「今日こそ、言わないといけない」
まるで使命の様に一人呟くと気持ちを落ち着かせる為に深呼吸を始めた三島豊(みしまゆたか)はただ一つの事だけを頭に思い浮かべる。 もうかなり前から言おうと思っていた。 誰の為でもなく自分の為に、だけど・・・それは相手の為にもなると信じて豊は疑わなかった。
「ごめん、待たせたかな?」
人影に顔を上げる豊の前、いつも温和な笑みを崩さない待ち人、霧谷優斗(きりたにゆうと)が立っていた。 いつのまにか、スーツが似合う顔つきへと変わっていた男に豊は頭を振り席を勧める。
「大丈夫、僕も今、来たところだし。何か・・・頼む?」
「ああ・・じゃあ、オレはコーヒーを。」
呼び鈴を押しながら問いかける豊に席へと座りネクタイを少し崩した優斗は答える。 すぐに来た店員に「コーヒーふたつ」と注文した豊は優斗へと顔を向ける。
「久しぶり、だよね。ここの所忙しいみたいだし。」
「まぁ・・・そこそこだけどな。」
「話・・・あるんだけど・・・」
「・・・何?」
テーブルへと目線を逸らしながら言う豊に優斗は気にもせず問いかける。 こくり、と唾を飲み込むと豊はそろそろと顔を上げると優斗を見つめる。
「・・・なんだよ、何、話って・・・」
「・・・あの・・・後で、話すよ。」
言い惑う豊に優斗は不思議そうに問いかけて来る。 コーヒーを持って来た店員を視界に移した豊は笑みを浮かべ曖昧に言葉を濁した。
砂糖もミルクも入れないままのカップに手を伸ばし一口含んだ豊は眉を微かに顰める。 ブラックなんて本当は飲めないのに目の前の優斗は何も言おうとはせず豊は気まずい沈黙に内心溜息を漏らした。
「あのさ、僕、留学が決まったんだ。」
カップを置きなるべくゆっくりと言葉を繋げる豊に優斗は驚いた顔のまま問いかけて来る。
「・・・留学って・・・・・どうして?・・・どの位?」
「一応三年かな?だから、もう、会えなくなるって言いたくて。」
「・・・それって、おれと終わりにしたいって事?」
一応は避けてた直接的な言葉を優斗が零すから豊はただこくり、と頷いた。 呆然としたままの優斗へと顔を向け豊はただ笑みを向ける。
「わかった。・・・いつ、行くの?」
納得したのか視線を逸らし問いかける優斗に笑みを向けたまま豊は「明後日」と端的に告げる。 その言葉に優斗は笑みを浮かべたままの豊へと視線を戻した。
「・・・留学の話、いつからあったんだ?」
「いつからだろう?・・・かなり前からだけど、決めたのは半年前かな?」
「半年前?・・・そんな前に決めといて報告は今日?・・・オレとは最初から別れるつもりでここに呼び出したんだ。」
「・・・ごめんね。・・・優斗忙しそうだったし、僕も準備あったから。」
苦笑する豊に優斗は勢いよく立ち上がる。
「・・・優斗?」
「さようなら、豊。もう、二度と会わないから・・・元気で。」
いきなり立ち上がった優斗に戸惑いながら問いかける豊に、冷たい視線を向けたまま冷たい言葉を吐き出したのを最後にそのまま振り向きもしないで優斗は出て行く。 呆然と座り込んだまま見送った豊は長い溜息を漏らした。
散々考えたのに、こんな言葉しか言えないし、こんな別れしか思いつかなかった。 見送った背にこのまま自分の事を忘れてくれたらと思う。 豊は何度目かの溜息の後、もう温くなったコーヒーへと今更の様に砂糖とミルクを入れると口に含んだ。 温くて甘いコーヒーを飲み干すと豊は席を立つ。
*****
店を出て歩きながら思い出していたのはやっぱり別れた人の事だった。 豊が優斗と出会ったのは中学の入学式の時だった。 たまたま席が隣りで意気投合したあの日から10年近く一緒にいる間に最初は一番の友人同志だったそれがいつのまにか、お互いが一番大切だと思う様になりその関係は恋人のそれへといつのまにか変わっていた。 学生時代は飽きるくらい本当に四六時中一緒にいたのに一方が就職への道を歩みだしてから時間という壁が二人の前に大きく立ちはだかった。 会いたい時に会えないその壁は本当に少しづつだけど気持ちに亀裂を生じさせていたのかもしれない。
だから、優斗に別の相手がいると気づいたのは本当に偶然だった。 気づいたあの時も終わりにした今でも本人に確かめたいとも思わないのは、それが本当だったらと認めるのが豊には怖い、ただそれだけの理由だ。 自分に触れたあの手が唇が他の誰かにも触れている事、あの温もりに包まれている自分以外の人の存在を豊は知りたいとも思わなかった。 自分だけが知っていたはずの全てを誰かと共有していた事実を豊はできれば一生知りたいと思わなかった。 だから自分の身勝手な別れを決めたのだから。 優斗の口から自分以外に「好きな人出来た」と聞きたくなくて、散々悩んだ結果が優斗への豊からの別れだった。 酷い男だったで良いと思う。 風の噂の関係で良いと思う。 どこかで偶然出会う、そんな事が無いように豊は二度とこの場所には帰らないつもりで留学を決めた。 遠く、遠い空の下でいつかこの『恋』が風化してくれる事、それだけを祈っているから。
周りの視線が歩く豊に刺さる気がしてやっと自分が泣いている事に気づいた。 いい年した成人男性が泣くなんて、そりゃ注目も浴びるだろう。 逃げるように走り出すと豊は目についた公園へと入る。 考えこんでいる内に感情が表立ってきたのだろうか。 ベンチへと座り込み溜息を漏らすとハンカチすら持っていない豊は服の袖で目元を擦りだした。 声を上げて泣けば楽になれるかもしれないけど、いつ、誰が通るか分からない場所で泣けるほど豊には肝は据わってなかったから涙が止まるまでベンチへと座り込んだ。 上へと顔を向けると見渡す空は夕方だからなのかもう薄暗かった。 こんな場所で座りこんでるのも誰かが通れば立派な不審者だと思いはしたけれど、鼻を啜り豊は苦笑を漏らす。
本当はぎりぎりまで考えた。 これで自分は良いのか、こんなにまだ好きだと言える人と別れても良いのか、ほとんど考えない自分がここ最近はずっと優斗との事だけを考えていた。 だけど、何度考えても結果は一つだけ。 自分以外の誰かを好きになったと豊は優斗の口から聞きたくなかった。 ただ、それだけだった。 別れた後、どんな風に思われても豊は構わなかった。 面と向かって「好きな人が出来た」そう言われる自分の方が何倍も惨めだったから、これしか思いつかなかった。 長い事ベンチに座りこんでいた豊は日が落ちる頃やっと立ち上がり歩き出した。 声を出して泣ける彼のたった一つの場所へと。
*****
部屋の前に立つ人影を見つけ豊は冷たい汗が背中を流れるのを感じた。 夕方二度と会わないと告げた優斗の後姿に似ていて豊はおそるおそる部屋へと近づいた。
「・・・うちに、何か用?」
ぽつり、と呟く豊の声に顔を上げたのはやっぱり優斗だった。
「これ、返そうと思って。いらなかったら捨てていいし。・・・おれのは・・・適当に捨てていいから。」
紙袋を持ち上げる優斗に豊は紙袋を受け取る為に手を伸ばす。
「わざわざ、どうも。・・・ちゃんと送るよ。住所は今の所で良いんだよね?」
「・・・・・ああ。じゃあ、おれ・・・」
「さようなら」
紙袋を渡した優斗は去ろうとするから豊は頭を下げ別れの言葉を言う。 そっけない豊に眉を顰めたけれど優斗は何も言おうとしないから豊はそのまま部屋の鍵を開けドアへと手をかける。
「ねぇ・・・最初からおれと別れる為に留学決めたの?」
「・・・勉強の為だけど、それが何?」
ドアへと手をかけたまま豊は優斗の問いかけへと笑みを浮かべ答える。
「・・・なんで別れる必要があるわけ?・・・このままでも・・・」
「僕は嫌だよ!・・・っていうか無理だから。僕、遠距離恋愛は出来ないから、無理だよ。別れた方が二人の為だし。」
「・・・二人の為って何だよ!・・・おれの気持ちはどうなるわけ?」
「離れてればすぐ忘れるよ。次の相手もすぐみつかるよ、だから、さようなら。」
優斗の言葉に否定しか返さないまま豊は家の中へと滑り込む様に入る。
「豊!・・・待てよ、豊!」
名を呼びながら駆け寄ろうとした優斗の前でドアを閉めると豊はドアを背に座り込む。 悲痛な声に全て否定をしたくなるけど、耳を塞ぎ、豊は膝の間へと顔を埋める。 ドンドンとドアを叩く音が止み、重い足音が遠くなるのを聞いて、豊はやっと立ち上がると部屋へと入る。 箱だらけの自分の部屋の真ん中に座り込むと、口元を抑え豊は泣き出した。 それでも声を上げて泣けなかったのは、豊の身勝手な別れだったから、別に被害者でも無いそれだけの理由だった。
思い出にいつかこの胸の痛みも変わるから。 朝が来るその時まで、悲しみに浸ったままでいたかった。
悲恋系って失敗したな〜と思ったのは私がハッピーエンド好きだからです。 書けば書くほどくっつけたくなるので微妙な場所で終わりです(笑) 20070618
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