Lentamente

「Because I am me」番外

朝日が照らす食卓では鼻歌交じりに朝食の支度をしている楓と椅子に座り毎朝の日課の新聞を読んでいる圭司の姿がある。
戻る事は無いと思っていた朝の光景がその日、自然と始まっていた。
「圭司! ご飯だから新聞は後にしろよ!」
「はいはい、って・・・・・またパン?」
「オレの家では朝は毎日パンでした!」
「・・・・・たまにはご飯と味噌汁が食いたくね?」
新聞を折りたたみながら目の前に並んだこんがり焼けたパンと部屋中に香ばしい匂いを振り撒くコーヒーを眺め呟く圭司の声に楓は一瞬目を見開いてからすぐに瞳を細め口元に笑みを浮かべる。
「善処します」
「そうして。 和食と洋食交互が良いな」
笑みを返し答えた圭司は「いただきます」と呟きバターをパンに塗り始める。

あの日、再び一緒に住む事を決めた楓に圭司は「互いに無理は止めよう」と告げてきた。我慢も遠慮もいらない。一緒に暮らせば不満も愚痴だって溜まるだろうから、その都度口に出そう、と続けた。その言葉に黙って頷いた楓。あの日から再び始まった一緒の暮らしは平和の一言しか出ない。
無断欠勤の続いたバイトが首になった楓はその後、圭司が大学に行っている間だけ働ける近所のコンビニにバイトを決めた。大学を無断で中退した事は親に怒られたけれど、友達と暮らしてるから帰らないと告げる楓の言葉に「迷惑はかけないでよ」と断ったのに、一人じゃないんだからと理由をつけて相変わらず家賃分の仕送りはしてくれている。軽はずみでは無いつもりだったけれど、他から見れば本当に安易な考えであっさり人生をわざと辛くした楓は今は改めてもう少しまともな仕事を探そうと求職も始めた。
「そういえば、明日からバイト休みだっけ?」
「うん。 店、改装するから、一週間くらいはお休み・・・・・何で?」
「部屋の模様替えしようと思って、買わないといけないものがたくさんあるから一人じゃ辛かったんだよね」
ぱくぱく、とパンを食べながらにやり、と笑みを浮かべ告げる圭司の言葉に楓は不思議そうに首を傾げた。


*****


デパートに来るのは久々。
相変わらずの人の多さに眩暈がしてきた楓の腕を引き、圭司はすいすい、と人を除け上から下までぐるり、と回る。
日用品に始まり、家具、家電、ベッド・・・・・金額を見ただけで逃げ腰な楓を促し圭司は次々と商品を見て回る。
「・・・・・部屋の模様替えって・・・・・大々的に?」
既にぐったりと椅子に寄りかかり、疲労を隠しきれないまま問いかける楓の横で圭司はいつの間に持って来ていたのか手にメモ用紙を持っていて真剣にそれを眺めている。
「・・・・・・圭司?」
「あ? 言ったろ、模様替えって。 楓が自分の部屋ほとんど空っぽにしてくれたから思いついたんだぜ」
「へ?」
意味が分からなくてつい頭を傾げる楓に圭司は笑みを返すと口を開く。
「寝室は一つにしようと思って。 そうすると、無駄が省けるし物も置けるだろ?」
告げる言葉が分からなくて眉を顰める楓の圭司は体を近づけると耳元へと唇を寄せる。
「今後、あの部屋に誰かを呼ぶなんて事は無いから、二人の部屋にしようと思ってる。 就職してもあの部屋で暮らしてくれるだろ?」
答えと問いかけに楓は膝に置いていた手をぎゅっ、と握り締める。言葉の意味が分かって顔が赤くなりそうなのを必死に堪える楓の背を叩く圭司はそのまま立ち上がる。
「返事は?」
「・・・・・圭司・・・・・」
問いかける声に楓は圭司の服の端っこへと手を伸ばし、名を呼びながら握り締める。辛くてしんどくて、もうダメだと思ったあの日々が今は遠くに感じる。これからを約束してくれるその声に泣きそうになりながら楓は何度も頭を振り頷く事しかできなかった。
たくさんの人が行き交うデパートの片隅でただ立つだけの二人に気を止める人がいない事を良い事に暫く動く事ができずにいた楓の頭を軽く撫でた圭司は何も言わずにそのままでいてくれた。

朝日の照らす食卓に並ぶのはご飯とお味噌汁、そして二つ並んだ目玉焼きが一枚の更に並べられる。
休暇が終わりバイトへとまた行き出した楓、大学へと通う圭司。別々の道を歩んでいるけれど、帰る場所は一つ。そして夜は同じベッドで温もりを分け合い眠る。そんな穏やかな日々を今日もまた繰り返す。
「行ってらっしゃい!」
「おお、行ってきます!」
目と鼻の先のバイト先に行く時間がゆっくりな楓は先に玄関先で圭司を見送る。まるで新婚さんだと口には出さなくてもたまに思うほど日常化した日課に圭司の姿が消えてから今日も顔を赤く染めた楓は頬を軽く叩くと食器を片付けバイトへと出かける準備を始める。

日々穏やかに平和にゆっくり、と進んでいけば良い。山も谷も無い、平凡な人生こそ楓の望むもの。大好きな人がいて、帰りたいと思える場所がある日常。
暗く沈んでいたあの時、見えなかったものも、今は自然と感じる事ができる。そこにある温もりが大切だと思える日々。部屋を点検し終えドアに鍵を閉めた楓はバイト先へと歩き出す。
足取りが軽い。今日の夕飯を考える余裕がある自分に微かに苦笑した楓は見えてきたバイト先のコンビニへと近づいた。


後日談というか日常話です。
ここまでお読みいただきありがとうございました! 20100703

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