6
こちこち、と規則正しく動くベッドのすぐ傍に置いてある目覚まし時計の秒針の音だけがやけに大きく響く部屋の中、黙り込んだまま互いの顔を見つめあう二人は対極にいた。 じっと睨む様に強い眼光を感じる圭司と逃げる事も出来ずにただ見つめられる視線から逃れる事も出来ずに怯える楓。 無言のまま互いを見つめただけの二人の間に流れる重苦しい雰囲気を醸し出す空気。息苦しくて、口の中がやけに渇き楓は再びこくり、と喉を鳴らした。
「・・・・・都合が悪くなるとだんまり? それで、どうするの?」
沈黙を破り呆れた声で問いかける圭司は僅かに目を細める。そんな圭司の視線を感じ、楓はベッドへと置いた手で思わずシーツを握り締めると自分を見る目から逃れる様にやっと視線を逸らす。
「どうすれば、良かったんでしょうか? オレがいない方が互いの為に良いと思ってここを出たんですけど・・・・・」
「何それ、互いの為? 違うだろ、自分の為の間違いだろ?」
シーツを眺めながらやっと呟く楓の声に圭司は舌打ちするとすぐに答えてくる。小さく肩を縮め唇を噛み締め再び無言に戻る楓は俯く顔を上げようともしない。そんな姿を眺めた圭司は大きく溜息を零す。
「人に与えられた答えを間に受けて、それで良いの? オレは別れの挨拶が欲しいんじゃなくて、どうしたいのか知りたいんだよ!」
「・・・・・だから、ここを出るのがオレの答えで・・・・・」
「言いたい事も言わずに逃げるのがお前の答え?」
呟くとすぐに切り返す圭司の声が冷たく響き、ぐっ、と言葉を詰まらせる楓の俯く頭が微かに揺れる。
「ただ、逃げたんじゃない! オレだって考えて・・・・・」
「これが? オレと真っ向から話し合うなんて事全く頭になく、丸く納まるには出て行く事だって考えた結果?」
自分の答えだと言うには弱々しい言葉を紡ぐ楓に圭司の語調は更に荒くなる。
「ふざけんなよ! 何も言わずに出て行くならそれは逃げる事と同じだろ? 丸く納めたかったなら、オレに一言あるべきだろ? 帰ってこないなんて知らないオレがどうしようと、全く関係無い事だって言い切るんだ。」
ほぼ怒鳴り声に近い圭司の声に小さく縮めた体を更に小さくした楓はびくり、と肩を揺らす。それでも頑なに顔を上げようとしない楓に圭司は躊躇う事なく手を伸ばすと強引に俯く顔を上げる。
「何かあるなら言えよ! お前なりの言い分があるんだろ? オレが理解できる立派な言い分を聞かせろよ!」
息が掛かるほど間近に顔を近づけ、告げる圭司は無理矢理髪を掴み、引き上げた楓の顔をじっと見つめる。その痛い程の視線に晒された楓は髪を引かれる痛みに眉を顰めるけれど、無言で唇を噛み締める。
「・・・・・早く言えよ! ここから出て行きたいんだろ? オレが分かる立派な言い訳を早く話せよ!」
再度、同じ言葉を告げてくる圭司の語尾が更に荒くなるのを感じびくり、と肩を揺らした楓はそれでも頑なに白くなるほど噛み締めた唇を更にきつく結び、拳を握り締める。そんな楓を睨み付けていた圭司は諦めた様に髪を掴む手を離した。
またしても部屋を覆う沈黙と気詰まりする雰囲気にからからに渇く喉を潤す為に喉をならした楓はじっと自分を見つめたままの圭司にこっそり溜息を吐くと大きく息を吸い込む。そして重苦しい沈黙を破る様に口を開いた。 「・・・・・何を言えば、君は納得するのかな?」
発した第一声は擦れるけれど、それでも呟く楓に圭司は眉をぴくり、と動かし見つめた目を少しだけ細める。
「君が理解できる巧い言い訳があったのなら、オレは逃げなかったし、真っ向からここを出ると告げていた・・・・・ただ、もう限界だったんだよ・・・・・」
「何が限界? そんなのお前の勝手な言い分だろ?」
「確かに! だけど、どこに話し合う余地があった? オレの顔見ると不機嫌になる君に何を言えと?」
びくびく、と相変わらず怯えてはいるけれど、これが最後だと言い聞かせているのか一気に告げる楓に圭司は舌打ちをしながら反論する。だけどその言葉にも開き直った楓はすぐに言葉を紡いでくる。
「・・・・・それでも! 一緒に暮らしていたなら、何か一言、メールだって、手紙だってあるだろ?」
「そんな余裕、オレにあるわけない! 気力も根こそぎ剥ぎ取られて、ここにいる自分が惨めで堪らなかった。一刻も早く、ここから出ないと、オレを見失いそうだったんだよ!」
頭を振り、吐き出す言葉そのまんまに感情も昂ぶっているのか、きつく握り締めた手は白くなり、興奮のせいで楓の声はより大きくなる。話しあいというより、ほとんど怒鳴り合っている二人は言葉が途切れた瞬間ひやり、とした部屋の空気に思わず口を閉ざす。 互いの息遣いを間近に感じながら、再び俯く楓の頭を見る圭司は微かに息を吐くと頭をがしがし、と乱暴に掻き毟る。
「・・・・・君に直接出て行けなんて言われたくなかったんだ・・・・・」
小さな声で付け足す様に呟く楓に圭司は頭へと置いた手をそのまま、視線を動かす。 無言のままじっと見る圭司の視線に気づいているのかいないのか、相変わらず俯いたままの楓は手元のシーツを握ったり、離したりを何度も繰り返す。
「だから、言われる前に消えたかった。 手紙ぐらいは書こうと思ったけど、必要ないと思ったから・・・・・」
大学に退学届けを出しに行った日を楓は思い出す。「興味無い」と言い切る圭司の言葉を聞いて、手紙を書くのは止めた。跡形も残さないで消えればそれで終わりに出来ると楓は思っていたし、追いかけられるなんて予想もしていなかった。そんな諸々をぽつり、ぽつり、と口に出す楓に圭司は何も言わない。
「理解して欲しいなんて思ってないけど・・・・・もう、一緒にはいられないから、だから・・・・・出て行かせて下さい」
シーツに額が付くほど頭を深く下げ、やっと言えた言葉を吐き出す楓の目の前、圭司はやっぱり何も言わずただじっと見つめていた。
*****
楓が口を閉じるとすぐに訪れた再びの沈黙が支配する部屋の中。頭を下げる楓のすぐ傍、手を伸ばせば触れる事すらできる距離に座りこんだ圭司はやっぱり無言のまま下げられた頭を見つめる。 言いたい事が巧く言葉に出来なくて考えている間に楓の中では出て行く事前提で話を勧められ、圭司はそっと溜息を吐くと再び頭をぼりぼり、と掻く。
「・・・・・それが、お前の結論?」
やっと開いた重い口から出る圭司の問いかけに楓はこくこく、と頭を振る事で答えてくる。
「そう、わかった」
淡々と呟くと同時に軋んだベッドの音そして、ふわり、と動く風に思わず俯く顔を上げた楓の目の前にいたはずの圭司はそこにはいなかった。部屋を見回す楓の視界の端っこに映った影はすぐに部屋から出て行く。 立ち上がりかけた楓は今更自分が何も着ていない事に気づき、ベッドの下を見回しても自分のだ、と断言できる服が一枚も落ちていないのに気づき仕方なくシーツを腰に巻きベッドから降りると玄関にきっとまだあるはずの、放置したままの自分の荷物の下へと向かいよたよたと歩き出す。
「これから、どうするの?」
玄関に置いたままの鞄の前に座りこみ、そこから適当に服を取り出しごそごそ、と着替えだした楓は突然の問いかけにきょろ、きょろと周りを見回す。ソファーの上、膝を抱えて座る圭司はそこからじっと楓を見ている。
「・・・・・バイトして、お金溜めて部屋を借りる、それだけです・・・・・」
答えながら頭の中を駆け巡るのは、無断欠勤の続いた今までのバイト先は首だろうから新しく探さないといけない、とか、またネットカフェのお世話になろうか、とかここを出た後の事で、その一切に軽く頭を振り目を瞑ると楓は今の自分にとって全財産となった鞄を持ち上げる。
「さよなら、今までお世話になりました」
頭を下げそのまま体の向きを変えた楓は突き刺さる視線を背中に感じながらも靴を履きドアのぶへと手を伸ばす。
「・・・・・結局、逃げるんだな・・・・・」
ぽつり、と吐きだされる圭司の声に一瞬指を震わせた楓は微かに頭を振り冷たい金属をぎゅっ、と握る。 がちゃり、と開いた外の世界。そっと入り込んでくる風は生温く、すっかり季節は夏に変わろうとしている。 鞄をぎゅっ、と握り直した楓は久々に感じる風に頬をそっと撫でられ揺り動かされる様に前へと一歩、足を踏み出した。
「楓!」
名前を叫ばれると同時に体を引かれよろめく楓は次の瞬間、圭司の腕の中にいた。
「・・・・・あの、離して下さい・・・・・オレはもう・・・・・」
「話す事はないから出て行きたい・・・・・だろ? それでも・・・・・行かないでよ・・・・・」
身を放そうともがきながら、戸惑う声を零す楓へと縋りつく圭司は肯定しながらも、巻きつく腕を更に強める。
「・・・・・頼むから、オレを捨てないでよ!」
もがく体を止め、楓は思わず瞳を見開く。相変わらず縋りつく様に抱き締めてくる腕は弱まらない、強まる一方だけど、背中から聞こえる圭司の声は絡まる腕と比例して必死だ。
「何を、言って・・・・・」
「捨てられて当然の態度だったのはオレだけど、出て行くなんて思ってもいなかった。 だから、探したのに、出て行く事しか考えてない楓はオレが何をしても興味ない態度を崩さなくて・・・・・」
戸惑い問いかけ様とした楓の声は話し出す圭司の声に消される。 抱きつく腕の力を緩める事なく圭司は尚も続ける。
「・・・・・見ない、聞かない、言わない・・・・・連れ戻しても変わる事のないその態度を崩したかったのに、他に何をすれば良い?」
「ちょっと、待ってよ・・・・・何だよ、それ・・・・・」
離れようとがむしゃらに暴れるのではなく、圭司の話を聞くために顔を向けようとした楓に気づいたのか、あんなに強く拘束していた腕をすんなり放してくれる。肩に背負い込んだ鞄を下ろした楓はぐるぐる、と回り出した気持ちを落ち着ける為に開けたままの玄関の扉を閉めるとそこに寄りかかりやっと圭司へと顔を向けた。
「オレは何か言うべきだったわけ?」
「それをオレに聞く? 言いたい事あるかとは何度も聞いただろ?」
問いかける楓に圭司は微かに眉を上げると淡々と告げる。 その意外な答えにいきなり、ずきずき、と痛みだした頭に手を当てた楓は息を吐く。
「・・・・・何か言ったら、変わったとでも?」
「変わる、だろ? 言葉は互いを知る上で一番重要だろ。 言わなければ何も変わらない」
擦れた声で呟く楓の声に素早く答える圭司の声は単調だ。そこに何の感情も見出せない気がするのに、逸らさない視線が怖くて楓は上げた顔をそのまま逃れる様にうろうろと視線を彷徨わす。
*****
「・・・・・楓?」
頭を微かに傾げた圭司の再び名を呼ぶ声に彷徨う視線が一向に定まらない楓は目を閉じる。逃げる様に去ったあの日、追われる事は予想もしていなかった。連れ戻された部屋の中、会話も思う様に出来ない日々が苦痛で楓はずっと解放される事ばかりを望んでいた。そんな自分を振り返り、逃げるのではなく、自分を取り戻す為に離れるべきなのだと何度も言い聞かせた事を思い出す。
「・・・・・二度と他人をこの家に入れないなら、オレはここに残るよ」
吐き出す楓の言葉にじっと見る圭司の目が大きく見開かれる。重たい目を開いた先に映るその光景に楓はすぐに足元へと視線を向け、いきなりの発言だったのか思わず自問自答するけれど、言ってしまった言葉は取り戻せない。
「・・・・・ここにいてくれるの?」
「だから、それは・・・・・条件があって・・・・・」
頼りない問いかけに言い訳を口に出そうとした楓はすぐに口を閉ざす。距離を取って離れたはずの楓の腕を勢いよく引き寄せた圭司は自分の腕の中へとその体を囲うときつく抱きしめてくる。息苦しさを感じるほどぎゅうぎゅう、と抱きしめる腕は強く、胸元へと押し付けた頭へと擦り寄る圭司に楓は躊躇いながらもおそるおそる自由になる手をその背へと伸ばした。
「好きだよ、楓」
いきなり降ってきた言葉に顔を上げようとした楓の頭を押さえ込む様に抱きしめ直した圭司はその耳元へと同じ言葉を今度は低く擦れた声で囁いてくる。ぶるり、と震える楓の背を圭司は今度は何も言わずにゆっくり、と撫でてくる。
「・・・・・オレも、好き・・・・・だから・・・・・」
胸元へと顔を押し付け、鼻の奥が痛むのを堪えた楓は答える様に擦れた声で呟く。そのこもった声がちゃんと圭司の耳に届いたのを証明するかの様に抱きしめる腕は更に強くなった。
壊れていくだけだと思っていた関係はほんの一歩向き合おうとするだけで修正が可能だった。 諦める事だけを考えていた楓はきつく抱きしめられる腕の中、規則正しい圭司の鼓動を聞きながらゆっくり、と瞳を閉じる。今もまだ縋る事のできる温もりに包まれ、再び立ち上がるその日の為に。
END
後日談的なおまけ話があります。本当におまけなので短いですが、読みたい方はこちらからどうぞ。 予想より長くなりましたがお付き合いありがとうございました。 20100703
|