「ねぇ・・・どこか、行く?・・・今日ならもう夏も終わりかけてるしどこも空いてるんじゃないかな、どうする?」
朝ごはんの用意をしながら問いかけてくる薫に真紀は食べかけのパンを手に持ち驚いて顔を上げる。 いつも事後承諾で勝手に予定を組んでくる薫が珍しいと思いながらも真紀は声も出ないままこくこくと頷く。
「・・・どこ、行こうか・・・」
「海!・・・海が見たい、です。今年は結局海にも行けなかったし。」
口の中の食べ物を急いで飲み込むと答える真紀に薫は笑みを浮かべ頷いた。 例年よりも更に暑い日々が続いた今年こそは最も遊べる時だったのに受験生の真紀には一にも二にも勉強という言葉が重く圧し掛かっていたから、薫の提案は良い息抜きができると真紀は目の前の食事へと急いで手をつけ始めた。 そんな真紀を見ていた薫はただ笑みを浮かべていた。
「海ーーっ!」
潮の香りを胸いっぱいに吸い込むと目の前に広がる砂浜へと小さな子供の様に走りだした真紀に薫は車から降りるとただ苦笑を浮かべる。 海水浴もお盆を過ぎればその盛りも終わり冷たい風が吹いてくるはずなのに残暑も厳しいのか今年はまだまだ暑い日々が続いていた。 春から夏に入るまで薫の可愛い義弟には色々合ったから、大半は薫のせいなのだけれど、良い気分転換になりそうで波に足をつけて笑顔を浮かべる真紀に薫はそっと溜息を零すと真紀へと近寄って行く。
「真紀ー!水は、冷たい?」
「すんごい、気持ち良い!!」
ほら、と波打ち際に立つ薫へと水をかける真紀に薫は眉を顰める。
「・・・止めろよ!・・・俺は遊ばないから・・・」
「えーーっ!・・一人じゃ寂しいじゃん、・・薫さんも遊ぼう、ね?」
溜息を零す薫に懲りずに水を飛ばす真紀に最初は嫌だと突っぱねていた薫も仕返しと水を飛ばしだし、結局は二人共着ている服がかなり濡れるまで周りも気にせず水を掛け合い遊んだ。
*****
「・・・乾くかな?」
「平気だろ・・・でも、何やってるんだか・・・」
「一緒になって遊んだじゃん!」
頬を膨らまし抗議する真紀に苦笑すると薫は砂浜へと座り込む。 隣りへと座ると真紀はどこまでも広がる海をぼんやり、と眺める。
「・・・そういえば・・・二人で遠出するの、初めてだね。」
「そうか?・・・そう、だな・・・」
笑みを浮かべる真紀に薫は頷くと寄せては帰る波を眺めている真紀へと顔を向ける。
「これから、何度でも二人きりはあるよ。・・・来年はちゃんと泳ぎに来よう。」
そっと手を伸ばし耳元へと告げる薫に真紀の頬が微かに赤く染まる。 二人、寄り添ったまま長い事ただぼんやりと海を眺めていた。 辺りには人はあまり見当たらないのをいい事に波の音だけが響く中、特に会話もないまま互いの温もりを感じていた。
「来年の夏は海で泳いで、夜は花火をしよう。」
長い沈黙の後ぽつり、と告げる薫に真紀は思わず顔を向ける。
「・・・真紀も大学生になってるだろうし、遠出しようか。・・・泊まりとかでもいいよ。二人じゃ寂しいなら友達も誘って、楽しく遊ぼう。」
笑みを浮かべる薫に真紀はただ頷いた。 笑みを浮かべるけれど、何故か泣きたくなって頭をふると頷く。 頭を撫でてくれる薫へと向き直ると真紀は彼の胸元へと抱きつく。
「真紀、ちゃん?・・・甘えたいの?」
頭を撫でながら戸惑った声で問いかけてくる薫に顔を上げないまま真紀はこくりと頭を動かし感じる服越しの体温と心音に瞳を閉じる。 そんな真紀の頭を撫でながら少しだけ体勢を崩した薫はあまり人気の無い海で良かったと空を見上げた。 雲ひとつない青空に少しだけ笑みを浮かべた。
そろそろ日が落ちるのか少しだけ肌寒く感じて薫は立ち上がるとまだ座りこんでいる真紀へと顔を向ける。
「ほら、立って・・・服は?・・乾いた?」
「うん・・・でも・・まだ、湿っぽい・・・」
眉を顰めながらTシャツを仰ぎ、とろとろと立ち上がる真紀に苦笑すると砂を払い薫は車へと向かう。 後を追いながら真紀はもう一度長い事見ていた海へと顔を向ける。 空がすっかりオレンジ色に変わりオレンジ色の太陽がゆっくり、と海へと沈みかけている。 写真やテレビでしか見た事の無い夕日の沈む情景に一瞬目を奪われるけれど車の側から真紀を呼ぶ薫の声に真紀は海にも夕日にも背を向けると薫の下へと走りだした。
*****
「どう?・・・少しは気晴らしになった?」
「・・・うん。ありがとう、薫さん・・・夕日、見て行かないの?」
「見たいならこのまま残るよ。・・・外は少し肌寒くなってきたから戻ったんだけどね。」
「本当?・・・なら、見たい。」
笑みを浮かべる真紀に薫は車の窓を少しだけあけるとそのままエンジンを切る。 助手席から見る景色はさっきより少しだけ高いからなのか周りの視界も少しだけ広くなり真紀は黙って海へとゆっくり沈んでいく夕日を見つめる。 窓の外から聞こえるゆったりと一定のリズムで流れる波の音を聞きながら太陽が海の中へとまるで潜る様な光景を黙って見つめた。 鼻につく潮の香りがまた何とも言えない情緒を生み出して真紀は自然に笑みを浮かべていた。
「・・・綺麗だね。」
太陽が完全に見えなくなってからぽつり、と呟いた真紀に顔を向け薫は笑みを浮かべるとエンジンをかける。
「冬の海も綺麗だよ。というか・・・結構寂しいけど何か寂しいだけじゃないんだよな。今度は冬に真紀の受験が終わったら来ようか?」
「うん、行く!」
頷く真紀に薫は車を自宅へと向け走らせ出した。 まだオレンジ色の空の下車は走りだした。 薄っすらと見えている月が家に着くころには輝きだしているだろう。 綺麗な夕焼けを眺めて真紀は真剣な顔で運転している薫へと顔を向ける。
「来年は俺も免許取るから、帰りは俺が運転してあげるね。」
「・・・え?・・・当分いいよ。真紀の運転怖そう・・・」
驚いた顔を向けた薫に真紀は平気だ!と切り返し膨れてみせるが顔を見合わせると二人笑い出した。
必ず免許を取ろうと心に堅く誓った真紀だけど免許を取らせたくない薫の妨害と両親の強固な反対でまた来年も助手席に乗ることを・・・彼はまだ知らなかった。
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