18

いつもと同じ朝のはずなのに、違う気がする。毎日通る学校へと続く道も同じなのに、違う。
駅のホーム、まだ半分眠ったままの目をこしこし、と擦った悠里は鞄に仕舞いこんだ携帯を中を探り取り出す。
開いたメールは目覚めたと同時に届いたメール。「おはよう」の挨拶と今日の自分の事、そして学校で会おうと最後に書かれた短い、だけど、読むだけで顔が緩んでくる気がする「恋人」になった泰隆からのメールをもう一度眺めた悠里は携帯を手に持ったまま溜息を零した。
「朝から珍しくご機嫌だね、お前。」
いきなりの背後から響く声に肩を揺らした悠里はそろそろと後ろを振り向く。
「低血圧なんだ」と自称している友人、伊藤夏は少し眉を顰めたまま悠里を真っ直ぐ見ている。
「・・・・・伊藤は朝から機嫌悪いな・・・・・何かあった?」
「別に。・・・・・そういや、お前テストの方は余裕なわけ?」
「テスト?・・・・・期末ならまだ先、だろ?」
歩き出した夏に携帯を仕舞いこみ慌てて隣りを歩き出す悠里は問いかけに首を傾げる。
「今日から朝のSHRでテストやるって、言ってなかったか?」
覚えてないのか?と顔に出しつけたしの様に呟く夏の声に悠里は思わず足を止める。
「・・・・・もしかして、忘れてたとか?」
「やばい、まずいよな?・・・・・・今日は何だっけ?」
「・・・・・漢字じゃなかったか?」
青ざめ立ち止まる悠里に気づき振り向いた夏の問いかけにぼそり、と呟く声はかなり心もとなかった。だから律儀に答える夏の横を悠里はいきなり通りすぎる。
「滝沢!」
「俺、先に行く。ちょっと・・・・・一問だけでも覚えときたい!!」
「待てよ!・・・・・俺も行くから、置いていくなよ!」
周りを歩く集団を完全に視界に入れる事なく悠里と夏は少しでも早く学校へと着く為に最初は早歩きだったのが最後には全速力とも言えるほど走り教室に着いた時には息は乱れまくっていた。
それでも机へと辿り着くと無駄口一切叩かずひたすら教科書を長め続けた二人に負けまいと教室にいたクラスメートも次々に教科書を取り出し少しでも一文字でも多く漢字を叩きこむ為の勉強を始めていた。


*****


昼休み、押しかけたいつもの教室で泰隆と二人きり、だけど今までとは違うとても居心地の良い空間に感じる部屋の中。
朝の小テストを完全に忘れていたショックを話した途端に泰隆は盛大に笑いだした。
「それで、付け焼刃の成果は?」
「・・・・・聞かないで、しょうがないじゃん!・・・・・本当に忘れてたんだから。」
机へと深く沈みこんだ悠里の話を聞いた泰隆はやっと納まった笑いの発作から立ち直ると問いかける。
朝の小テストの問題が頭を掠めますます眉を顰める悠里は机へと頭を擦りつけたままの顔を上げようとはしない。
「今日が国語なら明日は数学?・・・・・公式丸暗記したら当てはめるだけだよ?」
「小テストなんだから、足し算、引き算で良いじゃん!」
「・・・・・小学生じゃないんだから、いまどき足し算、引き算は無いだろ?」
「じゃあ、掛け算、割り算でも可!」
「論外!・・・・・まぁ、頑張って。」
沈み込んだまま、顔は上げたけれどまだぶつぶつと愚痴を零す悠里に笑みを返した泰隆は目の前にカップを置く。
「コーヒー?」
「いや、中に入っているのは麦茶。悪いね、ここソレしかないんだよ。」
「ううん、ありがとう。」
手に取り口に含んだ悠里は、冷たい麦茶をこくり、と喉を鳴らし飲み込んだ。
冷たくほんのり苦い液体がすっと喉を伝い、悠里はそっと微かな溜息を零した。

「勉強、するなら、今日は止めとく?」
「・・・・・嫌!」
じゃあ、これ。と掌に置かれた鍵は車の鍵なんかじゃなくて、見覚えのある鍵だった。
「・・・・・先生?」
「だから、先生は止めようよ。・・・・・何か、妙に背徳感が出るのは気のせいか?」
顔を上げ、鍵を掌に載せたまま問いかける悠里に泰隆は苦笑を浮かべるとぶつぶつぼやいてくる。それでも真剣な顔で見上げる悠里の視線に気づいたのか苦笑を優しい笑みへと変える。
「うちの鍵!・・・・・失くすなよ!」
「・・・・・うん!!」
視線を合わせ浮かべた笑みを消さないまま告げる泰隆に悠里は鍵を握り締めるとぶんぶんと大きく頭を振り頷いた。
冷たい金属が握り締めた掌の中、確かに存在を主張していて悠里は少しだけ頬を染め笑みを返した。
「テスト勉強も数学なら任せろよ、後は星座とか?」
「・・・・・星座はあんまり関係無い、と思うよ・・・・・」
「そうか?・・・・・化学でやらなかったか?」
うろ覚えの自身の学生時代を思い出そうとする泰隆に悠里は何も言わずに黙り込んだ。
星座をやるなら、化学と生物、どっちだったのか少しだけ考えたけれどあまり興味の無い事は深く考えない悠里はすぐにその事を忘れてしまっていた。


*****


鍵を差し込み捻るとかちゃん、と扉の開く音がする、それだけで悠里は緩む顔を抑えきれない。
ドアを開き滑りこむように部屋に入ると、掌の鍵を見つめ、強く握り締めると顔を上げる。
玄関にある大きな姿見に移る自分が視界の端に写る。頬を赤く染め、鍵を握り締めた自分の姿に頭を振ると悠里は泰隆の部屋へと足を踏み出した。
余裕が無くて、昨日は全く感知しなかった部屋の中はエアコンが自動で入るのか、少しだけひんやりと涼しい。
リビングに大きくスペースを取る革張りのソファーに鞄を投げ出し、悠里は壁に掛かった時計を見上げ、時間を確認すると部屋の中を周りだした。
覚えている部屋の様子とは少しづつ変化していて当たり前だと思う。記憶の中の冷蔵庫は二段式だったけど、今は製氷機付きの悠里の身長より高い大きな冷蔵庫に変わっている、一人暮らしなのに、あの頃からまめに自炊していた泰隆は今も自炊はきちんとしているらしい。覗き見た冷蔵庫の中には酒だけでなく、野菜やその他の食材で埋められている。
寝室も書斎と呼ばれるスペースも相変わらず整頓されているけれど、デスク周りだけは汚い、あの頃よりかなり乱れていて、近づくと訳の分からない資料が散乱していた。
適当に手に取り眺めていた悠里は手に触れた堅い紙に気づき思わず捲るとそこに映っている姿にびくり、と指を止める。
「・・・・・これ、って・・・・・」
実物を見るのは初めてだけれど、これが釣り書きというのかと中を開き一人納得した悠里はまじまじとそれを見つめる。
和装姿の美人だと思う彼女は少しだけぎこちない笑みを浮かべている。
「・・・・・何で、こんなのが、あるの?」
手に取ったソレをまじまじと見つめたままぼんやり呟いた悠里は丁度下に置いてあったのだろう、丁寧に折りたたまれた紙に気づく。
高級な和紙だと触った感じの紙の質が普段悠里が目にする安っぽいそのどれとも違うと分かる。恋人とはいえ泰隆は他人、他人宛てのものだと分かっていたけれど確かめずにはいられなかった。
釣り書きを机に戻すと手に取った紙をそろそろと開いた。
--------拝啓 泰隆さん。
そんな古風な書き出しで始まる達筆な文字を見慣れない悠里には少し読みにくい。それでも分かる範囲を拾い読みした悠里はこくり、と唾を飲み込む。手紙を持ったまま立ち尽くした悠里はがちゃ、がちゃ、とドアの開く音を聞く。迎えに行かないと、きっと泰隆だと分かっているのに、それなのに、まるで床に張り付いた様に固まった足は動こうとしないまま、悠里は手紙を机へとそっと戻す。

「・・・・・悠里?」
呆然と机の前に立ち尽くしたままの悠里の背後から名を呼ぶ声がしたのはそれからすぐだった。問いかけるその声に何の反応もしない悠里に泰隆は首を傾げたまま中へと進む。
「どうした?・・・・・何が・・・・・・!」
振り向く事も何かを発する事もない、ただ黙って立ち尽くしたままの悠里の様子に異変を感じ、声をかけながら泰隆は近寄ってくる。丁度悠里の目の前に置いてある、この部屋には不釣合いなしろものが目に入り泰隆は内心舌打ちをしながら悠里へと近づく。
「・・・・・お見合い、するの?」
「は?」
「だって、これ・・・・・お見合いのお勧めでしょ?」
ぼそり、と呟く悠里に思わず泰隆はあんぐり、と口を開けたまま顔を向けてくる。その視線から少し顔を逸らしたまま尚も呟く悠里に泰隆は大きな溜息を吐くと何も言わずに悠里の手を取った。
「これ、見た?・・・・・なら、お見合いの話は合ったけど、もちろん断ったよ。」
「はい?」
「今どき見合いは無いだろ?・・・・・いつの時代だよ、それに、結婚は全く考えてないから。」
泰隆のやけに断言する言葉に思わず顔を上げる悠里へと笑みを向けると顔を近づけてくる。
「・・・・・でも、やけに熱心な手紙だったよ。」
「関係ない。・・・・・・やっと手に入れた恋人の事で俺は手一杯だよ。」
「・・・・・泰隆さん・・・・・」
真っ直ぐに見つめてくる顔がどんどん話している最中も更に近づいてきて悠里はそっと瞳を閉じる。唇へと降りてきた温もりが深くなるのと同じ様にいつのまにか抱きしめられていた体は更に深く温もりの中に包みこまれていた。


すいません、続きます。甘い恋人達の先を是非お楽しみ頂けると嬉しいです;

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