繋がらない電話に何度も切ってはリダイアルを押す彼女の指は細かく震えていた。お腹に手を当てて唇を噛み締める。頭を掻き毟りたい衝動が不意に襲ってくるけれど、今の彼女には時間が無かった。早く、早く、通話中の音が鳴り響くのを苛々と爪を噛みながら聞いては何度も受話器を戻しまたかけなおす。縋れる人は一人しか思いつかなかった。だからこそ祈る思いで何度も電話を掛ける。薄暗い部屋の中、ガチャガチャとピッという電子音が何度も響く。何度目かの電話でコール音が鳴り響き、彼女はそっと溜息を零した。助けて欲しい。縋れる人の姿を思い浮かべ、彼女は長いコール音に耳を澄ませる。
「はい。・・・・・・もしもし、どちら様?」
聞き覚えのある低い声に彼女は口を開いた。擦れた声を零しそうになるのを抑え、深く息を吸い込むと声を出した。
修学旅行が終わり、すぐに始まった中間考査が終わると学校は二学期最大のイベントへ向けての準備が始まる。
「・・・・・文化祭なんて無ければ良いのに。」
集団行動が基本あまり得意じゃない悠里の呟きを聞いた泰隆が顔を向けてくる。修学旅行の後、すぐにテストだったから、ずっと悠里と学校では単純に挨拶しかしていなくて、この準備室に彼が来たのも本当に久しぶりだった。泰隆はまだ不満そうにぶつぶつと文句を呟いている悠里へと笑みを向けると手を差し伸べる。
「・・・・・泰隆さん?」
「ほら、おいで! いつまでそこに座ってる?」
「あの、テストの採点とかは?」
「ここではやらないよ。 悠里、来ないの?」
手を差し出したまま首を傾げる泰隆にすぐに悠里は立ち上がると、そのまま首筋へと抱きつく。ゆっくり、と背に回される手の温もりを感じながら馴染んだ匂いに鼻を鳴らす悠里に苦笑を浮かべた泰隆は膝へと抱き寄せる。
「・・・・・誰か来たら・・・・・」
「鍵はかけてある。 温もりを感じたいのは悠里だけ、じゃないだろ?」
慌てて離れようと手を伸ばし躊躇いながら呟く悠里の腰を強く引き寄せた泰隆は顔を近づけそっと囁く。目の前でみるみる赤くなる顔にそっとキスを送る泰隆を悠里は照れた顔を上げて見つめてくるから今度は触れるだけでは到底すまないだろう深く長いキスを送る。そうして間を置き服の擦れる音、粘着質な音が小さな室内にそっと響きだした。
クラスの盛り上がりはどこもこの時期は異常だ。普段は協調性の無い人が俄然やる気になっていたりとか、頭の堅い人物だと信じていた人が実は柔軟な博識だと気づいたりもする。そんな熱気が学校を覆えば覆うほど悠里は気持ちが冷めていくのを感じていた。 集団行動は昔からあまり得意じゃない、何しろ黙って立っているだけなのに、なぜかトラブルが付き纏うのは実は昔からだ。大人しく目立たない様に息を潜めてじっとしているはずなのに、望んでもいない事が周りで起こる。だから悠里は一人でいるのが好きだった。
「トラブル体質だったんじゃん!」
教室の隅でこそこそと過去の出来事をぽつぽつと話しだした悠里に夏は眉を顰め呟く。
「・・・・・だから、それは・・・・・」
「今更だろ? 滝沢もクラスの立派な一員だし、ほら、あれ! 喜べ、俺と班は一緒だぜ!」
もごもごと煮え切らない悠里に単純な一言を告げた夏は黒板を見てにっこり、と笑みを向けてくる。振り向いた先にある黒板にはいつのまに班分けされていたのか、悠里の名前が夏の横にちゃんと書かれていた。班の名前は「買いだし班」。またしても何か背負い込みそうな予感がする自分に悠里は微かな溜息を零さずにはいられなかった。
*****
「買いだし班」のメンバーになったのは悠里と夏、そして同じクラスにはいるけれど話をした事のない坂井未知(さかいみち)、熊川義人(くまがわよしと)、そしてお馴染みの二人、馨と哲也の計6人だった。まずは買いに行くモノを決める為に放課後相談する事になった当日、未知が来なかった。
「俺、今日残るって言ったよな?」
憮然とした顔で呟く夏を馨がまぁまぁと宥める中悠里と哲也は顔を見合わせ肩を疎める。一人、外れた義人は端の方で一言も話さないまま俯いている。そんな義人が視界に入り、悠里は顔を向けるけれど、相変わらず俯いたままの義人はその後も会話に口を挟む事は無かった。
「坂井! 昨日は放課後残れって言わなかった?」
朝一番に夏が教室へと足を踏み入れた未知を見つけ問いかけるけれど、彼は「用事があったから」とぼそり、と告げるとそのまま席へと歩いていく。その態度に尚も何かを言い募ろうとした夏を思わず悠里は手を伸ばし止める。
「・・・・・滝沢?」
「伊藤じゃダメだよ。 何か喧嘩になりそうな気がする。」
真剣な顔で呟く悠里に夏は眉を顰めるけれど当たっているのか反論は言わなかった。そんな夏の腕を引いたまま、悠里は顔色一つ変えないまま自分の席へと座った未知へと視線を向ける。同じ教室、同じクラスに居る仲間、そんな意識は悠里にもあまり無い。話した事の無い相手は勝手が分からないからいつも戸惑う。集団行動に大切なのは「団結力」だと良く言うけれど、自分にもそれはあまり無い事を一応は自覚している悠里は大きく息を吸い込むと夏の腕を離し、未知の席へと歩き出す。「団結力」は特にいらない。だけど、小人数で組まれている班の行動を一人が乱す、それは良くない事だとは集団行動の嫌いな悠里にだって分かる。
「あの、坂井。 少し話しても良い、かな?」
「・・・・・何?」
「あの、用事のある時は早目に言ってくれると良いんだけど。 文化祭の準備が遅れると迷惑をかけるのは一人じゃないから。」 「・・・・・・それで? 何が言いたいのか良く分かんないんだけど・・・・・」
窺う様に、ゆっくり話しかける悠里に未知は見上げた瞳を細める。冷たく突き刺さるその視線に悠里は竦みそうになる自分を何とか奮い立たせると口を開いた。
「今日は都合悪いかな? とりあえず早いとこ買い出し済ませたいんだけど・・・・・」
「・・・・・一人でだって行けると思うけど? 都合のつくヤツだけで行けばいいじゃん!」
最初から何も協力する気は無いと言外に告げる未知に悠里は拳を握り締める。続く言葉が見つからなくて立ち尽くす悠里から未知はさっさと視線を背けると手にしていた本へとまた目を向ける。
「・・・・・っ、協力する気がないなら、他の班に行けよ! 俺らは面倒なヤツはごめんだよ!」
話を聞いていたのかいきなり口を挟んできた夏の大きな声にクラス中が注目する中、悠里はそっと溜息を漏らす。折角何とか穏便に、と思っていた努力が無駄になった事に気づいたけれどもう止められなかった。
「入れてくれなんて頼んでないよ! 勝手に名前が入ってたんだから!」
突然の夏の言葉にも未知はしっかり反論してくる。
「そうですか! じゃあ、別のとこに入れてもらう様に頼んでおくよ! お前と同じ班なんて冗談じゃねーよ!」
「こっちだってごめんだよ! 文化祭なんて楽しみにしてる奴らだけでやれば良いんだよ!」
荒くなる夏の口調に未知も負けていない。 完全に傍観者の気分で見ていた悠里は未知の買い言葉に思わず周りを見渡す。
「ふざけんなよ、坂井! 何言ってんの、お前。」
「俺らだってお断りだよ、こんなヤツ!」
「・・・・・準備しなくて良いから、この教室から去れよ! こんなヤツがいたなんて俺は知らなかったよ!」
同じく傍観者でいたはずのクラスメート達が少しづつ未知の机の周りに詰め寄りながら口々に文句を言い始める。穏便に平和に済ませるはずがとんでもない事になったと悠里は詰め寄りだすクラスメートに押し出されながら重い溜息を零さずにはいられなかった。 朝から異様な盛り上がりに発展したソレはすぐに担任がSHRの為に顔を出した為に有耶無耶にされた。
「未だに頭にきてるんですけど!」
「・・・・・何か、あんなヤツいたんだと初めて知ったんだけど。」
放課後、教室の隅に取りあえず集まりぶつぶつと呟く夏の言葉に哲也がぼそり、と告げる。朝の出来事がまだ尾を引いているのかまだ怒りが冷めない夏に同調する哲也から目を逸らした悠里は隣りに座る馨へと目を向ける。
「坂井、来ないみたいだね。」
夏と哲也に聞こえない様にひっそり、と声をかける悠里に馨は苦笑を浮かべる。
「まぁ、仕方ないから、来たヤツだけで進めようか。 熊川ももっと近くに来いよ。 で、都合とかは平気?」
未知の事があるから、事前に問いかける機転を利かす馨に義人は無言で頷く。近づいて来る義人の為に少し場をずれると悠里はまだ愚痴る夏へと目を向けた。
「伊藤! 早く始めないと、遅くなる。買うものとか予算は決まってるんだっけ?」
「・・・・・ああ、ごめん。 これ、リストだって。後は実際始まってから買い足しする事になると思う。」
悠里の言葉で夏は事前に貰ったリストを五人の真ん中へと広げる。とりあえず入用なものをピックアップしてもらったのか、細かく色々書かれているけれど、雑貨のほとんどは近くのホームセンターで手に入りそうなものばかりだった。
「で、結構重いものとかはどうする?」
「うん。アッシー協力はうちの担任の宮路君と副担の永瀬先生で許可は取ってる。 買い物にも付き合ってくれるらしいよ。」
夏は最後の言葉を告げながら悠里へと目を向けにやり、と笑みを浮かべる。そんな夏に悠里はそっと気づかれない様に溜息を零すと少しだけ文化祭という大義名分のおかげで泰隆と堂々と一緒にいられる自分を嬉しく思う。もちろん顔には出さなかったから、その間もリストを目の前に周りの話しあいは続いているのに気づき、軽く相槌を打ちながらそっと紛れ込んだ。
*****
合い鍵で扉を開けて入り込んだ部屋の中は家主がいないせいかしんと静まり返っている。そんな部屋の中に上がりこみ、悠里は買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞いこむ為にまずはキッチンへと向かう。一人暮らしにしては立派な冷蔵庫は泰隆の以外な趣味の賜物だった。見かけによらず彼の趣味は料理で、冷蔵庫も大きいけれど、悠里には使い方の良く分からない調理器具もかなり揃っている。両親が共働きでそれなりの料理は出来る悠里の更に上をいく泰隆の料理の腕はお洒落に余念の無い今時の女性よりも遥かに上だ。冷蔵庫にとりあえず買ってきたものを詰め込んで、今日の料理のメニューに使うものだけを流しの中へと入れた悠里は必要なまな板や包丁、鍋などを用意しはじめた。 鼻歌交じりに材料を刻み、何となく形が整い、部屋中に美味しそうな匂いが漂う頃、扉の開く音がして、家主である泰隆がすぐにキッチンへと顔を見せる。
「ただいま、来てたんだ。」
「お帰り。」
「今日は何?・・・・・へーっ、中華で来ましたか。」
「うん。餃子が食べたい気分で。」
にっこり、と笑みを向け告げる悠里の頬に軽くキスをしながら覗き込んだ泰隆は笑みを返す。同じ高校、教師と生徒。大っぴらに公表出来ない間がら。しかも男同士の二人のデートは必然的に家デートが主流だった。料理の腕だって必然的に上がるのだと悠里はこっそり思いながら、まだスーツ姿の泰隆をキッチンから追い出す。
「ここは一人で平気だから、早く着替えて。食事とお風呂どっちが先?」
「もちろん食事だろ? 冷めたら折角の餃子が台無しになる。こっちのスープは新作?」
「・・・・・うん! ワンタンスープもどきの餃子の皮スープだよ。」
単なる余りモノだけど、誇らしげに答える悠里に泰隆は苦笑を零しキッチンから着替える為に部屋へと歩き出す。まるで新婚さんの会話みたいな自分達の会話に悠里が思い返し、顔を赤くしたのを泰隆は見る事は無かったけれど、満更では無い泰隆も笑みが消えないままだった。
始まりました文化祭編そして最終章! えっと、マイペースに進めていきますので話の進みは遅いかと。・・・・・でもどうぞお付き合いよろしく。
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