■9

がしゃん、とすぐ目の横を通ったガラスが壁に辺りぱらぱらと落ちていくのを横目に青年は目の前で未だに物を所構わず投げている少しだけ年下の青年、青龍の姫である棗へと目を向ける。
大きな柔らかいソファーに座った棗は、手に取る物全てを苛々と投げ捨てるのを止めない。
「棗様・・・・・」
そっと名を呼ぶ青年に顔を上げた棗の目元は怒りの為なのか真っ赤に腫れ上がり、いつもならただふっくらと赤みを微かに散らした頬も大きく浮腫んでいる気がするのに微かに眉を顰めた青年は棗へとそっと近づく。
「笑いたいなら笑えよ! 人の顔色見ておどおどされるよりよっぽど良い!」
「・・・・・今日はお疲れ様でした。 十分な結果かと思われます。」
「どこが? この僕が2位! 初登場のあいつにどこが劣っていたと?」
「初登場ではありません! 彼は中等部三年連続優勝の経験を持つ姫です。 中等部は寮生だけの祭典ではありません。他校からの票、教師の票、親類縁者、全ての票で決まります。三年連続彼はその票を全て自分に集めていた、それだけの人です。」
「・・・・・何が言いたい?」
「お披露目なんて必要ない。他校出身がほとんどを占めるこの寮にも中等部祭典を見た者だっているでしょうし、出場する事を決めた時から結果は裏で予想されていました。」
「何だよ、それ・・・・・」
「姫の登録が最も遅かった朱雀の情報は全く入ってきませんでしたから、彼が出るともっと早く知っていれば、こちらも手を打てたのですが、和装は彼の最も得意とする分野です・・・・・和の世界では有名な家のご子息ですから。」
淡々と告げる青年の声に棗は唇を噛み締める。和の世界で有名だろうと、どれだけ水面下で人気があろうと、朱雀の姫にだけは勝ちたかった。彼が、東雲幸喜が姫候補に選ばれたあの時から、勝てるはずだと信じていたのに。誰も彼が姫経験者である事を棗には言わなかったのがただ腹立たしい。どんなに慰められても、募る怒りに棗は更に唇をきつく噛み締めた。
「あいつだけには、負けたくなかったのに!」
ぎりっ、と唇を噛み締め吐き出す棗に青年は何も言わなかった。正確には言える言葉が見つからず、どうしてそこまで朱雀の姫に固執しているのかの理由も分からなかった。
「・・・・・一人にしてくれないか?」
ソファーに座りこんだまま息を吐き出し告げる棗の言葉に青年はただ頭を緩やかに下げると部屋を去る。様々な物が散らばった部屋の中、棗は唇を噛み締めソファーの上へと置いている手をぎゅっと握り締める。
「東雲幸喜、あんたには渡さない! 彼は・・・・・僕のものだ!」
一人残された部屋の中、呟くその声を聞くものはどこにもいなかった。

くしゅん、とくしゃみを一つ落として、ごそごそ、と上に被さる毛布から這い出た幸喜は窓から差し込む陽の光に目を細めながら、部屋を見渡す。談話室でいつの間にか出てきた酒を飲んだ辺りから記憶はあやふやで、当然あの場でそのまま寝ていたはずなのに、いつの間に自分の部屋に戻って来たのかも覚えてない幸喜は首を傾げながら、再びくしゃみをする。
「風邪か?」
背後から聞こえる声に振り向くといつの間にシャワーを浴びたのかぽたぽた、とまだ髪から雫を落としてはいるけれど、妙にさっぱりした顔で立つ可月と同じくこちらもさっぱりしてきたのか知彦がじっと幸喜を見ている。
「おはよう! いつの間に・・・・・何で起こしてくれないの?」
「・・・・・気持ち良さそうに寝てるのに起こさないだろ?」
「右に同じ! 抱きかかえて連れて来たのに爆睡中だったし」
唇を尖らせ抗議する声に可月と知彦は顔を見合わせ二人同時に笑みを浮かべると言葉を返してくる。
そんな二人に返す言葉の無いまま慌てて跳ね起きた幸喜はバスタオル片手に各部屋備え付けのバスルームへと向かう。
「幸喜! 朝ご飯というか、昼ごはんは14時までだってよ?」
「わかった!」
背後から掛ける知彦の声にバスルームから声がした後すぐにシャワーを流す音が響き出す。
「風邪じゃないみたいだよ?」
「だな、じゃあ・・・・・誰かが噂してるとか?」
「あれとか?・・・・・可月は飯食べる前にけりつけてこいよ! 向こうも起きてるんじゃないか? 悔しくて眠れなかったかもしれないけど・・・・・」
プライドだけは高そうな顔を思い浮かべ皮肉を混じらせ告げる知彦に肩を疎めた可月は昼は一緒に、と呟き部屋を出て行く。
一人残された知彦は遠ざかる足音を聞きながら濡れた自分の髪を机に備え付けの椅子に座り拭きだす。
シャワーの音に紛れ鼻歌交じりの幸喜の声が聞こえてくるのに、知彦は髪を拭きながら微かに笑みを浮かべた。


*****


難航を示すかも、と予想していた別れ話は以外とすんなり片がついた、と昼休みに戻ってきた可月が言うのに幸喜は不安だった胸を撫で下ろす。すぐに別の話を始めた可月と幸喜の周りに他の寮生も混ざる中、一人思案顔の知彦は微かに眉を顰める。あれだけ執着していたのにあっさり、手を離す棗の思惑が分からなくて不安になる知彦に可月は愚か幸喜も気づきはしなかった。
「可月! 注意はしとけよ!!」
「・・・・・ああ、分かってる。 俺より、幸喜だけどな・・・・・」
他の寮生と楽しそうに話す幸喜を横にそっと耳元で囁く知彦に可月も神妙な顔をして頷く。仮にも恋人と呼んだ男の性格を知らない可月じゃないから、拍子抜けするほど簡単に頷いた棗のこれからが怖かった。散々持て囃された彼のプライドを砕いた幸喜が一番の標的になりそうな事ぐらいは可月にも予想出来ていた。
別れ際に見せた棗の笑みを思い出した可月は微かに溜息を零し、輪の中で笑みを浮かべている幸喜に目を向ける。視線に気づいたのか笑顔を向けてくる幸喜に笑みを同じく返した可月は知彦と顔を見合わせまた微かに息を吐いた。
「そういえば、椚、退学だって」
「・・・・・マジ? まぁ、当然だろ? じゃあ、青龍は寮長が新しくなるのか」
「そうなるね、姫祭絡みでの退学なんて、バカだよな」
棗の為なら、と幸喜を監禁して口には出したくない事をしようとした椚の顔を思い出した知彦は内心思わず舌を出す。それは可月も同じなのか知彦へと笑みを返す。
「親衛隊はどうなるの? 隊長がいなくなるじゃん!」
「・・・・・幸喜、向こうの話は良いのか?」
どこから聞いていたのかひょこっ、と口を出してくる幸喜に知彦は苦笑して先ほどまで集まっていた寮生達の輪へと目を向ける。
「良い! 何か話題が変わったから・・・・・それより、親衛隊の方は?」
「俺らが知るかよ。 新しい隊長が出来るんじゃね?」
首を傾げ尚も問いかける幸喜に可月が微かに眉を顰めおざなりに答えるのに知彦もただ頷く。
「あれに関わった奴らのほとんどが退学らしいから、親衛隊も実質解散してくれると俺は嬉しいけどな」
ぼそり、と告げる知彦に幸喜は苦笑し、可月はますます眉を顰めた。

昨夜よりも乱暴に手当たり次第手に取る物を投げ、無言で癇癪を起こす棗の様子におろおろ、と戸惑う親衛隊の者達は訪れた青年の顔を見てほっと安堵の溜息を零す。
「・・・・・棗様、周りの者が驚いていますので、少し落ち着いて頂けませんか?」
「また、お前? 椚はどうした?」
面白くなさそうに男を見上げ、唇を尖らせたまま告げる棗に周りの者達が微かに眉を顰める。そんな彼らをそっと見遣る青年は穏やかな態度を崩さないままその唇に笑みを浮かべる。
「椚はもう二度と来ません。 彼は退学に、他にも数名退学者が出ました」
「・・・・・何を言って・・・・・」
「あなたが敵に回した中に学園に絶大な権限を持つ者もいたみたいです。 事前に気づいていたら手を打ったのですが、棗様、ここの寮長も変わりましたので、紹介しておきます。」
戸惑い混乱した顔を向けてくる棗に笑みを崩さず淡々と話す青年はそのまま後ろへと顔を向ける。
「お会いできて光栄です、青龍の姫様! 新しく寮長に選ばれました同じ二年の佐伯陽(さえきあきら)と申します、以後よろしくお願いしますね」
人好きがするだろう笑みを浮かべているけれど、背筋に悪寒が走るほど嫌な予感が消えない棗は釣られた様に笑みを浮かべる。自分の知らない所で何かが起こっている、そんな気がしていたけれど、同じ寮にいるはずなのに、今まで親しく話した事も無い佐伯に聞く事もできずにかといって、副隊長を名乗ってはいるけれど、隣りで先ほどから浮かべた笑みを一向に崩さない男に聞く事もできずこくり、と喉を鳴らし棗は椅子へと置かれた手をぎゅっ、と握り締める。
「棗様、青龍寮の幹部からお話がありますので、どうぞこちらへ。 佐伯さんも是非ご一緒にと言われていますので」
礼を取り、読めない笑みを浮かべたままの男はやっぱり感情の見えない単調な言葉を告げると先に出口であるドアへと歩き出した。そんな男に向けていた顔をすぐに棗へと向けた佐伯は手を差し伸べてくる。
「・・・・・何・・・・・」
「棗様、どうぞお取り下さい」
戸惑う棗の目の前にずい、と差し出した手をそのままにっこり、と笑みを浮かべる佐伯に言われるまま手を伸ばすとゆっくり、と立ち上がらせた佐伯は先に向かう男の後にゆっくり、と続く。繋がれた手の温もりに棗はぎゅっ、と唇を噛み締める。
扉の向こうに広がる世界が昨日までと変わっている、そんな気がしてならなかった。


*****


『議題』と大きく書かれたホワイトボードには小さく『特典欲しいもの希望』と書かれている。
談話室に集まった朱雀寮生の目の前には寮長と副寮長が立っている。
「今回、姫祭では目出度く我が朱雀の姫が優勝した。で、一つ特典を許されるのだけれど、事前アンケートの結果をここで発表する」
畏まった言い方の寮長の言葉に寮生達がおーっ、と歓声を挙げるけれど、幸喜は微かに首を傾げ隣りに座る可月の袖を引く。
「何、どうした?」
「・・・・・事前アンケートって何? オレ、知らないんだけど・・・・・」
「オレも知らん。 幹部だけのアンケートじゃねーの?」
「まじですか」
眉を顰めこそっ、と答える可月に幸喜は呟くと溜息を零す。
学校でいう生徒会みたいなものが寮では幹部と言われる。寮長・副寮長を筆頭に各学年の代表数人を集めたこの組織は寮のイベントには必ず関わっているらしく、同じ寮にいるけれど、誰が幹部かなんて実はあまり知られていない。
幸喜も幹部の存在は知っていても、代表として表に出るのはほとんど寮長・副寮長なので、他の幹部については知らない。
「とりあえず、書き出すので、良いと思うものに各自票を入れて欲しい」
結局はくじ引きなんだ、と呟く幸喜の声に可月は微かに笑みを浮かべるけれど何も言わない。
それから数十分後、書き出された希望を見る寮生達の目はほとんど同じく呆然としていた。

・各部屋に冷暖房完備(同票多数)
・談話室にテレビを置く
・携帯電話の使用を認める
・外出時間の延長希望
・外泊許可の提出は前日でも可能

特典としてというよりは、ほとんど望みの薄い願望の様な気がして幸喜は隣りの可月へと目を向ける。
「冷暖房完備くらいしか現実的じゃないよな?」
「・・・・・やっぱりそう思う? 他のはオレも無謀だと思う」
互いの顔を見合わせこっそり話す可月と幸喜に構わず、場は進んでいく。不満こそ出ないけれど、出された希望のほとんどが願望だと誰もが気づいている、そんな雰囲気がする。

「特典希望は各部屋に冷暖房設置に決まりました。 明日、実行委員会に提出しようと思います」
無難に決まった冷暖房完備で臨時の寮会は幕を閉じ、談話室から次々に寮生が部屋へと戻っていくのに便乗しようと立ち上がった幸喜と可月へと近づいてきたのは、今までどこにいたのか突然消えた知彦だった。
「どこにいたの、お前」
「・・・・・ちょっと・・・・・それより、こっち!」
手招きして先に歩き出す知彦に顔を見合わせ互いに頭を傾げた可月と幸喜は疑問を大きく顔に出しながらも続いて歩き出す。促されたのは食堂。いつの間に来ていたのか、寮長、副寮長もそこにすでに座っていた。
「・・・・・知彦?」
眉を顰め名を呼ぶ可月の声に知彦は先に座っていた面々と顔を見合わせ、立ったままの二人を席へと促す。
「紹介する、可月、幸喜。 ここにいるのが朱雀寮の幹部の面々だよ。言わなくても顔は知ってる、だろ?」
今更紹介する事は無いだろ、と言外に知彦が告げる通り、幸喜にとっても可月にとっても馴染み深い面々が並んでいた。
「幹部なら、一年もいるはずだろ?」
「・・・・・今回は除外。 青龍の寮長変更の話は聞いてるだろ?」
「はい、それとこれに何の関係が?」
どうして呼ばれたのか分からなくて不安で戸惑う幸喜の手をテーブルの下でぎゅっ、と握り締め答える可月に笑みを向けたのは、姫祭の際に幸喜の衣装、メイクを受け持った友永唯心だった。
唯心は笑みを浮かべたままじっと可月を見つめる。
「・・・・・先輩?」
「青龍の寮長に決定したのは二年の佐伯陽。知ってる?」
視線を逸らさない唯心に眉を僅かに動かし口を開く可月に答えたのは唯心の横にいる副寮長、春野月彦(はるのつきひこ)。淡々と告げるその声に顔を向けたのは幸喜で更に眉を顰め唇を噛み締めたのは可月だった。
「因縁の相手だって、知彦に聞いてる・・・・・本当?」
「・・・・・何で、青龍寮に? だって、陽は外部生じゃないのに・・・・・」
月彦の問いかけに擦れた声で呟く幸喜の手を可月は無言で握り締めた。
イベントが終われば丸く納まる、そのはずだったのに、思ってもみない方向へと動き出しているのを感じる幸喜は握られた手をただ握り返した。


中編のはずが長くなっていく気が・・・・・暫くお付き合いお願いします! 20100705

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