波の音に混じり泣き声が聞こえる。足を止めて辺りを見回す少女の長い髪がその度にふわふわと揺れる。長めのワンピースに隠された白い足の先は裸足、再び聞こえる泣き声に止めた足を動かし出し、やがて走り出す。 寄せては返す波が少女の足跡さえも綺麗に消していく。 いつのまにか啜り泣きもそこにいたはずの少女の姿も消えた砂浜にはただ規則正しい波の音だけが響いていた。
夏といえば、海に花火に最たるものは彼女との×××、とかイベントが盛り沢山のはず。 そんな確固たる自身の元、夏休みが近くなる頃には恋人成立なんて事を普段は少しも祈ったりしない神頼みだってしてみたのに、彼女の『か』の字も見当たらないぴちぴちの17歳のカイチ。恋も今が盛りなんだと言わんばかりに少しばかりの筋トレをしてみたり、元々どこにでもいる顔は仕方ないとして、自分に合う服や小物だって身につけて男も磨いているはずなのに、彼女のいないまま、17の夏は既に半分は過ぎていた。 扇風機の回る蒸し暑く狭い部屋の中、今頃可愛い彼女が隣りにいるはずだったのに、と妄想を抱きながらカイチは目の前の男を眺める。 ナンパすれば百発百中の成功率を誇る見た目も頭もついでに家柄もそこそこの幼馴染のシマは何故かカイチと同じ部屋の中、同じく夏休みの課題をシャーペン片手にすらすらと書いている。 こっちがうんうん唸ってやっと一問解けたと安堵している横でまさに書いているシマを見たカイチは泣きたくなる自分に溜息をつい零した。
「何だよ、お前。 いきなり、どこが分かんなかった?」
「全部! ってか、何でシマがここにいんだよ!」
「・・・・・は? 可愛い幼馴染のカイチが夏休みの課題が終わらないとメールしてきたから、だろ?」
「彼女は? 夏だよ、可愛い彼女はどうした?」
「いねぇーよ! 女なんて面倒だろ? 来年受験なのに、何浮ついてんだよ!」
テーブルにうつ伏せ駄々を捏ねるカイチの頭を手にしていたシャーペンで軽く叩きシマは呆れた様に呟く。 実はさっきからこの繰り返しでカイチの課題は一向に進んでいないのだと言いたい言葉を飲み込みシマはすっかり汗もとい水滴の張り付いたジュースの入ったコップを手にする。
「海、行きたい! 山でも良い! んでもって、遊びたい!!」
この際彼女は良いからと、手にしたシャーペンを投げ出し騒ぎ出すカイチにシマはそっと溜息を零すとジュースをこくり、と口に含む。すっかり温くなった液体は微妙に気持ちが悪くて微かに眉を顰めたまま課題に手をつける気は無さそうなカイチへと目を向ける。 「そんなに不満なら海にでも行くか? 丁度良いタイミングなのか分からんけど、親戚がバイト探してるんだよ期間限定で。ちなみに近くに海があるけど仕事はきつい。どうする?」
のんびり、と告げるシマのその問いかけにカイチは深く考えずに立候補した。海の近くで働ける=水着姿の可愛い女の子を見れる!その図式が頭の中に浮かぶ。「仕事はきつい」シマの最後に告げた一言はカイチの中には残ってもいなかった。
碧い海、見渡す限り続く青い空と碧い海そして、ぎらぎらと照りつける太陽を眺めカイチは日傘変わりにもならない麦わら帽子を深く被ると砂の上を肩に食い込むクーラーボックスを抱え歩き出す。 シマの紹介したバイト、それは海の家ではなく海の近くにある民宿でのバイトだった。夏は海まで民宿に泊まるお客さんが事前に頼んでいた飲み物や食べ物を届けに行くなんて事までやる。 朝から夜まで部屋の片付け、食事の準備、お風呂掃除など盛り沢山の仕事が待っていて、とても目の保養なんて言ってる暇は無かった。 照りつける太陽は容赦なくカイチの肌をじわじわと焼き、Tシャツに短パン、麦藁帽子でクーラーボックスを担ぐカイチに声を掛けてくる女の子なんているわけもなく、バイトも三日目で流石に根を上げた。
「もう、ダメ! 家に帰りたい、遊びたい、辛い苦しい、しんどい!」
「・・・・・横になるならもう少しずれろって! だから言っただろ、きつい仕事だって・・・・・」
目先の誘惑に釣られるからこうなるんだ、と呆れながらも日に焼け可哀想なくらい赤くなった肌にひんやり、低刺激のオイルを塗ってマッサージしてくれるシマにカイチは文句を言ってた口を閉じる。 カイチがクーラーボックスを担ぎ海へと頼まれたものを配達している間もシマは民宿の掃除にこき使われている。疲れてるのはシマも一緒なんだと思い直し、カイチはマッサージをしてくれるシマを見上げる。
「・・・・・ごめん、シマも大変だよね。 オレが行きたいなんて言ったから・・・・・」
「別に。紹介した俺が来ないのは変だろ? それより、外回りはやっぱり俺が行こうか? これ以上外に行ったらお前酷い事になるぞ?」
日に焼けて肌が黒くなる、なら良いけれどカイチは元が白い肌だから日に当たれば当たるほど赤くなる。ひりひり、と痛みまるで火傷をした肌になっている腕や足、顔と首は麦藁帽子のおかげと初日の陽射のあまりのきつさにシマからタオルとサングラスを渡されたおかげで何とかなっているけれど、腕と足は凄い。これ以上は無理だろう、と告げるシマにカイチはただ瞳を伏せる。 実際問題、歩くのも辛い、人と少しぶつかるだけで、日に焼け赤くなった肌は痛み、服を着るのも難儀だ。 こうして4日目からは中の仕事はカイチが、外の仕事はシマが行う事になった。
*****
バイト生活も既に二週間目ともなると仕事の手際を覚え最初に比べると随分早く終わるようになった。クーラーボックスを担いで配達に向かうシマはすっかり日に焼けて、元々背が高くがっちり、とした体格はしていたけれど、更にはだが黒くなりますます精悍さを増していた。おかげで、民宿の客でも無い海に来た女の子達がシマの後を付いてくるなんて事もここの所頻繁に起こっていた。
「どこにいてももてるね、色男!」
厨房の片隅でジャガイモの皮剥きをしながらぼそぼそ、と告げるカイチにシマは何も言わずに肩を竦める。三日で根を上げ、色が黒くなるどころかじんじん、と火傷し真っ赤になった腕と足では外での作業は無理だと自分でも分かっているカイチはすっかり落ち着き元の白い腕と足になった自分のものとシマの腕や足を比べては凹む。どんなに男を磨いても肝心な所でダメなんだと凹むカイチにシマは何も言わずに苦笑を浮かべると「そういえば」と話を変える。
「聞いたんだけど、今夜はこの近くの神社でお祭りがあるんだって。 花火も上がるらしいし、見に行く?」
「・・・・・夏祭り?」
「うん。 どう、夏は花火なんだろ? 見に行く?」
シマの問いかけにカイチはこくり、と頷くから笑みを返しながら「これ、早く終わらそう!」とジャガイモの皮剥きを再開する。 そんなシマの隣りでカイチも夜の花火を楽しみに目の前の仕事を再開させる。 厨房の片隅にちょこん、と座った凸凹コンビはそれから先は無言で皮剥きへと専念しだした。
早めにノルマの仕事を終わらせ許可を貰った二人は神社へと向かう道を仲良く歩き出す。 色とりどりの看板やお馴染み、どこかで見覚えある旗や屋台が並ぶ道を立ち止まりながらも二人は花火が一番見えそうな神社の境内へと向かう。
「おーっ、見晴らし最高! ここなら見えそうだな」
「うん! それにあんまり人いないみたいだね」
思った通り、見晴らし良い境内からの景色を眺めながら告げるシマに辺りを見回しカイチが頷く。カイチの呑気な言葉にシマは慌てて背後の暗い境内の周りへと目を向ける。確かに暗いし、静かだけれど、微かに眉を顰めたシマはなるべく暗い場所に近づき過ぎないようにカイチを促し、境内から続く階段の方へと向かう。
「シマ? ここじゃ、来る人の邪魔にならない?」
「・・・・・あそこよりはまし! 確かに人は少なかったけど、明るかったら凄い事になってたよ」
気づいていないカイチの呑気な問いかけにシマは溜息交じりに告げる。風も無いのに揺れる葉、微かに聞こえる乱れた息遣い・・・・・人気が無いどころか、明るくなった花火の下、ちょっと想像したくない光景が広がりそうだと思うシマに鈍いカイチはただ不思議そうに首を傾げる。夜に最適なやばめスポットだと告げた同じ民宿で働く地元の従業員の言葉を思い出しシマは彼が妙ににやけていたのをついでに思い出し未だに気づかないカイチの耳元へと唇を寄せる。
「見えないけど気配はしたよ、秘密の行為に勤しむ人達の」
「え? あ・・・・・・・そう・・・・・」
告げるシマの言葉に鈍いカイチもやっと気づいたのか段々とその顔を赤くして呟く語尾も小さくなる。そんなカイチの頭をぽんぽん、と軽く叩くシマは「だからここにいよう!」と来る途中に適当に買ってきた食べ物を袋から取り出し始める。
念願の花火の打ち上げが始まったのはそれからすぐ。階段の最上部に二人並んで座りこみ丁度顔を上げずとも見れる次々と打ち上げられる花火を眺めている内に背後の事なんてすっかり記憶の彼方へと飛んでいた。 隣りに座るのが幼馴染の男であろうとも、打ち上げられる花火の綺麗さは変わらなくてカイチはじっと次から次へと空に大輪のカラフルな花を咲かせる夏の風物詩をじっと眺める事に夢中で、隣りに座るシマがそっと欠伸を噛み殺している事にも気づかなかった。
「終わった、のかな?」
「・・・・・・そうかもな。帰る奴らもいるし、俺等も帰るか?」
立ち上がりかけ食べ終えた残骸をしっかり片付けながら問いかけるシマに花火に魅入っていたカイチはのろのろと立ち上がる。その時だった。
「すいません! こちらは××で良いんですか?」
いきなり問いかけられ振り向いたカイチはいつの間にそこにいたのか今の今まで気づきもしなかった気配に肩をぶるり、と奮わせる。 そこにいたのは浴衣姿の若い女の子、今どきの子にしては珍しく緩く三つ編みにしたおさげは黒髪、思わず上から下まで眺めたカイチはその子が下駄を履いているのに気づくと隣りに立つシマへと目を向ける。
「・・・・・××はここじゃないんじゃないかな? ごめん、地元の人間じゃないから知らないんだよね」
形ばかりの笑みを浮かべ淡々と告げるシマに彼女は何も言わずに背を向け歩き出す。ぞくぞく、と背筋に走る悪寒に思わず拳を握り締めたカイチは平然とした顔を崩さないシマをじっと見つめる。
「・・・・・あの下駄、歩いても音が出ないタイプ? そんなのあるのか?」
微かに呟くその声にカイチは何も言わずにシマの服の端っこを握り締める。
「カイチ? どうした?」
「・・・・・・あれ・・・・・・あの子・・・・・・・」
巧く口が回らないのか、言葉が出て来ないカイチの背を思わず撫でるシマの腕に縋りつく様に手を伸ばしたカイチは大きく息を吸い込む。 「・・・・・・人、じゃない・・・・・・」
呟くと瞳を伏せるカイチはシマの腕をぎゅっ、と握り締めてくる。 渦巻く疑問は確かにあったけれど、シマは縋りつくカイチを引きづる様に民宿への道を歩き出した。
*****
辿り着いたバイト先である民宿の自分達が寝泊まりしている部屋についてもカイチはシマの腕を離そうとせずぴったり、と張りついている。そんなカイチを連れシマはとりあえず外での汚れを落とすためにまずは浴室へと向かい、体の汚れを落とし、再び部屋へと戻る。その間もカイチは無言でシマから離れようとはしない。 部屋に常備されている冷蔵庫から冷たい飲み物を取り出し、一気にそれを飲み干したシマは一息吐くと、離れようとしないカイチの顔を覗きこむ。
「カイチ、で、あれは何? お得意の生きてない人?」
「・・・・・・お得意って何だよ・・・・・ここでは会わないと思ってたのに・・・・・・」
のんびり、と問いかけるシマに大きく溜息を吐き出したカイチは擦れた声で呟く。 幼馴染とはお互いの他人に言いたくない事まで良く知っている存在だ。カイチとシマもそんな幼馴染、物心ついた時にはお互いの意思に関係なく隣りに常にいた存在である互いの事は誰よりも知っていると自負もしている。 霊感がある、と言われるテレビで活動している霊能師、霊媒師と呼ばれる人達のどれだけが本物なのかをシマは知らない。だけど、目の前で自分の腕を握り俯く幼馴染がそれなりの霊感を持っているのだけは知っている。現実主義だと公言して憚らないシマが唯一認める幽霊がいるという事。それを信じさせたのは、カイチの存在だった。
「どこにいてもおかしくない存在なんだろ? ここにいたって変じゃない、だろ?」
「・・・・・・でも、そんな気配今まで感じなかったのに・・・・・」
「もうすぐお盆だし、帰ってきたのかもよ?」
「・・・・・この近辺には墓は無いし、新興住宅街だって聞いてる。 どこに帰る家がある?」
下調べはしてきたのだろうカイチの戸惑う声にシマは微かに溜息を零すとぽんぽん、とその肩を宥める様に叩く。
「夏は多いんだろ? 海があるんだ、記録に残ってなくても、人はそれなりにいたのかもよ?」
そっと呟くシマにカイチは力尽きたかの様にごろり、と横になる。
「カイチ?」
「・・・・・これさえなければ・・・・・皆が楽しいと言える様な肝試しだって参加できたのに、何で、オレだけ・・・・・」
顔を腕で覆いかくし呟くカイチの頭をそっと撫でるとシマは立ち上がり締め切ったままの部屋の窓を開ける。冷たい風がすっと入ってくるそれに微かに目を細めたシマは外へと目を向ける。 闇夜に月明かりが妙に眩しく感じるそれだけで何の変哲も無い夜空をカイチが見たらどんな風に見えるのか、子供の頃から何度も考えたけれど、シマは再び思い出したその考えをそっと心の中で呟く。同じ景色を同じ視界を一度は見て見たい。
- continue -
コメディのつもりで書き出したのですが、一向に進まないのは計画不足? 夏が終わるまでに終わらせたいかと;(無理かな?) 20100823
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