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知昭は携帯で車の中にいる運転手に婚約者を送り届ける事を頼み、このまま彼女を連れて帰る事と迎えはいらない事を告げるとさっさと携帯をしまい、未知の隣りにいる悠里へと視線を向けてくる。
「温厚な話しあいとは、一体何を?」
「・・・・・お互いが平穏である事、が一番ですけど・・・・・何をお望みで?」
「それは・・・・・もちろん、真実か否かだろ? それでこちらの対応も決まるし。」
嘘だと決めつける知昭に反論しようとする未知を宥めながら悠里は少し離れた場所から夏と一緒にこちらを窺う希へと視線を向けるとにっこり、と笑みを向ける。安心できれば良いと思う。できれば体に傷一つつける事なく、平和であれば。深く息を吸い込んだ悠里はもう一度知昭へと向き直り口を開く。
「じゃあ、とりあえず場所移動しましょうか。 あまり聞かれて良い話では無いでしょうから。」
崩さない笑みを浮かべたまま話しかける悠里に知昭は無言で頷くと歩き出す。
「人の滅多に来ない場所なら一つ知ってるから、話しあい、には良い場所だと思う。」
振り向き告げると知昭はまた歩き出すから、それに悠里と未知、後から夏と希が続く。
「・・・・・滝沢?」
「良い案なんて無いよ。 でも、こんなとこにただ立ってるよりはましだろ? それに、由里さん妊婦だろ。こんな寒空にいつまでも立たせとけないだろ?」
こっそり、と名を呼ぶ未知に悠里は肩を疎め小さな声で答える。秋の冷たい夜風は黙って立っているだけで体を冷やす。何時間もこんな場所に立っていれば健康な人だって風邪をひくだろう。ましてや、希は今普通の体じゃない。温かい場所なら思考能力も上がるかもしれない、と微かに思いはしたけれど、悠里はそこまで言う気にはなれなかった。

知昭が案内したのは普通のマンションの一室だった。税金対策で購入したマンションだと未知がこっそり、と教えてくれるけれど、その鍵を普通に持っている知昭に悠里は驚く。誰でも連れ込み放題、騒ぎ放題のマンションの一部屋を息子に与えるあたりが凄いと思うあたりが庶民だとこっそり溜息を吐いた悠里は夏と目が合い、同じ事を考えていたのが分かり、お互いに肩を疎めると微かに笑みを交わす。
「・・・・・未知、冷蔵庫に何か入ってるから、適当に持ってきて・・・・・」
じゃらり、と無造作にテーブルに鍵を置いた知昭は未知へと飲み物を頼むとコートを脱ぎ暖房のリモコンへと手を伸ばす。そして居心地悪そうに立ったままの悠里達へと適当に座ってと呟き、知昭は一人掛けのソファーへとさっさと座りこんだ。
「さて、話しあいって、何を話すの?」
当事者である希を見る事なく知昭は未知の運んで来た飲み物が全員に行き渡るのを見回し、話しあいの発案者である悠里へと視線を向けてくる。鋭く冷たい視線を感じ、背筋を知らずに伸ばした悠里はこくり、と唾を飲み込み真っ直ぐに視線を受け止める。
「・・・・・真実かどうかは、由里さんに、当事者に聞きます。 何か証拠になるモノはありますか?」
それでもにっこりと受け止めた視線に笑みを浮かべた悠里はすぐ隣りへと腰を落ち着けた希へと顔を向ける。青褪めた顔で俯いていた希は悠里に気づいたのか、そっと息を吐き出し、小さな声で「写真が・・・・・」と呟くと鞄の中を漁り出す。白い封筒を取り出し震える手で悠里へと渡そうとした希の手からいつのまに近寄ってきていたのか知昭が奪い取る様に引き抜く。躊躇う事なく取り出したのは白黒の写真。下からでは何が映っているのか理解できないその写真を知昭は食い入る様に見つめる。
「・・・・・これが、証拠?」
低い呟きに希は微かに顔を上げるとこくり、と頷く。悠里達には分からなかったけれど、それはお腹の中にいる胎児を映す写真だった。
「・・・・・白く映ってるのが、赤ちゃん、です・・・・・」
ぽつり、と呟く希の声が静かすぎる部屋に大きく響く。何枚かの写真を見ていた知昭は封筒に写真をしまうとそのまま座っていた椅子へと戻り座りこむ。


*****


重苦しい沈黙が続く中、微かな溜息と共に、考え込んでいた知昭は俯いたまま小さくなっている希へと顔を向ける。
「・・・・・これが本当なら、希、俺の子を君は勝手に殺す気だったって事?」
「・・・・・兄さん! それは由里さんにも理由が・・・・・」
「未知! お前の話は聞いてない、俺は希に聞いてるだろ?」
希を庇おうと口を挟む未知をばっさり切り捨てると顔も上げようとしない希の名を知昭はもう一度呼ぶ。びくり、と肩を動かしはするけれど決して顔を上げようとしない希に知昭は溜息を吐くと顔にかかる髪を掻きあげる。
「別れた相手だから関係ない事? 未知が俺に言わなければ、俺の子供は俺の知らない所で殺されてたって事? ねぇ、何か言えよ!」
「・・・・・兄さん、だから由里さんにも理由が。一方的に攻めるなんて、酷いだろ?」
「黙ってろよ! ねぇ、未知には言えて俺には何で一言も言わない? 言う機会ならいつだってあっただろ?」
声を荒げる知昭に俯いたまま無言の希を見ていられなくて口を出す未知を睨み知昭は再度問いかける。
「・・・・・最初から言わないつもりでしたから・・・・・本当は誰にも言うつもりは無かったから・・・・・」
小さな声でやっと呟いた希はゆっくりと顔を上げる。青褪めた顔は今にも倒れそうな程酷い顔色で握り締めた掌は白く色が変わっている。
「だけど、確かめに行くのが怖くて未知君にお願いしたんです。」
「・・・・・なんで、未知?」
「できたかも、の不確定な言葉で煩わせたくなかったから・・・・・それに、例えできてたとしても知られたくなかったから・・・・・」
返す言葉もなく見つめる知昭の視線から逃れる様に伏せていた視線を希はやっと上げる。
「邪険に追い払われるのも、迷惑だと言われるのも怖かったから・・・・・それに、責任も義務もましてや同情はいらなかったから。 だから、言わないつもりでした、知らなければ良かったのに。 この子がいなくなっても傷は残らないのに・・・・・」
希は白い顔に微かに笑みを浮かべ、そっとお腹を押さえると優しく撫でる。そして、すぐに鞄を手に立ち上がる。
「希?」
「・・・・・だから、忘れて下さい。 さようなら、知昭さん。」
驚いた声で名を呼ぶ知昭に笑みを向けると希は軽く頭を下げ玄関へと歩き出す。

「待って! 本当にそれで良いの?」
「無かった事にしたい人が赤ん坊の写真まで貰ってくる?」
立ち上がり呼び止める悠里の声に重なる様に夏の声が響く。足を止め、顔だけ振り向く希にちらり、と視線を向けた夏は笑みを向ける。
「伊藤?」
「・・・・・何、を・・・・・?」
未知と悠里の問いかけに答えないまま夏は大きく息を吸い込む。
「・・・・・子供の写真を貰ってくるのに、その子を殺せるの? お腹の中にいる命を無かった事に出来る人?・・・・・大事そうにしてるのに、いらないからって簡単に殺せるの?」
「・・・・・産まれても喜ばれないから、だから、この子には・・・・・」
「産まれたら喜ぶ人がこの世に一人だけいるじゃん。 失くしても良い命を、この子なんて言わないよね?」
顔を向けて首を傾げる夏に希はお腹を抑えると唇を噛み締める。そのまま立ち尽くす希から夏はすぐに知昭へと顔を向ける。
「本人が責任も義務も同情もいらないと言うのだから、この件を持ち込んだのは俺らですけど聞かなかった事にしませんか? 例え産まれてもあなたは一切関知しない、それなら構いませんよね?」
夏の問いかけに知昭はすぐに返事が出来ないみたいに言葉に詰まる。慌てる未知と悠里の視線をわざと避けた夏は呆然と立ち尽くす希へとまた視線を向けると笑みを浮かべる。
「関知しないと言うなら、産めますか? その子が生まれたらあなたの人生変わるかもしれません。堕ろした方がその子の為かもしれない・・・・・だけど、いつか子供が出来たとしても同じ子では無いですよね?」
お腹を抑えたまま呆然と夏を見る希の瞳からぽろぽろと溢れる涙に未知が慌てて立ち上がる。傍に行こうとした未知を夏はわざと手を伸ばし引き止めると答えを促す様に希を見つめる。
「・・・・・私だけの子です。 私の人生は私が決めます。 関わらないでいてくれると約束してくれるなら、私も約束は守ります。この子は私だけの子です・・・・・」
お腹を抱きしめる様に俯き呟く希の声に夏は笑みを深くする。未知は驚いた目を向けるけれど、希はもう自分のお腹しか見ていない。
「・・・・・待ってくれ、それは、俺には子供が産まれたとしても親の権利を放棄しろと?」
椅子に座りこんだまま呟く知昭の声に悠里は視線を向ける。呆然とした顔で呟く声には先ほどまであったはずの覇気が見られない。
「そう、なりますね。 彼女は父親を必要としてはいませんから、その方があなたにも都合が良いのでは?」
淡々と言葉を返す夏に知昭は椅子からゆらり、と立ち上がる。
「・・・・・冗談じゃない! 俺にも親の権利はあるはずだろ? それに俺は中絶なんて望んでもいない。」
立ち上がり声を荒げ叫ぶ知昭に未知は驚いた顔を向ける。夏も信じられない言葉に少しだけ目を細める。悠里は戸惑いを隠せないまま知昭を見る希の顔を見てからまた知昭へと視線を移す。真っ直ぐに互いを見つめあう元恋人同士の意見の食い違いにそっと溜息を吐いた。


*****


「・・・・・ちょっ、ちょっと待って、望んでないって、子供を産む事、認めるって事ですか?」
一番最初に我に返ったのか頭を抑えながらも知昭を見上げ呟く夏の問いかけに未知がびくり、と肩を揺らす。
「兄さん! 由里さんが妊娠したら、一番困るのは兄さんじゃ。」
躊躇う様に続ける未知の声に立ち上がったままの知昭は気持ちを抑える為なのか深く息を吸い込む。
「俺は真実か否かを知りたかっただけで、中絶なんて推奨してない。」
少しは冷静になろうとしているのか幾分トーンを抑え告げる知昭に未知は「だって・・・・・」と呟く。
「・・・・・婚約者がいる、結婚だって決まってるのに、別れた恋人に子供が出来たなんてあの人達にばれたら・・・・・」
「だから? ばれれば好都合だろ? 勝手に決められたレールを踏み外す良い理由になる。」
言い募る未知の言葉を遮り知昭は口元を歪め微かに笑みを浮かべるとそのまま希へと視線を移す。
「出来た命を殺せなんて俺は言わない。 産みたいなら産めば良い、だけど、俺にも権利があるって忘れないで。」
「・・・・・でも、あの・・・・・」
真っ直ぐに希を見て告げる知昭に希は戸惑った様な声を出す。そしてすぐに視線から逃れる様に俯いた希は抱きしめたままの自分の体を更に強く抱きしめる。
「俺にも権利があるだろ? だって希だけの子供じゃない。 子供が出来る事だと分かってて、俺は希に触れたんだよ・・・・・」
ゆっくり、と足を踏み出し近づきながら告げる知昭に希は肩を奮わせ、怯えた様に顔を上げる。濡れた目元から涙がまた溢れ出し、ただ声もなくぼろぼろと涙を零す希の体を引き寄せた知昭はゆっくりと腕を回し抱きしめると、希の背へと回した手で優しく撫でながら耳元へと小さな声で呟く。それは悠里達には聞こえなかったけれど、溢れる涙を止められないまま抱きつく希の姿を見れば悪い答えじゃない事ぐらいの検討はつく。そんな二人をぼんやりと見ていた未知は悠里と夏の視線に気づくと肩を疎め微かな笑みを浮かべた。


BLなのに、らしくない話ですいません;
気を取り直して次回から山場の文化祭にいきたいです。

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