仕事を本格的に「仕事」と捉えだしたのは、中学の時だった。 修学旅行なんて、中学最後の一番の思い出なのに、仕事が入ってキャンセルしなきゃいけなくなったその時、自分はもう普通の子供じゃないのだと知った。 桝田櫂、仕事は俳優で芸能人と呼ばれる職業。最近は頻繁に仕事が入るようになり、自由な時間すらなくなった。 寝る間も惜しんで仕事して、食事の時間も睡眠の時間も削り仕事を入れた結果、恋人に振られた。 しかも、会う約束すら満足に叶えられずにいた矢先の出来事で、何とか連絡する時間が欲しかった。 なのに、連続して休み無く入る仕事にそんな時間すら取れ無いまま今に至る。 もう一度やり直したいと言いたいのに、そんな時間すら取れない櫂の今の願いは「休みが欲しい」それだけだった。
「ちょっと、君!・・・・・大丈夫かい?」
横たわっている青年に必死に声をかけるスタッフの姿に先を行く俳優達がだらだらと歩きながら、「あれって、演技?」「うちらより、上手くない?」と軽々しく話しているのを聞きながら櫂は顔を上げる。
「すいません!!僕の友達です、何か体の調子悪いみたいで、成、成!!」
凄い勢いで走ってきた倒れている青年の友人は息を切らしながらそう告げると青年の名を叫ぶ。 櫂はその光景にもう一度倒れている青年を見るけれど被っていた帽子のせいで顔の判別すら出来ず、躊躇いつつも走りだしていた。
「ミネさん!・・・・・倒れてる子って・・・・・」
「桝田君、ごめん、向こうに・・・・・・桝田君?」
「・・・・・成?」
呆然と呟く櫂に友人に縋りついていた彼が顔を上げる。不審そうな目を向ける彼に構わずに櫂は倒れた成の傍へと近寄ると額へと手を当てる。
「熱、少し高いかも。・・・・・運ぶから退けて!」
有無を言わせず友人を退けると、櫂は成を抱き上げ、そのまま元来た道を戻りだす。
「あの、待って!成をどこに?」
「室内!あのまま置いとけないだろ?」
「・・・・・あの、でも・・・・・」
「心配なら着いてくれば?」
躊躇う様な声で問いかけだす友人の言葉にやっと足を止めた櫂は振り向きそれだけ告げると足早にまた歩き出した。 ざわざわと騒ぎだしたスタッフも俳優仲間もギャラリーも無視して歩く櫂の後を友人はそれでも着いてくる。
「櫂君、いったいどうしたの?」
人を抱え中へと戻って来た櫂に慌てた声で問いかけながら自分のマネージャー野木(のぎ)が走り寄ってくる。
「理由は後!・・・・・野木さん、冷やせるもの何か無い?」
「え?・・・・・ああ、水とタオル用意してもらうよ!」
答えるのも惜しい、と態度で示し、告げる櫂に野木は慌てた様に頷くと走り去る。そうして、すぐに洗面器に水とタオルを入れて文字通り飛ぶように戻って来た。 ベッドの上にそっと成を置き、甲斐甲斐しく世話をした後、櫂はやっと立ち尽くした成の友人と呆然としている野木へと目を向けた。
「ごめん、野木さん・・・・・仕事の方どうなってるのか聞いてきて!」
「わかったよ、櫂君、その子、知り合い?」
「他人の面倒見るほど俺は人間、出来てないよ。」
その言葉に頷くと野木はさっさと室内を出て行き、残された成の友人は立ち尽くしたまま、黙って櫂を見ていた。
「初めまして、俺、桝田櫂です。ご挨拶が遅れましたが、成とは高校からの友人です。」
やっと、顔を上げ、頭を下げる櫂に友人の方も驚いた顔のまま頭を下げる。
「俺、世良史人です。成とは大学で知り合いました。」
「大学?・・・・・じゃあ、大学の仲間と?」
「いえ、バイト先も一緒なので、今回はバイト先の仲間との遊びで。」
「そう、ですか。」
きっと大学の友達だから、成と同い年だろう、自分とも同い年だと何となく分かるのに、櫂は他人行儀のそつのない言葉使いを直せない。大学の事なんて、思えば成には一度も聞かなかった。 どんな事に興味あるのか、今は何が楽しいのか、一度も聞けないまま別れはあっさりとメールで告げられた。 誰もいない待ち合わせの場所、もう居るはずのない恋人を探す櫂のポケットの中鳴り響いた携帯は残酷な言葉を映し出していた。
*****
「成?・・・・・良かった、気がついた。」
「・・・・・史人?・・・・・俺、どうして・・・・・・」
まだ意識は完全じゃないのか、見慣れない天井をぼんやり、と見つめた成は彷徨う視線の先に立つ櫂にやっと気づく。
「・・・・・どうして・・・・・」
「桝田さんがベッドを提供してくれたんだよ。成をあのまま置いとくわけいかないって。」
小さな成の呟きを聞いた史人が笑みを向け答えるのを黙って聞いている成は櫂から視線を逸らすと史人へと微かな笑みを向ける。 「・・・・・ありがとう、ございました。あの、じゃあ、僕はこれで・・・・・」
軽く頭を下げるとそのまま起き上がろうとするから櫂は慌てて手を伸ばした。案の定ふらついた成は申し訳ないような顔で櫂を見上げるが何も言わずにすぐに顔を逸らした。
「成!平気?」
「・・・・・大丈夫、ですから・・・・・すいません、離して・・・・・」
戸惑う小さな声に櫂はふらつく体を抑えながら、ゆっくりと成を立たせる。櫂に手を借りるのも申し訳ないのか他人行儀な態度で何度も小さな声で「すいません」と呟く成の声がやけに耳に響く。
「良かったら、送るけど?」
「・・・・・大丈夫、です。僕は歩けるし、もう平気ですから。本当にすいませんでした。」
素早く櫂から離れた成は首を振り笑みを向けると、おぼつかない足取りで友人の彼の元へと近づく。二人、小声で話しだし、揃って櫂へと顔を向けるともう一度頭を下げ、そのままドアへと歩いて行く。そんな二人を呼び止めようと櫂が口を開きかけたその時、ドアは外側から乱暴に開かれた。
「・・・・・っと、ごめん!えっと・・・・・君、平気?」
入って来た野木はドアの前の二人に気づくと、櫂が運び込んだ成に目ざとく気づき、微かに首を傾げ笑みを向け問いかける。
「あ、はい。・・・・・すいません、ご迷惑をおかけしました。もう、平気ですから、失礼しました。」
恐縮したままこくこくと頷き答える成に野木は「そう。」と呟き、二人の為にドアを大きく開くと端に寄る。
「野木さん!・・・・・俺、送ってあげたいんだけど、ダメかな?」
櫂の言葉に驚いた顔で成が振り向いてくる。構わずに野木に近寄ると、櫂は「ダメ?」と尚も問いかける。
「構わない、けど・・・・・ああ、櫂君の知り合いだもんね。心配だよね。」
「・・・・・撮影の方は?」
「うん。・・・・・結構あれから天候が崩れてきてね。一応、ほとんど終わってるから、後は日を改めようって話になっているみたいなんだ。」
「なら、このまま帰って良い?」
「構わないよ。」
野木の言葉に櫂は笑みを向けるとそのまま呆然と会話を聞いていた二人の方へと顔を向ける。
「そんなわけだから、やっぱり送るよ。・・・・・帰るだけ、だろ?」
笑みを浮かべたまま近づいて来る櫂に成は目を伏せ、隣りに立つ友人が「ありがとうございます!」と頭を下げてくる。
野木は後始末があるから先に帰って良いよ、と残り、羨望の眼差しに見送られた成と友人が手持ちの荷物を片手に車の前で待つ櫂の元へと近づいて来る。
「わざわざすいませんでした。」
車に乗り込む前に呟く成に続き友人も後部座席へと揃って座ったのを確認した櫂は自分も運転席へと座りこむとエンジンをかけた。 「どこらへんに降ろせばいいかな?・・・・・成の自宅は分かるけど、近いの?」
「いえ、俺は隣りの市なんで、駅で降ろしてくれれば、電車で帰れますから。」
「いいよ、俺が送るって言ったんだから、責任持って送るよ?」
櫂の言葉に友人である史人は恐縮しながらも素直に自宅の近辺を告げてくる。櫂と史人が話している間も、その後、自宅付近で史人を降ろし二人きりになっても成は一言も話そうとはしなかった。 狭い車内に重い沈黙が続き、櫂はその静けさに耐えきれずに、小さくしていたはずのラジオのボリュームを上げる。 流れてきたあまりに不釣合いな激しい曲が沈黙をますます重くしていく。
「ありがとうございました。・・・・・失礼、します。」
自宅のアパートの横に車を横付けして、初めて成は口を開く。ドアへと手をかけ今にも降りそうな成に櫂は慌てて「成!」と声をかける。
「・・・・・何でしょうか?」
「話がしたいんだ。少しで良いから、時間を貰えないか?」
「・・・・・今、ですか?」
眉を顰め問いかける声に櫂は顔だけじゃなく体をも成の方へと向けると「すぐに終わるから!」と尚も言い募る。
「話す事なんて、僕にはありませんけど?」
困った様な声で呟く成を真っ直ぐに見つめる櫂の視線に溜息を漏らした成は座席へと座り直した。
「すぐ、終わるんですよね?」
「ああ。・・・・・メール、メール読んだよ。」
「そう、ですか。」
「あのさ、友達に戻るって、俺と別れたいって事?」
問いかけにこくり、と頷くだけで、成は俯いたまま顔も上げようとしない。それでも櫂は彼を見つめたまま息を吸い込む。
「・・・・・まともに会えないから?」
「それだけ、じゃないです。・・・・・・・・・から・・・・・・」
流れるラジオのボリュームのせいで小さな成の声は聞きとりにくく櫂はラジオのボリュームを下げる。
「ごめん!・・・・・聞こえなくて、もう一度言ってくれるか?」
もう一度成へと体を向けると、手を合わせ頭を下げる櫂に成は少しだけ顔を上げる。
「・・・・・友達に戻りたいんです、僕等は、生活のリズムが違う・・・・・住んでる世界が違うから。」
「住んでる、世界って・・・・・」
「芸能人との付き合いはやっぱり僕には無理だから、無理だと分かったから、だから。」
仕事と重なり修学旅行に行けなかった自分を櫂は突然思いだした。 あの日、もう普通の子供ではいられないんだと自覚したあの日を突然思い出し櫂は掴んでいた座席の端を強く握り締める。
「俺が芸能人だから付き合えないって事?」
「・・・・・ごめん、知ってて頷いたのに、勝手でごめん、なさい。だけど・・・・・」
呆然と呟く櫂の言葉を否定する事なく成は頭を下げてくる。小さく呟く声に櫂は握り締めた手に力をこめながらも深く息を吸い込む。
*****
「・・・・・分かったから、もう良いよ・・・・・」
頭の芯がひんやりと冷えていくのを感じながら櫂は呟く。思ったよりも低く冷たい自分の声に内心少しだけ驚きながらも頭を下げたままの成を見つめる。
「・・・・・・櫂?」
「友達、だっけ?ソレになるから、もう降りて良いよ。」
戸惑う顔で見上げてくる成に櫂は笑みを返す。ちゃんと自分が笑えているのか自身は無かったけれど、見つめてくる成の顔が歪んだりはしていないから、自分はちゃんと笑みを浮かべているのだろう。
「あの、送ってくれて、ありがとうございました。」
礼儀正しく頭を下げ呟き、成は自分の荷物を手にするとドアへと手をかける。
「・・・・・あのさ、メルアドとか俺のアドレス残ってたら消しといてよ。・・・・・もう、残ってるわけないだろうけど・・・・・」
「分かりました。」
「早く降りて。・・・・・あまり、ここに車止めて置けないから・・・・・」
「・・・・・すいません、失礼しました。」
再度頭を下げると慌ててドアを開け成は車を降りるとドアを閉める。 車の外でもう一度頭を下げると荷物片手に振り向く事なく歩き出す背を思わず見つめていた櫂は慌ててハンドルへと手をかける。 アクセルを踏み込むと一気に離れて行く見慣れたアパートから遠ざかる車。まだ未練たらしく思っていたのは自分だけなんだと深く思い知らされた何の躊躇いも見せずに歩き出す後姿が頭に強く残る。 目の前に映る赤信号で止めた車の中、櫂は唇を噛み締める。 世界が違うなんて知っていたはずなのに、それでも照れくさそうに告白に頷き笑みを浮かべてくれた顔が頭の中に唐突に浮かんでくる。このままただの「友達」になんて戻れないのは櫂が一番良く分かっていた。 もう一度、そんな言葉が頭の中を駆け巡り、櫂は対向車が来ない事を確認するとハンドルを切り直す。 恋を終わらせたくない、それだけが櫂の中を占めていた。
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