広場には見慣れないいかにも高そうな手入れも最高級だと思われる毛艶の良い馬が数頭、そしてその側にはマント姿の男達が数人いた。 ここでは明らかに異彩を放っている彼らを囲む様に村人達がじっと彼らを見ている。 その中で村長だけがリーダー格なのだろう一人だけ色の違うマントに身を包む男へとへこへこと頭を下げているのを見てユリは思わず隣りに立つアーウィンへと目を向ける。
「大丈夫、問題ないから・・・・・ユリ、落ち着いて」
視線に気づいたのか、アーウィンはユリの手をそっと握り少しだけ身を屈めると耳元へと囁く。そんなアーウィンにリーダー格だろう人が目を向けてくると彼は村長を押しのけ進み出るとアーウィンの前へと跪く。
「殿下! ご無事で安心致しました・・・・・すぐにでも帰れる仕度を整えさせて戴きます!」
「・・・・・セルシー・・・ちょっと、待て!」
「はい?」
「オレは大変この方達に世話になった、そのお礼をしないまま立ち去るのは無礼だろ?」
ユリの手を離すことなく握りしめたまま、跪く男へと告げるアーウィンの声は淡々としていて、逆に静まり返ったこの場では隅々にまで良く響いた。
「・・・・・あの、殿下とは、この、いえ、こちらの方は?」
そろそろと近づく村長の言葉に跪いていた男は少しだけ腰を上げるとアーウィンへと向けていた体ごと村長へと向ける。
「こちらは我が国ユーシアの皇太子、アーウィン=セルゲイ=ユーシア様です 私は彼の護衛兵筆頭騎士、セルシー=クピドと申します 主が大変お世話になりました」
村長に堂々と名乗った男、騎士のセルシーは今度はユリたち親子へと深々と頭を下げてくる。立派な身なりをした男の人に頭を下げられ、ユリのすぐ後ろで両親が動揺している気配を感じる。後ろを振り向こうとしたユリは少し躊躇いながらも隣りのアーウィンへと顔を向ける。
「アーウィン、様・・・・・お家に帰るの?」
小さな声で呟くユリにアーウィンは顔を向けると少しだけ困った顔をしたまま笑みを向ける。
「ごめんね、迎えが来てしまったから帰らないと・・・・・ユリと会えなくなるのは寂しいな」
「僕も、だよ」
握られた手に力を籠めアーウィンの告げる言葉に眉を八の字にして呟くユリはそれでも彼が去ってしまう事に何となく気づいていた。 両親以外の人に始めてまともに見て貰えた、そんな人がいなくなるのは寂しいけれど、アーウィンがここにずっといるわけにはいかない事だって最初から分かっていた。だからユリは心配そうに自分を見るアーウィンに精一杯、今自分の出来る最大限の笑みを浮かべて見せる。 そんなユリの今にも泣きそうな笑みに微かに眉を顰めたアーウィンは何も言わずにセルシーと名乗った騎士へと顔を向ける。
「戦況はどうなってる?」
「・・・殿下がいなくなられる前と変わりはありません!」
跪いたまま答えるセルシーにアーウィンは今度はすぐに分かる程眉をぴくり、と引き攣らせ広場へと集まる村人達へと視線を巡らせる。
そうして、未だに跪くセルシーの耳元へとアーウィンがそっと囁いた言葉がこの先を暗示している事だと気づく村人達はここにはいなかった。
「分かりました、即準備を致します!」
頷き頭を下げるとそう呟き立ち上がるセルシーはマント姿の男達の元へと足早に近寄っていく。
「アーウィン?」
繋いだ手を離され所在無げに立っているユリの微かな呟きにアーウィンは振り向くと柔らかな笑みを浮かべ近づくとユリをそっと抱きしめる。
「大丈夫、またすぐに会いにくるから、待っていて」
耳元で囁くその声にユリは無言で頷くとアーウィンへと抱きついた。暫くその態勢のままでいたアーウィンは「殿下」と控えめに声を掛けられ、ユリを離すと未だに茫然としている後ろの両親へと顔を向ける。
「お礼には必ず伺います、急いでいてすみません!」
国の一番偉い人に近いそんな人物の殊勝な言葉に両親は無言でふるふる、と首を振る。そんな二人と見上げるユリをもう一度見つめたアーウィンは急かす様に「殿下」と再度呟く声に押される様にマント姿の男達の元へと歩いて行く。 別れを惜しむ間に準備をしていたのか、一際立派な馬だと目立つ黒毛の艶をはっきり、と光らせている馬が引かれてきて、アーウィンはすぐにその馬へと身軽に乗り込む。 号令を合図に一斉に走り出す馬たちの姿はすぐに遠くなる。
「集会は終わりだ、皆、戻られよ!」
風の様に去っていた一団を眺めていた村人達は村長のその声に急かされる様にそれぞれの場所へと歩き出す。
「デルタ、今回ばかりは、お前の判断が合っていたみたいだな」
まだぼんやり、と見送っていたユリの父へと話しかける村長のその声に彼はそっと息を吐き出す。
「・・・・・彼が王太子であろうとなかろうと、僕は見放したりはしません・・・見返りが欲しかったわけでも無いのですから・・・」
呟くその声に微かに混じる苦い後悔を感じて見上げるユリの目には先ほどとは違い厳しい目で一団の去った方向を見つめる父の姿があった。 地図にも載っていない辺境のその村では世界情勢を知る者はどこにもいなかった。戦争という言葉を身近に感じる人間も、たった一人を除いては。
*****
ざわざわ、と今朝からの胸騒ぎが的を射たのはその日の夕刻、日がそろそろ沈む頃。地図にすら載っていないその小さな村に激しい轟音が響き、あちこちで爆発音が響き真っ赤な夕焼けに重なる様に村中をいきなり炎が襲う。逃げ惑う村人達の悲鳴は山に近いユリの家にまで響いてきた。事態の異変に敏感に反応したのは父で、ユリはいつから作られていたのか、最初から存在していたのか小さな蔵の中へと一人押し込まれる。
「父様!」
「良い子だ、ユリ・・・愛してるよ、僕の可愛い子」
蔵の中へと腕を伸ばし頭を撫でぎゅっ、と一度抱きしめると父は戸惑うユリの目の前で蔵の扉を閉める。 頑丈な蔵の扉の向こう側、微かに聞こえてくる無数の叫びと金属の混じりあう不快な音。状況を巧く呑み込めないまま蔵の中、ユリは小さく蹲る。 時間の感覚の無いまま、いつしか眠りについたユリは扉の開く音に目を開く。暗闇に差し込む灯、蹲ったまま顔を上げたユリは父を呼ぼうとして声を止める。
「・・・・・ユリ?」
「・・・ど、して・・・アーウィン、様」
この村を去った時と違う鎧姿の男の声にユリは微かに呟く。兜を脱ぎ現れた顔は確かにアーウィンで戸惑うユリを蔵の中から引きだした彼は怪我ひとつないユリの姿にそっと息を吐くとゆっくり、とユリを抱きしめてきた。
「・・・アーウィン、様?」
「無事で良かった・・・もう、駄目かと・・・」
不思議そうに首を傾げるユリの姿にアーウィンは腕の力を緩めると目の前で立ち上がる。
「殿下! やはり、生存者は・・・って、居たんですか?」
「ソウマ、セルシーとラグナをここに呼べ!」
「はい、分かりました!!」
すぐに去る鎧姿の男の背を黙って眺めていたユリはアーウィンの顔を見上げる。
「父様と母様は?」
「・・・・・ユリ、ごめん!」
痛ましそうな顔でユリを見るアーウィンに聞かなくても分かってしまった。すぐに去った男は生存者は存在しない、きっとそう言いたかったのだと。唇を噛みしめ泣くのを懸命に堪えるユリの顔を見てアーウィンは微かに震える小さな背をそっと撫でる。
「お呼びですか、殿下」
「アーウィン様、どうかいたしましたか?」
近づき問いかけると同時に跪く彼らにアーウィンはユリの背を撫でながら振り向く。
「セルシー、ソウマから報告は聞いた、その上で訂正を生存者は一人だ。それと、ラグナはこちらへ」
アーウィンの声にセルシーは是と答え早々にその場を立ち去り、取り残された男は二人へと近づいてくる。ユリは近づいてくる彼を見て微かな違和感に眉を顰める。 「ユリ、ラグナは神官だ。そして、蔵の扉を閉めたのは神官だけが使える術式」
「神官だけが使える?」
「そうだ、ラグナ術式を調べて欲しい、蔵の扉に残骸は残ってるだろ?」
「はい、これはかなり強引に開けましたか?」
扉の前に屈みこみ眺めるラグナにアーウィンは微かに息を吐く。
「内側から開けれない様になっていたらしいし、普通には開けれなかったからこじ開けるしかないだろ?」
「これはまた・・・・・確かに神官の術式ですね それもかなり強固な封印かと・・・・・かなり高位の神官だと思います・・・」
ラグナと呼ばれた男の答えにユリはびくり、と肩を震わせる。そんなユリの背を相変わらず宥める様に撫でながらアーウィンは口を開く。
「ユリ、父様から預かった物はある?」
「・・・アーウィン様?」
「何でも良いんだ、昨日、今日預かった物ではなくても、肌身離さず持っておけとか言われた物はあるか?」
アーウィンの問いかけにユリは瞬きを繰り返すと思い出したのか首にぶらさげていた鎖を取り出す。頑丈な鎖の先は手作りだろう袋で、その中から取り出したのは真っ赤な石だった。
「ラグナ!」
ユリの掌の石を眺めたままアーウィンはラグナを近寄らせる。
「これは、ルミルナをかけてますね・・・・・扉にかけられた力と同じ波動を感じます」
「ルミルナって・・・言葉を閉じ込める?」
「はい、確かに、ルミルナをかけられる石はルナ鉱石と言いますが、これ程鮮やかなのは初めてですね」
「・・・・・解けるか?」
ユリの掌に乗っていた石をアーウィンは躊躇う事なくラグナへと手渡す。 手渡された石を眺めていたラグナは掌に石を置き口の中ユリには分からない言葉を紡ぐ。
紡ぐと同時に掌の上で光りだした石はやがて形を曖昧にぼかす様に光を強くするその光の中にユリは父の姿を見る。
「父様!」
叫ぶユリの目の前、ぼんやり、とした光の中の父の姿は鮮明に映し出される。見た事も無い黒衣の衣装を身に纏っているが、そこに映し出されたのはユリが知っている父より若かりし日の姿だった。
『私の愛し子よ、君がこれを見ているのなら、私はこの世にはもういないのだろう もし、君の傍にイルマ、いや母様もいないのならば頼る相手は一人だけ月神殿の大神官レイアス=シャレンダを訪ねなさい。私、デルタとイルマの子だと言えば彼なら理解してくれる・・・どうか君に幸あらん事を深く祈る』
最後に膝を折り深く頭を下げる父の姿が消えていくのをユリは黙って見つめる。言葉もなく映像を見入っていた中、過ぎる沈黙を破ったのはラグナだった。
「レイアス様に至急連絡を取ります、殿下。名前を言えば話が通じる、と言うならばすぐにでも返答が来るはずです」
「ラグナ、待て! 大神官はまだレイアス=シャレンダなのか?」
「ええ、月神殿の大神官は早々には変わりません、間違いなくレイアス様です」
「分かった、連絡を頼む。それで、ユリはこのまま俺の預かりにして良いのかも聞いてくれ!」
「了解しました!」
頭を下げるとすぐさま立ち上がり出て行くラグナから視線を外しユリはアーウィンへと目を向ける。
「僕、どうなるの?」
「どうもしないよ、ユリ 俺の傍から君を離したりはしないから・・・大丈夫」
眉を困惑した様に歪め瞳を半ば伏せるユリの顔を覗き込んだアーウィンは笑みを向け答えると同時にユリを抱き寄せる。そうして、言い聞かせる様にその耳元で何度も同じ言葉を続ける。
「離しはしないよ、ユリ」
繰り返される言葉を聞きながらユリはゆっくり、と瞳を閉じる。腕の中、完全に眠りへと落ちたユリを抱き上げるとアーウィンは立ち上がる。
「セルシー、そこにいるか?」
「はい、殿下」
「早急に仕度を、城へ帰る」
「宜しいのですか?」
「俺のノルマは達成した 予想外だったのはこの村のみ・・・知っていればすぐに対応できたはずだ 城に戻って膿を出し尽くす!」
「了解しました、殿下」
深く頭を下げるセルシーの横を通り外に出たアーウィンは朝はあった景色と大きく変わった焼野原に微かに眉を顰め空へと目線を上げる。 真っ暗な夜空には雲がかかっているのか星ひとつ確認できなかった。
*****
目が覚めたと同時にがたがた、と微かに揺れる振動に気づき慌てて起きようとしたユリは誰かの手にその行動を止められる。
「まだ寝といていいよ、ユリ」
「・・・アーウィン様?」
「城に向かっているんだ、ユリの父様がユリに会わせたかった人も城の傍にいるよ」
「お城の傍・・・・・レイアス様?」
「そうだよ、それにお城に行けば俺はユリの傍にずっといれる、言っただろ、ずっと傍にいるって」
「・・・・・アーウィン様・・・・・」
抱き上げるアーウィンにされるがままユリはアーウィンの胸元へと顔を押し付ける。 心地よい体温が与える温もりと微かな振動がユリを再び眠りへと誘う。ゆっくり、と背を撫でる暖かい手を最後に感じながらユリはまた眠りへと旅立った。
城での生活は贅沢だけど窮屈な感じがした。毎日アーウィンはユリの傍にいてくれるのに、周りに居る人達も良くしてくれるのに、自由に山を散策していた村での生活に比べると部屋からほとんど出ない城の生活はユリには退屈で仕方なかった。 退屈を埋める為、ユリは文字を城に来たと同時に習いだした。村での生活に文字は必要なかったし、教えてくれる学校なんてもちろん無かった。 ユリは自分の名前と両親の名前だけはなぜか書けた。父が教えてくれたそれが文字だと城に来て初めて知った。 最初は絵本だったユリの退屈凌ぎの読書は半月ほどで、分厚い文字の小さな本が読める程に上達した。 毎日同じ窓から眺める外は一向に何も変わらない。 少しづつ、文字を覚えると同時に今まで知る機会も無かったこの国、この世界の事を本で読んだ。 小さな村の小さな家での暮らしが全てだったユリには途方も無い世界が本を読む事で知識として頭の中に蓄積される。
城に来て一月も経つ頃、ユリはやっとその日父が会わせたかった大神官に会った。 それはユリの今までの生活を壊し新たな道を歩む大きな一歩の始まり。
おかしい、終わらなかった; そんなわけで過去篇は次回にも続きます。 次回は途中でリアルに戻る予定ですが、ああ〜。 20120705
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