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まだ迷ってる。この道が正しいのかどうなのか、だけど。行動しないと始まらないし、何も終わらない。深呼吸を何度も繰り返し、鏡の前、何度も練習した笑みを浮かべてみる。そっと小さな掛け声で自分に気合いを入れなおすと、携帯と財布をバッグに入れそっと部屋を出る。決めたのは自分。この道を選んだのも自分。だから、後悔なんてしたくない。

爽やかな朝のはずなのに、昨夜の出来事を思い出し、そっと溜息を零した悠里は大きく頭を振ったあと、視界に入った後姿に駆けだした。
「おはよう、坂井!」
「・・・・・ああ、おはよう・・・・・」
少しだけ前に出るまで走り、顔を覗きこみ言葉を掛ける悠里に未知は驚いた顔を向けるけれどすぐに返事を返してくるから、何度か躊躇った後、悠里はすぐに昨夜の話を切り出すために口を開いた。
「あのさ・・・・・俺、由里さんに会ったよ、昨日。」
「え? 何で、名前知って・・・・・」
「食事して帰るところで、路地裏で男と揉めてたから、助けてみました。」
「・・・・・滝沢が?」
ニュアンスがちょっと違うけど大体は間違ってないだろう、と悠里が告げると、未知は上から下までじっくり悠里を見つめなおし、戸惑う様に首を傾げて問いかける。人助けできる程体格良くは無い事を言外に告げている未知に悠里は眉を顰める。
「坂井って結構失礼な人? いや、確かに、助けたっていうのはちょっと違うかもだけど、俺には俺なりの助け方だってあるよ。」
「・・・・・ごめん。あの、揉めてた男って、まさか。」
「暗闇だから、顔は分かんなかったけど、由里さんが言うには、多分坂井の予想通りの人だよ。」
「・・・・・っ、あのバカ!」
笑みを浮かべ未知の予想に頷いてみる悠里の目の前、舌打ちすると頭を掻き乱した未知のらしくない姿に少しだけ驚く。そんな悠里に気づいたのか、頭を掻き乱していた手を放し、未知は微かに口元を歪ませ引き攣った様な笑みを浮かべた。

文化祭が間近に迫っているせいなのか、放課後なのにあちこちの教室から笑い声や話し声が響いてくる。
「・・・・・買いだし班だから、俺達結構暇だよな。」
足りない物を小出しに買いに出かけるから、集団で出かけたのは一度きり。用事を言い付けられ雑用の手伝いをしながら呟く夏の声に悠里は微かに笑みを返すと、目の前に座る未知へと目を向ける。帰る、と一言も言わないままただ忙しなく動いているクラスメートをぼんやり見ていた未知は悠里の視線に気づいたのか顔を向けてくる。
「・・・・・あのさ、滝沢兄弟とかいる?」
「いないよ。 俺は一人っ子・・・・・だけど、女の子が欲しいって未だに父はぼやいてるけど・・・・・」
その内、本当に妹か弟ができそうでちょっと怖い自分の両親の顔をつい思い浮かべた悠里はぶるぶると頭を振る。
「うちには兄がいるぞ。 引き篭もりだけど・・・・・」
「引き篭もりって、それが仕事だろ? あーっ、何か一日ゲームとかしたいっ!!」
作業の手を休め顔を伸ばし告げてくる夏に悠里は笑みを返しながらも突っ込むのも忘れない。引き篭もりなんてとんでもない、その道では知らない人の方が少ないゲームのプログラマーだ。ゲームの名前を上げれば聞いた事のあるゲームが次から次へと出てくる。夏の兄の仕事を知った時は悠里も驚いた。一度ちらり、と見かけただけの人でしかないけれど、友達の兄が自分の好きなゲームを作っていると知った衝撃は凄かった。
「伊藤も兄なんだ、仲良いの?」
「・・・・・年離れてるから、そこそこ。」
未知の問いかけに夏はにっこり、と笑みを浮かべ告げる。詳しく話すほど親しい間柄じゃないのなら当たり障りの無い事を言うだけで十分だとその笑顔が語っている様で悠里は微かに溜息を吐いた。
「・・・・・俺のとこは二つしか違わない。 年が近いから余計なのかな、仲は普通だった。 だけど、今は顔を合わせても話もしない、かな。」
微かに笑みを浮かべ呟く未知に悠里は思わず夏と顔を見合わせる。話もしないのなら、元恋人の妊娠の事だって話さないじゃなくて話せないのかもしれない。悠里は思わず昨夜の二人を思い出す。暗闇だったから、未知の兄の顔は分からない、だけどかなり険悪な雰囲気だった気がする。
「・・・・・坂井、平気なの? 一人じゃ無理なら俺らも付き添う? 逃げれない様に周りを固めたら言わずにはいられなくない?」
「そうそう、覚悟が決まって坂井も話せるだろ?」
「・・・・・でも、それは・・・・・」
まだ躊躇う様に呟く未知へと悠里は顔を近づける。
「坂井が、じゃなくて、これは由里さんの事だろ? 由里さんのお腹にいるのは坂井の兄さんの子供だよ!」
ひっそり、と声を抑え耳元へと告げる悠里に未知は微かに身動ぐと掌を握り締めた。


*****


昼は進学率がこの地域ではベスト3に入るほどの名門校として、夜は勉学に勤しみたいけれど働かないといけなかった人達の為に門を開く定時制、二つの顔を持つ県立常夜学園。名前だけは知っていても実際見るのは初めてで悠里は立派な門構えやその先に聳える校舎を首を伸ばし眺める。
「昼間の偏差値かなり高いんだっけ?」
「・・・・・らしいね。 進学率ほぼ99%が売りだろ?」
下校時刻に重なっているから学生が出てくる門から少し離れた場所で呟く悠里のすぐ隣りで夏は眉を顰め答える。
「何か、伊藤・・・・・嫌そう?」
「別に。 俺は入りたくないとこだったからかな?・・・・・名門を鼻にかけてる奴多いんだよ・・・・・」
「そう、なの? 普通の人達みたい、だよ・・・・・」
「見た目はそうだろ。 それより、坂井、ここで待ってれば本当にお前の兄貴が来るわけ?」
じっくり下校する学生を見ようとする悠里を路地裏に引きづるとそこに立っていた未知へと夏は顔を向け問いかける。びくり、と肩を揺らし、そろそろと顔を向けた未知は少しだけ緊張しているのか額に微かに汗が滲んでいる。それでもこくこく、と無言で頷く。
「正門で良いのか? 迎えに来るなら目立たない裏門の方が良くないか?」
「・・・・・目立つのが目的なんだから正門からだと思うよ。 来た、あれ!」
眉を顰め、不思議そうに問いかける夏の声にふるふると首を振り答えた未知は目の前を通り過ぎた車に目を移すと微かに声を張り上げた。覗き込んだ先、門より少しだけ先に行った所で黒塗りの車が止まる。先に止まる車も何台かいつのまにか止まってて、驚く悠里の横未知が歩き出す。
「・・・・・坂井?」
「行くよ。 彼女が来てから話せる内容じゃないし、呼び出してくる。」
名前を呼び掛ける悠里に笑みを微かに向けた未知は告げるとそのまま黒塗りの車へと走り出す。その背をそっと見送り悠里は夏へと顔を向けた。
「・・・・・大丈夫かな?」
「無理でも連れてきてもらわないと話は進まないだろ。 それに・・・・・大丈夫みたい、だぜ。」
黒塗りの車のドアが開き、不機嫌そうな男が出てくるのを覗き込んだ先に見た夏は悠里へと親指を上げる。

「兄の知昭(ともあき)。 こちらはクラスメートの滝沢と伊藤。」
「・・・・・それで、わざわざ何の用? 時間が無いんで手短にお願いしたいんだけど。」
腕時計を確認しながら呟く未知の兄、知昭は微かに溜息を吐くと早口で話す。まだ大学生のはずなのに、現れた知昭はスーツ姿だった。腕時計を見る仕草もスーツをしっかり、と着こなす姿も大人としか思えない。想像と違う姿に戸惑う悠里の前に立つ未知は大きな深呼吸をすると口を開いた。
「すぐに終わるよ。 俺が言いたいのは一言だけだから。」
「・・・・・未知?」
「由里さんの事なんだ。こんなとこでも無かったら聞いてくれなさそうだったから・・・・・」
由里の名前にぴくり、と眉を顰めた知昭はすぐに背を向ける。
「兄さん?」
「俺には関係ない。 話がそれなら、もう行くよ。」
すぐにでも歩き出そうとする知昭へと未知は手を伸ばすけれど、ばしっ、とその手は振り払われる。「兄さん!」呼び止める為に声を荒げる未知の声に振り向く事なく知昭はそのまま歩き出す。
「待って下さい! 由里さん、妊娠してるんです、それでもあなたには関係ない話ですか?」
思わず叫ぶ悠里の声に知昭は肩を揺らし足を止めるとそのまま振り向いてくるから、悠里はその視線を真っ直ぐに受け止める。
「・・・・・バカな、事・・・・・」
「・・・・・本当だよ。」
呆然と呟く知昭の声に未知は追い討ちをかける様に呟いた。
「だから、責任取れ、とは俺は言われてないし、兄さんには言うなとも言われた・・・・・だけど、知るべきだと思ったから・・・・・」
「・・・・・子供は?」
「堕ろすよ。中絶の日も決めてきたって言ってた。・・・・・だから、覚えといてよ、不幸な子供がいた事だけでも。」
真剣な顔で告げる未知の前、知昭の顔はどんどん青褪めていく。沈黙が辺りを包み、立ち尽くす知昭にもう掛ける言葉も見当たらずに未知は第三者の様に立っている夏と心配そうに窺う悠里へと目を向ける。

「・・・・・呼び出して、ごめん。 それだけは知っておいてもらいたかったら・・・・・」
やっと口を開き告げる未知の声にも知昭は何も言わない。悠里は青褪めた顔で立ち尽くす知昭から視線を逸らし、「あ」と微かに声を漏らした。その声に一斉に悠里へと視線が集まり、居心地が悪いのか眉を顰めながらも悠里は手を上げる。


*****


何か言おうと口を開きかけた悠里の声も聞かずに知昭は走り出す。不安そうな顔で未知が悠里を見つめてくるからただ微かな笑みを浮かべると後を追うために悠里達も走り出した。狭い路地裏、脇道ひとつ無い、一本道。逃げれる場所なんてどこにも無かった。悠里達が近づいた時には知昭が壁に希を追い詰め、抑えこんでいた所だった。
「兄さん! 何、やって・・・・・」
慌てて、知昭を引き剥がし、希を庇い二人の間に強引に入り込んだ未知が言葉と共に睨み付ける。
「何、って・・・・・どけよ、本人に確かめるだけだろ? 嘘か本当か証拠が必要だろ?」
「だからって、乱暴は止めろよ!」
間に入り込んだ邪魔な未知を退けようとしながら告げる知昭の手を振り払い、未知は真っ直ぐに知昭を見上げる。
「・・・・・未知君、どうして・・・・・」
呟きながら、睨みあう兄弟を戸惑いながら交互に見る希の腕をそっと引いた悠里は驚く彼女に無言で笑みを返す。言葉に出さないけれど一色即発の気配濃厚な兄弟から少し離れた所まで希の腕を引いた悠里はやっとその手を放す。
「・・・・・あの・・・・・」
「事情は坂井から聞いてます。 すいません、俺らが兄に言うべきだと勧めました。」
ぺこり、と軽く頭を下げ謝る悠里に、それで納得が言ったのか、希は微かに兄弟へと視線を流しそっと溜息を零す。
「あの、言わないで済ますつもりだったって聞いてます。 でも、それで良いんですか?・・・・・中絶すれば終わりですか?」
何も言わない希に悠里は一気に告げる。「できた、だから堕ろす」それは違うと思ってつい言葉に出した悠里は泣きそうな瞳で見上げてくる視線に思わず掌を握り締める。
「・・・・・じゃあ、他にどうしろ、と?」
「それは、ちゃんと伝えてから決めるべきだと・・・・・」
「嫌われてる相手に?」
「あの、でも・・・・・当事者でしょ?」
「だけど、他人だよ。 私の事は私が決める。 別れた相手の子供なんていらない、だから失くすの。・・・・・じゃないと、後々問題になったら困るでしょ?」
微かに笑みを浮かべ告げる希に悠里は反論しようとして言葉を失くす。笑みを浮かべてはいるけれどその唇は微かに震え、それが希の本心じゃない事にすぐ気づく。
「・・・・・問題がなければ産みます?」
「問題しか無いし、この子は望まれてないし、私は・・・・・!」
ふるふると首を振り、ダメだと繰り返す希は今にも泣きそうに声を詰まらす。悠里は微かに溜息を吐くと、未だに睨みあったままの兄弟へと視線を向ける。互いに一歩も引かない態度の二人へと悠里はそのまま近づいて行く。
「・・・・・ねぇ、とりあえず無駄な睨みあいは止めて温厚な話しあいに移行しませんか?」
にっこり、と笑みを浮かべのんびり、と告げる悠里に未知が驚いた顔を向けてくる。拍子抜けしたのか、同じ顔を向けてくる知昭にひっそりと兄弟って似てる、と思った事は顔に出さずそのまま悠里は更に笑みを深くする。


起承転結でいうとどの辺なんだろう。
一応テーマは文化祭・・・・・のはずが、随分遠くに来てます;

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