「櫂!!・・・・・・って、待って!」
切羽詰まった様な声と共にぺた、ぺたと何とも不似合いな音が走り寄ってくるそして、顔だけ振り向きその姿を思わず目の端に捉えた瞬間、櫂の足は止まる。 歩み寄る事なく全てを拒んだはずの成がゆっくりと、でも確実に走り寄る姿を櫂は呆然と眺める。 歩みを止めたのに気づいたのか、一定の距離を保ち足を止めた成はほんの少しの距離なのに息を弾ませている。 その姿に今更の様に櫂は具合の悪かった成を思い出す。具合が悪かったからこそ、自分がここに連れて来た事も思い出し、成が健康体のままでいるなら、櫂は成がいる事に気づく事もしなかったはずだ、そうすると、なんて皮肉な再会だったのだろうと今更思う。
「もう、話は済んだはずだけど・・・・・何?」
そんな事を心中考えていても、問いかけは体調の心配すらも一切内側に仕舞いこみ淡々と言葉を吐き出すだけで、少しだけ口元を歪ませ酷薄にも見える笑みを浮かべているだろう自分の吐き出した声のあまりに低い音、冷たいセリフに櫂は内心溜息を吐く。
「・・・・・俺、ちゃんと言わないといけない事があって・・・・・」
「今更?・・・・・話す事は無いって言わなかった?」
「・・・・・あの、でも・・・・・やっぱり、言わないといけないから・・・・・」
戸惑う様に呟き俯く成の前、わざと溜息を吐き呆れた様な声を出す自分に櫂はなんて陰険な性格だと突っ込みたくなる。ますます肩身が狭いのか縮こまる成を目にして、櫂は階段へとかけていた足を外し、成へと体の向きを変える。
「言わないといけない事って、何?」
「・・・・・れ、俺っ・・・・・櫂とはやっぱり友達になりたいんだ!」
「まだ言ってるの? だから、それは無理だって言ってるだろ? 俺はお前の恋の話なんて聞きたくないよ!」
「それでも、俺は、櫂とどこかで繋がっていたい・・・・・俺の恋の話なんてしない、日常の些細な会話でいいから、だから・・・・・」
「いい加減にしてくれよ! どこの世界に別れた恋人と友達になりたいなんて思う奴がいるわけ? 些細な会話? なに、それ、そんな会話すらできない程、住む世界が俺らは違うんだろ?」
ぎゅっと拳を握り締め告げる成の言葉に櫂の中で何かがぶちり、と切れる錯覚がする。軽く眩暈まで引き起こしそうで、頭を抑えた櫂は成の言葉に否定の声しかあげない。堂々巡りの会話に目の前の成を見るのも嫌で今すぐここから立ち去りたかった。
「櫂、待って! 話はまだ・・・・・」
「触るなよ!!」
腕へと伸ばす手を乱暴に振り払い、櫂は成から顔を背けると階段へと足を踏み出す。
「櫂!」
「・・・・・俺は友達なんて無理。もう、二度とお前になんか会いたくない!」
一気に階段を降り出した櫂に成は諦めきれないのかそれでも慌ててついてくる。だから腕へと伸ばそうと再び伸ばしてくる手を、思いっきり突っぱねた。急でもないけれど、決して緩やかでもない階段で押し問答を繰り返したせいなのか、力の差が歴然としているからなのか、成は二度目の拒否に階段へとぺたり、と座りこむ。
思わず手を出しかけた櫂はそのままくるり、と向きを変える。堂々巡りの会話しか続かないだろう先を思うと、見ないフリしてこのまま立ち去るのが得策だと分かっている。だから階段を降りかけた櫂は拳を握り締めると未だに座りこんだままの成へと近づく。
「こんなとこで座りこまないで、ほら、立って!」
「・・・・・櫂・・・・・」
手を差し伸べる櫂に成はぼんやり、と顔を上げる。
「ほら、立てってば。・・・・・靴ぐらい履いてこいよ・・・・・」
腰に手を回し、立たせると、膝をついた櫂はズボンについた砂を払いながら呟く。思わず手を貸さずにはいられない、いつだって、何があろうと手を差し伸べたくなる、見ないフリなんて出来ない。傍にいれば無視すらできない。そんなのは櫂が一番良く分かっていた。
「・・・・・櫂、俺は・・・・・」
「だから、話しても無駄だよ。 言っただろ、友達には戻れないって・・・・・」
「でも・・・・・俺は櫂と繋がっていたい・・・・・それがどんな形でも・・・・・」
思い詰めた様に話しかけてくる成に櫂は頭を緩く振るとすぐに立ち上がる。まだ諦められないのか、否定の言葉にめげずにそれでも話しかけながら成は櫂へと手を伸ばしてくる。無意識なのか、服の端をぎゅっと握り締め顔を上げる成に櫂はそっと息を吐く。
「でも、成は俺とはもう付き合いたくは無いんだろ?」
「・・・・・だって、それは・・・・・」
「俺は別れたヤツと友達にはなれないよ。 切り替えなんか出来ない、お前が傍にいたら俺はずっと引き摺るし・・・・・お互いの為にも離れた方が良いと思う。」
「・・・・・でも、俺は。」
「世界が違うんだろ? 友達なら身近にいるので満足しろよ。 離して、帰るから。」
それでも握り締めた手を離そうとしない成の手を服から今度は、乱暴にではなくゆっくりと外した櫂は呆然としている成から顔を背けると階段へと視線を向ける。
*****
「・・・・・でっ、行かないで!!」
手を伸ばし叫ぶ声に櫂はびくり、と足を止める。今度こそ振り向かないし、先に進むべきだと何度も思った事を強く思い、止まっていた足を一歩ずつ前へと踏み出した時、背中に温もりがぶつかるようにしがみついてくる。 今いる場所が丁度階段と階段の切れ目、つまりは踊り場である事にほっとしながら櫂はぶつかってきた温もりに溜息を吐いた。
「俺、帰りたいんだけど・・・・・引きとめたって考えは変わんないよ・・・・・」
淡々と告げる声にびくびくと震えながらもしがみついた手に益々力をこめてくるから、櫂はしがみついてくる手へと手を重ねる。 「友達にはなれない、だから離れる・・・・・それしか無いだろ?」
「嫌だ!・・・・・俺は嫌だ、離れたくない!!」
まるで恋人を引き止める為に縋りつく、そんな成の態度に櫂は溜息しか出ない。
「・・・・・俺は友達にはなれないし、別れた恋人の傍になんていたくない、これで良い?」
縋りつく手を離し、振り向かないと思っていたのに、後ろへと体ごと反転させた櫂が告げる声に成はびくり、と肩を震わせるけれどそれでも手を伸ばしてくる。
「・・・・・成・・・・・」
「だって、俺は・・・・・櫂と繋がっていたい・・・・・」
今にも泣きそうな顔で、何度拒まれても縋りつこうとする成に櫂は手を握り締める。友達にはなれない、そんな事は成だって分かっているだろうに、それでも引き止めようとするその姿に握り締めた手を更に強く握りこむ。
「我が儘言わないでよ、俺はもう成の都合に振り回されるのは嫌なんだよ。・・・・・今は友達になって、それでどうするの? やっぱり、友達にはなりたくないって思ったら、散々振り回された挙句にいらないって言われる気持ちが分かる?」
告白したのは確かに自分だけど、あまり希望を言わない成に悶々とした日々だってあったけれど、少ない希望には何があっても応えてあげたくて、かなりの無理をしていた自分を思いだす。仕事だと分かっていたのに、会いたいなんて言われたら飛び上がるほど嬉しくて、無理は承知で応えたのは自分、それを目の前に立ち尽くす成に今更言うのは間違っている。だけど、それだけ、突然の「さよなら」には傷ついた。もう二度と同じ思いを受けたくない、それは櫂の本音だった。
「繋がりなんていらないよ、切っちゃえよ、元から縁が無かった・・・・・それが一番だろ?」
泣きそうだった顔が更に歪み堪えきれなかったのか、溢れ出した涙はぼろぼろと零れだす。それでも真っ直ぐに自分を見つめてくる成から顔を逸らすと櫂は重い溜息を大きく吐き出した。 今すぐに一人きりの部屋に帰って、思い出も温もりも忘れてしまいたかった。握り締めた拳を更にきつく握り締め、唇を引き結んだ櫂に成はぼろぼろと零れる涙を拭う事すらしないまま無言でじっと見つめてくる。
長い沈黙を破ったのは階下から聞こえた話し声で、櫂はその声に慌てて階段を降りようと成に背を向ける。
「・・・・・櫂・・・・・」
「どんなに話しても無駄だよ。 勝手に友人だって思ってれば、その変わり、俺には二度と関わらないで。」
のろのろ、と名を呼ぶ声を遮り早口で告げた櫂は躊躇う事なく階段を今度こそ帰るために踏み出しかけ、ぐっと服を引っ張られ、渋々成へと顔を向ける。
「離せよ! こんなとこで誰かに会ったら、俺もお前も迷惑だろ!」
話し声は次第に遠ざかるけれど、誰かに見られるそれは困る。だって櫂は二度とここには来ないつもりなのに、下手に顔を見られれば噂にはなるだろう。まして、他人になりたい成と知り合いだなんて話は広めたくない。
「・・・・・俺は、君に告白された時は君の事良く知らなかったんだ。 昔から、テレビはあんまり見ないし、雑誌もあまり買わない。・・・・・だから、告白された時も芸能人なんて知らなかった、あんなに有名だって、俺は知らなかった・・・・・」
「だから、何・・・・・もう、関係ないだろ・・・・・」
過去の話を持ち出してくる成に櫂は眉を顰めると突き放すような低い声で呟く。それでも、服の端を握り締めた成の手は離れなくて、櫂は涙は止まっているけれどまだ赤く潤んでいる成の瞳を睨み付ける。
「世界が違う人だって思ったのは、街を歩けば必ず君を見かけたその時だった。雑誌もテレビも、街に貼られたポスターにも君が映ってた。 好きだけじゃダメだって思った。だって、俺は平凡で何の取り得もなくて、ただの学生で将来の夢だって何も無いのに、隣りに立てる自身すら無かった。」
泣きそうに眉を歪めるけれど、今度は堪えているのか、必死に何度も唇を引き結んだ成は言葉を止めたまま顔を上げる。
「怖かったんだ、離れていかれるのが・・・・・だから・・・・・」
終わりは自分から、そう決めていたのだと告げようとした成は瞳を見開く。強く強く抱き寄せられていた。恋焦がれた温もりに堪えていた涙がぼろぼろと零れてくる。
*****
「・・・・・っ櫂・・・・・」
「好きだけじゃダメだというなら、どうすれば良い? 俺が成を好きで、成が俺を好きでいられるなら、問題なんて起きないと思うんだけど、それでもダメなのか?」
腕の中抱き寄せたまま告げる声に成は何も言えなかった。ただ小さく頭を振るだけで、それは櫂には否定には思えなくて、更に抱きしめる腕に力をこめると櫂は自分の腕の中にすっぽり、と納まる成をただきつく抱きしめた。 長い沈黙もさっきまでのぴりぴりした緊張感も消えていく。穏やかとも言える空気が体中を覆う気がして櫂は腕の中の成の汚れた素足へとやっと視線を向け慌てて彼を抱き上げる。小さいとはいっても仮にも男の成は急に抱き上げられ、慌てた顔で櫂を見て何か言おうと口を開きかける。
「騒がないで! 部屋に帰ろう、ほら・・・・・ここじゃ、何だから・・・・・」
「・・・・・歩けるから、降ろして・・・・・」
「嫌だよ、抱えさせてよ。 離れたくないんだ。」
抱き上げた体に頭を押し付け告げる櫂の言葉に成は困った様にそれでもやっと笑みを浮かべそろそろと櫂の肩へと手を置いた。 一段ずつゆっくり、と上って行く櫂に抱え上げられたまま成は照れくさそうに頭も櫂の肩へと載せてくる。そっと擦り寄る成を落とさないように櫂は抱き上げ直し足を動かした。
部屋に入るとすぐに櫂は成をバスルームへと連れて行くと、器用に靴下を脱がしてくれる。
「自分で、出来るから・・・・・あの、もう降ろして・・・・・」
「・・・・・答え、まだ聞いてない。」
「もう、分かっているのに、聞いてくるの?」
「そりゃ聞くでしょ。 俺とまだ友達になりたい?」
バスルームへと足を踏み入れる櫂にまだ抱き上げられたままの成はそっと溜息を吐くと、櫂の耳元へと口元を寄せていく。
「まだ俺と恋愛して下さい。 櫂が好きです、友達には俺もなれません。」
囁くと同時に頬へと唇をそっと押し付けてくる成の意外な行動に櫂は少しだけ顔を赤くしたまま成へと顔を向ける。照れくさそうな顔にそれでも笑みを浮かべてくる成に櫂はやっと抱き上げていた体を降ろす。
「俺も、好きだよ。 だから、ずっと俺の恋人でいて下さい。」
顔を近づけ、真剣な瞳で告げる櫂に成は赤く色づいた顔でこくり、と頷いてくれるから、櫂は手を伸ばしすぐに成を抱きしめた。 成もすぐに手を回し抱きついてくれるから櫂は腕の中にある頭に顔を摺り寄せる。ふわふわの髪が顔を擽る、懐かしい感触が現実だと櫂に教えてくれるみたいで笑みが零れてくるのを止められなかった。 暫く狭いバスルームで二人抱き合い、そっと体を離しかけ、どちらからともなく顔を見合わせた二人は唇を触れ合わせた。 軽く触れるだけのそのキスが妙に照れくさくて、声が響くバスルームで唇を離すとすぐに笑いだした二人はもう一度キスをした。言葉もなく触れるだけのそのキスがどんどん深くなっていくのを互いに止める事はしなかった。
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