さくら

中編

必死にこらえても溢れだす涙をやっぱり止められず南はついに座り込み泣き出した。
夜中にほとんど近い夜にこんな場所で座り込みただ一人きり泣いているのをみっともないとわかってはいても、何度も思い出す二度と手に入る事の無いあの温もりやあの声を愛しいと思う気持ちが消えなくてどうすればいいのか分からなかった。

泣きすぎて痛い目を擦り改めて夜の空、ひらひらと薄白い桜の花びらが舞い落ちるのを眺め「恋」の終わりを痛感する。
認めたくないけれど忘れないと進めない自分に照らし合わせるかの様に舞い落ちる花びらをただ眺めていた南は静寂を破る様な人の声に気づいた。
「やっぱり〜夜桜も綺麗だよ。」
「・・・わかったから、急かすなよ・・」
高い声に続く呆れた低い声に南は立ち上がる。
暗くて良くこちらからは見えないけれど声には聞き覚えがあった。
内心嫌な偶然だと思いつつどうするべきか迷う南は先に来た彼女と目が合う。
「薊ーっ!早くー!・・・あれ?」
彼女の方も南に気づき意外と丁寧に頭を下げるのを後から来た薊が怪訝な顔のまま彼女の視線の先へと顔を向ける。
南はただ頭を下げると彼らの来た道とは逆の入り口から出て行こうと歩き出した。
「なぁ。あんたとは良く会うけど・・・この近くの人なわけ?」
背後から南を呼び止め問いかける薊に足を止め答えようと振り向いた。
「ボクは・・・」
口を開きかけ突風に舞い上がりまるで踊りだす様に散る桜の花びらに言葉を失う。
過去の事だ、とまるで桜に告げられてるみたいで南は黙り込む。
思い出は鮮やかなまま南の中にはあるけれど目の前の人には何も無い・・・考えると泣きだしそうで南は何も答えないまま出口へと走りだした。
背後で呼び止める声がした気がしたけれど南は早く逃げたくて溜まらなかった。

もう、忘れないと・・・それだけがただ南の中に渦巻いていた。

夜道を歩きだし鼻を啜りながら南は必死に泣き出すのを堪えた。
本当は大声をだして泣きたい気分だったけれどまだ公園からそんなに離れてないから声を聞かれるのも困る。
住宅街だから迷惑をかけるのも困る。
すっかり酔いの覚めた頭でつらつらと考えながら泣き声を漏らさない様に口元を引き締めるとただひたすら家路を急いだ。






最近泣いて目が腫れてる事が多いよなと鏡を見て苦笑してからまた油断すると泣きたくなるのを堪え冷水で顔を洗い出した。
昨日はほとんど今日だったけど家に帰り着きやっぱり泣いて朝日を迎えたから寝不足なのもあるのだろうと会社に行くぎりぎりまで目を冷やしてみた。
駅のホームにある鏡に映る南は今にも泣きそうな顔をしていたから見たくなくてつい目を逸らす。
同僚の心配してかけてくる声に「二日酔いです」と繰り返しながら仕事を終えると素早く帰り支度を終え誰の詮索も受けない様ひっそりと会社を後にした帰り道、夕日に照らされた桜の木を目にして無理やり顔を背けると内心桜は当分見たくないと思う程嫌な思い出が出来たと苦笑してまだ笑える余裕のある自分に南は気づく。
失恋しても自分は何も変わらないと南は唇を噛み締め暫く桜の側で立ち尽くしていた。
日常だって変わらない・・・「約束」だって思い出す事ない自分にいつか慣れるだろうと思うからただ前だけを見ようと改めて強く思い直すと南は歩き出した。


アパートの前の人影に住人の一人だろうと頭を下げようと近づいてから南は目を見開いた。
「・・・お帰り〜、良かった。あまり、遅くなかったんで助かったよ。」
笑みを浮かべ話しかける人を南は立ち尽くしたままただ見つめる。
どう反応すべきか迷ったのもあるしなぜ彼がこんな場所にいるのか理解できずにただ何も言わずに立ち尽くすしか出来なかった。
そこにいたのは「千野薊」その人だった。
「なぁ、大丈夫?顔色悪いけど・・・平気?」
立ち尽くしたままの南に一歩ずつ近づきながら薊は手を伸ばしてくる。
「・・・何の御用でしょうか?・・・あの、どうして・・・ここが・・・」
「母さんに聞いたから。あんたと話したいと思って。・・・あんた、「嵯峨南」だろ?」
後ずさりながら疑問をやっとの思いで口にする南に薊は軽く答える。
そしてどうしても距離を保とうとする南に手を下ろすと薊は立ち止まる。
「なんでボクの名前。」
「聞いたから。・・・オレの記憶があやふやなのは知ってるよな?」
こくり、と頷く南に薊は口を開いた。
「オレさ・・・取り戻したいんだよね。彼女と結婚する前に何かつかえてるものを取り戻したくてここに来たんだよ。・・・あんたなら知ってる気がしたから・・・。」
「・・・聞いてどうするんですか?忘れた記憶はしょうがないものだろうし新しい生活を大切にするべきだと思いますけど。」
「このままじゃ・・・オレは。もしかしたら記憶を失くす前も「彼女」とかいたかもしれない、し。」
「記憶を失くしてから連絡もできないのなら「彼女」だって新しい人を見つけてると思います。ボクはあまり千野君を知らないですし・・・お役には立てないと思います・・・だから、失礼します。」
薊の言葉にすまなそうに頭を下げると南は足早に家へと帰ろうとする。
「待って!」
腕を捕まれ南はびくり、と肩を揺らした。
「頼むよ!・・・どんな些細な事でもいいんだよ。彼女が幸せならそれでもいいから。何か知らないかな?」
「ごめんなさい。ボクは千野君に彼女がいたのかも分かりませんし、もっと親しい方を当たって下さい。」
腕を何とか振り払うと南は薊の戸惑う顔から目を逸らし部屋へと駆けていく。
取り残された薊は手を伸ばしかけそのまま立ち尽くした。






部屋へと駆け込んだ南は靴も脱がずに玄関にずるずると座り込んだ。
忘れたい人なのに不意打ちの様に現れた薊に南は泣きそうになる。
南を知らない人なのにあの声もあの温もりもあの匂いすら南の知ってる薊だからこそ泣きたくてぼろぼろ溢れ零れ落ちる涙をもう止める事もできなかった。
「なぁ、少しで良いから何か知らないかな?・・・交友関係とか・・・」
遠慮がちにドアをノックしながら問いかけて来る薊に南はびくり、と座り込んだまま顔を上げる。
「ボクは何も知りません!・・・帰って下さい!」
答える南はそれでもドアを開けようとはせずに薊は暫く同じ言葉を繰り返したけれどそれ以上何の反応も無い事にやっと諦めたのか去っていく。
階段を降りる音が遠ざかるまで南は座り込んだままでいた。

やっと立ち上がった南はかたり、とした物音にびくびくとドアを開き真正面にに座り込んでる薊に気づいた。
「・・・何で、帰ったんじゃ・・・」
「・・・・・手がかりが欲しいんだよ。交友関係なんて今のオレには調べようもない。」
座り込んだまま呟いた薊に南は溜息を漏らすと彼を部屋へと招く。
「いいのか?」
「風邪をひかれたら困るし。・・・どうぞ。」
ソファーを勧めると南は台所で飲み物の用意を始める。

勧めたコーヒーに手もつけずにただ座り込み黙ったままの薊の前に座り南はいたたまれない気分でコーヒーに口をつける。
「・・・記憶を失くしてもオレはオレだと思ってた。」
沈黙を破り薊が口を開いたのはすっかりコーヒーが冷めてしまってからだった。
ぽつり、ぽつり、と呟く様に話し出す薊に南は顔を上げる。
「失くしたのはほんの数年で、そんなのなくても人生なんて変わらないってそう思ってた。だけど彼女との結婚話が出てからそれで良いのかって、オレは大事なものを失くしたんじゃないかって思うとどうしても取り戻したくて。」
「・・・それって、マリッジブルーみたいなもの?・・・男にもあるんだ。」
「そうかもしれないけど、オレは失くした記憶を取り戻して初めて彼女を見れる気がするから。こんなあやふやなままじゃ彼女にも申し訳ないし・・・」
瞳を伏せ呟く薊に南は微かに溜息を漏らした。
彼女との未来の為に取り戻したい記憶がどんなものか知らせる事はどうしても南には出来なくてどんな言葉なら薊が納得してくれるのか検討もつかずに黙り込む。
かける言葉が見つからない南の前、薊は顔を上げる。
「あまりオレを知らないって言ったよな?・・・オレと仲良いヤツは知ってる?」
「えと、あの・・・」
「卒業アルバムとか高校時代のオレの写真見たんだけど・・・あんたと一緒の写真多くて、もっと、親しい人いたのかな?」
だからここに来たのだと目で訴える薊に南はつい瞳を伏せ視線を逸らす。
「クラスが同じで出席番号近ければ親しくなると思う。・・・だけど、それは学校での話で親密な話をした事は無いし千野君の学校以外での姿をボクは知らないから・・・」
苦しい言い訳だけど南にはそれしか言えなくて薊が諦めた様に溜息を漏らすのを感じる。

「・・・あの役に立てなくて本当にすいません。」
「・・・良いよ、こちらこそ悪いね、急におしかけて。オレ、帰るわ・・・」
立ち上がる薊につられる様に立ち上がり南は深く頭を下げる。
「さようなら、千野君。」
玄関で声をかける南に薊はじゃあな、と部屋を出て行く。
ばたん、とドアの閉まる音がやけに大きく響いて南は立ち尽くしたまま胸の奥がぎゅっと潰される感覚を覚える。
胸を押さえ堅く瞳を閉じると頭を振り南は部屋へと戻りかけドアを叩く音に肩を揺らした。
「・・・帰ったんじゃ、まだ・・・何か?」
ドアの前に立つ薊に南は目を見開き驚くとそのまま疑問を口に出す。
「お前・・・それで良いのかよ。記憶を失くしたらただの顔見知り。それで・・・」
少しだけ興奮気味に言う薊の言葉が分からなくて南は立ち尽くす。
「・・・本当は全部思い出してる。でも、記憶が無いままならどんな反応するのか知りたくて・・・全部・・・諦めていいんだ。」
「・・・何で・・・」
擦れた声で戸惑うように問いかける南から薊は視線を外すと口を開いた。
「長すぎただろ。待たせすぎたし・・・記憶が戻っても失くした後の事も覚えてたし・・・」
「忘れたままでいろよ。思い出してもらいたいなんて思ってなかった。」
「・・・南?」
「その方が丸く納まるし・・・忘れたままで良いよ。なんで思い出すんだよ。」
逆切れしてるのも分かってるけど南は止められないまま言葉を続ける。
忘れようとしていたのに出鼻を挫かれたそんな気がしてどうしたらいいのか分からず話し続ける。
「・・・オレは思い出せて良かったよ。忘れたままじゃ、いつか思い出したときにきっと後悔してたから。南は?・・・もう、オレの事はどうでも良い?」
唇を噛み締めたまま何も言わない南にゆっくりと薊は近寄って行く。
「オレは、他人じゃ嫌なんだけど・・・南は?顔見知りなだけで良いの?」
まともに顔が見れなくて南は俯く。
それでも突き刺さる視線に目頭が熱くなるのを感じる。
二度と戻らないはずの「恋」だったはずなのにこんな展開は予想してなくてどんな言葉を返せばいいのか分からずただ黙っているしか出来なかった。
「何か言えよ。・・・このまま忘れてしまえる思いで良かった?」
黙ったままの南に薊は手を伸ばし顔を無理に上げさせる。


やっぱり、続きました。あれ〜余分が多すぎですよね。

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