泰隆が着替えを済ませ部屋に戻るのに合わせて食卓テーブルには餃子と野菜、スープが温かいまま並べられる。すぐに席へと座り、よそったご飯を渡す悠里にお礼の言葉を返し受け取る泰隆の前の席へと座るとそれに合わせてくれたのか、そっと小さな声で「いただきます」と呟く声に悠里は笑みを返し自身もそっと呟いた。
「アッシーの件なら、宮路先生から聞いてる。 班の方はどう?」
「うーん、微妙。6人なんだけどね・・・・・」
おかずを口へと運びながら告げる泰隆に悠里は曖昧な笑みを浮かべると溜息を零しながら一緒の班の問題児、坂井未知について話す。夕食時の話題にしてはどうかな?と思ったけれど話さずにはいられなかった。
「坂井、ねー。 とりあえず勉強は出来る子なんだけどね。」
坂井の姿を思い出しているのか、宙に目を向けて呟く泰隆は言葉を少しだけ濁す。勉強が出来て当たり前、素行に問題が無ければ担任でも無い泰隆の印象にはあまり残らないのだろうと悠里は聞き流そうとする。
「だけど、少し人としてどうなの?って所はあるかな。」
「・・・・・え?」
「いや、俺は悠里のクラスの担任じゃないから、他の授業の時の姿勢や普段の様子は知らないけど、ちょっと違う気がするんだよね。」
「違うって、何が?」
「学校って勉強だけする所じゃないだろ? テストの点数良くても授業の時に他の問題集やられたら、ちょっと教えてる身としては頭にくるだろ?」
「・・・・・・泰隆さんの授業の時に別の問題集開いてたの?」
「俺の受け持ちは確かに数学だけど、授業で使われてるのかそうでないものかはすぐに分かるよ。 多分あれ塾の課題だろ?」
「・・・・・授業態度は良好?」
「たまたまだったかもしれないけど、指名すると嫌な顔はされるね。一応テストの成績が良ければとりあえず普通の評価だけどね。」 不本意だけど、と肩を竦め、眉を顰める泰隆の前、悠里は呆れた実態にぽかんと口を開いた。授業の時間に塾の課題、それは泰隆じゃなくても他の教師だって良い顔しないだろう。塾で習った場所だとしても学校は別物、それが悠里の意見だから、以外な坂井の姿に苦笑しか浮かばない。そんな悠里に泰隆はだから、と口を開く。
「変わってる気がする。学校と塾の区別がつかないヤツはちょっとまずいかも。」
「まずいって何が?」
「・・・・・競争社会が塾だよ。 学校は誰かを蹴落として自分だけ這い上がる、そんなとこじゃないだろ?」
協力や団結。そこかしこに散らばる行事がそれを養うのだと泰隆は告げる。昔に比べると格段にそんな言葉が縁遠くなった世の中だけど、ほんの少しでも学んで欲しい。その為の学校行事のはずなのに、きっと坂井と同じ人はどんどん増えていくだろう、としみじみと泰隆は愚痴るように呟いた。それを悠里は笑う事も出来ないままただ聞いていた。
「さすが、永瀬先生。 人を見る目はあるかもな、あの人。」
昨日の夜の泰隆との会話を告げた悠里の前で夏はばりばり、と頭を掻きながら呟いた。教室内を見回し、未知が居ないのを確認した夏はそのまま悠里へと顔を近づける。
「あいつ、国立志望なんだってさ。」
「え?」
「進路だよ。 それも、ちょっと足りないらしいよ、あいつの点。・・・・・だけど、そこに行かないといけない理由もあるらしい。」 うんざりと呟く夏に悠里はただ首を傾げる。分からない悠里に夏はちょっと聞いたんだけど、と前置きして口を開いた。
「つまり、あの家の人間は皆、ヤツの志望大学出身らしくてさ、行かないといけないんだよ。家の名誉とか親の名誉とかあるんじゃないのか? 俺には良く分かんないんだけどさ。行かないといけない強制なんて俺ならごめんだよ。」
代々続いた由緒正しい伝統なんてあほらしー、と呟く夏は微かに坂井の境遇を哀れんでいるかの様だったけれど、すぐに何事も無かったかの様に話題を別のに切り替えた。
「親の意向?」
「だって。 何か、堅苦しそうだよね。」
昼休み。聞いた話を伝える為に訪れた泰隆の元、悠里は哀れみたくなる夏の気持ちも分からないでも無いと呟く。そんな悠里の頭をがしがしと撫でると泰隆は顔を近づける。
「悠里の所はどこに行って欲しいとか無いのか?」
「・・・・・無いよ。 高校だって俺が決めたし、大学も行きたいなら行けばとか言うし。 基本的にあの人達互いが一番大切だから。」 大恋愛の末に結婚した悠里の両親は未だに互いが一番大切だと平気で公言する夫婦だ。それだけならまだ良いが、息子の前だというのに平気でいちゃついてくれる。高校入学と同時に父親が転勤になってからというもの、頻繁に父に会いに行く母親は完全に悠里を放任している。そのおかげで悠里は泰隆の所に頻繁に泊まれるという利点もあるのだけど、その内、父の所に住み着いて帰らない母親になりそうでちょっと悠里は怖い。とりあえず、熟年離婚とは全く縁のない夫婦だけど。
「まぁ・・・・・悠里の所はちょっと特殊だよ、な。」
感慨深そうに泰隆が思い出すのは家庭教師をしていた頃の事。ご主人の帰宅と同時にお帰りのキスをしていた新婚の様な夫婦を思い出し、苦笑しながら告げる泰隆に悠里は何も言わずに肩を竦める。
「いつまでも新婚気分で良いじゃないか。 ずっと変わらずにいられるのって凄いと思わないか?」
「・・・・・そこそこが良いと思うんですけど・・・・・間に挟まれる息子はかなり居た堪れないというか、もう居辛くて仕方ないんですけど。」
愚痴る悠里に泰隆はただ笑みを浮かべ肩を叩いてやる。
*****
ゆっくり、と腰を動かす男の動きに呼応するかの様に触れ合った部分がくちゅくちゅ、と嫌らしい水音を立てる。
「んっ、あんっ・・・・・んんっ・・・・・・」
堪えられずに漏れる微かな喘ぎはすぐに目の前に迫った唇に囚われ塞がれる。ぎしり、と軋むベッドの上、重なり合った二人はすぐに舌を絡める激しいキスを交わしながら、ゆっくりと動き出す。濡れた肌をぴったり、とくっつけ互いの体を抱きしめる。ぎしぎしと軋む音を大きくするベッドの上、微かな喘ぎと息遣い、濡れた音が更に響きだす、部屋中をそんな濃厚な音が支配する。 かちり、と音がした後、薄暗い部屋が微かに灯り白い煙がすぐに吐き出される。 煙草を銜え半身を起こした男の横、女が眠っている。
「未成年、なのに・・・・・良いの?」
「良いんだよ。 堅い事気にするなら、その前の事を気にしろよ・・・・・」
擦れた女の呟きに微かに唇を尖らせ告げる男に女は微かに肩を揺らし小さな笑みを零した。そんな女の横、乱暴に灰皿に煙草を押し付けた男はすぐに女へと体を摺り寄せる。
「・・・・・ねぇ、もうダメよ・・・・・・」
「触れるだけ、だから。 もう少し、このままでいて」
拒む女の腕を掴み胸元に顔を寄せ呟く男を女は困った様な顔で、それでもその背へと腕を伸ばした。躊躇いがちに頭を撫でてくる細い指先を感じた男はそのまま瞳を微かに伏せる。狭いベッドの上、寄り添ったままの二人を窓から差し込む月の光がそっと照らしていた。
「だから、もうあいつは良いよ。 俺らだけで行こうって決めただろ?」
買い出しに向かう車の中で悠里があれから全く近づく事もしない未知について「このままじゃダメだよ」と呟くのを聞きつけた夏がばっさり、と切って捨てる。元から存在感の薄い義人は一言も口を挟まないまま俯いているけれど、馨と哲也は顔を見合わせ互いに苦笑を浮かべるだけで、こちらもやっぱり何も言わない。
「・・・・・仲間割れしてるのか? ダメだぞ、何事も協力しろよ!」
事情の分からないまま運転しながら口を挟んでくる担任、宮路の言葉に夏がにっこり笑顔で「何でも無いですから」と受け、まだ口を開きかける悠里を目で止める。
「ダメじゃん、滝沢。 みやちゃんは何も知らないんだから。」
「だからってこのままじゃ。 一応文化祭だって立派な授業の一環だろ?」
「・・・・・しょうがないだろ。向こうはそう思ってもいないのに、俺はまた揉めるのは嫌だよ。 何か話してるだけでむかつくし。」
「・・・・・伊藤・・・・・」
「とにかく、先に拒んだのは向こうだろ? 俺は知らないよ。」
車から降りて、店へと歩きながら告げる夏に悠里は溜息を零した。どうにかしたい、と思うのに、友人一人説得出来ない自分の歯痒さに声もなく溜息しか出て来ない。
「滝沢が気にしても仕方ないんじゃないのか? 本人のやる気の問題だし。」
そんな悠里の背をばんばん叩くと哲也が慰めの様な言葉を告げてくる。まるっきり他人事のその言葉もどうかな、と思いながらも悠里はさっさと先を行く仲間に置いていかれない様に歩き出した。
*****
声にならない驚きを何て言おう。以外な所で意外な人物を見かけたそれはまず衝撃が先に来た。こんな場所で会うはずも無かった予期せぬ展開だとこくり、と渇いた喉を潤す為に飲み込んだ唾は何の役にも立たなかった。 買い物リストを片手にカートの中身を確認する夏の隣り、窓から見える外へと目を向けたその時だった。目に入ってきたのは、見覚えのある制服姿の男。 思わず隣りに立つ夏の服の袖へと手を伸ばした悠里にこちらへと目を向ける夏の視線を感じた。だけど、逸らせない視線の先にいる制服姿の男。隣りに立つのは少しばかり年上だろう女。どう見ても同年代には見えないその女と男から悠里は目を離す事がどうしても出来なかった。 「・・・・・あれ、坂井?」
悠里の視線の先を追ったのか、耳元で呟く夏の声に悠里はやっと隣りへと目を向ける。
「伊藤、あの」
「・・・・・興味ねぇよ。 あいつが何処で何してようと、誰といようと、俺らには関係ない。 そうだろ?」
淡々と告げる夏の声に悠里はただこくり、と頷く。ここで未知を見かけた事も無かった事にすれば良いのだと、一度離した視線をもう一度そちらへと向ける事なく悠里はただ目の前にあるカートへと視線を向ける。
「あそこは、やばくないか? 宮路に見つかったらあいつやばいんじゃないのか?」
ぬっ、と顔を出し告げる哲也の声に悠里は顔を上げる。そうして疑問を向ける悠里に気づいているのかいないのか、哲也は馨と夏へと視線を向けたまま口を開いた。
「気づいてるか? あのまま歩いたら宮路のいる場所を通るよ。 それだけじゃなくて、あの場所はやばくないか?」
彼らの後ろに聳え立つ白い建物を指差し念を押すように告げる哲也に馨と夏は言われた建物へと目を向けて顔色を確かに変える。状況の分からない悠里が三人を疑問を浮かべた顔でおろおろと見るのを意外な人物が答えを教えてくれた。
「制服着てる男が出てくる場所じゃない。 あそこ産婦人科だよ、つまり病院。」
義人のその声に悠里はいつのまに背後に立っていたのか気づかなかった彼へと目を向ける。顔を見合わせた馨と夏が店内を慌しく外へと駆けていくのはほぼ同時だった。
「とりあえず、金払うか? ここに立ってるのも迷惑だろ?」
声も無い悠里の袖を引きばりばりと頭を掻き告げる哲也に義人がカートを静かにレジへと持っていった。
馨と夏が未知を連れて戻って来たのは会計を済ませた後。両側から腕を捕まれ、不機嫌な顔を隠しもしない未知に特別何かを言う事もなく荷物を担任の車へと入れると行きより一人増えた教え子に触れないでいてくれた車に揺られ無言で学校へと向かった。
「いい加減離せよ!」
荷物を降ろし、教室の中、まだ捕まれていた腕を乱暴に外そうと振り払う未知に馨と夏はあっけなく手を離す。
「助けてやったのに、酷くないか、その態度。 宮路に見られても構わなかったって事?」
肩を竦め吐き捨てるように呟く夏の声に未知は唇を噛み締め黙り込む。そんな未知から目を逸らした夏は買い物リストと買ってきたものを次々と見定めだすから、悠里はその空気のピリピリする感覚にそっと眉を顰める。
「・・・・・坂井。何も言う事は無い?」
居た堪れない空気を少しでも和らげようと、息を大きく吸い込んだ悠里は未知の顔を覗き込む様に窺う。いきなりアップで現れた悠里に思わず飛び退いた未知は体勢を崩し尻餅をついて座りこむ。その姿に微かに笑みを向ける悠里に未知は一端俯くとすぐに顔を上げる。
「・・・・・助けてくれてありがとう。担任の先生に見られるのが一番気まずい、それと・・・・・誤解してるみたいだけど、俺は無実だから!」
呟く未知の声に悠里や夏、そこに居た仲間達は一斉に視線を向ける。その視線を感じるのか少しづつ赤くなってくる頬を上気させたまま未知は深く大きく息を吸い込んだ。
「俺とあの人はそういう関係じゃないから、ただの付き添いだから!」
それでも言い募る未知が未だに座りこんだままだから、悠里は彼の目線をしっかり捉える為に座りこんだ。
「・・・・・それって、どういう事?」
「誤解って、何で坂井が付き添いするわけ?」
「・・・・・そもそも一緒にいる次点で、どう見ても同罪に見えるだろ?」
悠里の言葉に便乗する様に背後から口を揃えてくる馨と夏に目の前の未知はますます顔を赤くする。
「・・・・・同罪って、俺は犯罪者かよ。 あの人は知り合いだから、ちょっと他のヤツにばれると困るって言われて・・・・・」
語尾が擦れて妙に自身なさげな声で呟く未知に悠里は微かに首を傾げながら、夏へと顔を向ける。同じ事を考えていたのか微かに笑みを浮かべる夏に悠里はそっと息を吐いた。自分がとんでもない貧乏くじを引いた気がして、それは絶対気のせいでは無い事に気づいてしまった。有り難くも嬉しくも無いトラブルに自分が片足を突っ込んでしまった事を自覚した悠里は誰にも気づかれない様に溜息を零さずにはいられなかった。
悠里君居る所問題はいつでも起こります、って事でまだ序章、序章(笑) 前半にちろっと何か偉そうな話書いていますが、とりあえず泰隆さんの主観って事でよろしくお願いします。
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