別れ、と言って良いのか判断が未だにつきかねるけれど、恭司との関係が終わってからも智志の日常はほとんど変わらなかった。元々、そこまでものすごく、仲の凄く良かった友達じゃない。恭司の気まぐれで始まった関係はやっぱり彼の気まぐれで幕を下ろしたのだから、智志には何をする気も無かった。 友達のほとんどは恭司と重ならない。 静かでおとなしい、どこにでも居る存在である智志には同じ様に地味で大人しい、どこにでも居る目立たないそんな友達がたくさんとは言えないけれど、大学でも出来た。 恭司は居るだけで存在感を醸し出す、彼の周りに人は尽きないし、周りにいる友達も智志とは正反対だった。 何度か食堂ですれ違う事はあったけれど、お互い目も合わせなかった。 元々そんな関係だったのだ。親しく話した事も無い、そんな恭司とほんの少し前まで深い関係になった事こそが、彼の気まぐれ以外のなにものでも無かった。 だから、日常は静かになった。毎日、刺激に溢れたそんな世界とは無縁の智志の望む静かな生活。型に嵌まった、当たり前の日常が戻ったのだから、何も考える事は無い。智志は何度もそう、自分に言い聞かせる。
甲高い笑いが響き騒ぐ一画に目を向けた智志は視線をすぐに目の前の手にした文庫へと移す。 賑やかな笑い声はその後、何度も響くけれど、低かったり、高かったり、周囲の視線お構いなしに騒ぐ彼らの真ん中にいるのは、智志の知っている人だった。恭司はあの頃と何も変わらない笑みを顔に浮かべたまま、昼食だろう学食を口に含みながら、何かを言っているのだろうけれど、騒がしくて、会話は聞き取れなかった。 そうして、智志は文庫を閉じると一人、黙々と食事を済ませ、騒がしい集団に二度と視線を向ける事なく食堂を出て行く。
*****
「智志!」
名を呼ばれ振り向いた智志は微かに眉を顰め、近づく二人をぼんやり、と眺める。
「紹介するって言っただろ? ユミカ、オレの彼女!」
腰へと回した腕を引き寄せ、前に告げていた本命なのだろう彼女を己に更に引き寄せた恭司は智志へと笑みを向ける。
「ユミ、こいつが智志。 こんなだけど、頭だけは良いんだぜ・・・・・」
キスでもしそうな程間近に顔を寄せ告げる恭司は彼女の耳元に何事かを囁くけれど、当然智志には聞こえない。だから、隣りに立つ彼女を智志はただぼんやり、と見つめる。 系統が違う、それが第一印象。いつも恭司の近くにいる化粧も服も派手な女達とは違う、ナチュラルメイクに地味とはいえないけれど派手でも無い、いまどきの若者というよりも、清楚な雰囲気漂う彼女はさらさらのセミロングの今どきにしては珍しいぐらい真っ直ぐな黒髪をさらり、と揺らし、真っ赤な顔で俯く。
「・・・・・初めまして、巽智志です。 噂には聞いてました、阿木と末永くお幸せに。」
ぺこり、と頭を下げありきたりの言葉を告げる智志に彼女は更に顔を赤くしながら、ただこくり、と縦に頭を振り、頷くから、智志は「じゃあ、オレはこれで」と二人に早々に背を向けると歩き出す。そんな智志の背に「ああ、じゃあな」と告げる、まるで親しい友人に向ける気楽な別れの挨拶に智志は微かに唇を歪めるけれど、元から深く関わる相手でもないのだから、とそれきり振り向く事は無かった。
二人並んでいたのを見たのは『終わり』を告げられたあの日から数えて一ヶ月後の事だった。 智志の日常に元々恭司は興味が無かったのか、こちらの都合も省みる事なく、用があれば呼び出される、そんな関係だったのだから、智志も恭司の行動範囲は全く知らなかった。 だから、彼女と恭司がどんな付き合いをしているのかも、その後の事すら智志には全く興味が無かった。 二度と関わらないと決めた相手がどこで何をしていようと、誰といようと智志には関係が無い。 そのはずだったし、これからもそうなるはずだった。
元々友達の少ない智志の携帯はほとんど鳴らない。だから、その存在すらたまに忘れる事の方が多かったのに、バイトの関係で家に帰っての食事の支度が億劫でふらり、と入ったファミレスで突然鳴り響いた音に智志は鞄に押し込んだままの携帯を慌てて取り出す。 取り出す寸前に音が鳴り止んだ携帯をマナーモードにして再び鞄へと戻そうとしたその時、再び手の中、マナーモードのおかげで音は鳴らないけれど携帯は小刻みな振動を繰り返す。 思わず着信者を確認した智志は未だに震える携帯を手に少しだけ目を見開く。 二度と掛かって来る事は無い相手のはずだった。『終わり』を迎えたその時に縁は切れて、親しいと言える友達でも無かった相手との接点はどこにも無いはずだった。 手の中で震える携帯の着信者の表示は『阿木』 智志の知り合いにそんな名字を持つ相手は一人しかいなかった。だから、ボタンを押すのを余計躊躇った。 今更、何の用があるんだろう、と気にはなったけれど、智志はそのまま携帯を鞄へと押し込んだ。 二度と関わらないと決めた相手からの着信を取れば嫌な事が起こりそうな気がする、そんな予感だけは異常に働くから、選択は一つだけだった。鞄に押し込んだ携帯が気になりながらも食事を続けた智志はその後すぐに携帯の存在を忘れた。
*****
部屋の前の見覚えあるシルエットに眉を顰めた智志はその時、やっと忘れていた携帯の存在を思い出した。 気づかれる前にと、慌てて、鞄を探り取り出した携帯を開くと不在着信が未だかつて見た事のない程の数になっていた。 履歴を見ると全て同じ相手、今、部屋の前に立っている人物からで、智志はそっと溜息を吐き、目の前の階段を上り出した。
「・・・・・お帰り、遅かったじゃん!」
「何の用、ですか?」
智志に気づいたのか顔を上げた恭司の足元にはいつからいたのか、かなりの数の煙草の吸殻が落ちている。それをちらり、と確認しながら問いかける単調な智志の声に恭司は眉を顰め、微かに肩を疎める。
「用が無いと来るなって事? 随分冷たい反応だね、俺達普通の関係じゃないのに?」
笑みを向ける恭司から視線を逸らしたまま智志は自分の部屋へと無言で近づくと鞄の中から部屋の鍵を取り出す。
「・・・・・何か言おうよ、突っ込むとかさ・・・・・突っ込んだのはオレか・・・・・・」
独り言の様に呟き苦笑する恭司に構わず智志は部屋を鍵で開けるとドアのぶへと手を伸ばす。
「おい、何か言えよ! それとも、オレの事は無視ですか?」
それでも無関心を装う智志のドアのぶへと伸ばした手を取り、思わず声を荒げる恭司に智志はやっと視線を向ける。
「オレに用が無いなら帰ってくれますか? 都合がありますので」
迷惑だと、口には出さないけれど、その言葉で態度で現す智志に恭司が掴んだ手に力を籠めてくる。
「・・・・・何、その態度・・・・・」
「手、痛いんですけど・・・・・」
低く唸るように呟く恭司に追い打ちを掛ける様に智志は態度を崩す事なく淡々と呟く。 ぎり、と更に力を籠められる手に智志は目の前に立つ男が怒り出すのを感じる。だけど、今更態度を変える訳にはいかないから、手を振り解こうと試みるけれど、智志はドアへといきなり押し付けられる。がつん、と当たる頭、結構大きな音に痛みより、隣近所への迷惑を咄嗟に考える智志は恭司の次の行動を全く考えていなかった。
「ふざけんなよ! そんな態度を取られる理由が良く分かんないんだけど!」
怒りの為なのか、少しだけ声を荒げる恭司に智志はぎりぎり、と扉に頭を押し付けられながら、それでも必死に目の前にいる男から逃れようともがく。それが恭司の怒りを更に煽るなんて智志には全く予想もつかなかった。
狭く、小さいアパートの廊下でもがけば隣り近所に気づかれる。目立たず、ひっそり、と生きてきた智志には他人に迷惑をかける事は大それた事でしかない。
「あの、離して下さい・・・・・」
逃れようとする為に抑えられたままの両腕を引き剥がそうとしながらもひっそり、と呟く智志の声が聞こえないのか恭司はますます力を籠めてくる。
「・・・・・あの・・・・・」
「電話はしかと、態度は最悪・・・・・オレ、何かした?」
「・・・・・何も。 別に無視したわけじゃ・・・・・」
抵抗をまるごと抑え込む様に壁に一層強く押し付けた恭司はそのまま問いかける。その疑問に答えようと口を開いた智志は最後まで言うより早くその声をいきなり塞がれ、ただ目を見開いた。
何もかも遅かったのだと、その時は気づかなかった。これから始まる悪夢の様な出来事のきっかけがここからだったのだと、後から思い返して初めて知る事実。だから、その時の智志には気づく術すら無かった。
しっかり連載になっているのに、まだ微妙な試行錯誤を繰り返しております。 このまま突き進むのか、進路を変更するのかはこれから次第かと; 20100511
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