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ジリジリと肌を刺す太陽を帽子越しに見上げた彼方(かなた)は座っているだけで滲んでくる汗を拭うと出かけに途中のコンビニで買ったペットボトルのお茶を取り出した。 生温くなったお茶が喉越しに流れてきてその感触に眉を顰めると彼方は携帯を取り出した。 片手で無いよりはましだと思い直したお茶を飲みながら携帯を操作するとメールを一通開いた。
《駅前に10時に。・・・話がしたい》
簡単で短いメールへと目を走らせた彼方は時計の画面へと戻し深い溜息を漏らした。 デジタルは無情にも既に約束から1時間以上も経っている事を彼方に知らせる。 11時28分 待ち人は未だその影すら見当たらなかった。
真夏の恋はまるで花火の様にパッと勢いよく燃え上がり暑い夏の終わりと共に冷めていく。 そんな恋だとは思ってもいなかった。 夏だから恋をしたのでは無くて、たまたま夏には恋に変わっていたのだと言えればいいのかもしれないけれど、少なくとも彼方はこの恋を大切にしたいと思っていた。 正しいとか間違いだとか恋にそれが当てはまるなんて思わなくて、あの人にちゃんと別に好きな人がいることも気づかないフリをしていた。 本当は始まる前から彼方が認めたくないだけで、無謀な恋だと周りの友人からは反対されていた。 他人の物なのだと何度も言われたのに忠告すら耳に入らないままどんどん溺れていった彼方を彼がどんな目で見ていたのかは気づきたくもなかった。 いつまでも来ない人を待つだけの自分にやっと苦笑すると彼方は立ち上がる。 結局一度もまともに言えなかった告白だけがまるで消えかけの夏を惜しむ様に胸の中いつまでも燃え続けていた。
*****
「・・・バカじゃねーの」
「ーーーっ!・・・面と向かって言われると、何かすかっとするよね。」
笑みを浮かべる彼方に友人の幸治(こうじ)は居たたまれないのか眉を顰めると彼方へと腕を伸ばした。 温もりに引き寄せられて彼方は瞳を一瞬閉じるけれどもがくと離れようと幸治を押しのける。
「・・・幸治!・・痛いから!」
「ああ・・ごめん。・・・それで、あいつからは何かその後あった?」
「何も。・・・もう、良いよ。良いんだ。」
笑みを崩さないままの彼方に幸治は舌打ちをする。
「今度、やつに会ったら、絶対殴ってやれよ!・・・彼方の純情な気持ちを弄びやがって。」
軽く親指の爪を噛みながら苛々と告げる幸治に彼方は何も言わずに笑みを浮かべた。
恋が叶って浮かれていた彼方の心を粉々に砕いたのは、あの夏の花火大会の夜だった。 どうしても都合が悪いという彼の言葉に彼方は幸治や数人の友達と見に来ていた。 道行くカップルが堂々と手を繋ぎ、肩を並べ歩くのを羨ましいと思いながらも、適当な場所を取り夜空を彩る大輪の花をぼんやり、と眺めていた彼方は腕を引かれ見たくもない現実を見せ付けられた。 彼女がいると知ってはいたけれど、あまり上手くいってないと噂でも流れていたし、本人だって別れるのは時間の問題だと言っていた。 なのに、仲良く腕を組み歩く姿はとても別れが迫っている二人には見えなかった。 遠目だからはっきり顔も見えない、もしかしたら他人の空似の勘違いかもと彼方は止める幸治の腕を振り払うともっと近くへと歩いて行く。 真正面から見る勇気は流石に無くて元々いた場所が高台だったからどうしても見下ろす感じになるけれどそれでも間近に見える場所までふらふらと移動した彼方は二人を探し辺りを見下ろした。 カップルで多い花火大会でただ一組を見つけるのは無謀だと分かっていてもきっちり確かめたくて、花火が鳴る度に明るくなる場所へと必死に視線を巡らせた。
結局見つからなくて仲間の元へと、とぼとぼと歩き出した彼方の目にそれはいきなり入って来た。 認めたくないけれどそれが現実だと認めざるえないカップルの姿に彼方は呆然とその場へと立ちつくす。 手を繋ぎ、肩を寄せ合い花火を眺めていた彼女が耳元へと話しかけるのに答えようと彼女に顔を向けた男の顔が一瞬呆然と彼方を見やる。 目を逸らし、仲間達のいる場所とは正反対の方向へと走り出した彼方は人で賑わう場所から外れると、一人、暗闇の中座りこむ。 暫く立ち上がる気力も湧かないまま座りこんだまま、花火の上がる音だけが耳に残ったあの夜。
ただの噂をバカみたいに信じて、口先だけの言葉を鵜呑みにしていた自分が惨めでその後合流した仲間の前でもバカみたいに笑っていた自分を思い出した彼方はその後花火大会では姿も見なかった彼から届いたメールを思い出し溜息を零した。
*****
まだ歩く度にじっとりと汗を掻く体が不快で帰宅すると真っ直ぐシャワーを浴びに浴室へと向かう最近は携帯を開くのも人心地ついてからで、その日もシャワーを浴びた後、暫くテレビを見ながらジュースを飲み寛いでから携帯のチェックをした。 バイト先の仲間からの時間変更のメールや友達からの着信に混じり入っていたメールのあて先に背筋に冷たい汗が流れるのを感じながらごくり、と唾を飲む。
《羽生恭司(はにゅうきょうじ)》
この夏、彼方が恋をした男の名前だった。 メールで会いたいと言っておきながら何の断りもなくすっぽかされた相手。 彼方にはもう関係の無い相手だと思うのに、また幸治にバカにされるネタなんか作りたくないのに名前をじっと凝視したまま彼方は溜息を零す。 一端メールを閉じると作成画面へと移動してそのままたった5文字の言葉を躊躇いながらも震える手で打ち込み送信を押す。 こんな簡単な事を今までずっとできなかった。 まだ彼方はたとえ騙されていたとしても好きだから・・・夏の間だけの恋にしたくなかったのに、しょうがないと思う。 彼女がちゃんといるのに、ほんの少しでも夢を見せてくれた彼を思い浮かべると彼方は携帯の電源を落とすとそのまま横になる。 もう何も考えたくなくて手にしていた携帯を投げ出すと彼方は仰向けになると瞳を閉じると掌で顔を覆う。 もうすぐ終わる夏と共に心の中でまだ燻っているこの恋を忘れてしまいたかった。
「・・・待てよ!・・・逃げんな!!」
学校を出てすぐに遠目からでも判別がつくほど気になるけれど会いたくない人を認め反射的に逃げ出そうとした彼方は腕を捕まれると脇道へと連れこまれる。
「・・・腕、痛い・・・離して!!」
「・・逃げないなら、離すよ・・・俺の顔見て逃げないでよ。・・・結構、傷つくじゃん!」
ただこくこくと頭を振り頷く彼方を真っ直ぐ見つめたまま恭司は掴んでいた手を離す。 離された腕をさすりながらじっと見つめる視線から顔を逸らすと彼方は面倒そうに口を開く。
「・・・・何?」
「・・あのさ、話たいんだけど・・・俺のメール見た?」
「もう、関係ないし・・・話す事もないから。」
それじゃあ、と去ろうとする彼方を恭司は慌てて壁に手をつくと押しとどめる。
「待てよ!・・・あのメール、何?・・・俺と終わりにしたいって事?」
「・・・もう、終わってるし・・・俺は羽生とは二度と関わらないから安心してよ。夏も終わるし・・・二度と付き纏わないから。」
「・・・何、それ?・・・何言ってんのか、分かんないんだけど・・・・」
「さようなら、羽生。・・・遊んでくれてありがとう。・・・もう、いいから・・・」
本気で眉を顰める恭司へと淡々と口を開いた彼方は彼を押しのけると走り出した。
「・・・っ!・・・彼方!!!」
背後から叫ぶ恭司の声を聞きたくなくて彼方はこれが精一杯な程の全速力で駆け抜ける。
*****
見慣れた駅まで来ると彼方は入り口の前で足を止める。 乱れた呼吸を必死で整えると鞄を持ち直し駅の階段を上り始める。
「・・・っ!」
「逃げるな、って・・・言わなかった?・・・俺の話は終わって、ないんだけど・・・」
肩で息をしたまま、必死で言葉を繋ぐ恭司に彼方は上がりかけた階段の上から呆然と捕まれた腕を見る。 捕まれた腕から伝わる熱と痛みに彼方は眉を顰めると溜息をそっと零し口を開いた。
「・・だから、腕・・・痛いんだけど・・・」
「悪いけど・・・二度目は無いよ。・・・話が終わるまで離さないから・・・」
彼方を見上げるときついまなざしで彼を見る恭司に彼方は深い諦めの溜息を漏らした。 腕を引かれ、駅の近くへと連れ込まれるとベンチへと強制的に彼方を座らせると恭司は腕を掴んだまま隣りへとどかり、と腰を降ろした。
「俺に・・・話す事は無いって・・・」
「・・・彼方に無くても俺にはあるって言っただろ・・・まともに会ってくれないし、メールの返答はアレだし・・・言い訳くらい聞いてくれないわけ?」
「まともに・・って。すっぽかしたのそっちだろ?・・・それに、あれで俺は終わったと思ってるし・・・」
「それは急な用事で・・・行けなかったから、遅くなったけど・・・メールは送った。」
「・・・だから、・・・もう、良いよ。無理するなよ・・・羽生には女の子の方が似合ってるよ、だから・・・全部無かった事にしてよ・・・」
「全部って・・・俺に告白した事?・・・勢いでヤッた事?・・・・」
大声で問い返す恭司に彼方は周りに目をやりながら頷く。 誰もいない夕暮れなのに内心ほっとしながら恭司へと顔を向ける。
「もう、忘れてよ・・・暑さのせいで俺もどうかしてた・・・だから・・・」
声を少しだけ潜め呟く彼方の目の前で恭司は腕を掴む手に力をこめてきて、痛みに眉を顰め顔を上げる彼方を睨み付けてくる。
「ふざけんなよ!・・・勝手に自己完結してんじゃねーよ!・・・彼女がいてもいいからって告白したよね、お前・・・それって、ひと夏だけでいいからの意味だったわけ?」
「・・・っ!・・・・い、たい・・・」
「俺は結構真剣に考えたのに、人の事バカにしてるわけ?」
ぎりぎり、と腕を掴む力を強めてくる恭司に彼方は瞳を伏せたまま呟く。 それでも恭司は腕を掴む力を弱めることなく無理矢理彼方を立たすと公園の人のほとんど来ない場所へと連れて行く。 夕方も昼間でも人通りがあまりない鬱蒼と茂った森みたいな薄暗い場所まで来ると恭司は木の幹へと彼方を押し付ける。
「・・・羽生・・・?」
躊躇いながらも名を呼ぶ彼方の顔を幹へとぎりぎりと押し付けた恭司は背後から彼方の耳元へとそっと呟いた。
「もう、二度と会わないなら・・・最後にやらせてよ・・・」
冷たい汗が背中に流れる。 顔色を変えた彼方を押し付けた力を緩める事なく恭司は彼方の首筋へと舌を這わせる。
片手で両手を幹に押し付け押さえつけた恭司は開いた片手でシャツの上から胸元を弄りだしながら首筋から耳元へとねっとりと舌を這わせ舐めてくる。 生温い舌の感触と肌を伝う少量の唾液に彼方は足を奮わせながら口を開く。
「・・・いや、だよ・・・止めて・・こんなの・・・おかしいよ・・・」
「何で?・・・これで、最後にしてやるんだから、おとなしく流されろよ」
ふるふると頭を振り拒む彼方の両手を押さえ直すと恭司は首筋へとぢゅっと音を出しキスをする。 赤く色づいた印を舐めると口元に笑みを浮かべ口を開く。
「・・・すぐに終わるよ・・・お前が抵抗しなければ・・関わりたくないんだろ?・・・夏が終わったら、俺はもういらないんだよね?」
「・・・いらないのは、羽生の方だろ・・・彼女の良さに目覚めた?・・・やっぱり、柔らかい胸とか柔らかい体の方が抱いても気持ちいいだろ・・・」
鼻を啜りながら、呟く彼方に恭司は手を止めると彼方から手を離す。 力無く座り込むと幹に顔を押し付け泣き出した彼方の啜り泣きの声だけが公園の外れの森の中に響く。 恭司はそんな彼方の前で暫く立ち尽くしていたがそっと同じ様に座りこむ。
2へ続きます。
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