『神童』だと呼ばれた子供時代。その終焉はあっけなかった。 井の中の蛙とはまさに自分の事だとはっきり自覚させられたのは、中等部の入試に合格し、名門と呼ばれる学園に足を踏み入れてから。自分程度が軒並み連なる世界、どんぐりの背比べをしている中、だけど抜きん出ている人もちらほらといた。 子供の頃から、他の子より一歩も二歩も進んで出来る事を褒められ、煽てられ、天狗の様になっていた自分の鼻をへし折ったのは自分より、家柄も成績さえも抜きん出ていた存在。 初めて会った時には思わなかった。羨望も嫉妬すら思いつかず、世界は広いんだと改めて悟った。だけど、思わなかった羨望を嫉妬を自分に植えつける出来事があった。今考えれば些細な事、だけど当事の自分にとってはとても大きな出来事。
「良く似合ってるじゃないか! 他の姫よりも可愛いよ」
「嬉しくない、それ。 それに可愛いは男には褒め言葉じゃないだろ?」
唇を尖らせ拗ねる友人はどこからどう見ても可愛い女の子にしか見えない。中等部伝統行事の一つ「姫祭」で姫に選ばれた友人のその姿に周り中から歓声が飛ぶ。それを不服そうに眺めた友人の呟きに笑みを返し僕はまじまじと目の前の彼の姿を眺めた。 「不思議の国のアリス」がテーマなんだと告げる友人の口からも分かるエプロンもワンピースもふわふわの栗色の鬘を被った頭にも使われるレース。ほっそり、とした足には白いこれまたレース付きの靴下、そして黒い気持ちヒールが高めのパンプス。遠くから見ても、近くで見ても丸っきり女の子している彼にナニを言っても無駄になる気がする。
「姫祭の姫に選ばれるのは良い事もあるって聞いてるよ」
フォローになってない気がするけれど、思った事を口に出す僕に顔を向けた彼は微かに眉を顰めたまま苦笑する。
「そりゃ、名誉な事らしいけど・・・・・ボクは平和に穏やかに暮らせる方が良いよ。 邪な目で見る奴の多い事、見てくれは女の子でも中は男だっての!」
「・・・・・姫祭までの辛抱だって、頑張れ! 他にも姫候補はいるんだし、特別な目で見られるのは4分の1の確率だろ?」
「姫に選ばれなければ良いな。 候補のまま終わってくれると嬉しい。」
この服暑いし、重いし、と愚痴を言い出す友人を僕は手にしていた下敷きで仰いでやりながら笑みを浮かべた。
中等部、高等部、どちらにもある伝統行事の一つに「姫祭」と呼ばれる変わった行事がある事を入学してから教えてもらった。中等部は半寮制だけど、高等部は全寮制。元は高等部だけの行事だった「姫祭」はいつの間にか中等部にも入ってきた。姫候補に選ばれるのは高等部と違うのは全学年から4人ずつ選ばれる事。寮生だろうが自宅通学生だろうが構わない事。クラス選抜で候補が選ばれ、学年総会で4人、そして3学年、12人の中から一人だけ姫が選ばれる。人気投票みたいなものだと教えられた。高等部と違うのは内輪で楽しむ高等部と違い大っぴらな事。姫を選ぶのは学生だけじゃなく、先生、保護者、他校生も可。それが中等部の姫祭だ。皆で楽しめるお気楽極楽な催し物。そんな行事へと変わっていた。
「親とか来るの?」
「もう、張り切ってるよ! 何がそんなに面白いのかボクには理解不能だよ・・・・・」
ぼやく友人の愚痴を聞きながら僕は周りへと目を向ける。興味津々な視線で見るのがきっと初参加の僕等と同じ学年、そして面白そうに見るのが二年、また来たか、そんな視線を向けるのが三年。仕組みを聞いてもいまいち分からないままの僕等と違って、二年目、三年目の彼等には余裕があるのか、姫に選ばれた人達も堂々としている。
「姫祭で選ばれたら何かあるの?」
「・・・・・良く分かんないけど、学食無料券とかくれるらしいよ」
一応他の姫にも声を掛けられ、その際に手に入れた情報を教えてくれる友人に僕は相槌を打つ。
ざわり、と空気が変わったのに気づいたのはすぐだった。
「あれが最有力候補の姫らしい、正真正銘お坊ちゃま、というか今はお嬢様だね」
友人の言葉が素通りしていく。見つめた先にいるのは可愛いの更に上をいく綺麗が似合う。隣りを歩く友人だろう男もかなりの美形だ。
「何と言うか、まるで綺麗なカップルだね」
「・・・・・隣りのヤツ? あれも相当美形だよね。ちなみにあれ、隣りのクラスのヤツだよ」
「え? あ・・・・・」
化粧をしているけれど確かに見覚えある横顔、慌ててもう一度見た男をじっと眺めた僕は思い出した名前を頭の中に描く。
「遠野可月、今年入学者代表で答辞読んだヤツ、隣りにいるのが姫候補の東雲幸喜。 同じクラスだけど仲が良いとは意外」
友人の呟きに僕も同じ様に頷く。遠野と同じく東雲も隣りのクラスだけど、隣りだからこそ当然話した事は無い。体育や選択授業で一緒になる事もない、隣りなのにその壁を僕は前々から分厚く感じていた。
*****
「初めまして、だよね? 同学年の姫候補には初めて会いました。 1-Bの東雲幸喜です、宜しく!で、後ろにいるのは同じクラスの遠野可月だよ!」
いつの間に近くに来たのか、突然話しかけてきた東雲幸喜に友人は驚いたのか目を見開き瞬きを数度繰り返す。近くで見ると尚更、まさしく女の子だ。女装、と一言で言えない圧倒的な存在感に僕も友人も驚いた顔を隠せない。そんな態度に幸喜はただ口元を緩め笑みを浮かべると小首を傾げ、未だに呆然と驚いたままの友人の顔を覗きこむ様に顔を近づけてくる。
「こら! 近づきすぎだろ? それに驚いてるぞ、こいつら・・・・・」
ぐい、と幸喜の襟元を引きながら告げる呆れた声、それに不満そうに唇を尖らせる幸喜に構わず遠野可月は未だに呆然としている僕等へと視線を向けてくる。
「悪いな、いきなり。あんたら、隣りのC組だっけ? しつけがなってなくて失礼した!」
「・・・・・可月! しつけって何? オレは犬や猫じゃねーぞ?」
「いきなり顔を覗きこんで話しかけるのは失礼に値しないのか? 知らない人に話しかける時はとりあえず距離を取れって言ってるだろ?」
「・・・・・・近づいた方が親近感湧くだろ?」
「それはお前だけだ!」
頭を抑え溜息を深く零す可月に幸喜は尖らせた唇から「うーっ」と呻く声を漏らす。反論出来ずに黙り込むその姿にまるで漫才を見ている様でどうしても堪えきれない笑いを耐えれなかったのは友人が先だったらしく笑い声が耳に聞こえてくる。
「見かけと中身が違うとは良く言われるけど・・・・・・こちらこそ初めまして、君の事は良く知ってるよ、有名だから。僕はC組の境良明(さかいよしあき)、こっちは友人の佐伯陽だよ。よろしく!」
笑いを押し殺し、それでも笑みを浮かべたまま手を差し出す友人に幸喜はにっこり、と笑みを浮かべると差し出す手を両手で握り締める。ぶんぶん、と手を振る幸喜に友人は笑い声を出したまま僕へと目を向ける。
「宜しく、僕は姫じゃないけど」
「・・・・・大丈夫! 可月も姫じゃないけど、仲良くしてね」
幸喜の差し出す手を握りながら呟く僕に隣りに立つ可月に視線を向けながらも笑みを浮かべる幸喜に僕は笑みを返す。隣りに立つ可月へとちらり、と向けた視線を僕はすぐに幸喜へと戻した。 穏やかで人懐こい幸喜の笑みに釣られる僕等を可月はただそっと溜息を零すと呆れた顔で見ていた。
同じ一年だから、同じ姫候補だから、それだけの理由で僕等は急速に幸喜と仲良くなった。 当然、幸喜と仲良くなれば、彼の傍にいる可月と行動する事も増えたけれど、良く話すのは幸喜で、可月はたまに幸喜に話す意外僕等に話しかける事は無かった。それでも周りからはいつも僕と友人は幸喜と可月と行動を共にしていると見られた。 実際には可月と話す事はほとんど無い、それなのにだ。 最有力姫候補の幸喜は姫候補に選ばれるのが頷ける存在感の持ち主だった。同じ女装なのに、女装だと分かる友人とは明らかに違う、まさに女の子だと言われてもおかしくない。元々、入学した当初から可愛い子だとすぐに有名になった幸喜はそこそこには可愛いだろう友人と並ぶとまさにこれほど差が出るものだと認めずにはいられない存在だった。話さなければまさに絶世の美少女で通る容姿、常に浮かべている笑顔は見ている人を穏やかな気持ちにさせる。 いつも傍にいる事でその違いを痛烈に感じたのはもしかすると僕よりも友人の方が大きかったのかもしれない。だけど僕は気づかなかった。気づく事すらしないまま、4人でいる現状を当たり前と感じて、それに慣れてしまっていた。
「好き、なんだ」
突然聞こえてきた声に僕は足を止める。人気の無い廊下、いつもよりかなり遅くなってしまった委員会の会議の帰り、聞き覚えのある声に足を止めたままつい耳を傾ける。
「いきなり、何を言って・・・・・」
「・・・・・俺だって、どうかと思う! だけど、もう・・・・・抑えられないんだ!」
戸惑う困った声をかき消す様に更に告げる必死な声。答えを聞くより先に僕は逃げ出した。その時僕の中にあったのは「ここにいてはいけない」そんな思いだけだった。 きっと走る足音だって、静か過ぎる廊下に響いたのだろうけれど、振り向く事なく一気にその場を駆け抜けた僕は乱れる息を整える為に立ち止まると胸を握り締める。
「あれ? 陽今帰る所?」
声を掛けられびくり、と肩を震わせ振り向く僕の目の前に立っていたのは鞄を手にした幸喜だった。
「・・・・・ああ、委員会が長引いて・・・・・そっちは? 今帰るとこ?」
「可月待ち! すぐ来るって言ったのに、戻って来ないんだよね。 見かけなかった?」
少しだけ唇を尖らせ告げる幸喜に僕はびくり、と震えそうになる体を抑える為に咄嗟に手を握り締める。
「見なかったよ。 何か用事でもあったの?」
「さぁ、聞いてないや。 早く来ないと俺、帰るよ・・・・・」
眉を顰め困った顔にそれでも笑みを浮かべる幸喜に僕は握り締めた手へと更に力を籠めると笑みを返す。その時の自分がどんな顔をしていたのか、実ははっきり覚えていない。誰かに今見た事をすぐ伝えたかった、だけど、目の前で笑みを浮かべている幸喜にだけは伝えてはいけない、それだけは確信を持っていた。
「・・・・・じゃあ、僕は帰るね」
「うん、また明日」
呑気に手を振る幸喜に笑みを返した僕は置きっ放しの鞄を取りに行く為に歩き出した。逃げたその場所を通る事の無いように今度はルートを変えて。
*****
「なぁ、最近変じゃない? 境と行動一緒じゃないなんて・・・・・」
「・・・・・そう、かな? 姫祭も間近だから、合わないだけだよ・・・・・」
姫祭が間近なのは嘘じゃない。姫候補の生徒が忙しいのも嘘じゃない。だけど、合わせる事はしようと思えばできるけれど、僕はあの日から姫祭には全く関わらないクラスメート達と行動を共にした。 友人の傍でどんな顔をすれば良いのか分からなかった。 挨拶ぐらいは普通に交わす、だけどそれだけ。 姫候補は姫祭が間近に迫っているせいか候補だけで集まる事が増えたのも良いきっかけだった。 不自然には思われない様に、僕は友人と距離を置いた。
「陽ーっ! 久しぶりだね、元気?」
それでも変わらずに話しかけてくる人が一人。幸喜だ。純粋に笑みを向け話しかけてくる彼を邪険にする事は僕には出来なかった。友人ともまともに行動を共にしていないのに、きっと忙しいのは友人と同じなのに、幸喜は突然僕の前に現れる。
「元気だよ、そっちは忙しいんだろ? こんなとこにいて平気?」
「ご飯食べる時間は必要だろ?」
「・・・・・それもそうだね。 そういえば、遠野は元気?」
「うん? もうすぐ来るけど、陽は? 最近よっしーとは一緒じゃないの?」
「まぁ、ね。 境も忙しそうだし、暇な僕が呑気に声掛けるのも悪いと思って、自重してるんだよね」
「ふーん、けんかとかじゃないの?」
「・・・・・何で? そんな事無いけど・・・・・」
ぱくぱく、と目の前の食事を口に含みながらも話しかける幸喜に僕は曖昧に答える。 けんかはしてない、けど顔を合わせづらいなんてもちろん目の前の人には言えなくて、微かに笑みを浮かべる僕に幸喜は僅かに眉をぴくり、と動かすけれど、それ以上は聞かなかった。 幸喜と会うたびに続いた不毛なやり取り、そんなある日、転機が訪れた。
思っていたより長くなりそうな過去篇; やばいと思いつつまだ続きます。 何かもう中編を越えている気がする; 20100813
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