ほんの少しで良いから夢を見ていたかった。 大それたその願い、それは無理だと分かっていたけれど、きっと叶えられないそれなのにほんの少しだけの期待を胸に抱いてしまったのはいつだってかけられる言葉が触れる手が、優しかったから。
「ご立派な後継者で本当に安泰ですわね。」
「全くですよ。 うちも見習わせたいです、本当に。」
「そんな、まだまだですわ。 あの人もまだ現役ですし。」
高らかな笑い声を挟みつつの表面上かなり穏やかな会話を聞きながら来夏(らいか)は歩く。一介の使用人の来夏には縁の無いこんな場所にいるのはここが来夏の働く場所だからで、会話の邪魔にならないようにそっと物を片付けたり運んだり、つまりは給仕をする事こそが来夏が行っている仕事だった。煌びやかな場所に募る方々はどの方も高貴なお生まれの方だから、くれぐれも失礼の無いようにしなさい、とこの会が始まる前に親方様には口を酸っぱくするほど言われたのを頭の隅に思い出しながら、来夏はまるでそこにいない者の様に静かに速やかに仕事を進める。
「ねぇ、冷たい飲み物をもらえるかしら?」
「はい、ただいま。」
かけられる声に振り向くと、頭を下げお盆の上にある飲み物を差し出すと、受け取ったソレを片手にドレスを翻し去って行く華奢な背を眺めそっと来夏は溜息を漏らした。給仕なんて、使用人といえどもここで働いてそろそろ半年は経つけれど来夏にとって貴族の集まりに参加するのは初めての事だ。まだまだ慣れない仕事は思ったより体に疲労感が押し寄せてくる。お盆片手に走り回ったおかげで足はパンパンに腫れている、だからそっと気づかれない様に溜息を零した来夏はそろそろ飲み物を補充しようと静かに会場を抜け出した。
見覚えある後姿に胸の奥がどくり、と跳ねる。酒に酔ったのか、人に酔ったのか分からないけれど、この屋敷の唯一の跡取りである坊ちゃん、息吹(いぶき)の姿を見かけ、来夏は思わず足を止める。
「あれ? 来夏。 仕事中?」
足音で気づいたのか、問いかけるその声はいつもと変わらない平淡な声で来夏は口を開く事も忘れただこくり、と頷くと、見慣れない燕尾服を着た息吹が手招きする方へとふらふらと歩き出す。
「少しだけ、曲がってるよ。 忙しい?」
「・・・・・すいません。 大丈夫です、ただ慣れていないだけですから・・・・・」
「そう? ねぇ、俺にも何か頂戴?」
「今すぐお持ちします! すぐに来ますので・・・・・」
お盆の上には温くなった飲み物しかないから、言葉少なく頭を下げ踵を向けるのと同時に「来夏!」と名を呼び止められる。 「・・・・・坊ちゃま?」
「これで良いよ。 ほら、こっち、来夏も少し休んで。」
振り向き首を傾げる来夏の手の上に載るお盆の上から温くなった飲み物を手に取ると息吹は空いた最後のカップを飲まれ空になったお盆を手に戸惑う来夏の手を引き、喧騒から逃れる様に外の扉を開く。
「坊ちゃま! すぐに冷たい飲み物をお持ちしますから、それに涼むならお一人では・・・・・」
「これで良いって言ってるだろ。 来夏がいるんだし、少しなら平気だろ。」
言いながら、カップをぐいっ、と一気に煽る息吹は来夏の手を引くその手に少しだけ力をこめるとそのまま外へと足を踏み出す。煌びやかな中とは違うけれど、月の光と僅かなライトアップをされた庭にある東屋へと歩き出した息吹に気づかれない様に来夏は微かな溜息を零すと引かれる手をそのまま後を追うように歩き出す。
*****
「・・・・・っ、だめ、です・・・・・」
「黙って! 静かにしていないと、誰か来るかもよ?」
ひっそり、と来夏の耳元で囁きながらも息吹の手は下肢へと伸ばされ、拒む来夏を押さえつけ的確に弄りだす。抵抗らしい抵抗もできないまま長椅子の上に仰向けになる来夏の上に息吹は体重をかけてくる。そうして、下肢を弄る手はそのままに顔を寄せてくる息吹に来夏は瞳を閉じる。息吹は坊ちゃまで後継者、だからいけない事だと分かっているのに、誘われれば断れない。来夏の体を弄る息吹はきっちり着込んだ服をするすると簡単に脱がすと素肌へと手を舌を這わせて来る。生温い舌が胸の粒をちゅっ、と咥えるだけで体はびくびくと震える。そんな体に変えられたのは初めてお会いした時から数日は後の事。いけない、と分かっていたから必死で抵抗したのに、息吹は来夏をを抑えつけると一線を難なく越えてきた。あの日、きちんと断ればこんな事にはならなかったのに、と後悔も少しだけあるのに、それよりも息吹に触れられるのが気持ちが良いと体中に教え込まれた。堅く熱い息吹が来夏の中へと入ってくる。ぐちゅり、と卑猥な水音がして、誰にも気づかれない様にと必死に唇を噛み締める来夏に顔を近づけた息吹がすぐに唇を塞いでくれる。舌を合わせ絡め、上も下もぴったり、と重なり合う。ベッドで行う秘め事よりも、もっと大胆な場所だというのに、二人は深く繋がり熱を交わした。誰かに見られたら何をしているのか丸分かりの夜空の下、息吹の熱を体の奥に受け止めた来夏はぎゅっ、と強く抱きしめられた腕の中、自らの欲望をも果てるのを感じた。
「・・・・・いか、来夏、起きて!」
耳元へと囁かれ、ぼんやり、と開けた目の先にいた息吹の姿に慌てて起きあがろうとした来夏は痛みに微かに呻く。
「ごめん、来夏。 背中も痛いだろ? 仕事は良いから、部屋に帰ろう。」
微かに笑みを浮かべた顔で覗き込んだ息吹が柔らかいキスを目元に降らせながら告げるから来夏は痛みを堪えて再び起きあがろうとする。そんな来夏に手を貸しながらも抱き込む手を離さない息吹を窺う様に見上げると柔らかな笑みを返される。
「だめ、です。 僕、まだ仕事の途中です、だから・・・・・」
「・・・・・来夏、俺が良いと言ってる。 まともに立てないのに無理は禁物だよ・・・・・ほら、おいで!」
ふるふる、と首を振り、自力で立ち上がろうとする来夏を腕の中に抱き込んだ息吹は微かに拒む来夏の体を軽々と抱き上げる。そのまま歩き出す息吹はふるふると震える来夏の体を一度立ち止まり、顔を寄せると抱き上げる手に力を籠める。そしてまたすたすたと歩き出した。
夜の庭園を抜け、光に溢れる会場から外れ、見慣れた部屋のベッドの上へと来夏はそっと降ろされる。柔らかな感触のベッドの上、困った顔を向けまだ起き上がろうとする来夏の前、息吹は乱れた服をさっさと脱ぎ始めた。
「・・・・・息吹様?」
「俺がいなくても困らないよ。 大丈夫、安心して。」
薄手のシャツを羽織ったまま息吹はベッドの端へと腰を下ろすと来夏へと顔を近づけてくる。 ぱさり、と額にかかる息吹の髪に微かに目を細める来夏にそっと触れてくる温もりは目元から頬へ、頬から唇へと移動する。温もりに細めた目を閉じる来夏に息吹は更に身を寄せてくる。微かに聞こえてくる階下の音楽は遠い。静かな部屋の中、身を寄せてくる息吹に来夏はおそるおそる震える手を伸ばす。そっと回した腕をそのまま何度も軽く触れ合う唇はどんどん深く変わっていく。同時に一度は直した服をも再度乱され、息吹の手が素肌へと伸ばされる。 何度目になるのか両手、両足を合わせても足りない程の数の夜を来夏は息吹と過ごした。だけど、どんなに触れられても、決して溺れるなと頭のどこかで声が囁くのが消えない。世界が違う人だと分かっている。来夏と息吹の世界はまるで正反対だ。衣食住、全てが万全の息吹、ここを首になってしまえば、生きていく事すら難しい使用人の来夏。立場はわきまえている、いつだってそのはずだった。
「・・・・・あっん、だめ・・・・・だめっ、です・・・・・息吹様!」
肌を撫で、唇を伝わせる息吹にびくびく、と体を震わせながら来夏は擦れた声を零す。だけど、その声が届かないのか、無視されているのか、すぐに一糸纏わぬ姿にされた来夏の上にいつの間に全てを脱いだのか素肌を晒した息吹は性急に覆い被さってくる。
「来夏、来夏!」
耳元で何度も名前を呼ばれながらも肌を伝う手は忙しなく動く。切なく甘いその声に来夏は零れそうになる声を唇を噛み締める事で堪える。そんな来夏を抱きしめ何度も名前を呼ぶ息吹が来夏の奥へと手を伸ばしてくる。
「・・・・・あの、そこは・・・・・」
「良いだろ? 今日はここも可愛がるつもりでここに連れてきた。 平気だよ、来夏。 誰もここには来ない!」
更に戸惑い瞳を揺らす来夏の声に息吹は顔を寄せるとキスをしながら告げてくる。駄々をこねる子供に言い聞かせる様にゆっくり、と話しながらも息吹の指は慣れた手つきで奥を探り、くちゅり、と卑猥な水音が聞こえるまで体を慣らす。だけど熱が体を突き刺すのを感じるその時が来ても心のどこか隅にある躊躇いが消せないまま来夏は唇を噛み締め声を殺した。
*****
現実は残酷だと幼い頃来夏の母は何度も来夏を含む自分の子供達に言い聞かせた。働いても働いても楽にならない暮らしに疲れきった母は毎日毎日、酒を飲んでは暴力を奮う父に大人しく従い身を粉にして働き子供の面倒を見る自分の生活にとうとう嫌気がさしたのか、ある朝、突然家からいなくなっていた。母がいなくなって、来夏を含む兄弟達はまともに子供の世話すら出来ない父に売られた。金を得る為に自分の生活の為に、父は子供達を簡単に切り捨てた。地獄の日々はここに来るまで散々味わった。大きな屋敷に勤められ、食べる物にも着る物にも寝る場所にも困らないそんな生活を来夏はここで初めて送れた。これからも平穏な生活は続いていく、そのはずだった。
「汚らわしい! ただの使用人のくせに息吹様を誘惑するなんて!」
「・・・・・今すぐに出て行きなさい! あなたはこの家には相応しくないわ!」
金切り声の罵声を投げつけた彼らは冬空の下へと来夏を追い出した。身一つで追い出された外で来夏はくしゃみを一つ零すとそのままお屋敷から離れる為に歩き出した。文無し、宿無しの来夏には今日を凌げる場所を探す方が優先だった。見上げた空は薄暗く来夏が吐き出す息は白い。言い訳も聞いてもらえなかった職場を振り返る事なく来夏は歩き出した。追い出された今日、息吹がいなくて良かったとただそれだけを思った。知られれば許されない。それだけの大罪を来夏は犯したらしかった。雨風を凌げるそれだけで良かったから、誰も住んでいない空き家を見つけられた来夏は幸福だった。誰も足を踏み入れていないのか、埃だらけのその場所はそれでも今の来夏には有り難い場所だった。部屋と辛うじて呼べる瓦礫の山の隅に座り、ひび割れた壁の隙間から外を覗く。薄暗い空から降り出した白いものが視界を覆い、何も見えない。ごーごーと唸る風の音、身を包むものすら持っていない来夏は部屋の隅、小さく蹲り、この先どうすれば良いのかをそっと考えた。
「大好きだよ、来夏。 だから、君の願いは俺が何でも叶えてあげたいのに。」 笑を浮かべながら抱き寄せ呟く息吹を思い出し、来夏は微かに頭を振る。何もいらなかったから、今のまま、仕事があって生きていられる、それだけで良かったから来夏は何も言わなかった。そんな来夏を覗き込んだ息吹は更に抱きしめる腕をと良くしながら、そっとキスをしてくる。 来夏はただの使用人で息吹はご主人様。ずっと言い聞かせていたから、息吹の願う事は何ひとつ出来なかった。同じ様に告げる事を望んでくる息吹に来夏は何も返せなかった。そうして、いつかただの使用人だと見てくれるその時が来るのだけを待っていた。 息吹は大きなお屋敷の跡取り息子、いずれは妻を娶り次代を残す事、それが彼の為すべき事だから、いつまでも来夏に構ってはいられない、そう信じていたから、同じ気持ちを返せなかった。本当は大好きでずっと傍にいてくれる事を望んでいた。無理だと諦めていた心のどこかで息吹に必要として欲しい気持ちがあった。 小さく蹲りながら、もう二度と触れる事の出来ない温もりを何度も思い出し来夏は微かに笑みを浮かべるとそっとお腹を抑える。もう、会ってはいけない人だけど、会えないけれど、思い出をくれたし、勿体無いほどの愛情をくれた息吹。お幸せに、そっと呟く来夏の目からはぽろり、と生暖かい液体が零れ落ちた。
埃くさい薄暗い部屋の中にいたはずなのに、目を開いた来夏はふかふかのベッドの上に寝かされる自分の姿に慌てて飛び起きる。
「まだ、寝てないと。 かなり冷え切って衰弱していたから、体の調子も悪いだろ?」
いきなり届いた声に来夏は声のした方へと顔を向ける。穏やかな笑みを浮かべ近づいてくるその人は知らない人だった。
「・・・・・あの・・・・・」
「僕は医者だよ、運ばれた事も覚えていない? 廃屋で横になっている君を見つけた子供達がここに連れてきたんだよ。」
「子供達? 僕、ただ、あそこに寝てただけで・・・・・」
「・・・・・寝てただけ? 君は酷い高熱で運び込まれた。 もう少し遅かったら手遅れになるとこだった。君もその子も。」
医者だと名乗る彼の真剣な声に来夏は無意識に手を当てていたお腹を眺める。ぺったんこのお腹には何の膨らみすら見当たらない。なのに気づかれてしまったのだと俯く来夏はお腹に当てていた手をぎゅっと握り締める。
「月の子を孕ませるのは大罪だ。 しかも身ごもらせて捨てるなんて、相手は誰なのか聞いても?」
「・・・・・言わなかったから知らないんです! それに知られたくないから僕は逃げたんです。 彼は悪くない・・・・・」
淡々と呟くその声に頭を振り来夏は俯いていた顔を上げるとただ叫ぶ。月の子、来夏はそう言われる性別の持ち主だそうだ。それを最初に言われたのはお屋敷に勤め、息吹にお会いしてから、彼の口から聞いた。
「月の子だったなんて、来夏、今すぐ申請を・・・・・」
全てを脱いだ来夏の姿を見て、呆然と呟く息吹の言葉を来夏は頭を振り拒絶した。『月の子』それは遠い御伽噺に出てくる話で、まさか自分がそうだなんて来夏は知らなかった。純潔を求められ、月の神殿で祈る神子になる子供達。条件は一つだけ。それは「ふたなり」である事。そう来夏は男でも女でもある両方の性を持ち生まれた。それこそが『月の子』である条件だったのだ。 申請をすれば神殿から出る事は一生出来ない。だから、あの時来夏は息吹の傍にいたくて、拒否をした。そんな来夏に強く行けと言う事もなくなった息吹は周りにばれない様に尽力してくれたし、二人で居る時はまるで女の子の様に来夏を大切に扱ってくれたのだと今なら分かる。そんな彼の思い出はもうこの子しかいない。だから守る為にも息吹に気づかれる前にあそこから出ないといけなかった。
「僕の大好きな人のたった一つの証なんです。 無事で良かった・・・・・」
ほっとした声で呟くとお腹を撫でる来夏に医者は「今は何も考えないで、とにかく休みなさい」そう告げてきた。頷いた来夏は促されるまま、ベッドの上、もう一度横になると布団をかけられ、眠気に誘われるままゆっくり、と目を閉じた。
一人称で書く予定だったので所々微妙です。 両性もの初なのに早速妊娠してる子、書いてしまいました; どうぞ宜しくお願いします。
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