「見た目も中身もこれといって際立っているわけじゃない普通の子供。それがお前と出会った時の第一印象で、何度も会って触れ合ううちに最初のそれは間違ってない事にも気づいたのに、当たり前の普通が俺には羨ましかった」 そう唐突に話しだした泰隆の低い声に悠里はびくり、と肩を揺らした。 緩まない拘束から何とか解き放たれようとする悠里の努力も空しくしっかりと腕を絡めきつく抱きしめる泰隆は息を吐くとそのまままた口を開いた。
「努力する事も、真剣に何かに取り組む事も無かった俺とは違う。理想と現実の違いも分からない子供なのに、だからこそ、夢を見れる幼さが俺には興味があったのと同時に実は少し怖かった。」
「・・・・・・怖い?」
「最初は良かったんだよ。俺は家庭教師のただの先生だった。お前の中でそれ以上でも以下でも無かった。」
有無を言わせず話しかけてくる泰隆に悠里は抵抗するだけ無駄だと悟ったのか腕の中大人しくしてくれるから、泰隆は腕の力を少しだけ緩めるけれど、回した腕を外そうとは思わずただ目の前にある小さな肩へと少しだけ頭を近づけた。
「当然、手を出す気は無かったというと嘘に近い、でもあんな風に出す気は本当に無かったんだよ。」
過去の話を今更蒸し返し弁解する泰隆の真意が相変わらず分からないまま悠里は少しだけ眉を顰めた。 話よりも極近い所で話すたびに吹きかけられる生温い風の方が気になり、悠里は肩を疎め身じろぐ。
「話は聞くから、少し離れて下さい!」
「・・・・・冗談、今更逃げる気?」
「違うから、そうじゃない!・・・・・離れて、欲しいだけ。」
困った様に喘ぐ悠里に緩めた腕の力をまた強めた泰隆へとぽつり、と擦れた声で呟いた悠里の顔はのぼせた様に赤く染まり、泰隆はその腕をそっと離した。
ずるずると机に手を置いたまま座りこんだ悠里は大きく息を吸い込むと吐き出しやっと顔を上げる。 「過去の話には興味ありません、終わった事だし、今更取り戻せるわけでもない。」
そう告げるとあの頃は見る事も無かった渇いた笑みを見せられ泰隆はそっと拳を握り締めた。
「過去を話さないと今と繋がらない、そうだろ?」
「・・・・・元々切れてるじゃないですか。あの日、僕はあなたに切り捨てられたんだから。僕はバカな自分を思いだしたくないし、あれは僕の中では忘れたい出来事なんです。今更蒸し返されたくも無いんです!」
「悠里、だから、話が必要だと・・・・・」
「僕はしたくない!聞きたくもない!・・・・・あの頃に引き摺られるのももう嫌なんです!!」
頭を大きく振り拒む悠里に泰隆は溜息を吐くと、座りこんだままの悠里の傍で身を屈める。
「十分引き摺ってるだろ?」
「・・・・・蒸し返して、今更どうするんですか?」
「離さない為に、言っただろ?・・・・・二度と離す気は無いって。」
真っ直ぐに見つめたままきっぱりと告げてくる泰隆に悠里は視線を逸らすと唇を噛み締めた。がんがんと頭の奥で鳴り続ける警鐘は未だに止む事は無く、聞きたくない気持ちの方が勝っているのに、床へと着いた手を握り締め悠里は大きく息を吸い込む。
「話を聞いても僕が変わらなかったら?」
「その時は、潔く諦める、それを望むなら。」
「・・・・・僕は今でも望んでます。」
呟く悠里に泰隆は笑みを向けると「話はまた今度」と呟き悠里を立たせる。
「・・・・・先生?」
「タイムリミットだよ。そろそろテスト期間だろ?」
そう告げる泰隆の声と同時に下校の音楽が流れ出し、悠里は鞄へと手を伸ばした。
「帰っても?」
「いいよ。話はまた今度、時間を取って、逃げないでここに来いよ。」
ドアへと向かいかけ振り向き問いかける悠里に泰隆は困った様な笑みを向けてくる。それでも真っ直ぐに見つめる視線からやっぱり逃れるように外へと向かう扉を開くと悠里は振り向かずに歩き出した。
*****
ざわめく教室の片隅で携帯を弄っていた悠里は影が落ちた事に慌てて顔を上げる。
「なんだ、伊藤じゃん、何か用?」
「なんだ、じゃねーよ。益々変になった気がするのは俺の気のせいか?」
「・・・・・たぶん、気のせい?」
「あのな。」
夏の困った顔に悠里は笑みを向けると携帯を閉じてポケットへとしまう。
「メール書いてたんじゃねーの?」
「いいよ、大した事ないのだから。それより、最近妙に話しかけるね?」
「・・・・・滝沢が最近おかしいからじゃん。気になって悪いかよ!」
付かず離れずがモットーの夏の態度に実は面倒見の良い友人かと常々思っていた悠里は笑みを浮かべたまま立ち上がる。
「滝沢?」
「暇なら付き合わない?・・・・・ちょっと、疑問があるから他人の意見も聞きたいし。」
にやり、と笑みを浮かべる悠里に夏は瞬きを繰り返し同じく笑みを浮かべると隣りに立ち歩き出す。
「相談料は缶コーヒーでいいよん。」
「・・・・・取るんですか?」
「当たり前じゃん!」
鼻歌でも歌いだしそうな夏の浮かれた答えに悠里は肩を竦めるとそのまま歩き出す。
「どうぞ。」
「サンキュー!」
手渡された缶のプルタブを開きこくこくと飲み込む夏の前悠里も缶を開けこくり、と一口飲み込む。渇いた喉に沁みる冷たさと潤いにほっと一息吐く悠里は夏の視線に気づいた。
「・・・・・かなり期待してる?」
「結構。ドラマみたいな展開とか有り?」
「期待外したら、ごめん。」
興味津々の顔に苦笑を返すと悠里は夏の隣りへと座ると巧くまとまらない頭の中を話しながら整理しようと口を開いた。
固有名詞は一切出さずもちろん相手がこの学校の教師である事も隠し、ただ「年上の人」で通した。家庭教師と生徒の話は先にしていたはずだから、そこも巧くごまかしてただ「知り合った人」にした。
「・・・・・それで、何を俺に聞きたいわけ?」
「うーん、話してすっきりしたかったのかも。それと、本当は全然終わってない、あの人が好きな気持ちを誰かに否定してもらいたかったのかもしれない。」
「それってして欲しいの?」
「・・・・・わかんない。どうだろ?・・・・・だけど、俺は二度とあんな思いはしたくないんだよね。」
「そういうのはさ、経験豊富な奴に聞けば?・・・・・ほら、お前年上の人の知り合いいるじゃん、永瀬先生とか!」
「・・・・・先生?」
「あれはまさに遊んでそうじゃん!・・・・・彼女が遊び人なんですけど、それでもまだ好きなんですけど、どうしたら良いですか?とか聞いてみれば?」
「うわぁー!!・・・・・言って損した気がするのは何でだろう?」
「失礼な。恋愛なんて、最後は当人同志の問題だから、他人が介入したらややこしい事になるんだぜ、お前知らないのかよ。」
答えになってない夏の声に悠里は内心頭を抱える。まさか、その「遊び人」が泰隆なんだとは口が裂けても言えないとまだ熱く語っている夏を見て、苦笑しか返せなかった。
*****
《放課後、あの部屋で。》
メールが来たのは昼休み。友人達とくだらない話で盛り上がり、ひとしきり笑い転げていた時にポケットからの振動に気づいた。教室に戻る友人達と「トイレに行く」と離れ、こっそりと取り出した携帯にはメール着信の報告、開いたメールはたった一行の短い文。笑い転げて熱くなっていた体が急激に冷めたみたいで悠里は携帯をしまうとそのまま深く瞳を閉じた。どんなに取り繕っても隠しきれないボロが出そうな気がする。胸元へと手を当てるとあの日受けた傷を思い出す。何度も繰り返し願うのは同じ轍を踏まない、二度とバカな自分には戻らない、鮮やかに蘇る痛みを二度と繰り返さない、ただそれだけなのに、ずっと鳴り止まない警鐘が一段と大きくなった気がしたまま悠里はただ立ち尽くしていた。
「約束通り、来てくれて嬉しいよ。・・・・・そこにかけて。」
椅子を示すと泰隆は初めて悠里の目の前にカップを置く。湯気の立つカップから香るのはコーヒーの甘い香りで、悠里は思わず泰隆へと顔を向ける。
「そんなに珍しい事したかよ。・・・・・話をしたいって俺は言っただろう。」
「・・・・・聞いたら帰っても?」
「良いよ。その後は悠里が決めていいから。」
窓の傍へと立った泰隆は自分にもいれたのかカップを手にすると口をつける。目の前で湯気の立つカップへともう一度目をやった悠里はそろそろと手を伸ばすとカップの中のコーヒーを一口飲み込む。広がる苦い味にひっそり、と眉を顰めたままそれでもこくりと飲み込む。 外から聞こえる喧騒がやけに響く静かな部屋の中に漂うのはコーヒーの香り、やけに目立つ時計の針の音だけが響いていた。
「・・・・・どこから話せばいいのかな?俺を先生以上にも以下にも見なかったお前の気を引きたいと思ったきっかけは単純に興味が出たからだと思う。今まで周りにいなかった・・・・・むしろ敬遠していたタイプのはずなのに、気になりだしたら止まらなかった。」
長い沈黙の後、やっと口を開いた泰隆は思い出すように時折目を細めながら、過去の記憶を紐解く様にゆっくりと話だした。絶えず鳴り続ける警鐘に頭の大半の意識を取られながらもどこか遠くに聞こえる声に悠里はそっと眉を顰めると拳を握り締めた。
話を聞いているのではなく聞かされているだけ、こんな事で変わらない気持ちがある。 同じ轍は踏まないし、あんな思いは二度としない、だからただ聞くだけだと何度も言い聞かせながら、悠里は俯くときつく瞳を閉じる。
あれ〜?もっと早く行き着くはずが、まぁいいか。とりあえず続きます。 また次回♪
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