裾の下に隠れるズボンが見える程乱暴に歩くからちりん、ちりん、と激しく鈴が鳴るのも構わない幸喜の背後から慌ててついてくる様な足音と名前を呼ぶ声が響き、やっと足が止まる。
「・・・・・どうしよう、俺・・・・・まずい事した?」
「おバカさん!・・・・・誰かと言い合うなんて普段しないから今頃後悔するんだぜ。本当にどっちが天然のお姫様なのか見れば分かるっての。」
今更後悔しているのか、どんより、と沈んだ顔の幸喜に呆れた声で知彦が呟く。その言葉に顔色も青褪める幸喜の肩を抱き寄せた知彦は背へと手を伸ばしゆっくりと撫でる。
「大丈夫だよ。 朱雀は全力でうちの『姫』を守るし、そう酷い事にはならないしさせないから。言ったものはしょうがないじゃん、な?」
慰めとも励ましともとれないあやふやな知彦の言葉に幸喜はただ溜息を零した。 自己嫌悪に陥りながら教室に戻った幸喜はすぐに机へと突っ伏す。一言「誤解だ」と言う、それだけで事は済んだはずなのに、タカビーなお姫様な上から目線が気に入らなくて思わず余計な言葉を投げつけてしまった。考えて言葉を発するのが苦手な幸喜はすぐに思った事を口に出したおかげで何度損したのか自分でも分かっているのに、予鈴の音が鳴ってもうつ伏せの顔を上げようとしない幸喜に近づく者はどこにもいなかった。
急に頭を撫でられ、その温もりに幸喜はがばり、と顔を上げる。同時にちりりん、と鈴が響く。
「・・・・・具合悪い、とか・・・・・平気?」
「あの、平気だから・・・・・俺こそ、ごめん! 俺、まずい事した・・・・・」
眉を顰め窺う様に問いかけるその声に幸喜はすぐに頭を下げる。まともに顔を見る勇気も無い幸喜の耳にくすり、と笑う気配がする。 「・・・・・遠野?」
「気にするなよ。 アレはああいう奴だから、立ち向かえる方が凄いよ。」
「え?・・・・・・あれ?」
笑みを浮かべ告げる可月に不思議そうに幸喜は首を傾げる。ほんの数分前の出来事をまるで知っているかの様に呟く可月はそんな幸喜の顔に気づいたのかすぐに種を明かしてくれた。
「わざわざ俺に言いに来たんだよ取り巻きの一人が。『姫』の品位も何も無いとか言ってたけど、気にするな。『姫』の品位って何だよそれ。そんなの別にいらねーよ、バカじゃねーか?」
「・・・・・悪いよ、それ。 とりあえず向こうは真剣だから、ごめんひびが入ったら仲裁するから・・・・・本当にごめん!」
吐き出す可月に吹き出すように笑い出した幸喜はすぐに咳払いをすると真剣な顔で告げてくる。そんな幸喜に可月は一瞬眉を顰めるけどすぐに笑みを向けてくる。
「気にするなって! 『姫』に話題はつきものだから、あと少しの辛抱だろ?」
ぽんぽん、と軽く頭を叩く可月に幸喜はやっとほっとした様な笑みを向けた。 その笑みに一瞬クラスにどよめきが走ったのもひっそりと牽制の意味で鋭い視線をクラス中に巡らせた可月の事も幸喜は気づかなかった。ただ少しだけ肩にどっしり、と構えていた重みが軽くなった事に単純に喜んでいたから。
期末試験を乗りきり、あっと言う間に学校は終業式を迎え、寮の中は姫祭の準備一色へといつのまにか変化していた。あちこちに看板や飾りを作る人達の姿が見受けられる。扇子で暑さを凌いでいた幸喜はあまりの暑さに喉に渇きを覚えジュースを買いに休憩室へと向かう。多少涼しい風はくるけれど、唯心のこちらも手作りの扇子には持ち手に房がついていて、ソレを見るだけで暑さは倍増する。多少慣れたとはいえ、着物も結構熱を篭らせるのか色々蒸れて暑い。塗り慣れないメイクで肌呼吸ができなさそうで、世の女性の大変さを何となく痛感してみたりもする。歩くたびにちりん、ちりん、と鳴る鈴も決して不快な音ではないけれど何もかもが暑さを誘う気がする。 休憩室の入り口が見えてきた所で話し声が聞こえた気がして思わず幸喜は足を止める。入り込めないそんな気がしてそっと覗きこんだ幸喜はすぐに壁へと隠れる様に息を潜める。 姫祭まで指折り数えられる程間近に迫った今、この時に堂々とよその寮に足を踏み込めるのは凄い、とただそれだけを幸喜は思う。離れているせいなのか会話はほとんど聞こえないけれど漂うのは険悪なムードだ。離れているのにぴりぴり、と部屋の中篭る痛みが伝わる。そこにいたのは可月と棗。甘い恋人同士の雰囲気はどこにも無かった。
*****
「・・・・・だから、転寮してって言ったのに! ここの寮は僕の味方じゃないのに・・・・・」
「いい加減にしろよ! 何でわざわざ転寮? そっちがわかんねーよ。たかが遊びの姫祭大げさに考えすぎだろ?」
「分かんないのは可月の方だよ! 僕を応援するならここにいたら出来ないじゃん! それとも一人だけ僕を応援してくれる? まぁ急に選ばれた姫よりも当然僕の方が相応しいのは分かってるけど。」
「・・・・・応援なんかいらないだろ? 相応しいのはお前なら、それで良いじゃん。 バカな事言ってないで、いい加減帰れよ!」
「可月!」
呆れた様に肩を疎める可月に棗がぴったり、とくっついてくる。
「暑いから、放せよ!」
「・・・・・ねぇ 僕達恋人同士だよね? それにしては態度が冷たくない?」
「気のせいだろ? 俺は普通だよ。」
「ねぇ、キスして。それより先も僕はいつだって良いのに・・・・・今夜とかダメ?」
顔を近づけて囁く棗に可月は一瞬眉を顰めて入り口へと目を向ける。
「・・・・・誰も来ないから、キスしてよ!」
縋る様に身を寄せてくる棗に微かな溜息を零した可月は言われるまま顔を近づけようとして耳に聞こえた音に棗を突き放す。確かに聞こえた鈴の音。可月はすぐに入り口から廊下を覗き込んだけれど誰もいなかった。
「可月!!」
唇を尖らせ甲高い声で叫ぶ棗に顔を向けかけた可月は目の端にきらり、と光るモノを見つけ手を伸ばす。ちりん、と手の中音がするソレは見覚えのあるモノだった。ぎゅっとそのモノを握り締めた可月は棗へと顔を向けると口を開いた。
「さっさと帰れよ! 姫祭が終わるまでこの寮には来ないでくれないか、見つかればお前はここの敵なんだろ? 何があっても責任持てないから。」
言外に守る気は無い、と告げる可月に棗は唇を噛み締めると走り出す。一人残された休憩室で重い溜息を吐き出した可月は目にかかるほど伸びた前髪をかきあげた。
ぐったり、と暑さでばてている幸喜の前で忙しそうに唯心とその助手達が最後の手直しを加えている着物へとぼんやり、と目を向ける。ジュースを買いに出たはずなのに手ぶらで戻って来た幸喜に唯心もその助手の子達も何も言わなかった。聞かれてもきっと答えられないだろう。自分でもなぜ逃げようと思ったのか分からない。ただ見たくなかっただけ。可月が棗に触れるのを、ほんの後少しで唇が触れる所から目を逸らし、幸喜は気づいたらこの暑い最中に走っていた。ばくばくと高鳴る胸の奥がきりきりと痛むからぎゅっと胸を抑え息を整えた。恋人同士なんだからキスだってそれ以上だって付き合って一年ならあって当たり前、当然だと分かっているのに、あの腕が唇が棗に触れるのを見たくも想像したくもなかった。 手を放したのは幸喜からだ。何度も夢で後悔している自分を見るし、クラスが同じになる今年まで話す事なんて無かった。少しだけ昔の様に話せる様になったからと言って幸喜の起こした過去が消えるわけ無い。分かっているのに、見たくない。自分から放したあの手を温もりを今は惜しいと思っているからこそ、割って入る事はできないのに欲求だけは日増しに強くなってくる。机に頭をのせたままぶんぶん、と頭を振り出す幸喜に唯心の慌てる声が聞こえる。
「・・・・・ぃ、幸喜! お前に客だよ。頭、あんまり振るなよ、乱れるだろ?」
スタイリストとしての厳しい意見も忘れない唯心はそう告げるとすぐに作業へと戻る。入り口へと目を向けた幸喜は思わず着物の裾を握り締める。そこに立ち気づいた幸喜に手を振るのは今の今まで一人頭の中で悩んでいた相手、可月だった。
のろのろと立ち上がり近づいて来た幸喜に笑みを更に深くした可月からそっと目を逸らし口を開く。
「・・・・・何か、用?」
小さなその声に可月は心持ち身を寄せてくると俯く顔を覗きこんでくる。
「これ、落とした?」
広げた掌にのせたモノを指でをころん、と動かした途端、ちりん、と音が鳴るソレが髪についていた鈴の一つだと気づいた幸喜はゆっくり、と顔を上げる。変わらない笑みを向けたまま可月が掌を寄せてくるから幸喜は手を差し出す。掌にころり、と落とされた鈴はちりん、と小さな音を立てる。
「・・・・・あの、これ・・・・・どこ、で?」
「休憩室の前に落ちてたよ。 通った時にでも落とした?」
「・・・・・多分、そうなのかな?」
首を傾げ、答えてくる可月に曖昧に答える幸喜は掌へと落とされた鈴をじっと見つめる。休憩室の前に落としたとはきっと慌てて立ち上がり走ったせいかも、と思いながらも幸喜は目の前に立つ人を見る事もできずに鈴から目を逸らせない。
「もう、いらない?」
「・・・・・あの、ごめん! ありがとう、助かる!!」
窺う声にびくり、と肩を揺らした幸喜は慌てて顔を上げると笑みを浮かべ早口でお礼を告げる。そんな幸喜に可月はほっとしたように更に笑みを深くするから可月は掌にある鈴を思わず握り締める。
「・・・・・じゃあ、届けてくれてありがとう、俺・・・・・」
思わず顔を上げてしまったせいで、自分の体温が上昇していくのを感じながら後ずさる幸喜に可月は笑みを消さないまま頷く。
「頑張って、姫祭! じゃあな。」
手を上げ、すぐに背を向け歩き出す可月の遠ざかる背を幸喜はじっと眺めながら、更に掌を握り締めた。
やっぱり『好き』という気持ちが大きくなる。恋人が居ると分かっているのに、早くなる鼓動を聞きながらぎゅっと胸元を握り締めた幸喜は望むだけでは手に入らない人を思いそっと微かな溜息を零した。
*****
祭りだと分かってはいるけれど、去年はイベントにほとんど興味の無かった幸喜は今更こうも盛り上がる祭りなんだと周りを見渡して思う。この後控える『寮祭』も結構大がかりだけれど、姫祭にも四つの寮の周りに屋台が並ぶ。特設ステージも作られていて、お披露目はそこで行われる。四つの寮の姫のポスターなんてものが貼られ、果敢に出回る姫候補達を見ようとたむろする集団をのんびり、と見る幸喜は屋台で知彦が購入してきたたこ焼きを食べている。 メイクと衣装が乱雑に置かれたその部屋は今回限りの貸し出しの空き部屋だった。
「あれ? お前は歩かなくて良いのか?」
部屋に入ってくると同時にのんびり窓辺でたこ焼きを食べている幸喜の姿に知彦は首を傾げる。
「ああ、今回俺は歩かないよ。 大名行列みたいな事は今年は一切させない、と仰る専属スタイリストの鶴の一声で消えた。」
「へーっ、なんでまた。」
「衣装が乱れるからだと、あとメイクも。この暑さの中歩く為には俺の作品は作られてない、と唯心先輩がね。」
「・・・・・なるほどね。」
今回のスタイリスト役の唯心の顔でも思い出しているのか知彦は笑いながら頷く。実際、この暑い中、歩くのは勘弁して欲しい、と幸喜も思っていたから特に不満もなかった。扇子を振り優雅に外を眺める幸喜の傍まで近寄った知彦は外を眺めると少しだけ眉を顰める。 「あの、ドレス重そうだな?」
「ああ、多分、白虎かな? 西洋系は白虎と玄武だよね?」
見下ろした先を歩いてるのは日傘をさした白いドレス姿の人。周りを歩くのはもちろんお付きの面々。ゆったりした足取りだけれど、纏うドレスはレースをふんだんに使った見るからに暑そうな代物だ。
「汗かかないのかな?」
「化粧で紛らわしてるとか? あの人、涼しそうな顔してるし、常に。」
「・・・・・だね。」
白虎の姫の顔を思い出し好き勝手話しながら、幸喜は周りを見回す。今、朱雀の寮の近くにいる姫は白虎の姫だけらしく、他の姫の姿は見えない。いやでも会う事になるだろう青龍の姫、棗を思い出し微かに眉を顰めた幸喜は微かな溜息を零した。
夜のお披露目に向け、衣装を整え、化粧を整える姫達の訪れを特設ステージの前で待つ人の群れをそっと脇から覗き見た幸喜はすぅ、と大きく息を吸い込むと吐き出した。髪につけた、首につけた鈴がちりん、と微かに揺れる。
「これで見収めはちょっと寂しいけど、悔いは無い、幸喜は俺にとって最高の姫だった。」
にかっ、と豪快に歯を見せ笑う唯心に幸喜は何も言わず笑みを返した。扇子を渡され、肩を叩かれた幸喜は唯心に軽く頭を下げると姫候補の控え室へとゆっくり、と歩き出した。まるで戦場に向かう人の様に見送られ、扇子を握る手に力が篭る。 扇子を仰ぐと微かに焚き染められた香の匂いがして力んだ力が少し緩む。リラックスする様にと細かなものにまで気を使う唯心らしい心遣いに幸喜はつい笑みを浮かべるともう一度深呼吸を繰り返した。
「・・・・・緊張してるみたいだね?」
不意に声をかけられ振り向いた幸喜はそのまま軽く頭を下げる。昼間、上から見た白虎の姫であるのにすぐ気づいた。白いドレスは遠目から見るよりいっそう豪華で重そう、という感想も強ち間違いでも無いらしい。
「三年目なのに、僕も緊張してるよ。今年が最後なのに、姫を青龍に取られるのかと思うと。」
「・・・・・先輩?」
「前評判は青龍がトップだよ。 次は君かな?」
「俺、ですか? 俺は姫なんて柄じゃないって言ったんですけどね。」
微かに笑みを浮かべる幸喜に白虎の姫は笑みを返すと呼ばれたのかそちらへと顔を向ける。
「ああ、行かなくちゃ。 青龍の姫を負かしてくれるならどこの寮でも構わないけど、朱雀の姫、頑張れよ!」
ドレスの裾を翻しながら告げるその声に、幸喜は笑みを浮かべたまま頭を下げる。まさか、別の寮の姫から激励を受けるとは思わずそれが嫌味なのかそうでないのかも理解できなかった。未だに姿を現さない青龍の姫、棗の姿を思い浮かべ、微かな溜息をまた零した幸喜は微かに自分を呼ぶ声に顔を上げる。辺りを見回すと控え室へと続く廊下で手招きしている人を認め近寄った幸喜は目の前の人がなぜここにいるのか分からず眉を顰めずにはいられなかった。立っていたのは可月、そして友人の知彦だった。
「・・・・・二人でどうしたの?」
「俺が激励したいって言ったら、可月も来るって言うからさ。 とりあえず移動しよう、ここじゃまずいだろ?」
「まずい?」
そう、まずい、と言いながら歩き出す知彦に首を傾げる幸喜の背を可月が急かし、三人はすぐに歩き出した。本番まであと少しなのにわざわざ激励に来た意外な取り合わせの二人に疑問ばかりが膨らんでいた。
とうとう本番に。展開が早い様で実はどうなんでしょう? 恋愛は?恋愛がちょっと遠いままですがお待ちを!
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