二度と同じ轍は踏まない、何度も考えた。 あの痛みを苦しみを二度と経験したくないから、導き出した答えは一つだけのはずなのに、言い現せない後悔がべったりと体に張り付いているかの様に付き纏う。 長い廊下には走り出した悠里の足音だけがやけに響き渡る。 近いのに遠い、遠いけれど本当はずっと近くにあったもの。耳を塞ぎ、目を閉じていたままでは見る事も聞くことも出来なかった自分の心の奥にある譲れないものの為にも後悔だけはしたくなかった。
《恋愛なんて最後には当人同志の問題だろ?》 いきなり夏に言われた言葉を思い出し、悠里は微かに口元を歪める。 確かに当人同志の問題で、他人が介入するものじゃないと今更同意して悠里は足を止めると乱れた息を整える。 目的地はすぐ目の前にあるけれど、良い言葉が思いつかないまま悠里はそっと顔を上げると鞄を持つ手に再度力をこめると大きく息を吸い込んだ。
「失礼します。・・・・・あの、永瀬先生はいらっしゃいますか?」
中に入って少しだけ中を見渡してはみたけれど、結局目的の人物を探せずに悠里は通りがかった教師へと問いかける。
「永瀬先生・・・・・部活の方じゃないかしら?・・・・・良かったら、呼び出すけど?」
「良いです。部活の方に行きますので、失礼しました!」
親切な申し出に慌てて首を振り頭を下げ素早く室内から出ると、扉から数歩離れたところで悠里はやっと息を吐き出した。部活の顧問なんてもちろん初耳で、本当に何も知らないままでいたんだと苦笑を浮かべる。 行き先の検討がつかないまま鞄を片手に歩き出した悠里はどこの部活の顧問なのかちゃんと聞けば良かったと当たり前の事に今更気づいた自分に呆れた溜息を零した。 部活に参加していない悠里はもちろん隅から隅まで部活の存在を知ってもいなければ、顧問が誰なのかというのももちろん分からず、この先を迷いながら何気なく突っ込んだポケットで手に触れた固い感触に思わず足を止める。 手に触れた異物、携帯を取り出し暫く眺めた悠里は廊下の隅に寄るとメールの受信箱を開いた。
*****
一方的に来る卑猥な画の入ったメールはその日のうちに全て消した。 自分が映っている、それも自分じゃ分からない見た事もない表情で見えない姿。 ほとんど来たと同時に中身を確認した後すぐに消したけれど、アドレスはしっかり履歴に残り、何が起こるか分からないからメールの受信拒否すら出来なかった。悠里はメール受信箱の中からアドレスを拾い出すと、新規作成のボタンを押そうとして初めて卑猥な画のないまともなメールの中身を見る。一時期日常の光景をほぼ毎日の様に送られてきた、その時のメールは消してもいなければ「また、来た」ぐらいしか思わずそのままにしていたのがほとんどだった。 改めて中身を一つずつ確認していた悠里はあるメールを見つける。
「・・・・・何の用、ですか?」
扉を叩くと出てきた人物に悠里は思わずこくり、と喉を鳴らす。制服を着こなす程着慣れてはいない幼い少年に悠里は思わず詰めていた息を吐き出しできる限りの笑みを向ける。
「永瀬先生に会いに来たんだけど、いらっしゃるかな?」
「・・・・・はい、今、呼んできます!」
見た事の無い顔に眉を顰めはしたけれど、頷き答えた彼は再び戸を閉めると中へと戻っていく。 部にならない小さな同好会、目の上のプレートを見ると「理化準備室」と書かれているけれど、その下に小さく「天文学同好会」と書かれた手書きの紙がついていた。 泰隆の専門は数学なのに、以外な場所の顧問だと思いながら、悠里は壁に背をつけるとずるずると座りこんだ。 ヒントはメールの中にあった。なにげない日常を綴ったどうでもいいメールの中にここの事が書かれていた。 がらり、と前触れもなく開かれたドアに顔を上げた悠里は目の前に立つ男を見上げる。 驚いた顔の泰隆から視線を逸らすと悠里はゆっくり、と立ち上がった。
「すいません、貴重なお時間を割いて、もう少しだけ話たいと思いまして。」
戸惑った声で問いかける泰隆に頭を下げた悠里はそのまま、大きく息を吸い込むと言葉を吐き出した。
「ここで、終わる事?」
「・・・・できれば、人のいない所・・・・・が、良いです。」
他人に聞かれれば困るのは目の前に立つ泰隆もだろう、と内心思いながらも悠里は鞄を掴む手に力をこめると答える。
移動したのは教室ではなく屋上に近い階段の踊り場だった。 何も言わずに歩き出した泰隆の後を着いて行くと、目の前に見える屋上の扉へと続く短い階段、後ろには階下へと戻る階段の丁度中間の踊り場で、泰隆は腕時計を見ながらそのまま屋上へと続く短い階段へと腰掛ける。
「もうすぐ下校の時刻だし、話せるのは数分だけど・・・・・それで、良い?」
やっと顔を向けた泰隆の問いにただ頷くと悠里は鞄を掴む手に更に力をこめ顔を上げる。
「二度と関わりたくない、と思うのに、それが正しいと思うのに、このままだと俺は後悔するんです。」
「・・・・・滝沢?」
「酷い人でした、好かれた記憶もない。二度と会いたくないと思ってたのに・・・・・関わらないのが正しいのに、俺、俺は・・・・・」
鼻の奥が痛み思わず瞳を伏せた悠里は言葉に詰まる。頭の中で思い描く事が言葉にならなくて、上手く伝えられる気もなくて、ただ立ち尽くす。もう少し形を考えとけば良かったのに、もう後悔している自分に悠里は鞄を持たない手も握り締める。
「俺と関わるのは正しくない事なんだろ?・・・・・なら、そのままでいいじゃん。」
「・・・・・俺は、後悔だけはしたくないんです!」
「だから、どうしたいの?・・・・・関わりたくない、でもそれだと後悔する。なら、どうする?・・・・・選択権はお前、お前が決めるんだよ。」
階段に腰掛けたまま、淡々と告げる泰隆に悠里はただ唇を噛み締める。 道は一つ、正しいと思える道はずっと一つだけのはずなのに、唇を噛み締めたまま悠里は段々と熱くなってくる目を開くと目の前に座る泰隆を見つめる。
*****
「・・・・・会わなければ、俺は何も悩まなかったのに・・・・・」
二度と同じ轍は踏まない、何度も胸に誓った正しい道だと思える答えが音を立てて崩れていく気がした。 何も言う気は無いのかただ答えを待ち無言で見つめてくる泰隆の視線を感じながら悠里はこくり、と喉を鳴らす。
「関わりたくないはずなのに、それなのに・・・・・っきなんです。」
「・・・・・滝沢?」
「すき、なんです。どうしてって、自分でも思うのに・・・・・思い出させるから・・・・・」
戸惑う様に名を呼ぶ泰隆の声を塞ぐように悠里が言い直したのと同時に下校の音楽が流れ出した。
「・・・・・それで、俺はどうしたら良いの?」
下校の音楽が流れ出したせいなのか、急に階下がざわつきはじめた中、泰隆は視線を逸らす事なく問いかける。さっきと変わらない問いかけに悠里は先が思いつかなくてただ俯く。
「・・・・・関わりたくない、だけど俺の事が好き、だからどうしたい?・・・・・・この先は?」
「この先が分からないんです。・・・・・会わない方が良いと思いますか?」
「だから、聞いているのは俺だろ?・・・・・滝沢が俺に関わりたくないというなら、俺はこの先近づかないと約束するし、どうしたい?」
答えを待ち続ける泰隆に悠里は瞳を伏せると大きく息を吸い込む。 立っているのが辛いほど、突き刺さる視線に足が震えそうなのを堪えた悠里は重い足を一歩ずつ進める。
「滝沢?」
何も答えないまま近づいて来る悠里に泰隆は名を呼びかけるけれど、俯いたまま悠里は足をそれでも止めない。 手を伸ばせば届きそうな距離まで近づいて来た悠里は肩を揺らすとゆっくりと顔を上げる。
「俺はこの先が分からないんです。・・・・・だから、先生が決めてください。」
そう言うと、また瞳を逸らす悠里に泰隆は溜息を吐くとやっと立ち上がる。
「俺は言ったよね?二度と離す気は無いって、それで、良いの?」
微かに頭が動く、それだけの反応しか見せない悠里は俯いた顔を上げようとはしない。 ただ鞄を持つ手にかなり力が入っているのか手の甲には青い血管が浮き出て指先は白くなっている。 同じ場所、隣りへと立ってもやっぱり顔を上げようとしない悠里に泰隆はそっと息を吸い込む。
ふわり、と温もりに包まれて悠里は力をこめて握り締めていたはずの鞄を手から滑り落とす。ぼとり、と思い音を立て落ちた鞄を拾う事も思いつきもしないまま、少しだけ顔を上げる。 目の前に見える制服とも壁の色とも違う濃紺が泰隆のスーツの色だとすぐに分からない程、悠里は呆然としていた。 少しづつ放心状態から立ち直りつつあった悠里はおそるおそる、泰隆の背へと手を回し、目の前の胸元へと頭を押し付ける。
「・・・・・良いんだな?」
確認の為なのか再度、今度はずっと近く耳元へと直接問いかけられ、悠里は無言のまま更に強く頭を押し付けた。 背へといつのまにか回され包みこまれていた体を強く抱きしめた泰隆の腕の中、悠里はただ瞳を閉じる。 耳の奥あれだけ鳴り響いていた警鐘はいつのまにか止んでいた。
まだまだ続きます。 関係ないのですが、うちのいた学校では下校の音楽が鳴り止むと同時に校門が閉められた気が。 今の学校はどうなのでしょうか?ではまた!
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