■12

こちこち、と規則正しく秒針を刻ませる壁につけられた時計の音がやけに響く静かすぎる部屋の中、目の前に出された書類を呆然と眺める僕の目の前に立つのは、寮生ではない僕には全く関わりが無いだろう人達で、どうしてこんなことに?そう思うだけで、手に持つ書類の文字すら満足に読むことすら出来ない。
「意味は分かってくれたかな? 佐伯陽君」
にっこり、と笑みを浮かべ告げる男の顔をぼんやり眺めた僕は手にした書類へとまた目を走らせる。細々と書かれた文字、書いてある事が読んでも読んでも巧く頭に入ってくれない、そんな僕を眺める視線は目の前の男だけじゃなくて、両側に立つ男達もただ僕をじっと見ている。
「・・・・・あの、これは?」
とうとう読むのを諦め逆に問いかける僕に目の前の男は心もち眉をぴくり、と上に上げる。だけど浮かべる笑みは変わらず一息後に隣りに立つ男へと視線をちらり、と向けた男の合図で口を開いたのは、銀縁のフレームの眼鏡が似合いすぎて冷たい印象しか僕に与えなかった隣りに立つ男の一人だった。
「つまり、簡単に言うと、佐伯君には高校入学と同時に青龍寮に入って欲しい、それだけだよ」
「青龍に? でも、青龍は外部生の・・・・・・」
「そうだね、だけど、完全に禁止にはなっていない。 だからこそ、君が欲しいんだよ」
ますます分からなくなった頭の中は完全にぐるぐる、と複雑になり話される言葉さえも素通りしていく中僕はただ眉を顰め唇を噛みしめる。どうしてこうなる?そんな疑問だけが相変わらず僕の中に渦巻いていて、許容量さえも限界に近づいていた。

話はこの日の朝に遡る。
姫祭が終わり日常を取り戻した学園、だけど友人で姫候補でもあったクラスメート堺良明は姫祭の後から全く学校に出てこなかった。
彼は寮生だ。
寮の部屋にいるのでは?そんな憶測だけはあったけれど、寮が同じクラスメートでも彼の姿を姫祭以降目撃していないのだと言う。食事を取っているか否かも分からない、それどころか、寮に今も居るのかどうかも分からない。そんな堺を巡って様々な噂も出てくる。学校側もとうとう彼の無断欠席を無視できなくなり、寮に踏み込もうそんな話すら出ているのだと学校に来て初めて大げさな事になっている友人について今更人づてに聞いたその日の朝、僕の目の前に現れたのは目の前にいる三人だった。
「佐伯陽君だよね? 君と話がしたいんだけど」
たった今学校に来たばかり、朝のSHRすら始まっていない本当に朝早くに教室を訪れた三人は僕を見てすぐに声を掛けてきた。部活もしていない、寮生でもない僕は目の前にいる人達が誰なのかなんて事は分からなかった。ただ分かっていたのは彼らが三年である事。制服の襟には学年毎に色違いの徽章がつけられていて、青は三年、緑が二年、そして僕ら一年が赤。彼らの襟の徽章は青、だから三年。僕が分かるのはそれだけだった。
「天王寺先輩! なんで先輩が?」
「三島先輩に大杉先輩もいる、何で?」
周りのクラスメートが彼らの名前だろうものを呼んでいるけれど、僕にはだから誰?そんな気持ちのまま僕は目の前に立つ人達をぼんやり、と眺める。
「佐伯君、今すぐはなんだから、後でまた来るよ。 じゃあ、失礼するね」
僕の答えを聞く事なく、来たとき同様に彼らは教室を出ていく。そんな彼らについて聞きたがるクラスメート達の視線を感じた僕はタイミング良く入ってきた教師と鳴り響く朝のSHRを始める鐘の音にそっと溜息を零しながら自分の席へと戻った。
訪れた三人の先輩が誰なのか、その疑問に答えてくれたのはクラスメートの面々。
「天王寺悟(てんのうじさとる)、この人は生徒会会長で前の青龍の寮長だよ。」
「三島祐(みしまたすく)、生徒会の副会長でこちらも前の青龍の副寮長!」
「大杉八尋(おおすぎやひろ)、三島さんと同じ立場の人だよ。 彼も青龍の関係者だよ」
次々と答えてくれる名前と顔があまり一致しなくて眉を顰める僕の肩に手を置いたクラスメートが顔を近づけてくる。
「共通してるのが、前青龍の権力者ってとこだよ。 青龍は特に三年と二年の仲が悪いって有名なんだよ」
こっそり、と告げてくるその声に僕は思わず声の主である彼に顔を向ける。
「それって、青龍でだけ?」
「・・・・・多分、他の寮の二年と三年は結構仲が良いって聞いた事あるよ」
彼のその答えに僕は再び溜息を零した。寮生でもない僕に、今一番僕の中ではちょっと曰くのある青龍の関係者が何の用なんだ、と誰もいなければ今すぐ叫んでしまいたかった。

「佐伯君?」
思わず朝の出来事に思考の全てを囚われていた僕は慌ててその声に顔を上げる。
じっと見つめられたままの視線から逃れたくなる気持ちの方がまだ大きいけれど大きく息を吸い込んだ僕は汗ばむ両手を握りしめるとやっと口を開く。
「僕に何をしろと?」
「・・・・・大げさに考えないでくれないか? ただ青龍寮に君を迎えたい、それだけだよ」
「何で、僕なんですか?」
「君が堺君の一番近い知り合い、だからかな?」
「え?」
久しく会っていない友人の名をいきなり出された僕は思わず目の前の人達を凝視する。確かに友人だった。でも、それは姫候補になる前の彼とだ。
「僕は、今は堺とは・・・・・」
「だから、青龍の寮に来てほしいんだよ。 勢力争いの場に君を呼ぶのは僕らも不本意だ。 でも、寮と全く関わらないそれなのに友人になれた君の力を借りたいんだよ。」
僕の意思と関係なく話は淡々と進められた。
嫌だ、と言えないまま淡々と進められた話はそのまま押し切られ、頷かざる得なかった、これから先の高等部での僕の未来が決められた瞬間だった。
あんなに寮に残りたかった友人の事を思い出す。
学校という社会に組み込まれてはいるけれど独自の社会を作り出している寮。その小さな社会のたった一つの組織に固執していた彼の事が頭の中から離れなかった。
そうして、僕は知る。
あんなに寮に残る事を切望していた堺良明が姫祭の後、学校に来る事なくこの学校を辞めていた事を。
理由を知る事も彼と会う事もなく、僕のクラスメートはいきなり忽然と目の前から消えていた。その事実を僕が知るのは、僕の未来を決められたその日から実に一週間後の事だった。


*****


ぽつり、と空いた席を眺めていた日々が終わったその日、淡々と事実だけを告げた教師にクラスの面々は動揺を隠せなかった。
何があったのか、僕にとってもクラスメートにとってもたかが姫祭のはずのその行事が終わると同時にひっそり、と姿を消した大事なクラスの一員がいなくなった衝撃はすぐに困惑を生み出した。
「・・・・・驚いたな、辞めてるなんて・・・・・」
剛の言葉にただ頷いた僕は教師の命令で早々に片づけられた机と椅子のあった場所を眺める。そこにはもうあるべき机と椅子ではなく別の人が座っている席なのだけど、クラスの一員がいなくなった事実にどことなくクラスの雰囲気も暗く感じ僕はそっと息を吐いた。
「それより、先輩たちの話って何だったの? あれから、ちょっと暗いよ、佐伯」
同じくその場にいた深見瑞己(ふかみみずき)の問いかけに僕は顔を上げるとああ、と少しだけ眉を顰める。
「高等部に上がったら、僕を青龍の寮生にするって言われた」
「は? そんなん、簡単に出来るの?」
「それより先に、青龍はほとんど外部生が多い所だよ、特に高等部なんて・・・・・」
僕の声に慌てて声を荒げかけた二人はトーンを抑えながらも問いかけてくる。そんな二人に僕は曖昧な笑みを浮かべあの三人の顔を思い出す。
「不可能を可能にしそうな人達に見えるのは僕だけかな? なんか、決定事項の様に告げられたよ・・・・・」
そんな僕の声に二人は顔を見合わせると宥める様に何も言わないまま両肩を叩いてくる。
「青龍に行けば、堺の辞めた理由も分かるかもよ?」
「そうそう、権力者のお墨付きなら佐伯の未来は安泰かもよ?」
気休めの様にかけてくる二人の言葉はどちらも疑問形で僕はただ溜息を零した。いきなり何の言葉もなく消えたクラスメート、友人という近い間だったにも関わらず姫候補になってから彼は変わっていった。
その謎を解けるかどうかは寮生になってからになるだろうし、決定事項として伝えられたけれど、中等部の生徒会の一員であるだけの彼らにどこまでの発言権があるのかも僕は分からなかった。
ただ、僕も目の前にいる友人達も、僕が将来外部生がほとんどを占める青龍に行くだろう事は事実として頭の中に埋め込まれていた。
そうして、それは真実となる。
穏やかで平凡な日々をそれからは送った中等部の卒業式、高等部入学の案内と共にきた寮生の案内書。そこには『青龍寮生 佐伯陽』の名が書かれていた。
案内の紙を見つめ、僕はそっと息を吸い込んだ。
ほとんど外部生しかいないその寮で何も変わらず、変わる事なく生活できるか否か、それだけが僕に課された大きな課題だった。

三年間、変わる事なく同じクラスにいることになった剛と瑞己に寮の案内書を見せた僕の目の前で彼らは「まじかよ」と一言呟く。
「深見は? 元々青龍だったよな?」
「・・・・・うん、大半は寮が変わるらしいって言われてたんだけど、俺は例外だったみたいだよ」
剛の問いかけに瑞己は寮の自分の案内書を見せてくれる。そこに書かれていたのは僕と同じ寮で思わず瑞己へと顔を向ける。
「陽と仲良くしてたの見られてたのかな? とりあえず、俺も引き続きあの寮にいるみたいだから、よろしくね」
「こちらこそだよ! 僕は寮生活自体が初めてだから」
「俺、玄武だぜ。 俺も陽と仲良くしてたのに、青龍には呼ばれなかったって事かよ」
唇を尖らせる剛に玄武の名に瑞己が「あ!」と声を上げる。
「何だよ」
「ああ、玄武には確か大杉さんがいるはずだよ。 中等部は青龍だったけど、確か高等部では玄武のはずだから」
「まじかよ。 じゃあ、寮分けってまじで仕組まれてる?」
思わず黙り込む僕らはただ互いの顔を見合す。外部生がほとんどを占める寮に残った瑞己、呼ばれた僕、当時の代表格の一人である先輩の元に呼ばれた剛。見えない鎖に繋がれている、そんな気がしてならなかった。
「まぁ、何とかなるだろ? きっと意味がある・・・そういう事だろ?」
楽天家でもある剛の沈黙を破る軽い声に瑞己と僕はただ頷く。そう、きっと意味がある。僕らが選ばれた意味、友人だった彼が突然学校を去った意味も。


*****


「ようこそ、佐伯君。そしてまたよろしく、深見君」
柔らかな笑みを向け告げる目の前の人に僕らはただ頭を下げる。そんな僕らの目の前、立つ人の名は天王寺悟、そして相変わらず隣りに立つのが銀縁眼鏡のよく似合う三島祐。二人は僕らの姿を認めるとすぐに背を向け寮へと歩いて行く。そんな後姿を眺めた僕は大きく息を吸い込むと、目の前に立つ寮を眺める。
残る事が出来れば優遇される、ただそれだけの為に姫祭での勝利を願った今はいない友人の顔を思い出しかけた僕は頭を振ると隣りに立つ瑞己を促し歩き出す。
外部生が大半を占めるこの寮で僕らはきっと肩身が逆に狭いのかもしれない。だけど、そうする事で道が開けるなら僕はただ進む。
彼らの思惑通りにはいかないかもしれない、けれど隣りに立つ仲間がいてくれるなら、隣りにはいないけれど、いつだって変わらない笑顔で迎えてくれるだろう友人がいてくれるなら、僕はきっとこの寮で生活できるともう一度深く大きく息を吸い込み吐出しながら新しい一歩を踏み出した。


長かった、過去編。終始一人称でしたが、どうでしたでしょうか?
謎解きはもちろんリアルでします。ではリアルに戻る次回まで! 20100927

top back next