突き刺さるその視線に来夏は身の置き場が無く困った様に鷹夜へと視線を向ける。いきなりの花婿の態度に鷹夜は来夏と息吹を交互に見つめながら、困った様な笑みを浮かべる来夏のあまりの顔色の悪さに支える様に素早く隣へと近づく。
「来夏、どうかした?」
「・・・・・すみません、鷹夜。 気分がちょっと・・・・・」
震える擦れた声で呟く来夏に鷹夜はまだ呆然と立っている花婿と周りの人々へと深く頭を下げる。
「すいません、ちょっと連れの気分が悪いのでこれで失礼します。」
「・・・・・ああ、すまない・・・・・」
辛うじて応えるのは花婿の両隣に立つ紳士の方。まだ立ち尽くしたままの息吹に戸惑いながらも正気に戻るのは以外に早いその紳士に鷹夜はもう一度軽く頭を下げると来夏を促し、早々に部屋を出る。 背に突き刺さる視線を感じながら、来夏は震える体を鷹夜に支えられ、やっとこの空間から出れる事にそっと安堵した。
*****
「どこか休める所を探そう。 大丈夫? お腹の調子が悪いとか?」
ほとんど抱きかかえながら告げる鷹夜の声に来夏はただふるふる、と頭を振る。
「・・・・・何か、飲み物とかいるかい? 適当に探してくるけど・・・・・」
まだ顔色が冴えない来夏を早く休ませるべきだと思いながら歩いた鷹夜は、中庭に面した場所に作られたのであろう長椅子を見つけた。そこの長椅子に来夏を座らせると、そっと問いかけてくる声に、来夏は俯いていた顔を上げる。
「・・・・・大丈夫です。 ちょっと、驚いただけだから、すぐに、良くなります。」
「驚いたって、あの雰囲気に?」
「いえ、あの・・・・・」
膝をつき、顔を覗きこみ問いかける鷹夜に来夏はただ曖昧な笑みを浮かべ言葉を濁す。 どう告げれば良いのか分からない。そもそもこんな往来で話せる内容でも無く、来夏はただお腹に手を当て再び俯く。
「・・・・・こんなとこに長くいる訳にもいかないから、休める場所を探してくるよ。 来夏はここにいて、すぐに戻るから。」
立ち上がり頭を軽く撫で告げる鷹夜に来夏はただこくり、と頷き歩き去る鷹夜を見送る。 中庭が一望できるそこは、大きな窓から陽の光が差し込みぽかぽかと温かい。 来夏はゆっくり、と顔を上げると、目出度い祝いの日には相応しい陽気の外をぼんやり、と眺めた。
こつこつ、と近づいてくる足音に来夏は鷹夜が戻ってきたのだと思った。
「早かったですね、鷹・・・・・っ・・・・・!!」
すぐに振り向き笑みを浮かべ口を開いた来夏は近づく人に言葉を失くす。 あれだけの関係者に周りを囲まれていた彼がどうしてここにいるのか分からず来夏は立ち上がり思わず後ずさる。
「・・・・・悪かったね、連れの人じゃなくて・・・・・来夏、久しぶりだね。」
「・・・・・・・はい・・・・・」
目の前に立つ息吹はさっきと変わらない、白い燕尾服姿のまま。だけど、滲み出す雰囲気が怖くて、立ち上がった来夏の足は微かに震える。掛ける声も背筋が凍りそうな程、聞いた事の無い冷たい声。浮かべる笑みからも冷たさが滲み出る。擦れた来夏の声に息吹はただその笑みを深くして更に近づいてくる。 その分後ずさる来夏は背に当たる窓に気づき、それでも近づいてくる息吹に恐怖しか感じられないまま、じっと息吹を見つめるしか出来なかった。
「こんな場所で会うなんて思いもしなかったよ・・・・・逃げたくなる程、俺が嫌だった?」
「・・・・・いえ、あの・・・・・」
「何も言わずに逃げただけで、嫌だと言ってるものだったね。」
自嘲気味に呟く息吹に来夏はただ眉を歪める。何も言い返す事もできずにただお腹を抑えるそんな来夏をちらり、と見た息吹は微かに唇を歪める。
「それで、そのお腹の子はあいつ? 俺から逃げといて、俺より数段上の男を捕まえるなんて、やるじゃないか。」
「・・・・・そんな、この子は・・・・・」
「それともどこか行きづりの相手? 男の性質の方が大きかったんじゃなかったっけ?」
バカにしたような嘲る声は止まらない。来夏はただじっと唇を噛み締め俯くだけで反論すらしない。そんな来夏の態度に息吹は微かな舌打ちをすると俯く顔へと手を伸ばす。
*****
「来夏! あっと、息吹、様?」
鷹夜はただならぬ二人の様子に首を傾げながら来夏へと近寄る。
「知り合い、ですか?」
交互に二人の顔を見ながら呟く鷹夜の声に来夏は唇を噛み締め俯き、そんな来夏を横目に息吹は鷹夜へと真っ直ぐに顔を向ける。 「・・・・・彼はうちの使用人でしたから、いつから、お知り合いで?」
「使用人? あの、じゃあ、来夏の働いていた所って、息吹様の、坂城のお屋敷ですか?」
「ええ、それが何か?」
疑問に答えないまま質問を重ねる鷹夜に微かに眉を顰めたまま頷く息吹は微かに眉を顰める。流れる険悪な空気に気づいていないのか、鷹夜は隣りで俯き小さな体を更に小さくする来夏へと目を向ける。
「あの、東條様?」
「・・・・・え、あっ・・・・・すいません、前に働いていた場所がまさか坂城のお屋敷なんて、縁がありますね。」
にっこり、と笑みを向ける鷹夜に息吹は口を開きかけ近づいてくる足音に顔を向ける。
「息吹さん、戻りなさい。 式が始まるまでは控え室から出てはいけないと言いましたのに。」
「・・・・・すいません、伯母上。 ですが、花嫁の部屋には近づいてはいませんよ?」
「それでもです。 さぁ、早く戻ってちょうだい!」
甲高い声で少し早口の豪華というより、派手な衣装に身を包んだ少し年配の彼女の声に息吹はそっと息を吐き出す。
「あら、東條様。 すいません、お見苦しい所を、嫌ですわ。」
ホホ、と小さく笑う彼女に鷹夜はただ頭を下げるとさっきから顔を上げようとしない来夏の背へと腕を回す。
「そんな事ありませんよ、お気になさらずに。 それでは、次は式でお会いしましょう。 失礼します」
頭を下げ、にっこり、と笑みを浮かべた鷹夜の声に自分よりも一回りは下の彼の甘い声と顔に少しだけ頬を赤くしながらも甥を急かす様に背を押しながら頭を下げるとつかつか、とヒールの音を鳴らしながら歩き去る。
「何か、嵐が去った感じ、だね?」
遠ざかる足音を聞きながらぽつり、と呟く鷹夜の声に来夏はやっと顔を上げる。
「すいません、僕・・・・・ご迷惑をお掛けしてます・・・・・」
「俺は良いけど、来夏は良いの?」
問いかけの意味が分からないのか、首を傾げる来夏に鷹夜は息を吐くともう一度同じ言葉を繰り返す。
「来夏は本当に良いのかな? 彼、なんだろう?」
「・・・・・鷹夜さん?」
「来夏は言わなくて良いの? 彼の子で彼は知らずに父親になるんだよ」
「・・・・・違います! この子は僕の子で、他の誰の子でもありません!」
お腹に当てた手を微かに振るわせたまま、ふるふると緩く頭を振り小さな声で、でもはっきりと告げる来夏に鷹夜はそっと溜息を吐くと何も言わずに気を張っているのか、固くなっている来夏の頭を緩く叩く。 唇を噛み締めたまま、来夏は再び俯いた。 静かな、静か過ぎる空間に鐘の音が鳴り響いたのはそれから暫く経ってから、だった。
式まで到達するはずが、いけませんでした; 続きはまた、さてどう収拾つけるかな? 20091205
top back next
|