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人が続々と体育館に集まってくるのを背中越しに感じる。
二曲目が終わりに近づく頃には、全校生徒が入っても余裕のはずの体育館なのに、人の多さのせいなのか異常な熱気が篭っていた。
同時に席に黙って座って見ている事が出来なくなったのか、前に詰めかけてくる人で、真面目に席に着いていたはずの夏と悠里は釣られるように前へと進み出ていた。
単に席に黙って座っていても姿が見えなくて人の波に流されただけだったのだけど、押されるまま前に出た事を後悔したのは夏と逸れてからだ。
背後からも横からも人に押され、隣にいたはずの夏と逸れたまま、悠里はステージがすぐ目の前だという場所まで進み出ていた。スピーカーが近いせいか、耳がきんきんして、痛み、更に後ろからも横からも背を押され、身動き一つ取れないまま、悠里は必死に何とか動く首を回し、夏を探す。人の群れに逆らうのは無理で、耳は痛むし背は痛み、逃げたくてもどうする事もできないまま悠里は微かに眉を顰める。文化祭の実行係だろう人達が必死に「戻って下さい!」と遠くで叫ぶ声も聞こえるけれど、身動きとれない今の状態ではその頼みすら聞けなくて、悠里は困った顔で俯く。
何とか、戻りたいと少し体を動かそうとはしてみるけれど、全く動かない体は相変わらず前からも横からも押され、まるで満員電車の中にいるみたいだと、現実逃避な考えについ逃げたくなる。
耳を劈く大音響、それに増す人の声、体中をもみくちゃにされる、そんな状態から悠里はいきなり浮遊感を感じて顔を上げる。
ギターを肩からかけた男が困った顔で笑みを浮かべる、そんな顔を間近で見つめた悠里はがくり、と安堵で意識を落とした。

ずきずき、と痛む体に重い瞼をこじ開けた悠里はじっと見つめる視線に気づき、顔を上げる。
腕を組み、ベッドのすぐ脇に椅子を置き、睨み付けてくるその顔に悠里はここがどこなのか巧く理解できないままただ笑みを浮かべた。
「・・・・・危険だと思ったら即逃げろ! 危うく下敷きになる所だっただろ?」
そんな悠里の頭を軽く拳を作った手でこつり、と叩きながら告げるその声の主はあの会場でもみくちゃにされていた悠里を助け上げた人、泰隆だった。
「ライブ・・・・・どう、なった?」
「途中でお開き。 あれじゃ、ただの迷惑だ。けが人が出なかったのが奇跡だよ。」
一人、やばかったけど。と付けたしながらもう一度睨む泰隆に悠里は困った顔で引き攣った笑みを浮かべる。
「・・・・・・何で、俺・・・・・伊藤は?」
「あれはさっさと避難したのに、何で要領悪いかな?」
「・・・・・ごめん、なさい・・・・・」
「体は? もう、平気?」
問いかけにただ頷くと、泰隆はそっと息を吐くと、悠里へと顔を寄せる。額をぴったり、とくっつける泰隆に悠里は体を引こうとするけれど、肩に回った手がソレを許さなかった。
「・・・・・泰隆さん、先生、ダメ、だよ・・・・・」
「大丈夫だから、もう少しこのまま。 無事で良かった・・・・・」
安堵の呟きは擦れていて、悠里はどれだけ目の前の人を心配させていたのかに改めて気づくと額をくっつけたまま、瞳を閉じる。柔らかな唇がそっと額に押し付けられたけれど、もう悠里は拒まなかった。


*****


暫く休んだおかげか、節々はまだ痛いけれど歩くのに支障が無いから、と保健室から教室へと悠里は歩き出す。
「着いてこなくて良いのに。 教室に戻るだけ、だよ?」
「興味があるから。喫茶店だっけ?」
「・・・・・うん。お茶しか出さないけど・・・・・」
呟く悠里に泰隆は首を傾げる。そんな泰隆を横目に悠里は「喫茶店」とは名ばかりのクラスの出し物を思い出す。考えたはいいけれど、「喫茶店」は実はありふれてる。悠里達の学年だけでも、8クラス中5クラスは「喫茶店」を出し物に持って来た。
名前を変え、品を変え、手を変え、でもやっている事は実は同じなのだけれど、誰もそこは突っ込まない。
看板の出ているドアを通りすぎ、もう一つのドアから中に入りかけ、悠里は後ろへと振り向いた。
「先生も入るの?」
「・・・・・だめ?」
問いかける悠里の声に背後に立つ泰隆はそこが裏方達の場所だと分かってても答える。
「良いですよ、永瀬先生には滝沢がお世話になったので、今なら俺達だけだから・・・・・どうぞ!」
ドアの前に立ちにっこり、と笑みを向けるいきなり現れた夏の姿に悠里は思わずドアから離れる。そんな悠里の肩に手を置きながら、泰隆は同じく笑みを返すと肩を押してくる。開かれたドアの中へと促す泰隆に押されるまま、悠里は中へと足を踏み入れた。
ごちゃごちゃ、と乱雑にモノが置かれてはいるけれど、決して汚い所じゃない。間仕切りの向こう側が「喫茶店」になっているのか、笑い声や話し声が聞こえてくる。
「悪いね、本当なら俺は向こう側だろ?」
「・・・・・別に見られて困るものも無いですし、構わないですよ。・・・・・あっ、たこ焼きとか焼きそばありますけど、食べます?」
机の並べられた場所に置いてあった袋の中からたこ焼きと焼きそばを取り出し問いかける夏に悠里が「たこ焼き!」と手を伸ばす。
「何か、お前ら、暇そうだね?」
「・・・・・接客班以外はほとんど遊びに行ってるか、ここで暇つぶしですからね。 そんな事言うと、あげないですよ?」
「有り難く貰っときます。 他にする事無いのか?」
「・・・・・無い、ですね。 もう少ししたら、ひやかしには行くつもりですけど?」
泰隆の問いかけに首を傾げながら夏が告げる横で悠里は早速たこ焼きを口に含む。まだ十分温かいたこ焼きを食べながら悠里は仕切りへと目を向ける。
「お茶しか出さないのに、人来てるんだ。」
「お茶しか、って。 今日はお菓子もあるよ。 何かケーキとか数量限定で持ってきてたから。」
「おいおい、自分のクラスの出し物ぐらい把握しようよ。 何か、本当にいい加減だな、お前ら。」
のんびり、会話を進める夏と悠里に泰隆は溜息を吐きながら口を出す。
「・・・・・そんな事言ったって、俺ら裏方買い物班だし。 準備が済めばする事無いのが実情で。」
「接客手伝うとか?」
「そんなに来てないし。 何か内輪の人間だけで終わりそうだし。」
「呼び込みするとか、そこら辺歩いてるヤツ捕まえてくるとか、あるだろ?」
「無い無い、だって、先生。 呼びこみする程うち、凄くないし。」
「そうそう!」
折角の提案をあっさり切り捨てた二人に、泰隆は渇いた笑みを浮かべると、悠里の持っていたたこ焼きを横から掠め取った。

「じゃあ、俺そろそろ行くけど、お前らは知り合いとか来ないのか?」
立ち上がり、ドアへと手をかけた泰隆は振り向くと今度は焼きそばを仲良く食べ始めた二人へと顔だけ向ける。
「俺は来ないけど、伊藤は?」
「・・・・・俺も来ない、はず・・・・・」
頭を緩く振り否定する悠里はそのまま夏へと顔を向ける。夏も頷き答えたその時携帯の着メロが鳴りだす。
「・・・・・あっ、と・・・・・ごめん。 俺知り合い来たから、ちょっと出てくるわ。」
携帯を取り出し画面を見た夏は微かに眉を顰めるとそのまま立ち上がる。
「先生はゆっくりしていけば? とりあえず、ほら、ここには二人きり!」
にやり、と笑みを浮かべ、窺う様に泰隆を見上げ告げる夏は返答も聞かずに部屋を出て行く。
「・・・・・なんだ、あれ?」
「知り合い来たんじゃないのかな? お兄さん、とか・・・・・」
普段よりも少しだけ機嫌が良さそうだったし、ともごもご呟く悠里に泰隆は息を吐くと近づいてくる。
「・・・・・行かないの?」
「暇なら、ちょっと立って。 俺と行こう。」
「えーっ、先生とじゃ目立つよ?」
「平気だから、ほら、立って! 回るなんて言ってないだろ? どうせなら、二人きりになろう?」
身を屈め、そっと最後の言葉を耳元に呟く泰隆に悠里は少し頬を赤くしながらも促されるままこくり、と頷き立ち上がる。
がらり、と締まった小さな部屋の中には食べかけのまま置き去りにされた焼きそばがぽつん、と置かれていた。


*****


人一人、通らない場所を狙うかの様に歩みを進める泰隆を悠里は見上げてから、すぐに俯く。
遠くから、賑やかな声がするのに、二人が歩く廊下は人一人通らない。
教室を出てから、ずっと繋がれた手が熱い、顔も熱い。
誰かに見られたら困るのはお互いなのに、そんな事、気にしてもいないかの様に歩くぴん、と背筋を伸ばした大きな背中をまたちらり、と上げた視界に捉え悠里はますます熱くなる手に微かに力を籠める。
「・・・・・悠里、汗ばんでるよ、手。」
「だって、ずっと・・・・・繋いでるから・・・・・」
「それは緊張から、それとも照れ?」
「・・・・・両方?」
手を引き寄せ、耳元へと問いかける低い声に悠里は肩をびくり、と奮わせるとゆっくり、と顔を上げる。真っ赤になった顔で首を傾げ呟く悠里に泰隆はぶはっ、と吹き出し繋いだ手に更に力を籠めてくる。
「っ、泰隆、さん!」
「大丈夫、誰も来ないよ。 この辺は今回通り抜け禁止区域だから。」
顔を近づけてくる泰隆を空いてる手で思わず押し退けようとする悠里の困った声で名を呼ぶ姿に笑みが更に深くなる。駄目押しの様な言葉と同時に泰隆は唇を掠め取る。
軽く触れただけなのに、泣きそうな顔でそれでもあたりを見回す悠里に泰隆は回りに注意を向ける余裕すら無い程深いキスをすぐに仕掛ける。
禁止区域でも迷い込む人だっているだろう、危険な場所だと分かっているのに、頭では拒否しているのに、舌を絡め取られ、唾液を啜られるほどの深く濃厚なキスに悠里はくたくた、と泰隆の胸元へと顔を押し付ける。そんな悠里を泰隆は空いている手を腰に回しそっと撫でる。
「二人きりの場所に行く?」
耳元に問いかける低い泰隆のその声に悠里は無言で頷いた。
それ以外の選択肢がどこにも無い事は悠里が一番良く分かっていた。


文化祭編なのに、あんまり描写が出て来ないのは私が悪いのか?
ではまた次回!

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