ビルの中に入ってすぐに目の前にはエレベーター、そして英語やカタカナの会社名だろう名前が階数ごとに書かれている看板が横に掲げられていた。 エレベーターに乗り、すぐに階数ボタンへと手を伸ばした秋紀は何も言わない。扉が閉まりエレベーターの昇る音だけが響く狭い箱の中、夏は階数表示をぼんやりと眺めていた。 その後も何度か止まりエレベーターに乗る人はスーツ姿の人が多くて、ますます居心地悪くなり夏はずるずると端へと下がっていく。
「夏、降りるよ。」
耳元へと呟かれ、びくり、と身を奮わせた夏は秋紀に腕を引かれ外へと出る。 長い廊下の先にはガラスの扉、躊躇う事なくそこへ進んでいく秋紀に腕を引かれたまま夏はきょろきょろと物珍しそうに辺りを見回す。 ガラスの扉には大きく『(有)M&S』書かれているけれど、どんな会社なのかは分からない。 戸惑う夏の手を引き秋紀は迷う事なく扉を開くと足早に歩き出す。 お決まりの受付はドアの前にあったけれど、秋紀は見向きもせずすたすたと奥に小さくスペースを取られている応接セットへと向かう。
「すいません、遅くなりました!」
応接セットに腰をかけていたのは二人の男性。どちらもスーツ姿で片方は秋紀と同じ年代、そしてもう一人はそれより何歳か年嵩だと秋紀の後ろからそっと盗み見る夏に気づいた様子も無いまま二人は秋紀へと顔を向けると、慌てて立ち上がる。
「伊藤さん!・・・・・良かった、来て頂いて、わざわざ、すいません!」
「・・・・・秋紀、時間厳守だって言わなかったか?」
年嵩の男が安堵した笑みを向けるのに対して、若い男は低い声で呟く。 そうして、二人は始めて、秋紀の背後に隠れる様に立っている夏へと気づいた。
「秋紀?」
「ああ、ごめん、弟の夏。夏、こいつは俺の知り合いの三次(みよし)と曽根(そね)さん。仕事仲間、かな?」
二人揃って軽く頭を下げるのに、簡潔すぎる秋紀の答えに夏は困った様に微かに笑みを浮かべるとやっぱり秋紀の背後から軽く頭を下げる。
「その説明は無いだろ?・・・・・初めまして、こういう者です。」
営業が仕事なのか、爽やかな笑みを顔に浮かべると胸元から名刺を取り出した三次は夏へとそっと名刺を差し出す。 思わず受け取り名刺を見た夏はただ首を傾げる。そこには会社名しか書かれていなかった。
「・・・・・秋紀、仕事、してたんだ・・・・・」
「失礼だね、それ。・・・・・まぁ、派遣みたいな、だけどな。」
こっそり呟く夏に眉を顰め苦笑した秋紀もひっそりと告げる。三次の名刺に書かれていたのは『(有)M&S』という会社名、そして小さな字で【企画・制作】と書かれていた。 はっきりいって夏にはどんな会社かは名前を見ただけでは分からない、けれど秋紀が本当は仕事をしていたという事実の方が何だか嬉しかった。 ただ働かないで毎日遊び歩いていると今の今まで本気で思っていたから。
「・・・・・秋紀、話していいか?」
「ああ、ごめん。夏、この会社内ならどこにいてもいいけど、ここにいる?」
三次の声に頷き、座ろうとしてから、問いかけて来る秋紀に夏はただ彼の服の袖を引く。
「・・・・・支障、無い?」
「いいですよ。今回はそんなに込み入った話では無いので。」
夏のその態度に窺いを立てる秋紀に曽根が頷いてくれるから、夏は秋紀の隣りへと同じ様に座りこんだ。
*****
話しこむ三人の様子をぼんやり眺めていた夏は視界に影が入ったのに気づき、思わず俯いていた顔を上げる。
「遅くなりました、コーヒーお持ちしました。」
受付に座っていた女性が夏の目の前に湯気の立つコーヒーを置いてくれるとそのまま軽く頭を下げ立ち去る。
「・・・・・ちょっと、休憩するか・・・・・」
「そうですね。コーヒーも来ましたし。」
三次の声に曽根が同意し、皆それぞれに手に持っていた紙の束を置きコーヒーへと手を伸ばす。
「・・・・・そういや、何で、今日は弟君も一緒なんだ?」
「ああ、夕食を食べた帰り、だからだよ。・・・・・ごめん、それで少し遅れました。」
三次の問いかけににっこり笑みを浮かべ答える秋紀に曽根は苦笑を顔に浮かべ三次は深い溜息を漏らす。
「・・・・・すいません!部外者が付いてきて・・・・・」
「夏君は悪くないって!・・・・・それより、今は高校生だよな?」
居心地悪い雰囲気に思わず頭を下げ俯く夏に三次が慌てた様に笑みを浮かべると問いかけてくる。そろそろと顔を上げ、思わず三次の顔を眺める夏に彼はますます笑みを深くする。
「俺、何度か秋紀の家に行った事あるんだよ。・・・・・秋紀とは高校の頃からの知り合いだから。」
思わぬ事実にぱちぱちと瞬きを繰り返し、夏は三次の顔を更にじっくりと眺める。
「思い出さないでもいいから・・・・・高校の時と比べるとこいつ、かなり変わってるから・・・・・」
横から口を挟む秋紀に夏は「すいません」と三次に頭を下げると小さく呟き俯く。
「気にしてないから、大丈夫。秋紀の弟のくせに相変わらず素直で良い子だよね。本当に兄貴と似てないよな。」
溜息と共にしみじみ呟く三次に秋紀が咳払いをするその前で曽根はにこにこと何も言わずに笑みを浮かべていた。口に含んだコーヒーが苦くて夏は気づかれない様にそっと眉を顰めた。
「終電には余裕ありだな、良かった〜。」 電光掲示板を見て呟く秋紀の声に夏は顔を上げる。家を出てからすでにかなりの時間が経っていた。
「母さん、帰ってるかな?」
「・・・・・どうだろ?・・・・・でも、もうすでに親父も帰ってそう、だよな?」
「うん。」
頷く夏の腕を引き、秋紀は改札口へと歩きだした。
「次のが来るまで10分くらいあるけど、下に降りるか?」
「・・・・・吹き抜けだよね。何か、寒そうじゃない?」
「だな。・・・・・夏、こっち、何か飲もう。」
自販機を見つけるとそのまま歩きながら手招きする秋紀に夏は頷くと後を着いて行く。
「・・・・・で、あそこ何の会社なの?」
「うん?・・・・・ああ。ゲーム会社かな?」
パッとしない曖昧な答えに何も言えず首を傾げる夏へと自販機で買ったホット缶のコーヒーを渡した秋紀は自分にも買った缶のプルタブを開けるとごくごくと飲みだす。
「・・・・・マニア受けはしてるし、こつこつファンも増えてるけど、家庭用ゲーム機じゃ扱えないゲームばっかり作ってる所かな。」
「つまり?」
「・・・・・18禁?PCオンリー、店頭販売一切なしの通販オンリーのゲーム会社。」
「・・・・・秋紀は何してるの?」
「俺?・・・・・在宅プログラマー。つまり、正式には雇われてないけど、一応専属ではある、かな?」
まともな職の定義が分からなくてくらくらしてる夏に秋紀は笑みを浮かべる。
「・・・・・AVもれっきとした仕事の一環だって分かってくれた?・・・・・ちなみにゲームのプログラムを作ってるぐらいなら、親父達には報告済みだよ。」
「18禁とか知ってるの?」
「それは知らない。・・・・・だけど、家庭用ゲーム機でも遊べるゲームを作る予定はあるらしいよ。今日はその話し合いだったのです。」
「秋紀、仕事、楽しい?」
「もちろん。楽しまなきゃ面白くないだろ。それに、自分の作ったゲームが形になるのは結構嬉しいよ。夏もやってみる?・・・・・家にも在庫はあるからすぐにできるよって18歳未満はだめか。あと一年は待て!」
「・・・・・うん。」
困った様な顔で呟く夏に秋紀は飲み終わった缶を捨てると腕時計を確かめて「もうそろそろ行こう」と腕を引く。電車の中は終電近いからなのか、結構混んでいた。それから家に帰りつくまで会話という会話らしきものは一切無かった。 年の差と同じ分だけ離れている距離が少しだけ近づいたのか、それとも違うのか夏には分からなかった。
*****
「旅行?」
「そうなの!・・・・・お父さんがたまには二人で出かけようって言ってくれたのよ。二週間ぐらいだから。」
「二週間って・・・・・ちょっと、俺と秋紀のご飯は?世話は!」
「もう、いい加減いい年なんだから、大丈夫でしょ。・・・・・お土産ちゃんと買ってくるから、ね。」
いつにもまして笑顔の母の言葉に夏は呆然とする。二週間も父はともかく母のいない生活なんて実は一度も経験した事が無いのに、嬉しそうな顔の母に「嫌だ」とは言えなかった。 これから二週間、広い家に秋紀と二人きり、なんて生活を考えると不安になる夏をよそに、「新婚旅行以来の二人きりの旅行」に舞い上がっている母はその日のうちに息子二人に見送られ父と出かけてしまった。 「秋紀、何で反対しなかったんだよ!」
「・・・・・何で、って。夏が反対するかと思ってたよ。」
両親を見送り、玄関へと戻るその背に掛ける夏の声に振り向いた秋紀は苦笑と共に呟く。
「・・・・・どうするんだよ、これから・・・・・」
「何とかなるだろ。・・・・・今日の夕飯は俺が作るから。」
不安そうに見上げる夏へと手を伸ばした秋紀はその頭をぽんぽんと軽く叩き告げると中へと戻って行く。 自分一人だけが、母のいない事で不安になっているみたいで少しだけ顔を赤くした夏はその後に続くように中へと戻る。
二人きりに突入!・・・・・どうなりますかはまた次回。
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