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朝はほとんど遅刻ぎりぎりに登校して、帰りはSHRが終われば颯爽と帰って行く。最近そんな生活を送り出した悠里に「まるで学校から逃げているみたいだな。」と嫌味を言った夏にも悠里は曖昧な笑みを返し言葉を濁した。
「逃げている」とは的を射ていると悠里は今日も足早に帰りながら一人苦笑する。
ただし、逃げているのは学校ではなくて「学校にいる人」なのだけれど、強ち間違いでも無いから訂正する気も無い。
最近はメールも受信拒否をしているし、休み時間は止むを得ない事情の時以外はなるべく教室にいるし、会わないように努力はしている。同じ空間に居てもほとんど接点の無い存在だったのだと避けだして改めて気づいたのだけれど、今はこのまま何も無ければいいとそれだけを願っていた。
《逃がさないって言わなかった?どこにいても、離す気は無いよ。》
泰隆と最後に会った日言われた言葉を思い出し思わず身震いした悠里は唇を噛み締め手をきつく握り締める。何の音沙汰も無い彼が何を考えているのか分からない、だけど言いなりになるのは悠里が限界だった。
泰隆にとっては簡単に切り替えのきく手軽な存在の自分だけど、悠里にとっての泰隆の存在、どんなに線を引いても踏み込んでくる彼の存在が大きく変わるのが怖くて堪らなかった。
変わる前に逃げる、変わる前に避けるそれしか悠里の進む道は見えなかった。

「帰るなよ!!今日は逃げてくれるな!」
目の前に立ちはだかる数人のクラスメートの輪に囲まれ、鞄を握り締める悠里の目の前に進み出てきた夏は苦笑を浮かべたまま呟いた。
「・・・・・文化祭の会議、って何?」
「クラスの出し物決める為の会議!SHRの後にやるって言わなかった?」
「・・・・・言ってたっけ?」
「お前ね・・・・・取り合えず今日中に決定しないと明日、委員会だろ?」
「それって・・・・・」
「クラスの出し物だよ!全員参加に決まってるだろ、滝沢!」
一人欠けても「クラスの出し物」じゃないだろ?と周りのクラスメートの顔が語りだし、悠里は溜息を零すと、鞄を机の横へと掛け直した。
「別にいなくても良かったんじゃないのか?」
会議というか候補数点からの挙手による多数決で決定した黒板に大きく書かれた決定事項の出し物を眺め呟く悠里の横、夏は笑みを返す。
「お祭り好きのクラスにいるのを不幸だと思え。」
「・・・・・乗ったくせに。」
「いいじゃん、滝沢最近変えるの素早いし、たまには一緒に帰ろうよ。習い事でも始めた?」
帰り支度をしながら問いかける夏に悠里は笑みを返し「別に〜」と呟くと鞄を手に出口へと歩き出す。


*****


何かが起こる前に帰らないと、そんな思いで早足で歩く悠里の後ろから夏は首を傾げたまま付いて来る。理由を問いかける事も出来ない背を見つめ夏がこっそりと溜息を零した事にも悠里は気づかない。
昇降口の手前で明るい声が響き渡り悠里は急いでいた足をいきなり止める。
「先生、さようなら〜」
「バイバイ、永瀬先生!」
脇に書類を抱え、手を振る女生徒に笑みを浮かべる姿を認め、いきなり竦んだ悠里に背後から夏が驚いた声で問いかけてくる。
「どうした?」
「・・・・・何でもない。」
「永瀬先生じゃん、さよなら、先生!」
夏の声に振り向いた泰隆の目が夏から悠里へと流れ、視線が体中に突き刺さるのを感じながら、ただ頭を下げると竦む足を引きづる様に悠里は下駄箱へと足を向ける。
「・・・・・滝沢、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
背後から呼び止める声に悠里は背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを感じながら、振り向く。
「今じゃないと、駄目ですか?」
「できれば、ね。そちらのお友達と何か約束でも?」
「俺は大丈夫です、滝沢、先帰るよ。・・・・・じゃあな!」
肩を叩き笑みを浮かべる夏に頷いた悠里は去っていく彼の後姿を眺めた後、ようやく背後に立つ泰隆へと顔を向ける。
「やっと、会えたね。・・・・・散々避けてくれた言い訳は後で聞くよ。まずは、こっちに。」
笑みを浮かべたまま告げる泰隆に悠里はひっそりと溜息を零すと先に歩きだした泰隆の後をゆっくりと着いていった。

いつも通される教材準備室には少しだけ埃の匂いと煙草の匂い、それから、泰隆がつけているのだろう彼の匂いが香る。相変わらず小さな部屋に不似合いの大きな窓の前に立った泰隆がゆっくりと振り向くのを悠里は黙って見ていた。
「久しぶり。同じ空間にいるのになかなか会えないものだね。」
「・・・・・話ってなんですか?」
「言わなくても分かってるだろ?」
「特に理由はありませんし、意味もないです。・・・・・ただ、会いたくないから、それで理由になりますか?」
突き刺さる視線から逃げる様に下を向き答える悠里に泰隆は眉を顰めドアの傍から動こうとしない彼へと足を進める。
「何、それ。この前、いつまで続けるのか聞いてきたよね、関係ある?」
「別に無いです。」
「俺は、逃がさないって言わなかった?悠里を手放す気は無いって、言わなかった?」
段々と近くなる声に近づいているのが分かり、少しづつ後ずさる悠里に淡々と告げる泰隆の言葉が降り注いでくる。壁にぶつかり鞄を持つ手に力をこめる悠里のすぐ傍まで来ている泰隆の気配に思わずこくり、と唾を飲み込んだ。
「・・・・・どうして。」
「いつもそれ、疑問ばっかりでまともに答えを聞こうともしない。」
「答える気があるんですか?」
「・・・・・考える気ある?それなら、何か言っても構わないよ。」
言われている言葉が分からなくて戸惑いつつもそろそろと顔を上げる悠里の前、泰隆は笑みを向けてくる。
「考えるって、何をですか?」
「俺が何で悠里にしつこく付き纏うのか、とか一度で良いから、再会してからの事考えてみた?」
「先生は都合の良い玩具が欲しかっただけですよね?あなたに怯える俺は先生の格好の餌食だった。そうですよね?」
「・・・・・それって酷い解釈じゃないか?」
「俺は、都合の良い玩具じゃないし、ちゃんと感情だってあるんです。あんたの都合に振り回されるのはもううんざりなんです!」
「別に振り回してないし、都合の良い玩具って何だよ。普通に再会したかったのに、逃げられれば追うだろ?」
呆然と呟く泰隆の言葉に悠里はぐっと唇を噛み締める。
目の前の男に今もまだ癒えない傷をつけられたのに、普通に再会なんてありえない。そんな事も分からない、泰隆の中では些細な出来事だったのだと思うと悠里は今もまだ引きづる自分が惨めで妙に笑いたくて堪らなかった。


*****


「俺は先生とは二度と会いたくなかったです。・・・・・再会なんてしたくなかった、です。」
再び俯き、床を見つめたまま呟くと悠里は手にしていた鞄をぎゅっと握り締める。
「悠里?」
「先生にとっては些細な出来事でも、俺にとっては人生変えるほど大きな出来事でした。」
深く息を吸い込み顔を上げた悠里は驚いた顔で自分を見る泰隆を真っ直ぐに見つめると口を開く。
「普通に再会なんて有り得ない。・・・・・自分を傷つけた人間と再会して何も無い顔で笑顔を向ける俺の気持ち、考えた事ありますか?もちろん、無いですよね。先生にとっては大した事ない出来事ですから。」
「・・・・・悠里、あの・・・・・」
「二度と関わりたくないんです。だから、俺を解放して下さい。意味なんて考えたくないし、分かりたいとも思いません。」
言い惑う泰隆の言葉を遮り悠里は一気に捲し立てると、呆然としている彼の隙を縫ってそのままドアへと向かう。
「・・・・・待てよ、言い逃げするなよ!」
ドアへと手を伸ばした悠里の背に泰隆は言葉を投げると同時に腕を掴む。最初から力をこめているせいなのか、ぎりぎりと締め付ける手に眉を顰め悠里は腕を振り払おうとして背後へと倒れこむ。
「離して、下さい。」
「嫌だよ、離せば逃げるだろ?・・・・・二度と離したくないんだよ!」
拒む悠里を腕の中深く抱きこみ告げる泰隆に悠里はびくり、と身を震わせた。
「何、言ってるんですか?」
「何度でも言うよ。俺は二度とお前を離したくない!・・・・・その背を見送る事はもうしない。」
更に深く抱き寄せられ、悠里は腕の中から抜け出る事も出来ないまま、泰隆の声を呆然と聞いていた。何を言われているのか分からなくて頭の中が真っ白になる。

「離して下さい!・・・・・俺はあんたに都合の良い玩具じゃないって・・・・・」
「だから、そんな事一度も思ってないって言っているだろ!・・・・・頼むから、話を聞けよ!」
腕の中、おとなしくなったのは一瞬で、我に返った悠里は逃げようと必死にもがき、頭を振り拒むから泰隆は腕の力を緩める事なく彼を抑えこみ呟く。
「聞きたくないです、俺は二度とあんたに振り回されたくないんです。だから、離して下さい!!」
「・・・・・変わらず頑固で強情だな、お前。」
呆れた声にも悠里は頭を振り、何とか腕の中から逃げ出そうと押さえ込まれ自由にならない手を動かす。
「俺は結構何でも適当に済ますから、何でも真面目に取り組むヤツなんて当然周りにもいなかった。そういうのは敬遠してたし、適当な生活してるのには同じ位適当に生活しているのが友達だったり知り合いだったりするから。」
溜息を吐くと、腕の力を緩める事なく話しだした泰隆に悠里は動きを止めると彼を見上げるけれど、背後から抱きしめられているから顔は当然見れなくて、ただ、体全体を覆う温もりに今更気づく。
「家教のバイトも適当に済ませるはずだった。・・・・・あの日、お前に会うまでは。」
続く言葉に肩を揺らす悠里の頭へと顔を寄せ、泰隆は深い息を吐く。温もりに包まれ、温もりを感じ悠里はどこかで警鐘が鳴るのを感じていた。


急展開?というか、予定調和なのですが、次回は泰隆さん独白から始まるのか?というわけでまた次回です。

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