その日迄確かに二人は「恋人」だった。
「次の桜の季節には帰るから・・・だから、それまでに考えといてよ。」
笑みを浮かべさりげなく言う千野薊(せんのあざみ)に嵯峨南(さがみなみ)は何も答えずただ笑みを浮かべる。
駅のホームにひらり、ひらりと舞い落ちる早咲きの桜を時間が来るまで駅のベンチに座りこみ二人ただ眺める。
ベルの音が鳴り薊は名残惜しそうに立ち上がる。
「・・・連絡、くれるよね?」
「わかってる。」
つられて立ち上がり少し鼻にかかった声で呟く南に笑みを返し薊は返す。
ドアまで付いてくる南の手を強く握り締める薊に南は顔を上げた。
「ちゃんと帰ってくるし、待ってろよ。」
声を出せないまま何度も頷く南に薊は笑みを浮かべた。
無情にも二人の間を隔てるドアが閉まり電車は走りだしていく。
残された南は電車が見えなくなるまで、見えなくなっても一人その場へと立ち尽くしていた。
「約束」が叶えられる事が無い事も、その日が薊を見た最後の日だとも南はその時は何も知らなかった。
あれから・・・6度目の春が来る。
また桜の季節が・・・なのに薊は今年も帰らなかった。
花の匂いに顔を上げ南は桜が咲き出しているのに今更気づき一人苦笑する。
いつも通る道なのに桜の木である事にも気づけない程余裕の無い自分にただ笑うしか出来なかった。
会えない「恋人」を思い出して溜息を漏らしてたあの頃からだいぶ時が過ぎ南ももう社会人になった。
約束はまだ胸の中にあるけれど待つことももう止めた。
自分の事で精一杯の南には帰ることの無い「恋人」を待つ義理も無かった。
そうでも考えないと南はずっと彼を待ち続け前に進めなくなりそうな気がした。
便りが無いのは元気な証拠と言い聞かせ薊の事を思い出すことも無くなっていたのに桜につられ思い出してしまった薊の姿を頭を振り追い出すと歩き出した。
「・・・結婚?・・・誰が・・・」
「美坂さん、だってさ。行く?」
久々に会った友人の一言に南は持っていた焼き鳥をぽろり、と落とした。
苦笑しながらも言葉を繋げる友人、木崎守に南は口を開く。
「この間は由利さん、肇さん、で、美坂さん?・・・金が無いよ〜」
「オレだって無いって。・・・でもさ、先輩にはお世話になったじゃんか。」
「まぁ・・・確かに、ね。」
愚痴る南に同意しながらも反論する守に南は大きな溜息を漏らす。
「普通は6月がピークじゃないのかよ。」
「年中ピークだろ?・・・結婚するやつらに言えよ。」
「守は?まだ・・」
「・・・南は?」
無言で首を振ると二人は笑い出す。
「そういやさ〜千野の話聞いた?」
今朝思い出したばかりの人の名を言われ南はただふるふると首を振る。
「あのさ、オレも聞いた話なんだけどさ・・・・。」
守の声が周りが急に騒がしくなったせいで聞こえなくて南は眉を顰め首を傾げる。
「・・・何?」
「だから・・・千野こっちに帰って来てるらしい。」
「帰ってるって、誰が?」
少し声を大きくして言う守に南は瞬きを繰り返しながら信じられない事の様に問いかけた。
『多分らしいけど、見かけたヤツいたらしくて、戻ったなら連絡くれれば良いのに、水臭いよな。千野、彼女連れだったらしいよ。あいつ、嫁さん見つけたのかよ〜良いな。』
守と別れても「千野薊」の事を語る守の声が頭の中でぐるぐると回り家に帰りついてもそれは続いて南は一人きりの部屋の中くすくす、と笑い出す。
ただ笑うしかなかった。
「恋人」だと思っていたのも本当は自分だけだったのかと思うと、本当は約束をずっと待ち望んでいたのも自分だけなのだと思ったら南は泣くより笑いたかった。
泣いたら惨めな気がしたから何でもない事の様に過去の事にして笑ってしまいたかった。
なのに溢れ出てくる涙は止まらなくて、南はぼろぼろと涙を零しながら、それでも意地の様に笑う事をどうしてもやめれなかった。
鏡に映る赤く腫れた目をした自分の姿に溜息を漏らし勢い良く出した水で顔を洗う。
南が悩もうが悲しもうが朝はいつもの様にやってきて、二日酔いでだるい体を起こし顔を洗っても胸の中でつかえてるものは晴れなくて南は少し躊躇いながらも目についた電話へと手を伸ばした。
はやる鼓動を抑え南は落ち着く為に何度か深呼吸を繰り返す。
見上げる先にあるのは約6年ぶりに訪れる恋人だった「千野薊」の自宅。
一晩経っても消えない守の言葉、それが真実なのか確かめないと胸のつかえも取れない気がして会社に電話したその足でここにいる。
来る前に連絡すれば良かった、と今更思う小心な自分を内心叱咤するとチャイムへと指を伸ばした。
ひらり、ひらりとただ舞い落ちる桜をただ座り込みぼんやりと眺めながら南は瞳を閉じる。
がちゃり、と扉が開き南はチャイムへ指を伸ばしたまま顔を上げる。
6年前よりも成長したのは背だけではなく全体的に醸し出す雰囲気が大人な「千野薊」がそこにいた。
「家に何か用?・・・あんた、誰?」
声をかけ様と口を開きかけた南に降って来たのはまるで知らない他人に問いかける冷たい視線と口調でわけも分からずに南は呆然とその場に立ち尽くした。
何を言えば良いのかわからない南に薊は不審人物を見ているかの様な冷たい視線のまま更に言い募ろうとした。
「・・・なぁ、あんた・・・」
「薊〜誰か、いるの?」
その時聞こえてきた甘い声の後、顔を出した若い女性に南は噂は真実なのだと半ばぼんやりと理解する。
「・・・すいません!家、間違えました。申し訳ありません。」
頭を下げると南はその場を立ち去ろうとして聞き覚えのある声に名を呼ばれる。
「良かった、南君よね?・・・おばさん、南君に話があるの・・・」
南に近寄ると笑みを浮かべ言う自分の母親に戸惑いながらも薊は冷たい目で南を一瞥した後女性と共に別方向へと出て行く。
困惑を隠しきれないまま薊の母親を見る南に「中で話そう」と困った様な笑みを浮かべたまま彼女は南を家の中へと招き入れる。
「記憶喪失?」
「・・・そう、らしいの。6年前に事故に遭ったらしくて、高校時代だけ記憶が抜けてるらしいの。」
「それじゃあ・・・ボクは不審人物ですよね。」
瞳を伏せ苦笑する南に彼女はごめんなさい、と謝る。
頭を振り、帰りますとその場を南は早急に去る。
一分、一秒もこの場に居たくなかった。
本当は帰ってきた薊に知らない他人を見るあの冷たい目で見られたくなかった。
高校三年間、南の隣りには薊がいるのが当たり前になっていた。
友人から恋人へ・・・自然に互いの気持ちが変わっていったのだと思う。
なのに高校時代を一緒に過ごした薊がもうどこにも居ないのだと南は舞い落ちる桜を眺めたまま長い事その場に座り込んでいた。
いまひとつ立ち上がる気力がどうしても南の中から湧いてはこなかった。
忙しい仕事がひと段落ついたから「飲もう」と守に誘われたのはその次の日の事だった。
互いの仕事の話の後なぜか間が空いて南はそういえば、と口を開く。
「会ったよ・・・薊と・・・」
ぽつり、と呟いたその声に守は顔を上げると笑みを浮かべ問いかけてくる。
「まじかよ!・・・あいつ、元気だった?」
「みたい。・・・ぼくらの知ってる薊はもう居ないけど・・・。」
はっきりしない南に守は眉を顰める。
「・・・何、それ?」
そのまま問いかける守に南は薊に会いに行った日の事を話し出した。
「記憶喪失って・・・ありえないだろうが。」
「・・・ありえたんだよ。だから、今の薊はぼくらの知らない薊なんだよ。」
「うわぁーー何かショックじゃん。お前、平気?」
「仕方無いから。・・・もう。」
「あいつの彼女、見たんだろ?・・・美人?」
「可愛い系かな?・・・それが、何?」
「誰か紹介して欲しかったのに・・・残念。」
溜息を漏らし目の前のコップに入ってるビールをごくごくと飲みだした守に南はただ笑い出した。
それからは薊の話には触れずに「合コンやろう!」と堅く誓い合い守と別れた。
いつまでも過去を引き摺っている南にもう忘れろと言い聞かせるかの様なタイミングだと思うのにやっぱりどこかすっきりとしないままあれから日々が過ぎていた。
「約束」を知らない薊に会いたいと迄は思わないけれど・・・少しだけ感傷に浸りたくて自宅への帰り道とは反対方向へと南は夜の道を歩きだした。
「やっぱり・・・満開だ・・・」
ひっそり、呟くとライトアップされた公園へと南は足を踏み入れた。
飲んだ後だからなのか火照った体には夜風も気持ちよく感じられゆっくり、桜へと南は近づいていく。
ずっと、この場所には来れなかった。
「約束」を交わした人が居ないからここだけは何となく避けていたけれど桜を見上げ南は微かに吐息を漏らした。
「・・・本当に、好き、だったよ・・・」
誰も居ない場所で独り言を話すのを聞かれたら不味いかもとの理性はまだ残ってて南はひっそりと桜に呟いた。
口に出したら吹っ切れる気がしたけど目頭が熱くなり鼻の奥がつん、としだした。
泣くなんて惨めだと思っていたはずなのに泣きたくなる自分が居て南は上を向き溢れだして来る涙を必死に零れ落ちないようにこらえる。
大事にしていた記憶を忘れたかった。
鮮やかに思い出す過去の一つ一つの出来事を今すぐ失くしたくて溜まらなかった。
すいません、終わらなかった。・・・なので続きます。
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