後部座席から流れる景色をぼんやり眺めていた悠里は黙り込んだままの夏と運転席に座り、やはりこちらも黙り込んだままの京梧へと視線を流し、再び窓の外へと目を向ける。
「聞いてるかもしれないけど、歩は俺の兄の子で、俺はアイツの叔父にあたる。大学卒業して暫くしてからはずっとこっちで暮らしてて、実家にも長い事帰ってない。」
「永住するんですか?」
「良い所だけど、迷ってる。でも、実家はアニキがいるし、俺は帰っても意味が無いけどな。」
沈黙を破り口を開いた京梧につい問いかけると、笑みを浮かべた京梧は曖昧な答えを呟いた。 大人と子供の境界線だと良く世間に言われる悠里達の年代だけど、実際はまだ子供だ。 実家の問題なんて縁遠い話で実感すら湧かない。 兄弟がいて、片方が結婚する、そんな事で産まれる確執やしがらみ、そんなのが分かるほどの経験なんて一度もしていないのだから。
「・・・・・俺が5歳の時、母が再婚した。年の離れたアニキもできた・・・・・だけど、その母がもういない家を実家とはもう、呼べない気がするんだよな。兄は義理のアニキで戸籍上はともかく、実際は他人だ。」
夏と悠里は顔を見合わせ、淡々と呟いているはずの京梧の言葉の端々にどこか棘を感じながらもどんな顔をしていいのか分からず互いに曖昧な笑みを浮かべる。
「・・・・・歩はあまり好かれてないって言ってたのに、どうして?」
まだ目の裏に描き出せる昨夜の光景を頭を振り消し去ろうとしながら問いかける悠里に京梧は息を吐く。
「大学卒業してから、ふらふらしてた俺に懐いたのは歩だった。仕事もしない俺にアニキも母も父も何も言わなかったけれど、冷たい視線は感じてた。そんな俺に懐いていた歩は、当事はまだ小学生だったかな?・・・・・とりあえず金魚の糞みたくどこへ行くにも付き纏ってウザイ時もあったけど可愛かった。・・・・・だから、取り返しのつかない過ちを俺は犯したんだよ。」
苦虫を噛み潰すかの様な声に顔を上げる二人の前、運転席に座る京梧の表情は良く分からないけれど、一気に車内の温度が下がった気がして、眉を顰める夏と悠里の前、微かな声が響く。
「幼い子供に犯した罪が怖くて、俺は逃げたんだよ。ここに来たのは偶然だけど、あそこにはもういられなかった。もう二度と間違いを犯さない為にも。」
低く小さな声、だけど、狭い車内、その声は重く響く。 何が、なのか詳細を聞く気になれず黙り込む二人の前京梧は運転する車の速度を少しだけ上げながら尚も呟いた。
「なのに、あいつは変わらない。・・・・・あの頃と一つも変わらないのが妙にむかついてね、『帰る気は二度と無い。俺はここで最高の彼女を見つけたから。』そう告げたんだよ。・・・・・何度振り払っても縋りついてくるあいつに。」
「・・・・・歩は?」
「俺から離れて一言『おめでとう、京梧さん』と笑みまで浮かべて告げてきたから、だから、俺はそのまま家に帰ったんだ。・・・・・まさか、こんな事になってるなんて。」
消え入りそうな言い訳じみた京梧の言葉に返す言葉も無く黙り込んだ夏と悠里はただ互いの顔を見合わせるとそのまま二人揃って窓の外へと目を向ける。 もう既に昼に近い外はぎらぎらと日が強くなっていて、道路や景色さえも熱さで歪んで見えるようだった。
*****
「あの。ここは?」
「海だよ。・・・・・ほとんど観光客がいないのはあまりに周りに何にもないから、かな?」
車を適当な砂地に止めながら答える京梧に言われた通り見渡す限り海と砂、微かに見える岩場だけで建物一つ見当たらない辺りに頷きながら悠里はそっと隣りを伺う。うんざりした様に外を見上げる夏は持参してきた帽子を目深に被り直し、気合いを入れる為にか深く息を吸い込んでいた。
「ここから、少し歩くよ。・・・・・あの、岩場の所まで、かな?」
車から降りた夏と悠里に遠くにある岩場を指差し告げると京梧は彼らの返事も聞かずに歩き出す。
「京梧さん!・・・・・ここからは、俺と滝沢だけで行くんで、もう、良いですよ。」
「・・・・・伊藤?」
驚き隣りを見ると名を呼ぶ悠里の声に反応もせず、夏は真っ直ぐ前だけを見つめる。夏の言葉に足を止め降り向いた京梧が眉を顰め口を開きかける。
「河合、いや歩は京梧さんには会いたくないと思います、だから。・・・・・それに友達かなり待たせてるし、もう、行って下さい。」
「あの、でも・・・・・」
「ここまで案内ありがとうございました。・・・・・でも、切り捨てるなら、あいつに期待はさせないで下さい!」
戸惑う京梧の声を遮り一気に告げる夏、そんな二人をおろおろと眺めていた悠里は夏の言葉に彼へと目を向ける。相変わらず前だけを真っ直ぐ見つめたままの夏の視線を追いかけるとその先には呆然と立ち尽くす京梧がいる。
「行くぞ、滝沢!」
立ち尽くし、何も言わない京梧からやっと視線を悠里へと向け、その腕を引くと夏は歩き出す。 すれ違った一瞬、顔を上げた悠里の目に映った京梧は唇を噛み締めたまま、眉を顰めていた。
ざりざり、とスニーカーじゃ歩きにくい砂浜を無言で歩く夏に腕を引かれたまま悠里はそっと後ろを振り返る。 立ち尽くしたまま、動こうともしない京梧の後姿が目にぼんやり、と映る。
「・・・・・伊藤、折角案内してくれたのに、あれは・・・・・」
「本当の事だろ。迎えに行くのは俺達で良いんだよ。・・・・・河合は決別する為にここに来たと思うから・・・・・これで、良いんだよ。」 「でも、それじゃあ・・・・・」
「これで良いんだよ。河合は別の道を歩む為にここにいる。だから、迎えに行くのは俺達で合ってるんだよ。あの人が迎えに来たら、河合は引きづるだろ?」
「・・・・・それは・・・・・」
まだ戸惑う悠里に夏は言った事を撤回しないまま帽子を少し上げると溢れだす汗を腕で拭う。
「暑いし、これから会いに行くのは、くそ暑いのに、うじうじしてるヤツだし・・・・・だから、夏は嫌いだよ!」
ぶつぶつと文句を呟くのも忘れない夏に悠里は何も言わずに苦笑を浮かべる。 やっと近づいて来た岩場に少しだけ出来た影で二人は重くなった足を擦り、大きく伸びをすると岩場へと足をかける。
*****
「やっと、見つけた・・・・・お泊りコースなら、ちゃんと連絡してくれないと、河合。」
岩場の奥まった場所に座りこむ影に目を向けた夏の声に、影はびくり、と肩を動かしゆっくり、と顔を上げる。 岩場の影にいたお陰で顔も悠里のいる場所からは上手く判別出来なかったけれど、隣りで夏がにやり、と口元に笑みを浮かべると、影はそっと立ち上がり、近づいて来る。 砂を踏む足音がやけに響いて聞こえてくる。
「・・・・・何で、ここに?」
「反則技を一つだけ、ね。」
戸惑う聞き覚えのある歩の声に返した夏が一足先に岩場の下へと降り立った。 続けて降りてきた悠里はやっとそこにいたのが歩だと認識できて、座りこんではいたけれど、掠り傷一つ見つからない歩にそっと息を吐いた。
「・・・・・反則、技?」
「京梧さん、に聞いたんだ。そしたら、ここまで案内してくれた。・・・・・河合がいなくなって、皆大騒ぎだよ?」
疑問にすんなり答え、続ける悠里の言葉に歩は小さな声で「ごめん」と呟くと軽く頭を下げてきた。
「言い訳も理由もいらないから、帰る、だろ?」
「・・・・・うん。」
夏の言葉に頷く歩に悠里は更に近づいた。少しだけ赤く腫れた瞳に歩が一人きりで泣いていた事を物語思わずその背を軽く叩く。 「もう、本当に大丈夫?」
「・・・・・ごめん、心配かけて。もう、平気だよ・・・・・一晩一人で頭冷やして、すっきりしたし。」
「ここ。」
「・・・・・どこの海も綺麗だけど、ここは特別だって聞いてたから・・・・・ちょっと見たくなったんだけど、もう満足だから。」
少しだけ海へと目を向けた歩はすぐに夏と悠里へと向き直り笑みを浮かべるから、そのまま無言で三人は岩場を今度は登り始める。 「・・・・・確かに、絶景かも、な?」
岩場の上から、少しだけ帽子を上げ海を見下ろした夏の声に歩は悠里と顔を見合わせると笑みを交わしあう。
砂浜に止まったまんまの見覚えある車を見つけた悠里は思わず夏へと視線を向ける。視線に気づいたのか、夏は帽子を少し上げると息を吐くと曖昧な笑みを返してくる。
「・・・・・河合!お前の「おじさん」、まだいるんだけど、どうする?」
呟く夏の声に歩は顔を上げる。向かってくる三人の姿に気づいたのか車の傍に座っていたのだろう京梧が立ち上がる。 どんな顔をしているのか、逆光で分からない京梧から悠里は歩へと視線を向ける。 ただ前を見つめる歩は唇を噛み締めると、一端は止めた足を再び動かしだした。 ゆっくり、と車へと近づいていく、歩の背を夏と悠里は顔を見合わせると互いに何も言わずに後に続く。
「歩!」
「・・・・・すいません、京梧さん。ご迷惑をおかけしました。・・・・・僕等、ここからは自力で帰れますので、どうぞ、お帰り下さい。」
ドアの前を素通りするのを思わず呼び止める京梧に足を止めるけれど、そのまま振り向く事なく告げる歩に京梧は伸ばしかけた手を止める。
「・・・・・歩?」
「散々迷惑かけといて今更かもしれない・・・・・でも、もう二度と京梧さんの負担にはなりたくないから・・・・・」
戸惑いながらも名を呼びかける京梧に歩はやっと振り向く。
「用事があったんですよね?・・・・・ここはもう良いから、早く行ってください。」
笑みを浮かべ告げる歩に京梧はその顔から視線を逸らし、息を吐くと頭を振り口を開いた。
「行けないって連絡はしたから、ホテルまで送るよ。・・・・・この辺は交通にも不便だし、だから・・・・・早く乗れよ!」
腕へと強引に手を伸ばすと有無を言わせず開けたドアの中に歩を押し込み京梧は砂浜にまだ立ち尽くしていた夏と悠里へと顔を向ける。
「送るから、早く乗って!」
そう言うとさっさと車に乗り込む京梧に夏と悠里は慌てて車へと駆けだした。
車中、誰一人話す人のいないホテルまでのドライブ中、息詰まる密閉された箱の中、カーステから流れてくる静かなバラードがやけに切なく悠里の耳に残った。
書いても書いても終わらない。 それにしてもこれは「不機嫌な熱情」なので安心してください、ラブは無いですが・・・・・;
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