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「随分、遅くないか?」
バスルームへと消えた暁がやっと顔を見せたのはそれから30分も経ってからだ。曖昧な笑みを返したまま何も答えない暁は手持ち無沙汰なのか、ただ濡れた頭をタオルでがしがしと拭きながら、ソファーへと座る。バスローブ姿のまま、もちろんそれしか着ていないのだろうが、何となく目のやりばに困り顔を逸らす広海の前、暁はソファーから動こうともしなかった。
「・・・・・とりあえず、何か着たら?」
「あとで着替えるから、話したいんだろ、昨日の事なら・・・・・」
「酔った勢いとかはナシにしろよ。・・・・・暁はどうしたいわけ、オレとどうなりたいの?」
あまりに直球な問いかけに暁はびくり、と肩を震わせる。まだ、ぽたぽた、と零れる雫をそのまま、頭に掛けていたタオルを無造作に握りこんだ暁は真っ直ぐに自分を見つめる広海にこくり、と喉を鳴らす。
「・・・・・好き、なんだ。」
長い沈黙の後、やっと告げた暁の声は小さく、広海は聞こえた言葉に思わず目を瞠る。信じられない言葉を聞いた気がして、まじまじと見つめる視線が刺さるのか、居た堪れない様に肩を窄める暁を広海は何も言えず見つめた。
「好きだって気づいたのは、お前が俺を避けてからで・・・・・本当は言わないつもりだったし、言うつもりも無かったんだ。」
居心地が悪いのか、落ち着きなく体を揺らし、それでも呟く暁に広海はいつのまにか張り詰めていた息を吐き出す。
「じゃあ、今更・・・・・何で・・・・・」
「・・・・・もう、会えないのが嫌だったから、俺は広海と居る理由が欲しくて、それで・・・・・」
「だから、寝た? オレの気持ちは完全に無視して?」
「・・・・・ごめん でも、帰したくなかった・・・・・これで終わりだって言われるのを少しでも先延ばしにしたくて・・・・・だけど、恋人へのフォローなら俺も協力するから・・・・・別れて欲しいわけじゃない。」
不幸にしたいわけじゃない、と言外に告げてくる暁に広海は微かな溜息を吐いた。学生時代の暁は何もかも冷めた目線で見ていた。全てを諦めているというか、受け入れているというか、今思えばほとんど諦めに近かったのだろう。そんな彼と仲良くなってから、広海は彼の大切なモノへの執着が執拗な事に気づいた。あの頃は、それは別に構わない事だと思えた、そこまで執着するほど大切なモノがあるのは、何もかも諦観していた暁にとっては必要な事だったのだろうと。そして、もう一度暁へと目線を上げた広海は俯きこちらを見ようとしないまま、肩を窄め意気消沈している姿に唇を歪ませる。

じっと見つめる視線に気づいたのか、そろそろと顔を上げた暁はまるで大型犬が飼い主を見つめる訴えかける視線に良く似ているその丸くて黒々とした瞳を向けてくる。
「後戻りは出来ないから、腹を括って責任を取ってよ。」
にっこり、と微笑んで告げる広海に首を傾げた暁は言葉の意味が分からないのか不思議そうな顔を向けてくる。そんな暁に、広海は立ち上がると躊躇う事無くすたすたとすぐ目の前まで近づくとその顔に手を伸ばす。頬へと風呂に入ったはずなのに、ひんやりと冷たい手が当てられ顔を上げる暁に広海はぐっと顔を近づける。息が触れ合う程近くにある顔に視界がぼやけるのか瞬きを繰り返す暁に広海は再びその目前で微笑んだ。
「・・・・・広海?」
「責任取ってよ、とりあえず頷くだけで良いよ。」
呆然と名を呼ぶ暁に広海は微笑んだまま同じ言葉を微妙にニュアンスを変えて告げるから、意味も分からないまま、暁はただこくり、と頷いた。そんな暁に益々笑みを深くした広海は顔を更に近づけてくる。
触れ合う唇から伝わる温もりに信じられない顔で瞳を見開く暁に広海はもっと深く触れ合う為に閉じる唇へと舌を伸ばす。ちろちろ、と唇の隙間をなぞる舌にすんなりと開いた口へ舌を滑りこませた広海は自分の体を暁へと密着させる。すぐに背へと回される手に従い、少しづつ体重を暁へとかけていく広海、それでも深く息さえ奪う激しいキスは続いていた。
くちゅり、と粘着質な音がして離れる両者の唇の間には透明な液体が糸を引く。飲み込みきれなかった唾液で唇を濡らした互いの顔を認め、どちらからともなくまた触れ合う唇は今度は最初から深く貪るキスから始まった。暁の上に跨いだ広海の体をしっかり、と抱き寄せたまま深く長いキスに溺れていく。狭い一人掛けのソファーの上でする行為じゃないと分かっているのに一度点いた熱は冷める事を知らなかった。


*****


場所を変える暇なんてなくソファーの上、一度は身支度を整えた広海の服を再度乱しながら、暁は現れるその肌へと顔を擦りつけながらキスを繰り返す。上着を床へと落とし、シャツのボタンを剥ぎ取り、躊躇う事なく下肢へと手を伸ばす暁の頭にしがみついた広海は体を這い巡る与えられるキスに酔いながらも、バスローブで隠された暁の素肌へと手を伸ばす。
布地に隠されたしっかりした肉付きの良い体は筋肉質ではないけれどひょろり、と痩せた広海の体と違い、そこそこ逞しく、均整が取れている。あばらが浮いて見える、痩せてみっともない体よりは、誰の前に出ても恥ずかしくない体の方が良い。広海は伸ばした指に触れるその素肌にぴったり、と手を押し付け撫でた。
「広海?」
「・・・・・オレも触れたい、良い?」
「ああ、おいで。」
何度も肌を手で擦る広海に違和感を感じたのか思わず顔を上げる暁へと窺う様に視線を向けた。問いかけにすんなり、と微笑んで手を伸ばすと、顔を胸元へと押し付けてくれた暁に広海はうっとり、と瞳を閉じる。頬から伝わる素肌の温もりがどんどん浸透してくる。背へと手を回し、肌へと頬を擦りつける広海に暁は頭をゆっくり、と撫でる。耳に規則正しい鼓動が聞こえる、均整の取れた肌は少しだけ湿っていたから、広海はそっと舌を伸ばした。胸の飾りへと舌を這わせた広海にびくり、と揺れる肩が視界の端に写る。だからもう少しだけ顔を上げた広海は、すぐに顔を手に取られ、唇を塞がれる。舌まで絡める深いキスを貪られ、広海は暁にただ縋りつくしか出来ないまま、下肢へと伸ばされた暁の手に、その腕の中、びくびくと体を揺らした。
「・・・・・っん、あきっ・・・・・」
「だめ、集中して・・・・・」
すぐに塞がれる唇、抑えこまれ、手の中、少しづつ頭を擡げる自身を感じながら、深いキスに酔う。
既に床に落とされた上着、かろうじてはおっているものの、かけているのと全く変わらないシャツのボタンは全て外され、窓から差し込む日の光にに白い肌へと浮かぶ汗がきらきらと反射する。上半身がそれなのだから、下半身はほとんど何もつけていなかった。片足にずり降ろされたズボンと下着が引っかかっているだけで意味も為さない。
狭い一人掛けのソファーの上、深く深く繋がり、抱き合う二人は目を合わせると、汗に塗れた互いの顔に笑みを浮かべ唇を重ね合わせる。きしきしと軋みを訴えるソファーの上、広海は吐き出された暁の欲望を体の奥で受け止め、背へと回した腕へと力をこめた。結局ソファーの上だけじゃ物足りなくなり、抱え上げられた広海はベッドへと押し倒される。
すぐに覆いかぶさってきた暁に笑みを向けた広海は乱れたシーツの上、更に乱された。遠くで携帯の鳴る音がしていたけれど、すぐに気にならなくなるほど、快楽という名の海に溺れた。

次第に冷めていくはずの熱がどうしても冷めないのは抱きしめられているから、それだけが理由じゃないと思った。少しだけ身動ぐ広海に気づかず、微かな寝息が頭の上から聞こえてくる。
散々抱かれたおかげで疲労が顔に出ていそうな自分と違い、暁の寝顔は安らかだった。このまま、起こさずそっと家に帰る、そんな選択肢だってあるのに、広海はすぐに暁の胸へと顔を押し付ける。確かに聞こえる心音に瞳を閉じると、規則正しい鼓動が眠気を誘う。眠りに誘われぼんやりとする頭の中、考えるのは先の事。曖昧な頭の中、後戻り出来ないのは暁じゃなくて、自分の方だと思うと広海は微かに苦笑を浮かべる。一度は放したはずの温もりを完全に自分のものに出来た今、ソレを離す理由なんて見つからなかった。
欲しかったのだと、本当はずっと自分だけを見る暁の瞳や温もりや熱が欲しかったのだと、今更認める自分に苦笑しか零れない。
家に帰る選択肢なんて端から考えていなかった、だけど、家には一度帰らないといけないだろう。あそこには広海のモノがある。恋人にどんな顔をすれば良いのかじゃなくて、もう別れる前提で考えている自分には苦笑しか浮かばない。帰る、あの家に、そう思いながらも広海の思考はそれ以上続かず、意識は深い眠りの中へと沈んでいった。


*****


次に目覚めた時には一人だった。そうだったら、自分の選択は変わっていたのかもしれない。
でも、目が覚めたら一人ではなくて、シャワーを浴びたのか、さっぱりした顔で起き上がった広海に笑みを向けてくる暁にただ笑みを返した。
「ねぇ、ここってチェックアウトは今日じゃなかったのか?」
頼んだルームサービスの食事を二人、テーブルに腰掛け食べながら、疑問に思った事を問いかける広海に暁は顔を上げるとただ首を竦める。
「暁?」
「・・・・・そろそろ一ヶ月になるかな、ここに住んで。ホテル暮らしもたまには良いよ。」
「お前、部屋は?」
「帰れないよ、あそこには。休める場所じゃないから。」
苦虫を噛み潰した顔に広海が眉を顰めるから暁は笑みを浮かべると、自宅に婚約者が押しかけてきたのだと話した。親公認だろうが、彼にとっては意に沿わない結婚話で抗議の為に移り住んだのだと話すその顔にははっきりと迷惑な話だろ、と書かれていた。
そうしてすぐにホテル暮らしが以外に快適な事を話だした暁に広海は目を丸くするけれど、その口元にはっきりと笑みを浮かべた。
「オレもここに住んで良い?」
「は?」
「責任、取ってくれるって言ったよね。・・・・・オレ、住むところ失くしたんだよね。」
さらり、と告げる広海のその言葉に驚いた顔を向けてきた暁は段々とその顔に笑みを浮かべると「喜んで」と一言告げる。再開した食事の間、それ以上会話は無かったけれど、部屋の空気は確かに甘かった。胸焼けするほど甘ったるい空気は嫌いなのに、広海はソレを否定はしなかった。その部屋の雰囲気を作った片割れは確かに自分だったから。

叩かれる、殴られる、罵声を浴びせられる、そんな覚悟はしていたけれど、ありったけの手に持てる荷物を持ちこんできた広海の片方の頬は明らかに腫れていて、暁は何も言わずにそんな広海をそっと抱きしめた。
逃げるのは簡単だけど、立ち向かわないと後悔する、そう言う広海に暁は頷いてくれる。時は容赦なく過ぎていくのに、未だに何一つ解決出来ないまま苛立つ暁に何も言わず広海はただ傍にいた。
仕事先に彼女は毎日の様に訪れては式の相談をしていく。形がどんどん整っていく、その計画と裏腹に彼女の顔はどんどん冴えなくなっていった。何もかも事情を知っている身なのだと、一従業員の自分が言える事では無いから、広海は言われたように淡々と仕事をこなす。最初の日以外は彼女は一人きり。暁は何度呼ばれても、返事はしない。ただ「結婚はしない」それしか口にしない。そんな裏事情を顔にも出さず計画を進めていく彼女の強かさに広海の方が挫けそうになるけれど、自分も手にしたものを二度と失くしたくは無かったからホテルに帰ったら暁に抱きしめられ眠る自分を想像してみる。舞台は整っていくのに、役者の気持ちはバラバラだと気づいているのか、そっと彼女を盗み見た広海はひっそり、と溜息を零した。
会社での仕事を終え、外に出ると同時にひんやり、と冷たい風が頬を撫でる。広海は自分の車へと向かいながら、暁がどういう結論を導いたのか分からなくなっていた。式の日まで、もう日にちが無かった。後、一ヶ月も無いその日を思い、溜息が最近増えてきたのを自覚しながらも、零した溜息はかなり長く重かった。


どんな風にすれば良い終わりなのか分かりませんが、きっと大団円、じゃないよね?

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