愛しい貴方もいつかこの手で

壊して

しまうのかしら

1


光すら指さない窓の無い薄暗い部屋の中、軋むベッドの上で響く、濡れた音、途切れ途切れに聞こえる擦れた甘い喘ぎ。
「あっ、あんっ・・・・・ふぁ、イイっ! そこ・・・・・もっと・・・・・」
組み敷く男にしては少し高めで耳障りなその声を聞きながら、穂積は微かに眉を顰めながらも腰を動かし奥を突きあげる速度を速める。繋がる箇所からぐちゃぐちゃ、と粘着質な水音が更に大きく響き、呼応するかの様に喘ぐ声もいっそう高くなる。
最奥へと腰を押し付け、抉る様に中に擦りつけ、やっと弾けた欲望をそのまま奥へと吐き出した穂積は、そのままずるり、と勢いをほとんど失くし萎れた自身を引き抜く。
遅れて穂積の組み敷く今宵の相手はびくびく、と体を震わせながら、その体に相応の小ぶりの先端からだらだらと白い液を吐き出し微かに擦れた声を漏らす。自分のモノで前を濡らし、後ろは穂積の吐き出した液で汚し、シーツにまで沁みこむ小さな水溜りを作るその場所に留まり、まだ微かに身を震わす相手から早々に離れた穂積は立ち上がると、後ろを振り向く事なく真っ直ぐにバスルームへと向かう。

頭からシャワーを浴びながら、上を見上げた穂積は流れる湯を顔に浴びながら、ゆっくりと瞳を閉じる。

付き合いだけはかなり長かった、恋人と別れたのは簡単に言えばすれ違いが原因だった。
社会人になり、互いに時間の都合がつきにくくなった結果、会えない恋人との隙間を埋める為に、穂積のした事は次から次へと、一夜限りの相手を渡り歩く事だった。
いけない事だと分かっていた。付き纏う罪悪感、恋人と会うたびに後ろめたくなる自分。だけど、その内、開き直る自分がいた。会社が違う恋人にはばれる事は有り得ない、たまに会っても気づかれる心配なんて欠片も無いと夜を渡り歩いた。
自分の態度の変化に敏感だったのは恋人だった。自分でさえ分からない変化を敏感に感じ取った恋人が選んだのは「別れ」ただそれだけだった。
あれから、何度も連絡してみたけれど、携帯を解約したのか電話は通じない。部屋にも足を運んだけれど、元々すれ違いから隙間を埋める為に一夜の相手を渡り歩いていたのだから、会える時間帯に行けるはずがなかった。
まだ、「好き」と言える感情があるけれど、それでも体の欲求を満たす為に渡り歩く夜を止められない。
今更後戻りもできなかった。
恋人と別れても、穂積の生活にはほとんど変化は無かった。
ただ、体の隙間は埋める事ができても、宙ぶらりんなままの心の隙間だけは、通りすぎる、その場限りの相手では埋める事すらできなかった。
シャワーを浴びると手早く服を着込んだ穂積は、未だにベッドにうつ伏せている男に見向きもしないまま、早々に部屋を立ち去る。一夜限りの相手に情なんてものは沸きもしない。事が終われば用はない。会話を楽しみたいなんて思いもしない。

夜の道を一人歩く穂積のまだ少し湿った髪を冷たい風が撫でる。携帯を取り出し、アドレスに未だに登録したままの名前を呼び出した穂積は、そっと溜息を吐いた。今すぐにでも、取り戻したいと思える。なのに、その術が穂積には分からなかった。


*****


「好き」と言える人は未だに一人だけなのに、一人寝は寂しくて、仕事が終わると一夜の相手を探す。そんな生活を始めて半年。
電話すら通じなかった元恋人を見かけたのは偶然だった。
仕事がいつもより早目に終わった穂積は時間を確かめ、最近毎日の様に通っている馴染みのバーに向かっている所だった。
居酒屋から出てきた二人組み、かなり泥酔しているだろう人を困った笑みを浮かべながらも支え介抱する横顔を見た瞬間穂積は思わず足を止めた。
別れて半年、毎日規則正しい社会人を送っている相手が様変わりする事なんてありえず、すぐに恋人だと気づいた。顔を近づけ、泥酔している男に何かを話しかけるその姿を見た瞬間ずきり、と胸が痛む。穂積は立ち止まったまま、その場から一歩も動けずに恋人を思わず凝視する。
タクシーを止め、男を乗せた恋人は走り去るタクシーを暫く眺めると居酒屋の中へと戻ろうとして、立ち止まったままの穂積に何気ない視線を向ける。
「・・・・・・海斗・・・・・」
擦れた穂積の呟きが聞こえていたのか、いなかったのか分からない。恋人は、いや恋人だった男海斗は穂積を見た瞬間嫌な顔を見たかの様に眉を顰め、顔を背けると何も言わずに中へと戻って行ったのだから。
冷たい風が頬を撫でるのに、穂積は去った海斗の姿をもう一度見たくて暫くその場から動けないままでいた。
「いつまでここにいるつもり?」
鞄を片手に急いで来たのか、中途半端に着込んだコート姿の海斗は話す合間に肩を揺らす。
「・・・・・何で?」
「帰るところだったんだよ! そしたら、まだ居るから・・・・・別に他意は無いよ!」
居心地悪そうに眉を顰め告げる声が少し上擦っているから、穂積は相変わらずの人の良さが分かる海斗の姿にただ苦笑を零す。
「駅までなら、一緒に行こうよ。 俺も帰るところだったんだし・・・・・」
ね、と話しかける穂積に海斗はただ眉を顰めるけれど、何も言わない。だけど、否定もしないから、穂積はゆっくり、と歩調を合わせて歩き出した。

隣りを歩いている、ただそれだけなのに、温もりや息遣いが伝わる様で穂積の鼓動が少しだけ跳ねる。なのに会話の糸口すら見つからず、無言のままの穂積の横、海斗もまた無言のままだった。
「俺、こっちだから、さよなら」
駅の改札口を潜り、やっと口を開いた海斗の一言に穂積はそのまま背を向ける海斗に思わず手を伸ばす。
「・・・・・何?」
不快そうな顔で問いかける海斗の声に穂積はつい伸ばした手が腕を掴むのを見たまま微かに笑みを浮かべる。
「あの、さ・・・・・携帯、そう携帯、変えた?」
「だから、何?」
問いかけに更に眉を顰める海斗に穂積は慌てて掴んだ腕を離し、無言で首を振るとまた笑みを作る。
「連絡したら、通じなかったから・・・・・そう、変えたんだ・・・・・」
「もう、必要ないだろ? 堂島と俺は関係ないんだから、連絡先も知らなくて構わない、だろ?」
別れた相手なんだから、と言外に告げる海斗に穂積は唇が引き攣るのを感じながらも、頷く。そんな穂積の視線から逃れる様に顔を逸らした海斗は微かに息を吐くと無言で背を向け歩き出した。遠ざかる背中、消えて行く足音を穂積はただ呆然と見送る事しかできなかった。


*****


浴びるように酒を飲んでも、どれだけ夜を渡り歩いても、穂積の中には消えないしこりがある。別々の道を歩いているのだとその背は語っていた。眠ると必ず遠ざかる背中に必死に手を伸ばす自分を夢に見る。
戻って来て欲しい、と叫ぶ悲痛な自分の声で目覚めるのも一度や二度じゃない。
こんなに好きだったんだと、今更気づいても遅いのに、二度と戻らないから追いかけたいのか穂積には分からなかった。
「ふざけんなよ、堂島! お前、仕事を舐めてんのか?」
今にも殴られそうな勢いで吼える上司の怒鳴り声に穂積はただ頭を深く下げるしか出来ない。失恋のせいで、ここ最近寝不足だからなんて言い訳にもならない。過ぎた酒のせいだなんて、社会人になって何年も経つのに、自己管理ができていない証拠にしか取られない。
無言で頭を下げる穂積に上司は溜息を吐くと別の人間を呼び出す。
何年も培ってきたはずの信用をたった一度の失敗で失う、それは本当に一瞬の事だ。もう一度、信用を取り戻す為には、地道に実績を積むしかできない。一からまた始めないといけない自分に自嘲の笑みしか零れなかった。
このままじゃダメだと理由も原因も分かっているのに、前に進めないまま、仕事としては新人がする様な簡単な仕事をこつこつと遣り出す穂積に仲間の評判も落ちて行く。
毎晩の酒を止めても、夜を渡り歩く事を止めても夢は毎日見る。おかげで寝不足は解消されない。毎晩、同じ事を繰り返す、手を伸ばして追いかける自分の叫ぶ声、頭がおかしくなりそうだった。

町で再会した時も、不快な顔しかされなかった。拒否されると分かっている。だけど、もう、方法が見つからなかった。
見上げた先に見えるのは、海斗の住む場所、帰っているのかどうかも分からない。
時計を見て、息を吸い込んだ穂積はもう一度顔を上げ海斗の部屋がある場所を見つめる。
きっと拒まれる、再会した時と同じく不快な顔を見せるだろう事も分かっている。
もう一度、大きく息を吸い込み吐き出した穂積はその場に立ち止まりたいと固まる足を踏み出した。

呼び鈴を鳴らそうと持ち上げる自分の指先が震えているのに気づき、穂積は一度強く手を握り締めると、もう一度指を伸ばす。
ピンポーンと少し高めの呼び鈴の音が聞こえ、穂積はまた深く息を吸い込んだ。
間を置かずにもう一度鳴らすベルの音と共に扉にかかる音に気づき、穂積は玄関から一歩後退する。
がちゃり、と開いたドア、目の前の足元を見つめ顔を上げた家主は穂積の顔を見て、微かに眉を顰めてくる。
「・・・・・何の用ですか?」
想像通りの対応に穂積は何も言わないままただ笑みを浮かべてみせる。
「堂島?」
再度の問いかけに穂積は汗ばむ掌を握り締めると海斗をじっと見つめる。
「話たい事があるんだ・・・・・時間は掛からないから・・・・・」
「・・・・・今更、何の話ですか?」
再会した時も微妙な違和感を感じたけれど、穂積はその違和感にやっと気づく。知らない他人を見る様な視線、敬語と言うほど丁寧では無いけれど、他人と話す遠巻きな態度は言葉に大きく現れていた。
彼の世界から自分が完璧に除外されているのだと嫌でも気づかされる、けれど、ここで退くわけにはいかなかった。
「・・・・・すぐ済む。だから、話がしたいんだ。」
「すぐ済むならここで構いませんよね? 何ですか。」
目の前にいる穂積から少しだけ視線を逸らしたまま告げる海斗の固い態度にこくり、と喉を鳴らした穂積は口を開いた。

「何度謝っても意味は無いかもしれない、けど、もう一度チャンスが欲しいんだ!」
何度も開いては閉じ、時間は掛からない、と言っておきながら、何度も躊躇った穂積のやっと出た第一声に海斗は瞳を伏せると肩を微かに疎める。
「・・・・・無理だよ。 俺は二度と堂島には関わりたくない。 話がそれだけなら、時間の無駄・・・・・帰れよ!」
呆れた様に苦笑を浮かべた海斗はそのまま、玄関の扉へと手を掛けるから、穂積は思わず手を伸ばす。
「頼む! 一度だけで良いんだ。 俺には海斗が必要なんだ!!」
恥も外聞も見栄もプライドも穂積には無かった。仕事が巧くいかないのは寝不足から、寝不足になったのは心が満たされないから、なら満たせる相手を見つければ良い、図式は簡単だけど、相手なんて一人しか思い浮かばなかった。
自分の不貞で別れた相手だと知ってても、心が満たせる相手なんて目の前にいる海斗だけだった。
何度手を伸ばしても届かない背をそれでも追いかける自分が夢の中、絶望を背負い立ち尽くす。
へまをした、それだけじゃない事も本当はもう分かってる。
手繰りよせても、二度と手に入らない存在になんてしたくないから、拒む海斗の目の前で穂積は必死に頭を下げる。
「無理、だよ・・・・・堂島だって分かってるだろ? 俺達はもう・・・・・」
「分からない! お前が戻るなら、他の何もいらないから、だから・・・・・」
信じてくれとは言わない。だけどもう一度俺にチャンスをくれないか、拒む海斗に穂積は何度も同じ言葉を繰り返す。未だかつて、こんなに必死に何かを欲した事があっただろうか、と少しだけ疑問が生まれるけれど、穂積はひたすら繰り返す。取り戻せるのなら、同じ過ちは絶対に繰り返さない、心に刻みつけ深く頭を下げる穂積の耳に擦れた溜息が聞こえてきた。

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前回のお話はこちらから。
続いちゃいました。
できるだけお早くお目にかかれる様に頑張ります。 20100124

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