これでもう最後にするんだ

日増しに大きくなるお腹を眺めるだけで来夏の口元には笑みが浮かんでくる。あれから体調も整った来夏はすぐにでも出て行くはずだったのだけど、医者であるこの家の主、鷹夜(たかや)のご好意でここにいる事になった。
「来夏〜っ! 手伝うよ!!」
「僕も! 言ってくれれば、着いていったのに。」
口々にそう言い走り寄って来たのは、鷹夜に懐いている近所にある教会、つまり孤児院の子供達。身寄りの無い子供達だ。あの日、鷹夜の元に来夏を連れてきたのはこの子達だ。
「良いよ、このぐらいなら僕にも持てるし、運動は必要なんだよ。」
「良いから、貸して!」
笑顔で話す来夏の手から次々に荷物を奪いながら子供達は一緒に歩き出す。他愛もない話をしながら、来夏のペースに合わせてゆっくり歩いてくれる子供達が大好きだ。命の恩人、それだけじゃない。身寄りの無い彼らは仲間を大切にする事の意味をしっかり知っている。孤児だから、とこの村に住む人達の評判はあまり良くはないけれど、来夏は彼らが大好きだった。日増しに大きくなる来夏のお腹を眺め、来夏と同じ位に生まれてくる子の誕生を待ち望んでいる彼らの笑顔に来夏は何度も助けられた。
「ただいま、帰りました!」
「ただいま〜っ、先生、いないの?」
来夏の声に続くように響く子供達の声が廊下にこだまする。顔を見合わせた来夏と子供達は首を傾げながらも部屋の奥へと歩き出す。

「お帰り下さい! 俺は知らないって言ってるじゃないですか!」
「・・・・・無責任ですよ、旦那様は本当に坊ちゃまの事を!」
「それが余計だって言ってる。 俺が帰らなくても家は潰れない、それにあの女の居る場所になんて俺は行きたくも・・・・・来夏、帰って?」
この村じゃあまり見られない上等な服を着た紳士に怒鳴っていた鷹夜がそっと部屋を覗きこむ来夏達に気づき笑みを向けてくる。
「鷹夜様!」
「帰れ! 俺は帰る気は全く無いと親父にも伝えろ!」
呼び止める紳士に辛辣な言葉を投げつけた鷹夜は来夏達の傍へと近寄ってくる。一人佇む紳士の姿が気になりはしたけれど、近づいて来た鷹夜に子供達が群がるから来夏はすぐにその光景から目を背け、本来向かう場所へと歩き出した。
「良いのですか?」
歩きながら窺う様に告げる来夏の声に鷹夜は笑みを浮かべただけで、その後の夕食の時にもその話題は出なかった。

油断大敵という言葉がある。ぼんやりしていたら敵に襲われるそんな意味のはずだけど、来夏がいない時にあれから何度も紳士が訪れていたのに気づいたのは偶然だった。
いつもの様に散歩と称して町を出歩いた来夏はいきなりの天気の変化に慌てて家へと戻った。怒鳴り声が玄関を開けてすぐに響き思わず足を止める。鷹夜は滅多に怒らない。彼の怒鳴り声を聞いたのは、あの日、訪問者が来た時以来、そっと玄関に入った来夏はゆっくりと声のする方へと向かう。
居間の扉の隙間から覗き込んだ来夏の目に映る、一目で上流の家柄の人だと分かる上質なスーツに身を包んだいつかの紳士。
「何度来ても同じだ、答えはひとつ! 何で良く知りもしない家の息子が結婚するのに出席する必要がある?」
「・・・・・それが家の付き合いという物でございます! お父上の名代として鷹夜様が出るのは当然です。」
「俺は嫌だと言ってる。 今更俺の代わりなんて他にもいるだろ?」
舌打ちして呟く鷹夜の呟きに男は何も答えなかった。来夏は気づかれない様にその場を離れると、辛そうな鷹夜の顔を思い出す。その顔は今は遠く離れてしまった息吹を思い出した。お腹が内側からびくり、と揺らされ、重いお腹を抱えた来夏は深呼吸を何度か繰り返すと、空を見上げた。


*****


「今日は遅くなるから、何かあったら隣りに行くんだ、良いね。」
「・・・・・はい。 鷹夜のそんな姿初めて見ました。 格好良いです!」
食事の用意を整えていた来夏は突然の背後からの言葉に振り向くと、眉を顰め呟く鷹夜の姿に目を細めると笑みを浮かべる。
普段は『医者』だと、誰もが分かる様にと着崩れた白衣を着込み、ぼさぼさの髪を整えもしない鷹夜が、今日は違う。まるで、あの頃、お屋敷で良く見る綺麗な衣装に身を包み髪をしっかり整え、使用人を蔑んだ目で見ていたいわゆる貴族様や、息吹に似ている。一目で高級だと分かるスーツに身を包み、ねくたいを締めた鷹夜は髪もしっかり整えている。
「・・・・・オレ的には窮屈で仕方無いよ。 父の名代の役目が済み次第帰ってはくるけれど、本当に、来夏一人残すのは心配だよ。」
もう、臨月間近の来夏の大きなお腹を眺め、眉を顰め呟く鷹夜に来夏は笑みを深くする。
「僕は、平気です。 元々、一人で産むはずだったのに、凄く世話になって感謝してるんです。 だから、鷹夜は鷹夜の都合を優先して下さい。」
「・・・・・相変わらず。」
困った様な残念な様な笑みを浮かべる鷹夜に来夏は首を傾げ疑問を口に出そうとしたその時、玄関の呼び鈴が鳴る。
「迎えが来たみたいだ。 行ってくる!」
「あ、はい。」
すたすたと、足早に出て行く鷹夜に来夏は慌てて見送る為について行く。玄関の前に止まっていたのは、これまた、この辺じゃちょっと珍しい立派な馬が繋がれて居る馬車だ。
玄関先で見送る来夏の前で鷹夜は開かれた馬車の中へと乗り込む。
すぐに走り出す馬車を見送った来夏は馬車が向かう先を暫く見ていたけれどすぐに中へと戻る。
真っ直ぐに村を出て行った馬車の向かった先がどこなのか鷹夜に聞けば良かったと思ったのはそれから暫く経ってからだった。

とあるお屋敷の坊ちゃんがとうとう結婚すると噂が流れ出したのはそれから数日後の事だった。
村中どこに居ても聞こえるその噂はすぐに来夏の耳のも届いた。
結婚式は確かに目出度いけれど、とあるお屋敷ではどこの坊ちゃんなのかも分からないまま、来夏はその噂を聞いた時、真っ先に息吹を思い出した。
逃げ出したというより追い出されたお屋敷は今住んでいる場所からは遠くも近くも無い微妙な位置だけれど、なぜか息吹である気がした。
屋敷で唯一の後継者である彼の結婚式ならさぞ盛大に開かれる、そんな気がしたし、結婚も有り得る話だった。
「村中、どこにいても凄い噂なんですけど、鷹夜は知ってますか?」
最近かなり重くなったお腹を抱えながらも、買い物に毎日出かける来夏の声に鷹夜は肩を竦める。
「知らないわけが無いだろ? 俺が出かけたのはそのお屋敷だからね。」
「・・・・・そう、だったんですか? じゃあ、お屋敷の坊ちゃんともお会いしたんですね」
「ああ。親の言いなりに生きている青年だったよ。 彼の結婚はこの辺では一番盛大になるだろうよ」
呆れた声で告げる鷹夜の声に来夏は気づかれない様に息を整える。
「どんな方、なんですか? お名前とか相手の方とか、お会いになったんですよね?」
聞かなきゃならない、確かめないといけない。必死に震えそうな体を抑え、噂話をより深く聞く好奇心旺盛な子供の様に問いかける来夏に鷹夜は顔を上げると笑みを向けてくる。
「来夏も噂話は気になるの?」
「ええ、もちろん。僕とは遠い世界の人ですから、余計に気になりますよ。どんな人達なんだろう、って。」
「・・・・・そうかな? 近いうちに結婚式が執り行われる。見たいなら来夏も一緒に行くかい?」
「良いんですか?」
「もちろん。結婚式なんて同伴者がいないと妙に肩身が狭くていけない。 一緒に行く相手が出来てこちらも助かるよ。」
にっこり、と笑みを向けてくる鷹夜に来夏は笑みを返す。結局坊ちゃんの名前は聞けなかったけれど、結婚式に出ればすぐに誰なのかも分かるし、もし息吹なら決定的に諦めがつく。そう思うと胸のつかえが少しは楽になった様で、だけど大きいお腹は来夏にずしり、と重みを与えている様だった。


*****


この日の為に、と鷹夜が用意したのはワンピースだった。大きいお腹でもすとん、と被るタイプだから着るのにも困らない。鷹夜が呼んでくれた女の人達に飾りつけと化粧を施された来夏は鏡に映る自分がまるで女の子に見えた。元々両性だからなのか、男と女両方の性を持ってはいるけれど、来夏の背はあまり高くないし、筋肉もつきにくかった。男として育っては来たけれど、外見的にはどことなく女性よりだ。それでも自分では男であるつもりでいた。子供が出来て育つ大きなお腹を見ても、来夏自身は男だと。鏡に映る自分は大きなお腹を抱えた女性そのものだ。整えられた髪、化粧を施された顔、眉を顰め、戸惑う瞳で鏡の中から見つめる自分の瞳から目を逸らした来夏はそっと溜息を零した。
「来夏! 支度は整ったようだね、なら、行こうか?」
扉をノックした鷹夜は鏡の前に立つ来夏に笑みを向けると手を伸ばしてくる。だからその手へと来夏は手を伸ばす。しっかり握ってくれる温もりに来夏は息をそっと吸い込むと促されるまま歩き出した。

見上げる程高い塔、豪華という言葉が似合う教会は隣りにある孤児院兼教会のあそことはまるで大違いだった。いつ崩れ落ちてもおかしく無い程建てつけの悪いドアを必死で直し、隙間風や雨漏りする壁を直しても直してもすぐに冷たい風は入り込み、雨が降る度にあの教会は雨漏りを繰り返す。
生活も切り詰めて、周りに冷たい目で見られても笑顔が絶えない子供達を思い出し来夏は足を止める。
「来夏、どうかした?」
先を進む鷹夜の声に顔を上げ、無言で頭を振る来夏は足を踏み出した。
生まれて初めて、使用人としてだけど参加した夜会に出ていた貴族達の服よりも少しだけ昼間だからなのか抑え目なそれでも高級な服に身を包む人達が来夏達の横を前を通り過ぎる。
本当に世界が違う、と内心思いながらも、迷いなく進む鷹夜の後を来夏は必死で着いて行く。
「鷹夜、どこへ?」
「まずは、花嫁と花婿に挨拶しないといけないからね。 来夏は後ろに控えているだけで良いよ。」
問いかけに淡々と答える鷹夜はしきりに首元を気にしている。結婚式もやっぱり家の名代だそうで、あまり参加したくないと直前まで呟いていたのを来夏は知っている。貴族の一人なのに、好きであの暮らしをしている鷹夜は珍しいのか周りの視線が後ろにいる来夏にまで突き刺さる。視線に気づいても顔を上げ真っ直ぐに歩いている鷹夜に来夏はここにいる貴族の人達とは違う雰囲気を感じる。

豪華な作りは外だけじゃなくて中もらしい。布張りの廊下を突き進んだ先に見えるのは豪華な扉。立ち止まりノックをする鷹夜の背をぼんやり眺めながら、来夏はそっと深呼吸を繰り返す。
花婿がもし息吹でも何も知らない人の様に出来る事を祈り。
息吹であるのなら来夏の中でしっかりとけじめがつけられる。重い扉がゆっくりと開かれるのを見つめながら来夏は息を呑む。些細な希望の欠片さえも打ち砕いてくれる結末はすぐそこに待っている。


タイトルが微妙に被らないのですが、とりあえず次回に続きます。
一人称では無いけれどそれっぽく見えるのはどうも書き方が悪いらしい。
いや、いつもの事なんですが;

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