happy days 前編

『来年こそ、ツリーを買おうよ、大きなツリーが良いかな。・・・・・そしたら、少しでもクリスマス気分になれるだろ?』
笑顔で来年の話をしていた去年のクリスマス。
これから先もずっと傍にいるって信じて疑わなかったあの日の俺達。
どこで間違えたのか、なんて失ったものを思い出す時はいつだってそんな事を考える。
今年もクリスマスが近い、と気づいたのはいつのまにか色鮮やかな電飾に飾られた街並みと、どうして気づかなかったのか分からない程、見上げる大きさのクリスマスツリーが駅の広場に飾られていたのが目に入ったからだ。
有馬理央(ありまりおう)25歳、独身、恋人はいないけど、不況といわれている世の中なのに、一応そこそこの職場に就職が決まり、正社員として働いている今年入社三年目のまだぺーぺー。
使えない、と散々文句を言われながらもしがみついていた職場でこの三年、必死に働いたおかげか、何とか使えない新人呼ばわりは回避されつつあった。
だけど、その仕事のおかげで失ったものが本当は自分の中で一番大切なものだと知ったのは、悲しいかな・・・・・失恋したその翌日だった。変わらないものなんて無いと知っていたはずなのに、どうして間違えたのか今でも分からない。
目に付きだした、カップルに一人ぼんやり、とツリーを見上げていた自分に気づいた理央は慌ててツリーから背を向けるとほとんど寝に帰るだけの場所へと変わった自宅への道を歩き出した。

「何で、俺はここに呼ばれてるのかな?」
「・・・・・数合わせ?・・・・・まぁいいじゃん!ほら、一人寂しいクリスマスは過ごしたくないだろ?」
ぼんやりと呟く理央の声が聞こえたのか同僚が笑みを向けると返す声にただ周りへと視線を巡らせた理央はそっと溜息を漏らした。
見渡した先にいるのは、女性5人。そして理央の横に並ぶのは男4人。騙された、と気づいた時には遅かった。誰が見てもこれは「合コン」と呼ばれる類の席だろう。何が「年末が近いから忘年会開こうだよ」と鼻の下を伸ばし、目の前に座った彼女に話しかけている首謀者の同僚へと目を向けた理央はさっきから話しかけようとする目の前に座る彼女の視線から逃れるように席を立ち上がる。
派手な服装、明らかに男を意識した女性陣から逃れるようにトイレへと向かった理央は鏡に映る自分があまりに情けない顔をしているからつい口元を歪める。「合コン」だと知っていたら絶対に参加しなかった理央を知る同僚はこの一年次から次へと断れない口実をつけて理央を飲み会という名の「合コン」へと誘いまくった。
クリスマスに振られた去年の自分を知っている同僚達の心遣いは実は迷惑以外の何者でもなかったのだけれど、理央にとって女性は基本付き合う相手にはならない。彼の性は悲しいかな、同性にしか反応しない。つまりは「ゲイ」一括りで「同性愛者」つまり未だに偏見に彩られている、そんな性癖の持ち主だ。女性がダメだというわけではない、一応過去に彼女だっていた事はあるけれど、基本は同性が好きな理央は性癖を誰にも暴露はしていない。もちろん「カミングアウト」をした一部の同僚だっている。「ゲイ」は「ゲイ」を見つけるとか、同じ趣向が分かるとか良く言うそれで、うちの会社にも一応それらしき人も何人かいた。
だけど、壁は高く果てしなく、世間に声を大にして言えるそんな度胸は無くて、紹介されるのはいつも女性だった。
一年前に振られた恋人も同性だった。ずっと続いていくと永遠を信じて疑わなかった自分を思い出すとどうしてそんな事を思っていたのかも分からない。体の相性も性格だって趣味だって、どこをとっても気が合っていた。だけど理央と彼の違う所が一つだけ。彼は女性を恋愛対象として見れる人だった。つまり、好きになった男は理央が最初で多分最後のこっちの世界では「のんけ」と言われる至極一般的な恋愛のできる人だった。「バイ」ならまだ分かるのに、「のんけ」を好きになった自分がバカだったのだと認められなくて、ずっと塞いでいたクリスマス。現実がいかに残酷なのか知ったあの日、心に決めた事、自分は絶対に二度と「のんけ」を好きにはならない。


*****


「大丈夫か?・・・・・まだそんなに飲んでないのに、心配するじゃんか!」
トイレへと顔を出した同僚の声に鏡越し視線を向ける理央に入り口に凭れた彼が笑みを浮かべる。
「・・・・・酔ってはいないけど、もう帰りたい、かな?」
「お持ち帰りでもしてみれば?」
「知ってて言うか?・・・・・冗談でも嫌だよ。」
「ゲイ」だとカミングアウトした中の一人、野添信也(のぞえしんや)を今度は直に睨む理央に彼は変わらずの笑みを浮かべる。
「もう一年だろ?・・・・・いい加減次にいこうよ。それとも、まだ忘れられない?」
信也の言葉に何も言わずに理央はそのまま横を通り過ぎると、席へと戻りだす。
「忘れてないから、次にいけないんじゃないか?・・・・・お前、ちゃんと引きとめてみた?」
「・・・・・無理だった。あっちは次にいきたくて仕方無かった。手を離すのが、俺に出来る事だろ?」
ゲイの自分を好きになってくれたそれだけで満足だったから、次の恋を見つけたいのなら、止める権利は自分には無かった。ちゃんと世間に認められる恋ができる彼をいつまでも引き止めるわけにはいかなかった。
今にも泣き出しそうに顔を歪めながらも笑みを浮かべる理央に信也は黙り込む。
結局「合コン」はいまいち盛り上がらず、誰一人持ち帰りをできる者もいないまま、寒空に男5人が支払いを折半して残された。
「・・・・・有馬が暗かったせいだよ!」
「あのなーだから、俺を呼ぶなって言ってるだろ。」
「寂しいクリスマスになって良いのか?」
「その日も仕事だし、別に困んないね。」
あまりにノリが悪い相手と絡んでいたのか、妙に不機嫌な同僚の言葉に淡々と返した理央はさっさとタクシーをみつけると帰りが一緒の同僚をさっさと押し込むと手を振る。
「理央!・・・・・タクシーに乗らないのか?」
「少し酔ったから歩く。じゃあな、信也・・・・・また会社で!」
呼び止める信也に片手を上げるとそのまま理央は街を華やかに彩るイルミネーションをぼんやり眺めながら駅への道を一人歩き出した。

どん、とぶつかったのは完全に前方不注意の理央のせいで、慌てて起き上がると相手の顔も見ないまま理央は深く頭を下げる。
「すいませんでした、お怪我はありませんでしたか?」
やっと顔を上げた理央の目に映った相手は無言のままただ理央を眺めている。だけど、深く帽子を被っているから相手の顔は良く分からずに理央は再度口を開いた。
「本当にすいませんでした!」
変わらず無言の相手にまた頭を下げると理央はそのまま背を向ける。
ぶつかっても動じない体格の持ち主だったらしく、彼は呆然と立ち尽くしたまま、何も言おうとはしないから、理央は一人だけ転んだ自分を恥じるように足早にホームへと歩き出す。
「理央!・・・・・ちょっと、待って・・・・・理央!!」
背後から慌てた声で呼び止められ近づいて来る男が確かに自分の名を呼ぶから、理央は足を止めると後ろへと顔を向ける。
帽子のせいで顔は分からない。だけど、その声には確かに聞き覚えがあり、今すぐにここから逃げ出したい気持ちが溢れ出てくる。
目の前に立つと、彼は今度は素早く被っていた帽子を外し、現れた顔に内心言い難い溜息が溢れでてくる理央は知らずに唇を噛み締めていた。今までは一度も会った事が無いのに、こんなタイミングで再会した彼は、理央の元彼、去年のクリスマスに別れたきり一度も会う事の無かった今津要(いまづかなめ)その人だった。


*****


「久しぶり、だよね。・・・・・元気だった?」
「・・・・・はい、そちらもお元気そうで。」
他人行儀な差し触りの無い言葉に理央もそっくり淡々と返す。
声をかけてはみたけれど何を話せば良いのか迷っているのか掴んだ帽子を手の中弄ぶのを視界の端に捉えた理央は顔を上げる。
「じゃあ、これで・・・・・さようなら今津先輩。」
今できる最大限の笑みを浮かべ告げる理央に要は眉を少しだけ顰め唇を引き結ぶ。そんな彼に頭を下げると自宅へと帰りつくためのホームへとそのまま向かいだす理央は駆け出したい欲求を必死に抑えこみ普通のペースを心がけゆっくりと歩く。動揺しているなんて悟られたくない、なけなしのプライドが邪魔をする。別れた男と会う最悪の日に溜息が尽きないまま、やっぱり「合コン」なんて出るものじゃないと理央に硬く誓わせる出来事でしか無かった。同じ街に住んでれば、いつかどこかでばったりなんて予測していた事で、今まで会わなかったのが不思議なのだから。同じ街に住んでいるのだから。そう何度も自分に言い聞かせながら、理央はホームへと辿り着いた。冷たい風が頬を撫で、完全に突然の再会に酔いが覚めてしまった理央の体をどんどん冷やしていく。
再会した要の姿を思い出したくもないのに、目を閉じても開いても、さっきの姿が脳裏に鮮やかに描き出されていく。唇をぎゅっと噛み締め、両の掌を強く握り締めても痛みよりも鮮やかに思い出す姿に鼻の奥が痛くなってくる。
好きで堪らなかったのは顔、そして長い指。くっきりした二重の瞳、形の良い鼻、薄い唇の感触だってまだ一年しか経っていないのだからすぐにでも思い出せる。あの長い指に絡め取られる自分の髪を毎日ケアしていた事、初めて抱かれた時はこのまま死んでも良いと内心思ったくらい嬉しくて堪らなかった。同性の自分に反応してくれた、愛しい性器にまで欲情したあの頃の自分。舐めて銜えて、彼に抱かれるそれだけで嬉しかった自分を思い出し、理央はすぐに別れの場面も同時に思い出す。
「愛さえあれば何もいらない、なんて嘘でも言えない。分かるだろう、このままじゃダメだって事ぐらい・・・・・」
押し殺した低い声に理央は何も言えなかった。だから無言で頷いた。背を向け立ち去る彼の姿を必死で目に焼き付けた。玄関の重い扉の閉まる音で現実は自分にはやっぱり残酷だとベッドに顔を押し付け声を殺して泣いたあの日。
去年の事だと過去の事だと蓋をして鍵までかけていた箱の中を穿り返された気がして理央は重い溜息を吐いた。
もうすぐ電車が来る事を知らせる放送が流れ出し、すぐに電車の向かってくる音がし、目の前にゆっくりと電車が入ってくる。
終電も近い電車に乗る人の数もまばらで、もちろん乗っている人だってまばらだった。
忘れたはずの思い出を穿り返された最悪な日へと変わった今日の恨み言を言える相手もいないまま理央は空いている席へと座った。動き出した電車の中、外を見るけれど、暗闇は何も映しはしなかった。

「奇遇だね、電車も一緒だなんて・・・・・あそこで別れる必要は無かった、かな?」
突然降り注いだ声に顔を上げた、理央の目の前でにやり、と笑みを向けてきたのは、要だった。ホームにいる気配すら感じなかったのに、疑問からなのか、眉を顰める理央の目の前要はただ苦笑を返してきた。
「隣り、良い?」
「・・・・・どうぞ」
他にも空いている、とか言いたいのに言えないまま、問いかけにぼそり、と呟く理央の横、要はゆっくり、と座りこむ。隙間はほんの5cm、なのに、隣りに座る彼の温もりはもう自分に与えられる事は二度と無いとそれだけが頭の中を駆け巡る。会話もなく停車駅が近づき立ち上がる理央の横、要も当然の様に立ち上がる。
「・・・・・住む場所、変わったの?」
問いかけながらも愚問だと思う。たかが一年、けれどやっぱり一年前とは変わっていて同じなのだから、住む場所が変わるなんて事もありうる事なのだろう。あまりにバカな質問だったと自己嫌悪に落ちる理央の横に立った要は俯いた彼の頭へと視線を動かす。
「変わってないよ、俺の住む場所も連絡先だって変わってない。・・・・・変わったのはお前だろ?」
小さな声で低く呟く様に告げる要に理央は肩を震わせる。停車する時のブレーキ音が耳に響き、ドアが開き、降り出す人に紛れ、理央は逃げる様に改札口へと向かう。動揺なんて見せたくない、そんな虚勢を貼っていたのも忘れて、改札を抜けても、それでもまだ走る。駅を抜け、目に眩しいクリスマスツリーを見上げた理央はようやく足を止めると張り詰めていた息を吐き出した。
「都合が悪くなると逃げ出すのは、いつもお前だよな。」
背後からかかる声に理央はただツリーを眺めたまま立ち尽くす。振り向かなくても誰かなんてすぐに分かる。追いかけてきた理由が分からずにそれでも、顔を見るのが怖くて、理央は両手をそっと握り締める。
「・・・・・今更、俺に何の用ですか?」
顔を見る事はもちろん振り返りもせずに、近づいて来る足音に呟く理央のすぐ後ろでぴたり、と足音は止まる。
「もう一度会って話がしたかった、からかな?・・・・・こんな機会もう二度と無いだろうから。同じ街に住んでるのに、本当に会わなかったよな、俺ら。」
「俺には話す事なんてありません。・・・・・早く帰りたいんです。」
「恋人ができた、とか?・・・・・もう一年だし、おかしくないよな?」
「・・・・・話って何ですか?」
苦笑と共に呟く要に理央はやっと振り向くとその言葉を遮るように切り出した。本当にすぐ近くに立っていた要はもう少しで触れ合えるそんな距離に立っていた。でも遠い、凄くと言い聞かせ握った両手に力をこめると理央は顔を上げ真っ直ぐに要を見る。
「・・・・・雑談はいらない、か。今だから、きっと聞けると思うんだけど、何で頷いたの?・・・・・俺の言葉に簡単に頷いた、それで俺達は終わりました。ねぇ何で、何か言いたい事とか本当に無かった?」
別れたあの日の事は理央の中、鮮やかに思い出せるまだ胸の痛む記憶だ。何度思い出しても胸の痛むあの日を口にする目の前の男から理央は本当に今すぐ逃げたかった。だけど、すぐ捕まるそんな簡単な事も分かっていたから、瞳を伏せると大きく息を吸い込む。
「・・・・・別れたいと思っている人を止める権利なんて俺には無いから。・・・・・でも、そうですね、お礼だけは言わないといけなかったんですよね。好きになってくれてありがとうございました。心から先輩の幸せを祈ってます。」
深く深く頭を下げると告げる理央はそのまま踵を返す。
「理央?!」
「・・・・・もう話す事は無いし、俺は先輩には二度と会いたくありませんでした。・・・・・良いクリスマスを!」
背を向ける理央を呼び止める声に片手を上げると目の端に映るクリスマスツリーを思わず見上げる。
『来年こそ、ツリーを買おうよ、大きなツリーが良いかな。・・・・・そしたら、少しでもクリスマス気分になれるだろ?』
懐かしい言葉とその時の気持ちが心の奥底から一気に湧きあがり、理央は呆然と足を止める。ずっと傍にいてくれると信じてた、信じていたかった。好きで好きで堪らない自分のほんの少しでも良いから、好きでいて欲しいそれだけを願っていた。仕事でどんなに辛くても会えば忘れられた、笑顔も取り戻せた。だから、望む事はなんでも叶えてやりたかった。それが別れでも望むなら、黙って頷くそれが最良だと信じていた。好きになってくれたんだから、潔く別れよう、思いが通じたその日から理央はそれだけは心の片隅にずっと置いていた。その時がやっぱり来たのだとあの日、言われた言葉を神妙に受け止め頷いたのは理央の方だ。とても円満な別れだった、と思うのにどこが間違っていたのか理央には分からなかった。ただ失った恋が悲しかったから、泣いただけで、取り戻したいとも思わなかった。ずっと、と願っても本当は無理だと気づいていたから。


クリスマス短編のつもりが二回に分ける事に。しまった、終わらない。

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