「ごめん、煩いだろ? 飲み会の最中でさ、後でかけなおすよ。」
賑やかな喧騒から少しだけ遠ざかった場所で毎日日課の様に同じ時間に定期便としてかけている電話を切った宮迫春陽(みやさこはるひ)は溜息を一つ吐くとたった今切った携帯を見つめる。 好きで好きで、毎日の様に会っていた恋人との遠距離が決まったのは今から半年前だった。付き合い初めて半年、これからだって時のいきなりの遠距離は実は前から決まっていた事でもあった。 学生しかも受験生だった春陽が恋に落ちた相手はこちらも受験生の桜庭伊織(さくらばいおり)だった。 通う高校も別だった春陽と伊織の出会いは予備校、一目惚れに近い春陽の告白にこれまた偶然にも伊織も同じ気持ちだった事から付き合いはすぐに始まった。 お互い受験生だから、付き合いだしたのに、ろくなデートも思えばしなかった。 記憶にあるのは互いの受験が終わった次の日二人きり、初めて街に出た事だけが唯一記憶に残るデートと呼べるもので、後は互いの家で勉強をしていたか、付き合い始めた二人きり、小さな部屋の中、お互いを深く知ったそれだけだ。 地元に進学する春陽と違い、伊織は遠方の大学に進学する事を決めていたから、付き合いだしたその日から遠距離になるのは分かっていた。それでも離れなかったのは、付き合ううちに好きの気持ちが大きくなっていたからで、離れるそれだけで関係を終わりにはしたくなかった。 といっても、離れている距離は変わらない。バイトで必死に稼いだ金で何度か伊織の元へ訪れたけれど会うたび、彼は変わっていく。 前は勉強が一番で後は二の次だった伊織は服も髪型もどんどん変わっていく。都会に洗練されたと褒めるべきなのに、置いていかれる気持ちも強かった。それでも変わらない気持ちだけを抱えた春陽は一日に一度だけ、毎日決まった時間に伊織に連絡をいれる。それは今では日課の様になっているけれど、会えないからを理由に忘れられるのだけは避けたかった。 春陽はまだこんなにも伊織を好きで仕方無い自分の気持ちを持て余すかの様に携帯を額に押し当てるとそっと溜息を吐いた。
見慣れない景色にやっぱりここは春陽の知らない場所なんだと思う。足早に通り過ぎる忙しない人達、常に騒音が鳴り響いている道路、道端に座りこみ話しこんでいる若者。田舎じゃありえない光景を右に左に眺めながらも春陽は手に持つバッグを持ち直すと歩き出す。田舎よりもアスファルトの地面が多いせいか、実際よりも暑く感じる路面を地図を頼りに歩く先に見つけたのは何度か訪れた伊織の住む場所だった。前に来た時よりも整備されているのか、路面がすっきりしているのを横目に春陽は手に持つバッグを握り締めると部屋番号の下につけられたチャイムを鳴らす。
『・・・・・はい、誰?』
備え付けのスピーカーから聞こえてくる懐かしい声につい涙ぐみながら春陽は大きく息を吸い込む。
「あの、春陽です。 元気でしたか?」
『・・・・・春陽!!』
がたがたと音がしていきなり切れるスピーカーに春陽は立ち尽くしどうしたら良いのか分からず、持っていたバッグをとりあえず床に置く。短い会話では歓迎されているのかどうかも分からず、予定よりも早くこちらに来た自分をつい春陽は後悔する。
「春陽ーっ! 春陽!」
名を呼び、抱きしめる腕の中、春陽は突然の出来事に言葉がでない。ぎゅうぎゅうと力をこめる伊織の腕の中に今、いるのだとやっと気づいた春陽は嗅ぎ慣れた伊織の匂いと温もりにそっと頭を擦りつける。
「サプライズか? 来るのは明日だって言ってたのに。」
「・・・・・ごめん、すぐにでも伊織に会いたかったんだ。 迷惑だった?」
「バーカっ、そんな訳ないだろ、会えて嬉しい。 でも、途中何も無かった?」
「無いよ。 田舎モノなんて相手にされないよ。」
笑う春陽をもう一度きつく抱きしめた伊織は床に置いた春陽のバッグを掴むと腰を引き寄せ春陽を促す。何ヶ月振りに訪れた伊織の部屋はかなり散らかっていて、慌てて片付けながら、座る場所を確保したと春陽を座らせた伊織は手早く床に散らばるモノを片付けると台所から冷たいジュースを運んでくる。
「ビールの方が良かったか?」
「ううん、これで良い。ありがと。」
「いいや。 いきなりだったから、夕飯は外食で良い? 俺んち何も無いんだよ。 明日は春陽の好きなもの作るから・・・・・昼飯とか食べた?パスタならあるけど、茹でようか?」
「大丈夫だよ、途中で食べてきたしそれより・・・・・」
照れているのか、どうでも良い事を話しだす伊織を遮り春陽は彼をじっと見つめる。そんな春陽に伊織は微かに笑みを浮かべるとすぐに身を寄せてくると春陽をぎゅっと抱きしめる。小さなソファーの上、二人は数ヶ月振りに互いの唇を重ね合わせ温もりを分け合った。
*****
会ってしまえば不安はすぐに消えていく。肌を余すところなく触れ合って、素肌のままベッドに横になり身近な話を顔を見合わせ語る時の穏やかな空気が何とも言えない。
「夏が終わるまでいれるんだよね?」
「うん、そのつもり。 バイトとか平気?」
「休みだしシフトの調整はしてもらったけど、春陽がいるのにバイトなんか行きたくないかも。」
隣りに寝転ぶ春陽をぎゅっと抱きしめ呟く伊織の声に笑みが浮かぶ。夏休みといえば稼ぎ時だと友人達が言っていたけれど、バイトよりも伊織をとった選択は間違っていなかったと思う。一人暮らしをしているわけでも無い春陽は別に小遣いにも困っていないので、短期のバイトで旅費はすぐに稼げた。お土産を買ってくるからと家族を説き伏せそれなりの小遣いも手に入れたので財布は潤っている。だけど伊織は違う。一人暮らしの彼は上京してから、学費とぎりぎりの家賃代で仕送りは消えていき、バイトで大半の生活を補っているのだそうだ。上京そのものも彼の両親はあまり良い顔をしなかったらしく、生活費は自分で稼ぐと豪語して上京した手前、バイトは貴重な生活源だった。一人っ子で未だに実家に住み、生活費もろくにいれずに優雅な生活をしている春陽とかつかつの生活費で暮らしている伊織とは雲泥の差だ。それでも愚痴ひとつ聞いた事が無くて、春陽は伊織の背に手を回し確実に高校の頃より引き締まった彼の体を抱きしめ返した。
「じゃあ、バイト行ってくるけど何か予定ある?」
「・・・・・その辺見て回るだけだし、特に何も無いかな。」
「バイト終わったら電話するから、電車とか大丈夫か?」
「平気だよ。 ほら、早く行かないと遅刻するよ。」
不安な顔で見送る春陽を見つめたまま話を続ける伊織に苦笑すると春陽は時計を指差し彼を急かす。それでも何度か見送る春陽を振り返りながらも、伊織はバイト先へと歩き出した。きっと見えなくなったら走るのだろうと予想をしながらも、春陽はその背を見送るとすぐに部屋へと戻る。小型のウエストポーチに携帯と財布、少し細々した雑貨を入れ、朝バイトに行く前に伊織から渡された鍵を手に部屋から出て行くとしっかりと鍵を閉めた事を確認した春陽は見知らぬ街へと一歩を踏み出した。
伊織のバイト先は自宅から大学までの駅3つの真ん中を取り、2つ目の駅らしい。駅のすぐ近くに大きなショッピングモールがあると言っていた通りに駅を出てすぐに大きな看板と建物が見える。夏休みだからなのか、行き交う人は圧倒的に若者が多い中を春陽は人の波に引きづられる様に店の中へと入って行く。服屋、レストラン、雑貨屋、ありとあらゆるものがあるからショッピングモールだと聞いてはいたけれど、春陽の住んでいる街には当然そんなものは無くて、珍しい店内に目映りしながら歩いて行く。 数時間後人ゴミの中を疲れた顔で抜け出した春陽は目に付いたカフェレストランへと足を向けた。 お洒落な店、お洒落な人、完全に田舎モノだと分かる自分を店内のガラスに映しながら、春陽は大きな溜息を吐くとウエストポーチの中から携帯を取り出した。
「春陽? どうしたの、買い物はもう済んだ?」
驚いた顔で近寄る伊織は今朝とは違う姿をしていた。何気なく足を運んだ場所は伊織のバイト先だったらしくバイト先の制服はギャルソン姿で目に映る姿は格好良いの一言だった。思わずぼーっと見惚れる春陽に苦笑を浮かべた伊織は「適当に何か頼むから」とそっと呟くとすぐに背を向ける。春陽だけではなく通る伊織に見惚れる視線はあちこちにあるのに気づき春陽はすぐにテーブルへと視線を向けた。馴染みの客だろうか、それとも顔見知り、春陽の傍へとまた近づく伊織に掛けられる声は全て気安く馴れ馴れしい。くだらない嫉妬に胸を焦がす自分を嫌悪するかの様に頭を振る春陽へと伊織は掛けられた声を適当に流し近づいて来た。
「もうすぐバイト終わるから、これ飲んで待ってて。」
テーブルに置かれたのはガラスの入れ物に入った飲み物。しゅわしゅわとコップの中で気泡を作っているからすぐに炭酸水だと分かるソレを「ありがとう」と受け取る春陽に笑みを向けると伊織はすぐに背を向ける。 喉に流し込んだソレはやっぱり炭酸水で口の中パチパチと弾けるのを気持ち良く感じながらこくり、と飲み込んだ。
*****
「お待たせ〜。」
朝の服に着替え、鞄を手に伊織が来たのはそれから30分後だった。手の中ですっかり温くなった飲み物を弄ばせていた春陽はその声に嬉しそうに顔を上げる。
「ごめん、待たせた?」
「ううん、大丈夫・・・・・だけど、もうあがりで良いの?」
「もちろん! 春陽を待たせてるのに呑気にバイトはできません!」
変に威張る伊織に春陽はそれでも嬉しそうな顔が隠せないままほんの少しだけ困った顔をする。自分のせいで伊織の仕事の邪魔をしたなら本当に申し訳ないと考え込む春陽に伊織は「本当に大丈夫だから」と耳元で囁くと春陽を立たせる。
「伊織、お疲れ〜!頑張れよ!!」
「明日疲労だとか言ったら半殺しだから!」 店を出て行く伊織に仲がとても良いのだろうバイト仲間が脅すように告げる声に「うるせーよ!」と小声で反論し、春陽を促すと彼らにただ大げさに手を振る。
「・・・・・バイト、楽しい?」
「まぁそこそこに、だけど・・・・・春陽と居る方が俺はもっと楽しいよ?」
窺う様に伊織を見上げ問いかける春陽に当然の様な答えを返してくるから、近くにある手を一度ぎゅっと握った春陽はすぐに伊織から離れる。俯く顔が少しだけ赤くて、伊織はすぐに引き寄せると誰にも気づかれない様にそっと照れて赤くなった頬にキスを落とした。 「伊織?」
驚いた顔を向けてくる春陽に伊織は「大丈夫」と短く告げるとそのまま春陽の手を掴み足早に歩き出す。
夕飯は外で食べるはずだったのに、コンビニで適当に弁当を物色した伊織は春陽の意見も聞かずに自宅へと帰宅するとずっと繋いでいた春陽の手を引き、その体をぐっと自分に引き寄せる。
「何か、ごめん・・・・・もぉ、だめ!!」
「・・・・・伊織?」
首筋に顔を埋めたまま呟く伊織に春陽は驚いた声で彼の名を呼び、様子を見ようと離れようとする。だけど、それは無駄に終わった。いきなり目の前が反転する気がして気づいたら春陽は伊織に靴も満足に脱がないままベッドへと押し倒されていた。 いきなりの展開に驚き丸く開いたままの瞳を向ける春陽に伊織はじっと顔を見つめ、何も言わずに唇を押し付けてくる。 奪うように唇を求めてくる伊織に戸惑いながらも春陽は久しぶりの温もりにうっとりと瞳を閉じる。 飢えている獣の様に乱暴に服を剥ぎ取り素肌にキスの雨を降らせる伊織の常にない乱暴な行為だけど、久しぶりの恋人の温もりは春陽の体をただ熱く燃え上がらせた。ねっとり、と絡む口吻、粘着質な音を出し交わる体。汗も唾液も精液も混ざり合い、深く深く交じり合う行為に春陽は強烈な熱に煽られ昂ぶる体をただ伊織にされるがまま喘いだ。
「ごめん、ちょっと歯止めがききませんでした・・・・・」
ベッドにうつ伏せになり、荒い息で肩を揺らす春陽の横、深く頭を下げ伊織は謝る。そんな伊織に春陽は今にも落ちそうな程思い瞼を懸命に押し開きぼんやりと眺める。
「・・・・・良い・・・・・オレも嬉しかった、から・・・・・・」
「春陽?」
それだけを告げると微かに口元を歪め笑みを浮かべた春陽は眠りへと引きこまれる。伊織の呼びかけが聞こえるけれど答えられそうにない。深い眠りの底へと引き込まれ寝息を零しだした春陽に伊織はそっと顔を近づける。
「大好きだよ、春陽。 明日はちゃんと遊びに行こう。」
額へとちゅっと唇を押し付け呟くと伊織はごそごそと春陽の隣りへと潜りこむ。そうして久々の温もりに身を寄せると彼も瞳を閉じた。 薄暗い部屋を照らすのはカーテンの隙間からそっと差し込む月の光。身をぴったり、と寄せ合い部屋の中二人分の安らかな寝息だけが埋め尽くしている。どちらの顔も安堵と喜びに満ち溢れていた。
何かこれから、って所で終わってますがたまにはこんなのも。最近ラブが書けなくてこれでもかなりラブかと。 20090610
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