「プレゼントをくれるのはサンタさんだけど、家には残念ながらサンタさんが居ないのよ。」
残念そうに答える母に真紀は丸くてふっくらとした頬を膨らませる。
「じゃあ、いつになったらサンタさんがうちに来てくれるの?」
「・・・・・真紀が大きくなったら、かな?」
唇に指を当て小首を傾げる母は微かに笑みを浮かべるから真紀はそれがいつになるのか分からないままも早くその日にならないかな?と心待ちにする様になった。だけど、その幼い日の夢は心ないリアルなお友達に一蹴されるのは次の日、幼稚園であったクリスマス会の事だった。
「まきくん、しらないの? パパの居ないうちにはサンタさんがこないんだよ!」
「そうだよ! だってパパがサンタさんになるんだもん。」
「まきくんのうちはママしかいないから、サンタさんこないんだよ。」
漫画なら、きっと真紀の背景には棒線とガーンと書かれた言葉が書いてあり、真紀の顔は真っ青になっていた事だろう。それほどにショックだった。誰の家にも分け隔てなくサンタさんは来てくれる、とテレビでやっていたからこそ母にお願いしたのに、写真でしか見た事の無い父がわざわざ真紀の元に来るなんて有り得なかった。
「ママ、パパはお星様からまきに会いに来てくれるかな?」
プレゼントが欲しいわけじゃなかった。ただ、誰のうちにも当然の様にいるパパが真紀の家に居ない事、それが寂しくて、サンタさんが来たら、一日で良いから真紀はパパが欲しいとお願いする予定だった。あっけなく敗れた夢に意気消沈している息子の手を握り締めていた母が急に屈みこみ泣きそうな顔で真紀を抱きしめるから、その日から真紀は一言だってパパの事は言わなかった。 サンタさんが来なくても、ママがプレゼントをくれるし、パパがいなくても、ママと二人で楽しく過ごせるそれだけで、嬉しかったから。 もう、二度と母を悲しませたくなかった。
クリスマスケーキを前にしんみり、と語り出す真紀に薫は微かに引き攣った笑みを浮かべながら、今どきの幼稚園生には本当の意味での夢は無いのかと思う。
「サンタさんがいないとかいるとか、夢も希望も無いって寂しい子供時代だな。」
辛うじて告げる薫に真紀はふるふると首を振るとそうでもない、と呟く。
「サンタさんは来なくても母と二人きりでもそれなりに楽しいクリスマスの夜だったよ。それに、今も母はいないけど、薫さんが居るし、一人じゃない。」
にっこり、と笑みを浮かべ告げる真紀に薫は笑みを返すと、何気ない疑問を思わず口にする。
「じいちゃんとかばあちゃんはいなかったのか? 普通孫を盛大に祝うだろ?」
「・・・・・そうなの? 良く分かんないけど、居なかったよ。同じアパートに住んでいる人達と祝った事はあるけど、ほとんど母と二人だったし。」
首を傾げ、瞬きを繰り返しながら呟く真紀に薫は微かに首を傾げる。 再婚した当事も思ったのだけど、そういえば式は挙げなかった気がする。内輪で食事会、ただそれだけで終了した再婚の日を思い出す。10歳の真紀より三つも年が上な分、薫の記憶は結構鮮やかだ。可愛い可愛い小学生だった真紀は幼稚園の頃ならその倍は可愛かったはずだ。
「祖父や祖母の話は?」
「・・・・・した事ない、居るかどうかも分かんないし。」
そもそも父親の顔もうろ覚えなのだ。写真もきっと再婚したその日に処分してしまったのかもしれないと真紀は思う。 あまり父の話をされた事も無かったし、一緒に暮らしていたのかどうかも妖しい。すぐに目の前のケーキへと意識を飛ばし食べ始める真紀の前に座った薫は取り分けられたケーキを目にしたまままだ自分の考えに浸っていた。
*****
「真紀の父親? 何で、薫くん、今更そんな事・・・・・」
「何となく気になったから、それに、真紀、実の父親についてあまりに知らなすぎるから。」
久しぶりに顔を合わせた母に薫は単刀直入に問いかける。少し戸惑った笑みを見せた母は困った顔のまま、背を向けると箪笥の中を漁り始めた。
「母さん?」
「意図して言わなかったわけじゃないのよ。 現に再婚する時にお父さんには言ってる事だし・・・・・思い出は鮮やかで決して消えない。想いもまたそう、だと思うのよ、私は。」
取り出した箱を大切そうに床に置き、手にした写真立てを眺めたまま告げた母は薫へとその写真立てを渡す。受け取ったそこに映るのは今よりもだいぶ若い母と産着に包まれた真紀、そして、今の真紀をもう少し成長させればこの人になるだろう、と認める程似ている母と同じくらいの年の青年がいた。幸せそうな家族の肖像画、それが今はもう無いのだと思うとかなり寂しく感じる写真だ。
「母さん、これ・・・・・この人が?」
「本居真幸。真紀の父親で、私にとって生涯忘れる事のない大切な人。・・・・・真幸の居ない人生を乗り越えられてきたのは、真紀が居たからだと思う。あの子が居て、あなた方に逢って、私は救われた。」
写真をそっと返す薫から大切に受け取った写真立てを母は胸にそっと抱きしめる。
「言わないのは、思いだすだけで辛かったから。 薫くんは今いくつだっけ?」
「え? あっと、もうすぐ22になる、かな?」
「そっか。出会ってもうすぐ10年になるのか。 真幸が亡くなったのは、23の時だった。真紀が生まれて一年経つか立たないクリスマスの日。・・・・・それが、あの人の命日になる。」
悲しそうにそれでも笑みを浮かべる母に薫は目を見開く。楽しいクリスマスだった、真紀はそう言った。母と二人きり、それでも楽しいクリスマスを送ったと。
「・・・・・母さん・・・・・」
「ケーキを買って急いでいたらしいの、早く家に帰って子供と妻と祝いたい、そう言ってたって会社の人に聞いた。生まれたばかりの真紀の事、凄く可愛がってた。子供はたくさん作ろうって、結婚の時に約束したのに・・・・・」
ぎゅっ、と胸の中抱きしめていた写真をそっと目線まで持ち上げ呟く母の目には薄っすらと光るモノが見え、薫は「もう、聞かない」と部屋に背を向ける。 家族が亡くなった日だと言えなかったのは、息子には何も教えたくなかったただそれだけなのだろう。どれだけ、泣きたい気持ちを押し込めていたのだろう。改めて、父の再婚した人が強い人だったんだと知る。
「折角のクリスマスにどこ行くの?」
「クリスマスだから、だよ。 場所も聞いたんだぜ。」
タクシーの中笑みを向ける薫に隣りに座る真紀は流れる景色を眺める。段々と賑やかな場所から遠ざかるのは真紀の気のせいとは思えない。 教会が見える。奥に広がるのは墓地。それでもタクシーを降り無言で歩く薫に手を引かれるまま真紀は仕方なく後に続く。 目の前にある墓地には古来日本で見られる様な〜家の墓とは書かれていない。ただ書かれているのは「Masaki Motoi 19xx0724-19xx1225」それだけ。
「薫さん、これ、ここって・・・・・」
「うん、母さんに聞いてきた。 真紀の本当の父親の墓の場所。 今日が命日だって・・・・・」
墓の前に座り手にしていた小さな花を添える薫の隣りで真紀は呆然と墓を見つめる。亡くなった日付を見て、幼い頃の母の悲しい顔を思い出す。
「何で、息子にまで黙ってるかな、あの人・・・・・クリスマスに墓参りしたって、別に俺怒んないのに・・・・・」
それよりも悲しい母の顔の理由が知りたくて堪らなかった。薫の隣りに屈みこみ、引き算して初めて知る実の父親の亡くなった年に改めて真紀は眉を顰める。 子供が出来て、これから楽しい事が待っていたはずだったのだろう。なのに、いきなり未来を閉ざされた人。うろ覚えの写真を必死に思い出しながら真紀は両手を合わせる。
「写真、大事にしてたよ。 生涯忘れる事のない大切な人だって・・・・・」
「・・・・・それ、お父さんに悪くないのかな?」
「全部承知で再婚してくれってお願いしたのは親父らしいから、良いんじゃないの? 墓、綺麗だよね。きっと、朝早くここに来たんだよ、母さん。」
ゴミ一つ落ちていない墓を見つめ告げる薫の言葉に真紀は潤む目元を乱暴に拭いながら頷く。新鮮な花が活けられているのに初めて気づく。丁寧に墓を掃除する母の姿が見えるようで真紀は微かに口元に笑みを浮かべる。
「来年は俺も一緒に行く。 だって、俺の父親だもん。」
「クリスマスなのに?」
「クリスマスだから、お父さんも祝いたいじゃん!」
鼻を啜り告げる真紀の頭を少しだけ乱暴に撫でると薫は立ち上がる。
「行こう。来年と言わずにまた来れば良いよ。次は母さんも親父も連れて四人で来よう。」
手を差し出されるから、真紀は躊躇う事なくその手を取り立ち上がり頷く。拭ったはずの目元に溢れてくる涙がぼろぼろと零れる真紀を胸元へと押し付け薫はその背をゆっくり、と撫でるとそのまま肩に手を回しゆっくり、と歩き出す。
*****
あれから飾られる写真は二つ。今は亡き真紀の父親と今の新しい家族写真。 どこか照れくさそうに写真をそれでも大切に持っていた母を優しい目で見つめる父の姿にああ、全て理解した上での再婚だったのだと想う。
「・・・・・親父、母さんに俺あまり似てないよな?」
「そうか? まぁ、お前、俺に似てるしな・・・・・」
線の細い美人だった、と親戚に聞いてはいたが、薫の記憶に残る母は後姿だ。自分に背を向け二度と手を差し伸べる事の無かった冷たい後ろ姿。 そんな自分より更に記憶に無い父親を見ながら母と会話する真紀は柔らかな笑みを浮かべたまま写真を見つめる。 恋するあの頃に戻った様に頬を染め話す母親、今は亡き人は思いでの中、生きている人よりも鮮やかに輝いているのだろう。 聖夜のこの夜、せめて夢の中では幸せであらん事を薫はそっと願う。
あの日から、数年経っても、変わらず写真は飾られている。 クリスマスの時期になると、ポインセチアに囲まれた今は亡きその人の写真に目を向けた薫はばたばたと慌しく階段を降りてくる真紀に苦い笑みを向ける。
「・・・・・何?」
「成長したら、この人に似てくるって思ってたんだけど、お前、相変わらず落ち着きないよね?」
「酷い! だけど、お父さんも母さんが言うには結構抜けた人だって言ってたよ。」
「・・・・・へーっ、そう。」
「そうだよ、だから母さんはこの人の傍に居てあげないとと思って結婚したんだって。」
ぼんやりしてるから危なっかしい、それが結婚の理由だと威張る真紀に薫は笑みを浮かべる。
「そうですか。まぁ真紀が抜けてても、問題ないけど。 俺がついてるし」
ね?と首を傾げる薫に真紀の顔がすぐに真っ赤に染まる。そんな真紀を急かし薫は玄関の扉を閉めると車へと真紀を促した。顔を未だに赤く染めたまま大人しくなる真紀を助手席へと乗せた運転席へと乗り込むと助手席に座ったまま俯く真紀へと身を寄せる。
「ねぇ、必要? 母さんみたいな人・・・・・」
「・・・・・薫さんが居るから、必要ないんでしょ?」
「欲しい?」
「・・・・・いらない・・・・・」
更に問いかけながらも顔を近づける薫に真紀は俯く顔を少しだけ上げる。そっと軽く触れ合うだけのキスをした二人は互いの目を合わせるとどちらからともなく笑みを向ける。 やがて車は走り出す。クリスマスには恒例になったたった一つの場所に向かうために。
|