油断すると零れ落ちそうになる涙を堪えながら、一人夜道を歩く巽智志(たつみさとし)は数時間前に起こった出来事をまたしても思い出す。寒さのせいで出てくる鼻水を啜りあげ、暗い夜空へと顔を向けた智志は重く深い溜息を零した。
話は数時間前、小さな部屋にあるこれまたこじんまりとしたベッドの上に遡る。 智志は高校の時から付き合いのある友人、阿木恭司(あききょうじ)と共にベッドの上、素肌を晒し横になっていた。 友人だったはずの恭司と、体の関係も出来たのは、遡ること数年前、まだ二人が高校の時からだった。 気まぐれなのか、たまたまそこにいたのが智志だったからなのか、恭司は何の躊躇いも見せる事なく智志に触れた。 それは、友人という関係に皹が入ってもおかしくない関係の始まりだった。 友達だけど、寝る相手でもある恭司との関係に意味は無かった。 好きとか嫌い、そんな感情が伴う前に強引に繋がれた体、ずるずると惰性で一度寝たなら二度も三度も同じだと思う、ただそれだけでベッドを共にする相手である恭司が何を思っているのかは、智志には分からなかった。 恭司は何も言わない。「気持ちが良い事」が好きだと公言している彼は、智志が知らなかっただけで傍目には有名だった事が一つあって、彼は男女誰とでも、ベッドを共に出来る人で、しかも日替わりで相手が変わるとも言われている人だったのだ。 そんな事に気づいたのは、周りの噂ではなく、訪れる恭司の匂いに気づいてからだ。 時に甘い香り、時に煙草やアルコールの混じった匂いを体に纏い訪れる恭司の相手が何人もいる事に智志はふと気づく。 そうして分からなくなった。智志が今立っている場所が一体どこなのか、友人なのか、それとも都合の良いベッドの相手なのか。 智志はそれを恭司に聞けるわけもなく、ただ唯々諾々と恭司の為すがままに流され、気づけば、初めて体を繋いだあの日、高校生だった智志は大学生になり、数えれば、あの日から三年も月日が流れていた。 そうして、素肌を晒したまま、考え事をしていた智志は自分を呼ぶ声に閉じていた目を薄っすらと開く。
「何、寝てんの? 話、聞いてたのかよ・・・・・」
顔だけ起こし、片手で顔を支えるように頬杖をついている恭司に智志はぼんやり、と開いた目だけを向ける。
「・・・・・ああ、ごめん、聞いてなかった・・・・・何?」
「あのさ、俺、一目惚れしたんだよね。 可愛い彼女でさ、付き合う事になった。」
口元に笑みを浮かべ、少しだけ照れた様に頬を赤くした恭司を見ながら智志はそっと溜息を零す。 日替わりでベッドの相手が変わる浮気性な彼のもう一つの悪癖。それがこれだ。 一目惚れをした、運命の子だと付き合い始め、ベッドを共にした途端に別れる、またそんな相手が出来たのかと思いながらも智志はお決まりの様に笑みを返す。
「良かったじゃん、今度は続くと良いね。 あんまり、簡単に寝ない方が良いよ。」
「・・・・・今度は彼女のペースで付き合うつもりだから、それで・・・・・智志とも寝ないって伝えるつもりで来たんだけど・・・・・まぁ、これが最後だから。 十分、お前も楽しんだだろ?」
そう告げる恭司に智志は笑みを浮かべたまま頷きながら、内心今までと違う恭司に気づく。 一目惚れの彼女が出来ても、彼はこの関係を止めると口に出した事は思い返してみれば一度も無かった。今回ばかりは、本当に本気で彼女と付き合う気があるのだろう。 そう思いながら、智志は無言で頷く。
「・・・・・ここにも、そんなに来ないと思う。」
「分かってる、お幸せに」
おざなりな言葉を返し、布団へと潜りこむ智志の横、恭司はベッドから起き上がると、床に落ちていた服を身に着け始める。 未だ素肌を晒したまま、ベッドの上、布団に潜りこむ智志を身支度を整えた恭司は無言で見下ろす。
「・・・・・何?」
「いや、じゃあ、元気で。 また学校で、彼女もその時紹介するから。」
見下ろされているのに気づき、潜りこんだまま問いかける智志に恭司は緩く首を振ると、笑みを浮かべたまま口を開き、そのまま背を向ける。ばたり、と重いドアの閉まる音、遠ざかる足音を聞きながら、智志はそっと溜息を零した。
料金は全額払われていたみたいで、身支度を整え外に出た智志は吐き出る白い息を眺めるともう、すっかり日の暮れた夜空を眺める。首に巻いていたマフラーをもう一度巻き直し、智志は暗い夜道を一人とぼとぼと歩き出した。 考えれば考えるほど、恭司を思い出す。 仲の凄く良い友達では決してなかった。ただ、顔を合わせれば挨拶をする程度、そんな関係の彼と体を繋いだ事に当事は後悔しかなかった。 だけど、年月は人を変える。何度も繋いだ体、例えそこに意味はなくても、智志は意味を見出したかった。 恭司の一言で智志の意味は意味を為さないものにあっけなく変わった。 友人としての彼と深く付き合うより早く体の関係から出来てしまったのだ。 たった一言で終わりを告げられる手軽な関係だった恭司にどんな顔をすれば良いのか、会わせる、と何気なく言った恭司の彼女にどんな顔をすれば良いのかも智志には分からなかった。
唯一つだけ分かる事、少し心に痛みを感じるけれど、これは親しい友人にもなれなかった恭司への思慕みたいなもので、決して智志が考えていた意味じゃないって事。 そう、これは。
恋じゃなかった
どう進むのか大まかにしか考えていないのですが、とりあえず始まりました。 切恋お題を巧くいかせるか不安ですが、どうぞよろしく。 20091228
top next
|