車窓から流れる景色へとちらり、と目を向けた輝(ひかる)は手に持つバッグを握り締める手に力を篭めると車窓から目を離しぎゅっと唇を噛み締めた。 輝には確かめたい事がある。このままでは何も手につかない、それでは、色々な事に支障が出てくるから、決意を新たに輝は前をしっかり、と見つめた。
『・・・・・・出る事ができません、発信音の後にメッセージを・・・・・・』
無機質な声が流れる電話から耳を離すと、がちゃんと、乱暴に受話器を置いた輝はそのまま部屋の隅に置いてあるベッドへとダイブする。ばふん、と音がして沈み込む自分の体をそのままに、枕へと顔を押し付けた輝はまた繋がらなかった電話に溜息を漏らした。 輝には遠距離恋愛中の彼氏がいる。といっても、ここ半月ぐらい電話は通じない、一応ルス電へと変わるのだから、番号は生きているのだろうけれど、何の音沙汰も無いのだ。「別れる」「別れない」の前に話すらできない。いっそ、会いにいけたらいいのに、どうしても都合がつかずにずるずると時を過ごしたおかげでこの半月何の音沙汰もない男を彼氏と呼んでいいのかどうかも分からなかった。傍にいないからこそ、連絡一つで振り回される・・・・・温もりも言葉もない半年、輝は埋もれていたベッドから起き上がると携帯を手に取った。
「すいません、蒔田(まきた)ですけど休みを頂きたいんですが、はい、はい、すいません・・・・・はい、失礼します。」
携帯を切った輝は鞄を取り出すと適当に服を詰め込み財布と携帯をポケットへと押し込み家の鍵を手に持ち慌しく部屋を出て行く。 確かめたいのは一つだけ。恋人が輝の事を今でも好きなのかどうか、それから「別れる」「別れない」を決めよう。 未練ならたっぷりあるけれど、連絡が出来なくなって半月、輝はこれでも我慢したのだ。 携帯なら着信履歴が残る、家に備え付けの電話にも最初はメッセージだっていれた。 音信不通で何となく曖昧に「別れる」なんて嫌だから、ちゃんと話がしたい。中途半端なこの状態にけりをつけるためにに、鞄を持つ手に力を篭めた輝は駅に向かって歩き出した。
見慣れない街はどこもかしこも珍しい。 遠距離恋愛になってから、恋人の住むこの街に来たのは数度しかない。いつか帰ってくるから、と恋人の方が頻繁に帰ってきて、輝から行くなんてほとんど無かった。 もっと連絡を蜜に取り合えば良かったとか、後悔もちらり、と湧き出てくるけれど頭を振った輝はポケットへと押し込んだ財布の中から擦り切れたメモ用紙を取り出した。 メモ無くて、恋人の部屋に向かえる程地理には詳しくないし、街並みは常に変動するらしく、前に来た時は無かった建物も見受けられ歩く自身もなくて輝は真っ直ぐにタクシー乗り場へと歩き出した。
*****
目の前にあるのはこじんまりとした二階建てのアパート。築5年だと聞いているけれど外壁は結構塗装が剥がれ落ちもっと古く感じる。備え付けの各部屋版ごとのポストへと目を向けた輝はメモに書いてある部屋番と家主を確かめると後ろに目を向ける。 鉄の階段は人が通る度にかんかんと音を立てるから、昼間だけど、夜の仕事の人が多いと聞いていたから、輝はゆっくりと階段を上り始めた。 部屋番と表札をもう一度確かめる。 書かれている名字は『佐崎』。引越しはしていないみたいでほっとした輝は携帯を取り出し時間を確認した。 朝一番というわけでは無かったけれどそこそこ早い電車に乗ってきたのに、時刻はもう午後三時になろうとしている。 まだメモと同じ場所に暮らしている事は分かったから、この時間にはまだいないと知っているからこそ、輝は腹ごしらえでもして時間を潰そうと踵を返した。 歩き出そうとして同時にがちゃり、と開くドアにあやうくぶつかりそうになり思わず避けた輝の前、出てきた男の方も人がいるとは思わなかったのか少し驚いた顔で輝を見る。
「・・・・・すまない、人がいると思わなかったんで・・・・・」
「いえ、こちらこそ、すいません。」
ドアの前に付けられている柵に寄りかかりながら答える輝を上から下までぐるっと眺めた男は部屋に施錠するともう一度顔を向けてくる。
「あんた、その部屋の人の知り合いかなんか?」
「・・・・・はい、知り合いですけど、今はルスだって分かってますから、また後で来ようかと・・・・・」
「へーっ、知り合いなら言っといてくれない?」
「はい?」
あんたの女の声煩すぎ、耳元へと呟き「頼んだよ」と肩を叩き階段を降りて行く男を見送ったまま輝は手にしていた鞄を思わず落とすとそのままずるずるとその場に座りこむ。何だか今すぐ笑い出したい気分だった。少しはまだ「好き」でいてくれる事を祈っていた自分が愚かというか情けないというか。会わなくても結果は見えていると思うのに、鞄の中を探った輝は手帳とペンを取り出し一言書くと新聞受けの隙間からメモを折りたたみ押し込むと立ち上がる。 鞄を手にした輝は適当な腹ごしなえと今日の寝る場所を確保する為に歩き出した。
やっと見つけたファーストフード店に入ると適当にモノを頼み、輝は椅子へと座りこむ。知らない場所はそれだけで疲れるのに、携帯を取り出し時間を確認した輝は早く今日の宿泊先を探さないといけないのに、と思いながらもぼんやりと目の前の頼んだ品を見つめる。 朝から何も食べていないのに、食欲が湧かない。 別に失恋したショックなんてそんな繊細な事情じゃない、こんな場所でぼんやりしている前に宿泊先を探さないと、このまま帰ってしまうほうが楽かもとか考えるだけで頭の中は巧く思考を纏めてくれない。 流れるBGM、かき消すほど色々な場所から聞こえる話声で賑やかな店内、知らない街でも変わらない場所、なのに、一人取り残されている気がする。
「あれ?・・・・・あんた、隣りの部屋の知り合いさん?」
頭上から降る声に顔を上げた輝は笑みを浮かべ自分を見下ろす男をぼんやり、と見つめる。
「・・・・・さっきの人・・・・・」
「あ、ここ良い?」
微かな声で呟く輝に構わず問いかけながらも男は目の前の席へとさっさと座りこむ。
「食べないのか、それ・・・・・早くしないと冷めるぞ。」
「・・・・・あ、はい・・・・・」
淡々と問いかけながらも自分のものに勢いよく被りつく男の前、輝は躊躇いながらももう大分冷めたモノへと手を伸ばした。
「俺、清水卓(しみずたく)ね、おたくさんは?」
「・・・・・蒔田輝です。」
「輝ね、それで、隣人に会いに来た理由は?」
「・・・・・ちょっと、それはあまり言いたくないかも、です・・・・・」
戸惑う輝に詮索はしないと決めたのか、卓はそれ以上は問いかけてこなかった。後はくだらない世間話を話しているうちに卓が輝と同い年だと判明した。高校卒業と同時に働き出した卓と大学に進み、バイト生活の輝では共通の話題はあまり無かったけれどノリが良いのか人見知りしない卓の話は素直に面白くて輝は暗い気分が払拭されるのを感じていた。
「ありがとう、付き合ってくれて、おかげで楽しかった。」
「・・・・・いいよ、それより、この時間ならいるんじゃないのか?・・・・・ほら、もう6時になりそうだし・・・・・」
にこり、と笑みを浮かべ告げる卓に輝は携帯を確認するとそうだね、と呟く。立ち上がる卓につられ、輝は手元に置いていたバッグを握り締めた。
「・・・・・あの、じゃあ、俺ここで・・・・・ありがとう。」
「何で?・・・・・アパート行く方が楽じゃん!・・・・・送ってくよ、ついでだし・・・・・」
躊躇う輝の手から鞄を取ると先に歩き出す卓にそっと溜息を吐いた輝はその後を追いかけ歩き出した。
*****
昼間見たアパートが近づく度に輝の足は重くなってくる。 別れは簡単。だけど、その一言を告げるのも告げられるのも怖くてずるずると時を伸ばした結果がすぐ目の前にまで迫っている。こくり、と喉を鳴らした輝は鞄を持つ卓の後姿をぼんやり、と眺めるとそっと溜息を零した。
「卓!・・・・・俺、ここから呼び出して見るから・・・・・彼女がいたら悪いだろ?」
「でも、いきなり来たらびっくりしてくれるんじゃないのか?」
「・・・・・彼女の事知らないし、知らないヤツがいきなり来て驚かれるのも嫌だから、ここで、ありがとう。」
鞄を受け取り、携帯を取り出し手を振る輝に卓はあまり納得しない顔でそっか、と呟き輝を気にしながらも部屋へと戻っていく。その背を見送り、卓が部屋へと入るのを見届けた輝は深く息を吸い込んだ。鞄を持ち、そっと影に隠れる様に隅へと座りこむ。握り締めた携帯を持つ手が汗ばんでいるし、微かに震えている。 現実を受け止める為に何度も深呼吸を繰り返しながら携帯の画面を開くと何度もかけた電話番号を呼び出した。
佐崎蔵人(ささきくらと)フルネームでいれてある名前を確認した輝は暗闇の中、そっと恋人の部屋を見上げる。 彼女が出来たならもっと早く伝えて欲しかった。恋人はもう輝じゃないんだと、できれば一番先に本人からその事を告げられたかった。コールのボタンを押すと、呼び出し音が鳴る携帯を耳に当てた輝は唇を噛み締めた。 鳴り響く呼び出し音、二回、三回とコール音が続くそれは五回目に途切れた。
『・・・・・はい、誰?』
久しぶりに聞いた恋人の声に思わず声が詰まり輝はゴホッっと電話越しに咽る。
『・・・・・輝?・・・・・輝、なのか?』
躊躇う声に輝は電話越し大きく息を吸い込むと一気に言葉を吐き出した。
「突然の電話すいません、お話があったんです・・・・・ちゃんと言わないと俺が前に進めないから、だから、別れて下さい、今までお付き合いありがとうございました・・・・・さよなら。」
『は?・・・・・何言って、ひかっ・・・・・』
ぶちっ、と切った電話越しに戸惑う声が聞こえたけれど、携帯をそのままポケットへと仕舞った輝は鞄を引き寄せ立ち上がる。
「・・・・・ただの友人に会いに来たんじゃなくて、恋人だった・・・・・のか?」
暗闇の中聞こえる声に顔を向けた輝は帰ったはずの卓が立っているのに気づいた。鞄を握り締める手に力を篭めた輝は暗闇の中、はっきりとは見えない卓へとそれでも笑みを向ける。
「言いたい事は告げたから、もうここには来ないよ・・・・・色々、ありがとう。」
「それで良いのか?・・・・・だって、恋人だったんだろ?・・・・・なのに・・・・・・」
「良いんだよ。正しくないのは俺の方だったから、正しい道を歩むのを邪魔しちゃいけないだろ?」
「・・・・・もう、会えない?」
「ごめん、ここにはもう来ないから、用は無いし・・・・・元気で、会えて良かったよ、卓。」
困った顔で輝を見つめ問いかける卓にただ笑みを向けるとそのまま輝は躊躇う事なく背を向けると歩き出した。
「輝!・・・・・俺も会えて良かった、元気で!!」
夜と言ってもまだ夕方に近い時間だけど、閑散とした住宅街で大きな声で叫ぶ卓に苦笑を漏らしながらも輝は振り向く事なく歩きながら、ただ片手を上げる。歩き出してから鞄を持つ手がやけに重く気になる。本当は泣きたくてたまらない感傷が胸の中渦巻くけれど、歩を止めればその場に座りこみそうになるから輝はひたすら来た道を戻りだす。
「・・・・・あっ!!」
いきなり靴が滑り転んだのはアパートの影も形も見えなくなった場所だった。地面にぶつけた膝と辛うじて庇った顔は無事だけれど手もひりひりと痛む。情けない、最後まで締まらない自分に泣くのを通り越して笑いたくなってくる。地面に転がりいつまでも横になってては車が通れば無事じゃすまないと分かっているのに、立ち上がる気力が湧かなくて、ただ輝は肩を奮わせ声を殺し笑いだした。
- continue -
2000-01-01
すいません続きます。オチが書けなかった;・・・・・時間切れ?
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