繋がる心

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好きで好きで、自分を捨てても構わない程の恋をしたのに、やっぱり曝け出すのは怖くて遠ざかる道を選んだのは穣だった。
成橋穣と斉藤翼の恋は半年で幕を閉じた。一方的な別れの言葉に頷いた翼は新しい恋を見つけた。それは穣との綱渡りの用な危うい均衡を保っていた様な関係ではなくて、互いを大切に想い合う繋がりあるものなのだと翼は言った。
そんな大事な恋をしているのだと翼は穣に言ったのに、その腕で穣を抱いた。それは抱いたというよりも一方的に犯されたといった方がしっくりくる乱暴な行為だった。愛情の無い冷たい行為は穣の心を痛めた。体の傷は時間が経てば何事も無かった様に綺麗に消えたのに、しくしく痛む心の傷だけはなかなか癒えなかった。
あの日、着ていたシャツは捨てずに取ってある。ボロボロでもう着れそうにも無いけれど、見たら思い出すあの日の冷たい行為を、だから、戒めの様に穣は部屋の片隅にかけたソレを毎日見つめる。
姿も声も二度と探さない、探してはいけないそんな事を自分自身に言い聞かせる為に。

自分でもどうかしてる、と思いながらも毎日、辺りを見回すのが癖になった。そこに姿、形、面影すら無いのを確認しないと落ち着かない。痛い、痛いと未だに血を流す胸を抑え、表面上変わりのない生活を送っているのだと意地を張りながらも、同じ匂いや気配を感じるだけで穣の体は震えた。会わない、会いたくない、そう想っているのに、どこかに会いたいと思う気持ちがあるのも本当の事だった。それは暴力だったけれど、怖いのに、未だに幸せだった日々を思い出すと胸が疼く。取り戻したいと願うそんな思いを必死に封じ込め、穣は友人の他愛ない話にそっと唇の端を持ち上げた。

「だから、合コン! 合コン、開こうよ!」
「・・・・・相変わらず、彼女募集中なのかよ・・・・・」
隼の叫びに淡々と穣は答える。むっと唇を尖らせたまま隼はそんな穣を見てから大きな溜息を漏らした。
「何だよ」
「・・・・・潤いがどこにも見当たらない、すでに枯れてどうするよ? まだ若いんだぜ。」
知った様な口で告げる隼に穣は黙り込む。眼鏡を押し上げ真っ直ぐに自分を見つめる視線が痛くて逸らしかけ穣は視界の端に映るモノに勢いをつけて立ち上がる。
「・・・・・・穣?」
「次の講義、必修だから、俺行くわ!・・・・・・じゃあな!」
驚く隼に片手を上げると慌てて走り去る友人の後姿を眺めた後隼は手持ち無沙汰な自分をごまかす為に目の前の温くなったカップへと口をつける。今来たのか、仲良くテーブルについたカップルを眺めた隼はずり落ちた眼鏡を押し上げると、慌てて走り去った友人の姿を思い出し眉を顰める。
テーブルについた仲の良いカップルはアイドル彩菜、そして友人の元恋人斉藤翼だった。一度、隼へと視線を向けた翼はすぐに彼女へと視線を戻す。
隼はカップの中に入った温い液体を飲みながらごくり、と喉を鳴らした。一度、ほんの一瞬だけど向けられたその視線は冷たい水をいきなりふっかけられる様な突き刺すソレだった。


*****


走ったせいで荒い息と激しい動悸が収まらないままずるずると穣は壁に背を擦りつけ座りこんだ。必修の授業なんてどこにも無い、ただあの場所に居れば会う気がしたから逃げただけだ。ほんの小さな姿を見かけただけなのに、判別がつくほど未だに翼を気にしているのに穣は自嘲の笑みしか漏れない。いつまで、どこまで、逃げて避けてを繰り返せば良いのか分からない。だけど、本能が叫ぶ。逃げろ、と警告する。避けろ、と体が震える。もう自分のモノにはならない姿に焦がれる事すら許されない立場に立たされた穣は座りこんだまま手にした鞄をずるずると足元から引き寄せると縋る様にきつく抱きしめた。
「だから、行かないって言ってるだろ!」
「今回は強制参加です! 合コンは無理でも飲み会なら構わないだろうが!」
「・・・・・嫌だよ。 俺は家に帰るって言ってるだろ!」
「毎日、毎日、家に帰って寝るだけだろ? 今日は強制だって、言ってるだろ?」
ずるずると引きづる腕を振り払おうとする穣に隼は掴む手の力を緩めずにたたみかける。それでも拒む穣を強引に連れてきたのは隼と二人で良く行く見覚えのある居酒屋で、すぐ目の前にまで迫った看板にそれでも首を振る穣を隼は扉を押し開けると強引に中へと引き込んだ。
「ふててんなよ、飲み会って言っても俺と二人きりなんだから。」
「・・・・・何、企んでる?」
「何も。 ほら、適当にお前も頼めよ!」
隼のその言葉に穣は渋々とメニューを手に取ると適当に食べれるものを頼む。店員が去って静かな沈黙が続き、穣は窺う様に顔を上げると隼へと視線を向ける。
「・・・・・隼?」
息詰まる静けさに耐えきれず名を呼ぶ穣にそれでも隼は無言でじっと入り口へと視線を向けている。穣は視線の先を追って入って来た人を認め思わず立ち上がりかけるけれど、隼はソレを阻止するかの様に口を開いた。
「逃げるなよ? 逃げないで、とりあえず立ち迎え! それが穣じゃねーの?」
腕を掴み淡々と告げる隼に穣は近づいて来る足音にそろそろと顔を上げる。見間違えならどんなに良かったのか分からない、接点なんてただ大学が同じだけでしかない隼はどうして彼を呼び出せたのかその理由も分からないまま穣は止まりそうな息をそっと吐き出した。意識して避けていた、あの日、無残に引き裂かれたシャツそして荒々しく突き入れられた熱で傷ついた痛みが胸の中迫上がってくるのを堪え穣は浮いた腰を降ろすと近づいて来た彼を見上げる。斉藤翼、別れた恋人だった人、そして今も穣の心を掻き乱す人。

「来てくれてありがとう、斉藤?」
「・・・・・他にも人が居るとは聞いてない、けど?」
「俺と穣はセットなんで見たくないなら見なければいいだろ?」
無愛想な低い声に隼は動じる事なく返すと座れば、と翼を促す。渋々、と翼は穣の隣りの席へと腰を降ろすと目の前で呑気な笑みを崩さない隼を眺める。
「・・・・・何か言いたそう、だね?」
「俺に言いたい事があるのはあんただろ? まともに話すのは多分これが初めてだと思うけど?」
「ああ、そうだね。じゃあ、改めて自己紹介をしようか。 俺の名は麻績隼。で、こっちが成橋穣。俺達経済学部の三年です。」
「・・・・・・そうじゃなくて・・・・・」
「君が俺を知らなくても俺は知ってるよ。 斉藤翼、法学部の三年。今は同じ学部のアイドル彩菜ちゃんが彼女だけど、その前は穣の彼氏だった人でしょ?」
にっこり、と笑みを浮かべぽんぽんと勢いよく告げる隼に翼はただ眉を顰める。不機嫌な顔を隠しもしない彼から伝わる不穏な空気に穣は口を挟む事もできずにただ顔を逸らし、俯く。触れてもいないのに、隣りにいるだけで高鳴る胸の鼓動が誰にも聞かれる事の無いようにただ両手を握り締めた。
「だから? 友人の別れた彼氏にあんたが何の用?」
「穣の様子が変なのはあんたが原因かと思いまして、勘違いなら謝るよ?」
「隼! 斉藤とはとっくに終わってるって、それに・・・・・・」
いきなりの親友の言葉に思わず否定した穣をちらり、と見て隼はすぐに翼へと顔を向ける。更に不機嫌さを増している顔に隼は無難な笑みを向けると頭を掻きだした。
「ごめん、斉藤! 隼が勘違いして、本当にすいません!」
何も言わない隼から穣は翼へと体ごと向いてすぐに深く頭を下げる。そのままの体勢ですぐに謝りの言葉を告げたまま穣は顔を上げようとしないから翼は「いいよ」と低く唸るような言葉を口に出してすぐに立ち上がる。
「・・・・・斉藤?」
「誤解が解けたなら俺がここに居る意味は無いだろ? じゃあな」
立ち上がる翼の名を思わず呼ぶ隼へと顔をちらり、と向けた翼は淡々と告げるとすぐに背を向け歩き出す。隣りの温もりが消え、靴音が遠ざかっていくのを聞きながらも穣はずっと頭を下げたまま顔を上げようとはしなかった。
「ごめん、俺余計な事した?」
長い沈黙の後ぽつり、と呟く隼の声に顔をやっと上げた穣はただ笑みを浮かべたまま何も言おうとはしなかった。


*****


部屋の中、ぐっと拳を握ってみて穣は顔を上げる。ハンガーに吊るされたあの日の残骸。所々破かれたシャツと呼んでいたはずのものがぽつり、と壁にかけられている。見る度戒めるはずのソレがやけに目に痛くて穣はすぐに俯くと頭を振る。
曖昧にごまかしたまますぐにあの後隼と別れ、穣はすぐに部屋へと戻った。隼は納得いかない感じだったけれど結局あの後何も聞かずに居てくれた。聞かれてもきっと穣は答えられなかった。とっくに別れて、しかも自分から別れを切り出した男に本当は未練があるなんて隼にも言えなかった。もう二度と笑みを向けてくれる事も無い、隣りに穣がいるだけで不機嫌な翼の顔を思い出して穣は大きな溜息を零しそのままころり、と横になる。
隣りにある温もりがそれでも愛しかった。二度と触れる事が出来ない、だからこそ焦がれるのかもしれない、そう思いながら穣は目を閉じると思い出の中にある翼の笑みを思い出そうとする。その時突然、空想すら許されないのか遮る様に部屋にチャイムの音が鳴り響き穣は目を開くと、のろのろと起き上がる。
何度も鳴らされるチャイムの音に眉を顰め立ち上がると穣は玄関へと歩き出した。
歩きながら、壁に掛かる時計へと目を向け、深夜に近い時間なのに気づく。それでも一定の感覚で何度も鳴らされるチャイムの音にドアのぶへと伸ばした手を一瞬躊躇うけれど、何度も鳴らされるチャイムの音に穣はドアを押し開く。

ドアの前に立つ人を見上げた瞬間相手を確かめるべきだと後悔してもドアを開けた姿のまま居ルスはもう使えなくて、穣は目の前に立つ人をただ見上げる。
「・・・・・居るなら早く出ろよ! そこ、どいてくれない? 中に入りたいんだけど。」
言いながら穣を押しのけ、さっさと部屋に入る男に穣は唖然としたままその場へと立ち尽くす。我がモノ顔で勝手に入る男の腕を慌てて掴んだ穣に男はただ背後へと顔を向ける。
「・・・・・何の用ですか? それに勝手に部屋には・・・・・」
「玄関の前で押し問答したいならここに居るけど? それじゃ困るのはここに住んでるあんたじゃないの?」
「・・・・・斉藤?」
擦れた声でやっと名を呼ぶ穣の掴む手を振り払い、体を向けてきた男はつい何時間か前に居酒屋で別れた翼だった。戸惑う声と表情を隠せない穣に翼は唇の端を持ち上げ最近良く見る冷たい笑みを浮かべるとすぐに踵を返しそのまま部屋の奥へと歩いて行く。呆然と立ったままの穣は突然訪れた翼の意図が分からないままのろのろと足を踏み出した。

いわゆるどこかに出かけるデートよりも付き合っていた時はどちらかの家に居るのが断然多かった。だからなのか、勝手知ったる他人の部屋で呆然としていた穣が気づかないうちに翼は適当に冷蔵庫を漁ったのかビール片手にソファーで寛いでいた。
「・・・・・あの、何の用で・・・・・」
れっきとした部屋の住人である穣の方が居心地悪そうに、部屋の隅へと座りおずおずと問いかけを再度口に出す。
そんな穣にちらり、と視線を向けた翼はきょろきょろと部屋の中を見渡す。壁に掛けられた所々が破れ擦り切れているソレがいきなり目に入り、寛いでいたソファーから身を起こした翼に穣は気づかないまま小さく縮こまっていた。


全3話ぐらいかと思われますが、とりあえずいい加減CLAPで連載は・・・・・;
痛い話がちょっと続く予定だけど、どうかな? 20090725

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