時間は容赦なくかつ平等に誰の上にも進んでいく。 遊佐成(ゆうさなる)は大きな溜息を零すと携帯を取り出した。 時刻は午後9時にもうすぐなろうとしている。 待ち合わせは成の記憶が間違っていなければ、午後8時のはずだったのに待ち人の姿は待てど暮らせど見る影すらない。 もうすぐ暑い夏が来るといっても、まだまだ夜は寒いのに、特に今日は冷たい風が肌にあたり堪えきれずに立ち上がり身震いをした成はネオンで昼間の様に明るい道をとぼとぼと歩き出した。
成の恋人である桝田櫂(ますだかい)は芸能人だ。 といっても、成はテレビも雑誌もあまり興味ないので櫂がどれだけ人気なのかは知らない。 お気楽な大学生で時間が余りまくっている成、高校卒業と同時に芸能界の仕事を本格的に始めたせいか時間に追われている櫂、本当ならそこでフェードアウトしてしまう関係だったはずなのに、何とか時間を合わせ互いに今の今まで一緒にいた。 だけど、もう無理なんじゃないかと成は歩きながらここ最近ずっと思っていた事を思う。 「恋愛」している実感すら最近薄くなっている。バイトや勉強が楽しい、友達と遊んでいる時は櫂の事なんて思い出さない。付き合う二人が今は一番遠い気がしてならなかった。 だから、今日会えたら言うはずだった。 「友達に戻ろう」 そのたった一言すら会って言えない櫂の顔を思い浮かべた成は携帯を取り出す。 別に会わなくても別れ話なんてメール一本で事足りる。だけど、最後に一度で良いから二人きりでいたかったのにと思いながらも成は手早くメールを作成する。 《もう疲れた・・・・・友達に戻ろう N》 件名も付けずに送信すると成は櫂のアドレスを削除する。 もう必要ないし、いらないものだから、一人でいると思い出す櫂の顔をまた脳裏に浮かべた成は頭を振ると歩く速度を速めた。
連絡も来なければ、その後櫂からは何のアクションすらなく日はますます高く、気温も上昇しているにも関わらず成のテンションはどんどん低くなっていた。
「何だよ、お前、日増しに暗くなってねーか?」
「・・・・・気のせいだよ。」
「いや、低くなってるだろ!・・・・・元々影薄いけど、更に薄くなってんぞ?」
曖昧な笑みを浮かべ答える成にバイト先の仲間はぼんぼんと辛辣な言葉をぶつけてくる。
「・・・・・それ、俺の事貶してる?」
「いや、一応心配してるけど、何で?」
流石にかちんときた成が足を止め問いかける言葉に目の前の彼はきょとんとした顔をしながら呟く。 大きな溜息を漏らすと、自分のロッカーへと何も言わずに向かう成に一人残された彼は眉を顰めたまま首を傾げた。
*****
鏡に映る、青白い顔を見ると成は溜息を零す。 夏なのに、だからなのか、食欲もめっきり落ちて、実は体重もかなり減った。おかげで、元々細かった体は更に貧弱になり、どうにかしないと、とは思っていた。 夏休みに既に入ったのにバイトだけで何の予定も無い自分にもかなりうんざりしながら成はまた大きな溜息を零した。
「ちゃんと食べてる?・・・・・顔色、最近とくに悪いよ?」
眉を顰め問いかけてきたのは、このバイトを紹介してくれた友人、世良史人(せらふみと)だった。史人の顔を鏡越しに見た成は振り向くと思わず勢い良く抱きついていた。
「あっ、ちょっ・・・・・成?」
そのまま放されない様にしがみつく成に史人は困った様な声を上げたけれど、突き放す事はしなかった。 背をゆっくり、と撫でてくれる温かい手に成は弱くなりそうな涙腺を目を閉じ我慢したけれど、堪えきれずにとうとう嗚咽を漏らした。
「少しは落ち着いた?」
「・・・・・ごめん、いきなり」
暫くしてからやっと離れた成を休憩室の椅子に座らせた史人は目の前に飲み物を置きながら笑みを返すと頭を振る。 出された飲み物へとそっと手を伸ばした成はソレを一口飲み込む。喉の奥にすんなりと通っていく冷たいお茶にほっと息を吐いた成は目の前に立ったままの史人へとやっと顔を向けた。
「恋人と別れたんだ。・・・・・こっちから一方的に、だけど・・・・・なのに、何のリアクションも無くて、それがショックで、さ。」
「・・・・・驚いた、恋人いたんだ。知らなかった、よ。」
「一応、ね。でも、ほとんど消滅に近かったから・・・・・」
「ちゃんと会って話してみれば?・・・・・すれ違いだけなら、まだ戻れるかもよ?」
「いや、もう無理だろ。会う機会さえ取れなかったし、連絡先も消しちゃったし・・・・・」
ぼそぼそと話す、成に史人は肩を竦める。そんな彼に笑みを向けると、成は口を開いた。
「明日から、頑張るから。バイト楽しいし、本当にすぐ忘れるから。」
心配かけてごめん、と謝る成の言っている傍から、今にも泣きそうな笑みに史人は何も言えずに笑みを返した。
くるくる、と動き回り笑みを浮かべ接客する成にバイト先の仲間はやっと元気を取り戻したと口々に声をかけてきたから、成はそのどれにも笑顔で謝ると仕事へと励んだ。 そうすれば、いつか忘れる、今でも思い出す度に辛くなるけれど、食欲だって戻って来たし、自分は大丈夫だと成は内心気合いの拳を握り締める。
「・・・・・今にも、折れそうなんだけど、理由ちゃんと聞いた?」
「聞きましたけど、深くは。」
「最近、成ちゃん、一生懸命なのがひしひしと伝わって痛いんだけど?」
「良く見てますね。・・・・・でも、俺も同感なんで、何とかしてあげたいんですけどね。」
笑顔を振り撒く成の姿を見ながら呟く男に史人は肩を疎めるとぼそり、と答える。傍から見ていて、あの笑顔が曲者だと気づいた隣りの男に内心感心していたけれど、顔に出す事はしなかった。 そんな影でひっそり、とされた会話なんて気づかない成はただひたすら笑顔を振り撒きバイトに精を出していた。
*****
「遊びですか?・・・・・でも、バイト・・・・・」
「一日ぐらい遊ばないか?・・・・・ほら、店休みだろ、その日。」
「行こうよ、俺も行くし、バイト仲間で遊ぶのも久々だろ?」
史人の声に成は目の前の男を眺めながら、こくり、と頷いた。 バイトを始めた当初から、古株だからなのか、色々口うるさく成に言ってきた目の前の男はそれなりに人望も厚いらしく、バイト達のリーダー的存在でもあった。 頷く成に笑みを向ける男は集まりだしたバイト達にも声をかけだした。
ジリジリと照りつける太陽の下、笑い声があちこちから聞こえる。 帽子を目深に被った成はその光景をぼんやり眺めると、緑の隙間から零れる日に少しだけ目を細めた。
「成ーーっ!食べないと無くなるよ!」
背後からの声に振り向くと、バーベキューをしている集団から史人が肉を箸で摘みながら叫んでいるから、苦笑を浮かべた成は史人へと走り寄る。
「・・・・・結構、買ってなかった?」
「これだけの人数ならすぐだよ。ほら、箸と皿!早く食べないと、無くなる!!」
「うん、ありがと。」
強引に箸と皿を手渡され、史人は次から次へと肉やら野菜を成の持つ皿へと放り込んでいくから、成は少しだけ焦げ目のついた野菜や硬くなった肉を渡されるまま、口へと運んでいく。
「あっちに湖あるって、行く?」
「うん!」
食べながら告げてくる史人に笑みを返すと成は大きく頷いた。 自然に囲まれた場所で食べる肉や野菜はいつもよりも楽しく、予想以上に食べた成はその後、食べ過ぎて膨れたお腹を抱え湖への道を史人と二人進んでいった。
「結構、大きくないか?・・・・・しかも、泳げそう。」
湖を眺め呟く史人に成はただ頷くと辺りを見回した。予想以上に広い湖を覆う一面の木々。環境保護はされているのか、所々に注意を促す看板はあるけれど、一歩離れた場所の賑やかさとは打って変わって、ここはとても静かだった。
「綺麗だよね。」
「本当だよ。どう、来て良かった?」
「うん。何か、心が洗われる感じがした。ありがとう。」
「お礼なら、俺より、あっちに言えば?計画したのあの人だし。」
「・・・・・わかった。」
少し苦手なバイトの先輩を思い出し眉を顰める成に史人は何も言わずに笑いだした。
*****
「お前ら、こんなとこにいたんだ。」
噂をすれば、現れた先輩に顔を見合わせ笑いだした成と史人に怪訝な顔をしたけれど彼は咳払いをすると口を開いた。
「向こうで何かの撮影してるみたいだから、見に行かないか?」
「撮影って、ドラマか何かですか?」
「俺は何かのって言っただろ?」
「・・・・・そうでした。どうする、成・・・・・行く?」
「ああ、うん。」
即席の漫才もどきの後、振り向く史人に成は曖昧に頷くと、先に歩き出した史人と先輩の後に続き歩き出した。 鳴らない携帯を何度も眺めては溜息を吐く日々から逃れたくて、バイトに精を出した。 自分から切り出した別れなのに、一人思い
出す度に後悔する、そんな毎日からもがきだそうと必死だった自分。 友人に心配され、バイト先の仲間にまで心配されるほど迷惑かけていた、笑えない、泣きそうだったそんな毎日が少しづつ日常に紛れ薄れていくのを感じていたのに、目の前に映る光景を眺めた成は泣きそうな自分に気づき一人唇を噛み締める。
先輩に連れられて来た撮影が行われているという場所はバーベキューをしていた所からそう離れていないログハウスだった。 キャンプ場としても有名なこの場所には、テントを張る事もログハウスをレンタルする事もできる自然に囲まれた地元では少し有名な場所だった。
「ほら、あいつ・・・・・何て言ったかな、顔は知ってるのに、名前が出て来ない。」
「あっちは、女優の湯野明日香(ゆのあすか)じゃねーか?・・・・・凄い、細いよな?」
「顔小さいよな、芸能人って・・・・・」
先に来ていたバイト仲間の話を聞きながら顔を上げた成は一瞬息が止まりそうになった。 有名な俳優や無名な俳優、エキストラだっているだろうし、スタッフだってこんなに人がいるのに、どうして顔を上げた先の視界に映ったのが真っ先に彼なんだと、運の悪い自分を恨みたくなった。 桝田櫂、恋人だったその人は同じ俳優仲間達と楽しそうな笑みを浮かべ話している。今は休憩の時間なのか皆笑顔だ。
*****
「成、平気?」
「・・・・・何、が?」
「顔色悪いよ、ちょっと木陰行こうか?」
そっと呟いてくる声に振り返る成に笑みを向けてくる史人は背を押し成を木陰へと促す。
「ごめん、撮影見たいんじゃないの?」
「俺はそこまでミーハーじゃないし。俳優にはあまり興味ないよ。」
「・・・・・そっか。」
曖昧な笑みを辛うじて浮かべる成に内心事情を聞きたいのに、堪えて笑みを見せるだけの史人に何も言わずに成は寄りかかった大きな木の幹へと顔を寄せる。 冷たい幹に寄せた顔が少しづつひんやりと幹と同じ温度へと変わっていくのを感じながら成は真っ直ぐ
自分を見つめる史人の視線をやっと見上げる。
「本当にごめん、少し落ち着いてきた。何だろ、熱中症かな?」
「暫く休んでろよ、水でも持ってくるから、な?」
言うと駆け出す背を見送りながら、成は帽子を深く被り直す。 今はまだ会いたくなかった。恋人だった男の姿を顔を上げ目で追いながら、芸能人の彼と一般人の自分の距離を思う。 とても遠い、手が届きそうで届かない、自分達はきっとずっと前からその距離にいたのだと気づかされる。 連絡が無くて当然、忙しそうな彼は目の前の事で精一杯で、些細な事に目を向ける暇なんて本当は無かったのかもしれない。 考えれば考えるほど深みに嵌る考えから、頭を振り気を逸らした成は、近づいて来る足音の方へと視線を向けた。
「君、すまないけど、撮影に使いたいんで、どけてくれるかな?」
「・・・・・すいません、今!」
頭を傾け聞いてくる、スタッフだろう男に成は立ち上がると頭を下げる。 急に立ち上がり頭を下げたせいなのか、妙にくらくらする頭を抑え歩き出した成の背後から「すまないね」と声が聞こえるが、成は次第に暗くなっていく視界にそれどころじゃなかった。 支えられる場所、座れる場所を頭を抑え必死に辺りを見回し探す、それだけで全身に冷たい汗が吹き出してくる。 立ち尽くし歩き出そうともしない成に背後からもう一度声をかけようとする男の視線も感じるのに、動く事すら出来ずに座りこむ。
「・・・・・君、あのね、困るんだけど。」
背後から響いてくる男の声に立ち上がろうとした成は自分の意識が急激に遠のいていくのを感じていた。
|