受験生に休みはないといっても過言では無い程、頑張らないといけないと思わせる渡されたばかりの判定結果に眉を顰め溜息を吐いた真紀は上を見上げる。 冬空にはどんよりと雲がかかり、受験生の気分を奮い立たせてくれるどころか下降させていく気がする。
「真紀〜!お前も、いま、帰りだったんだ!!」
背後からの声と同時に駆け寄る足音に真紀は後ろへと顔を向け、苦笑を浮かべる。
「相変わらず、余裕の顔だね、直毅」
近づいて来た親友直毅の晴れやかな声に益々下降していく自分を自覚しながら呟く真紀に直毅は瞬きを二、三度繰り返すと苦笑を浮かべる。
「その分だとあまり思わしくない結果だったとか?」
「聞くな!」
「・・・・・専任の家庭教師はどうしたんだ?」
「それは・・・・・薫さん、忙しいからってほとんど家に帰ってこないんだよ」
呟く真紀はつい脳裏に思い浮かべた義理の兄で恋人でもある男の顔を頭を振り追い払おうとする。そんな真紀の横、並んで歩きながら直毅は何も言えずに頼りなさそうに落ち込んでいる気がする肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「明日から冬休みだろ、そしたら帰ってくるんじゃないのか?」
「・・・・・そうかな?」
学校は休みに入るけれど、遠くに滞在中の両親からは年末ぎりぎりに帰ってこられるかどうか、と口を濁され、薫ともこの半月まともに顔を合わせてもいないから、もちろん会話もなかった。一応一軒屋の家に一人、取り残されているそんな気分でこの半月まともに勉強すら手につかなかった真紀は再び溜息を吐いた。
『ごめんね、やっぱり無理そうなのよ』 仕事に目途がつかないと両親からの電話がかかってきたのはクリスマスの日。一人、ぽつん、と残された部屋で適当に店で買った料理をつついていた夜だった。申し訳なさそうに謝る母親に「仕方ないよ、仕事頑張って!」と逆に慰めて電話を切ると真紀は薄暗い部屋の中、尽きない溜息を零した。街に出れば鮮やかなイルミネーションが形を作り、楽しそうなカップルや家族を見かけ、気分はますます下降する。 受験が近いのだからと、机に向かっても、一人きりの家の中は何の物音もしなくて虚しいだけで何も手につかない。 クリスマスやお正月を返上するのには別に問題はないし、イベントなんてあまり気にならない。だけど、一人取り残された部屋では真紀の中にはマイナス思考がどんどん溢れだして来る。 「薫〜帰ってこいよ、可愛い恋人が悲しんでるのに・・・・・」 机に顔を押し付け呟いた独り言は真紀を更に虚しくさせていた。 クリスマスが終わると街は一気に年末モードに突入する。一人だから、料理をわざわざ作るのも面倒で買い物に出かけるたびに店に並ぶ鏡餅やお飾りに目がいく。お正月の過ごし方なんて、今まで一人で過ごした事ないから分からない、何を買えばいいのかも、両親が大晦日に帰ってくるのかも分からないのに、年明けの準備すら良く分からず、真紀は食べるものだけ買ってさっさと家へと戻る。 ポストに入れられていたのは、町内会で毎年配られる門松の印刷がされた紙切れ二枚。もうすぐ新しい年が来るというのに、寒い空の下、自分の心もこの外の空気と同じ位冷えてしまった真紀は玄関の棚に紙を置くとそのまま乱暴に靴を脱ぎ捨て、居間へと歩いていった。
*****
12月31日。年の暮れ、大晦日とも云われる。 なのに、変わらない部屋の中を見渡した真紀は溜息を吐きそのままテレビのリモコンへと手を伸ばす。 年末特番のくだらない番組をテレビが面白おかしく流すのをぼんやり眺めながら、適当にその辺にあるものを摘んだ真紀は部屋では落ち着かないからと居間へと運んだ勉強道具をテーブルに広げたままソファーに寄りかかり、ぼんやりとしていた。 毎年家族で食事をつつきながら見ていた紅白も今年はただ流しているだけでまともに見てもいない。 テレビが流れているのにやけに部屋の静けさが目立ち、真紀はソファーへと顔を押し付けた。
「母さん達はともかく、薫ーっ、あんたは何してんだよ!!」
虚しい独り言もやけに大きい。「忙しい」の一言で今日も帰れないとルス電に入っている電話の声を思い出し、真紀は頭を振る。年末とか年始とかそんな事にも気が回らない程、忙しい理由が分からないからどんどんマイナス思考が溜まっていく。もう、ずっと声は電話越し、顔も見ていないし、家に帰ってきているのか来ていないのかも分からない。たまに、着替えを取りには来ているらしいけど、タイミングが悪くて真紀がいつもルスの時だ。もう、ずっと触れていない温もりを思い出した真紀は眉を顰めると勢いをつけて立ち上がる。 そっと扉を開き覗きこんだ場所へと足を踏み入れる。人の気配が全くしない薫の部屋だ。
「早く帰って来てよ・・・・・・」
皺のついていないベッドへと寝転びひっそりと呟き枕へと顔を押し付ける。長い事、家主が不在の部屋には、それでも家主の匂いが残っている。温もりはないけれど、何度も抱き合ったベッドに横になったまま真紀はゆっくり、と瞳を閉じた。
「帰ってこれないって・・・・・何で、どうして?」
「・・・・・課題が結構、いやかなりやばくてさ、多分泊まりこみになると思うんだよ。」
泣きそうな顔で見上げる真紀に苦笑を浮かべた薫は手に持っていたコーヒーカップをテーブルに置くと頭へと手を伸ばしてくる。がしがし、と少し乱暴に頭を撫でるから、逃げる真紀の前薫は笑みを浮かべる。
「空きができたら、連絡するから・・・・・もうすぐ冬休みだろ?俺も真紀と旅行でも行きたかったよ・・・・・」
戸締りには注意しろ、と言い残し去る背中を見送ったあの日。もうすぐ一ヶ月・・・・・会いたいのに、触れて温もりを確かめたいのに真紀の思いだけが積もっていく。 遠くで微かに聞こえる鐘の音に真紀は瞑っていた目を薄っすらと開く。暗い部屋は変わらず静かで枕元に置いてある時計へと手を伸ばし時間を確認した真紀はもうすぐ年が明けるのに気づく。起き上がると、最後に会った日を思い出したせいか、感傷で濡れた目元を腕で乱暴に拭った真紀は立ち上がると窓へと近づく。大晦日だからなのか、こんな時間なのに、どの家も玄関には灯りが点いている。近所の神社に向かうのか、楽しそうに歩いている人達もいる。遠くで鳴る鐘の音が除夜の鐘だというのも真紀は知らないわけじゃない。鳴り響く鐘の音を窓際で聞きながらずるずると床へと座りこむ。百八つの煩悩を消してくれる鐘の音だというなら、今すぐ、ここにいない人をただ思うだけで何も手につかない自分を助けて欲しかった。自分の中にあるどろどろした欲を今すぐ消して欲しかった。 耳に微かに聞こえた車のエンジン音に真紀は思わず立ち上がり窓へと顔を押し付ける。近づいて来る車は車のライトのせいか、暗闇だからなのか車種の判別もできない。だけど胸が高鳴る。もしかして、の確信がつくより先に真紀は部屋を出ると一気に玄関へと向かった。
*****
がちゃり、と扉を開けてすぐ飛びついてくる温もりに薫は笑みを浮かべそのまま腕を回しぎゅっと抱きしめる。
「おかえり、薫さん!」
「ただいま。・・・・・真紀、親父達は? 帰ってないのか?」
「・・・・・仕事、目途がつかないからって・・・・・」
薫の胸元に頭を擦りつけたまま呟く真紀の声に薫は眉を顰めるとそのまま更にきつく抱きしめる。
「ごめん!・・・・・一人は寂しかったよな。」
抱きしめたまま謝る薫の腕に嵌っていた時計がピピピッとアラームを鳴らすから真紀は腕の中、顔を上げる。
「薫さん!・・・・・明けましておめでとう?」
「・・・・・ああ、おめでとう。今年もよろしく。」
笑顔を浮かべる真紀に更に笑みを深くした薫は腕の力を緩めると顔を近づける。そっと触れ合うだけのキスをして顔を見合わせた二人は更に深く互いを確かめるために今度は少しだけ長いキスをする。
「年明け前には帰ってこれるはずだったんだけどね・・・・・思ったよりも進まなくてね。」
キッチンへと立ち毎年恒例の「年越し蕎麦」を作りながら愚痴る薫の話を真紀は堪えきれない笑みを隠す事なく見つめる。
「年越し前だったよ、間に合ったじゃん!」
「・・・・・かなりギリだったけどな。ほら、出来た・・・・・食べたらお参りにでも行くか?」
箸を手に取り、湯気の立つお椀を眺めていた真紀は顔を上げるとただ首を振る。
「お参りはいいよ。それよりも、ここで一緒にいる。」
「・・・・・それで良いのか?・・・・・一緒にいたら俺は確実に襲うぞ、もうずっと触れてない。」
「いいよ。・・・・・それより、もう課題は終わったの? 明日からは一緒?」
「ああ。三が日はゆっくりしよう。・・・・・それから先は受験モードの真紀に合わせないとな。」
居間に広げてる勉強道具へと視線を向けながら呟く薫に真紀はただ苦笑を浮かべると蕎麦をずるずると啜りだした。 年が明けても相変わらずな日常のはずだと信じて疑わない一年は始まったばかりだった。
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