頭の中にずっと雨が降り続けている。 あの日、全てを尽くして愛していたはずの人に別れを告げられたその日から、ずっと頭の中には雨が降り続けていた。
「大学はいきなり中退だし、仕事も長続きしないなんて、あんた本当にいい加減だよね。」
冷たい声で痛い所をついてくる三つ上の姉を睨み付けると慎二はさっさとその場を退散しようと立ち上がる。
「ちょっと!逃げる気?話はまだ・・・・・慎二!」
姉の金切り声を背に足早に玄関に向かうと靴を履き外へと出て行く。 扉を閉める寸前まで何かを叫んでいる声は完全に無視した。
あの人に会うまでは確かに目的を見出す為に通っていたはずの大学だったけれど、別れを告げられたあの人に会うかもしれない大学に通うのが億劫になり退学届けを勝手に提出すると慎二は逃げる様に実家に帰った。 両親は何も言わなかったけれど、その代わり姉には散々貶されまくり、それでもずるずると実家に居続けて早三ヶ月。 傷は癒えないままでますます開いていく気がして慎二は溜息をを吐くと夜の街へと歩き出した。
*****
「今晩は〜またもや首だって?」
笑いながら話しかけてきた男に顔を向けて、目の前のグラスへと向き直す慎二に男は構わず隣りへと座ると懲りずに話しかけてくる。
「この前のは店長と喧嘩、その前は客と揉めて、今度は何?・・・・・またいざこざ?」
わざわざ顔を見て来る男に慎二は溜息を漏らす。
「・・・・・想像に任せる。相変わらず情報早いな、浅葱(あさぎ)。」
鬱陶しそうに低い声で呟く慎二に浅葱と呼ばれた男は乾いた笑いを漏らした。
「この界隈は俺のシマ。・・・・・知らない事は無いのですよ。」
「そうですか。」
軽く肩を揺らし胸を張り話す浅葱に慎二はおざなりに返すとグラスの中身へと口をつけた。
「慎二、大学行って変わった?」
「・・・・・別に。」
「嘘つけ。・・・・・何か、あったのか?大失恋とか、人間関係上手くいかなかったとか?」
確信をしっかりついてくる浅葱に慎二は苦笑を浮かべたまま顔を背けた。 高校時代につるんだ仲間のほとんどは地元から出て行き慎二もその一人だったけれど、ただ一人浅葱だけは地元へと残った。 進学は実家から通える専門学校だと浅葱に聞いた当事は真っ先にこの田舎を出て行くのが浅葱だと思っていた慎二はかなり驚いた覚えがあった。
「何?・・・・・黙っちゃって、まさか図星?」
にやにやと笑みを浮かべたまま尚も話しかける浅葱から顔を逸らすと慎二は無言のままほとんど空に近いグラスへと口をつけた。 「・・・・・慎二?」
「いいから、向こう行ってろよ。・・・・・話す気無いから。」
名を呼びかける浅葱に低い声で告げる慎二に苦笑を浮かべると彼は席を立つ。 がたり、と椅子を動かす音の後、そのまま去っていく足音へと聞き耳を立ててそんな自分に慎二は何度目か分からない溜息を吐いた。
グラスが完全に空になり、すっかり溶けた氷が水に変わる頃、慎二はやっと重い腰を上げる。
「ねぇ、お兄さん!もう帰るの?・・・・・僕と遊ばない?」
何度か店で見かけた事がある気がする顔の青年に声をかけられて慎二は鬱陶しそうに青年を睨み付ける。 動じないのか鈍いのかそれでも笑顔を崩さない青年に慎二は溜息を吐くと店の外へとすたすたと歩き出した。 まさか無視されるとは思わなかったのか呆然としたままの青年に見向きもしないまま慎二は足早に歩き出した。
「・・・・・ちょ、ちょっと、待ってよ、ねぇってば!・・・・・兄さん!!」
慌てたように追いかけてくる声に店から少し離れた場所で慎二は足を止めると気だるげに振り向いた。 案の定後を着いてきた彼が一定の距離を保って立ち止まる。
「何もなしで行くのって失礼じゃない?」
「・・・・・別に。俺は興味ないから。」
少しだけ荒くなる息を必死に整えながら問いかけてくるのに慎二は淡々と答えながら、目の前に立つ青年を改めて見直す。 やっぱり何度か店で見かけた覚えはあるけれど、浅葱としか話さない慎二には見た事あるとしか思えない。
「・・・・・何か、用?」
「浅葱さんの知り合いでしょ?・・・・・最近良く見るから一度話してみたかったんだ。」
頬を染め少しだけトーンを上げた声で答える青年を慎二は無表情に見下ろす。
「・・・・・それだけ?ならもう良いよな?」
「お近づきになりたいな、って・・・・・店で見た時から思ってたんだ。それで、やっと今日話しかけられて。」
興味が無いからこそ淡々と話す慎二に青年は気づかないまま言葉を続けてくる。
「おれは、千堂譲(せんどうゆずる)。お兄さんの名前は?」
黙りこむ慎二に構わず青年、譲は自己紹介もする。 笑みを浮かべたまま慎二を見上げ小首を傾げるその姿がまるで小動物を相手に話しているみたいで内心苦笑を零すと慎二は溜息を漏らした。
「お兄さん?」
「・・・・・蔵重慎二。で、お近づきになるって何するの?・・・・・何か、してくれるのか?」
諦めた様に名を呟いてから慎二は口端を少しだけ持ち上げ微かな笑みを浮かべると呟く。 それはお世辞にも良い笑みとはいえないものだと浮かべた慎二自身も思っていたけれど、譲はやっぱり動じないまま笑みを返してくる。
「色々、話とかしたいかな?・・・・・それと、迷惑じゃなければ暇な時遊んで欲しいかな?・・・それから・・・・・・」
「もういい、分かったから。場所変えよう、・・・・・俺と遊べる所に。」
興奮気味に捲し立ててくる譲の何も知らない笑顔をぐちゃぐちゃに壊してみたい衝動に駆られる。 その気持ちがぐるぐると渦巻いて肥大していく気持ちを抑えながらも慎二は譲を手招きすると腰へと手を伸ばした。 それでも笑みを浮かべ見上げてくる譲に笑みを返したまま慎二は歩き出した。 外灯の明るい場所から怪しげなネオン街に続く道へと。
*****
誰でも良いから壊してみたかった。 笑顔が泣き顔に変わる瞬間を内心で思い描きながら、慎二は譲の言葉におざなりな返事を返す。 実家に帰って三ヶ月、男だろうが女だろうが適当に誰とでも寝てみた。 どんな相手でも良かった。 純粋そうであればあるほど、その時の泣き顔は慎二の壊れた心の空白を埋めてくれた。 優しさのカケラも見当たらない力で捩じ伏せる、そんなSEXに嵌ってから気持ちの通わない相手の方が楽な事を知った。 快感に喘ぐ声より悲痛な泣き声の方がよりそそるし興奮する。 本命に逃げられたあの日から耳の奥で降り注ぐ雨を一時でも消してくれるのは悲痛な泣き声しか無かった。 いつか本当に殺人でも犯しそうな危なげな自分を埋めてくれる他人の肌を求め夜を彷徨い、そしてその日限りの人を見繕い平然とした顔で昼間を歩く自分があの日から壊れているのは分かっているけれど止められない衝動に逆らえないままずるずると繰り返しすぎた。 他人を見る目が「恋」を探す事は当に止めていて、ただあの時の泣き顔を想像して是か否かを決めている。 今日はこいつ、明日はあの子、一夜限りだと決めているから、こんないかれたSEXにそう何度も付き合う物好きがいない事も分かっているから、二度と近寄らないと過程しての相手だと一応は決めている。 譲へと視線を向ける。 細い腰を引き寄せる慎二に何の疑問も抱かないまま笑みを浮かべてくる譲に慎二は笑みを返した。 今だけ平和で何も知らない、そんな譲に少しだけ胸がじくり、と痛んだ気はしたけれど、泣き顔を思い浮かべるとそんな些細な痛みは霧散する。 きっと二度と近寄らないだろう事も想像したまま慎二は譲の腰を引き寄せ直すと小さな建物へと足を進めた。 不思議そうにその中を眺める譲に慎二はそっと笑みを浮かべた。
救済編になる予定ですが、あれ?・・・・・とりあえず続きものです。 外伝なのでお気楽にお読みくださると嬉しいです。
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